ガラスの靴は、もう履かない。

蘇 陶華

文字の大きさ
42 / 106

僕の心を捉える人

しおりを挟む
純真なのか、気付いているのに、知らないふりをするのか、あの病院を抜け出して行った夜景の中で、
「子供ね・・・」
と言ったのに。挑発されたと思った莉子の態度は、今回は、何も見せず、無邪気に花火を見て、酔いしれている。僕は、緊張したり、どうしたらいいか、わからず、気が気でない常態で、眼下に広がる景色を見下ろしていた。
「余裕なんてないよ」
危うく莉子の体に触れそうになった僕は、いつも以上に緊張してしまった。藤井先生の圧力もあるが、これ以上、僕は、先に進めない。莉子の気持ちが、僕が七海を思うのと、同じだったら、先には進めない。莉子は、僕をどう、思っているのか?彼女の凍りついた感情を呼び覚ます事が、僕に、できるのか。藤井先生の思惑は、そう、うまくいかない。僕は、ため息をつきながら、車椅子を乗せるべく、リフトを降ろし始めていた。
「帰るの?」
「う・・ん。先生が心配するからね」
「そう。」
莉子は、短く答えた。
「本当は、立てるんじゃない?」
僕は、莉子に言った。先程の体の感覚から言って、全く、立てない麻痺の患者とは、全く違う。
「立てるの?私」
「立てるよ。立てないのが、わからない」
「もう、立てないと思っていた」
「どうして、そう思うの?」
「だって・・・手術の後の説明もそうだし、一緒に話を聞いてくれた心陽も、もう、車椅子だねって」
「心陽?」
莉子の友人と聞いている。レッスンの時にも、何度か、心陽の話を聞く事がある。
「ピアニストなの。私とは、違って、才能があって。結局、架とどちらが上なのか、わからないまま、架は、怪我で、弾けなくなって・・・」
「旦那さんは、もう、諦めてしまったの?」
「二度と、ピアノの事は、話さなくなったの。写真も、全部、捨ててしまって。どうしても、1枚だけ、部屋にあるやつだけ、残して、全て、処分したみたい」
運転しながら、莉子の表情を探ってみたが、夫が、怪我で、ピアノを諦めた事を悲しんでいるよ様子は、見られなかった。
「こんな事、聞いていいのか、わからないけど。莉子は、旦那さんの事が好きで、一緒になったの?」
「それを聞くのね」
莉子は、ため息をついた。
「みんなに、何度も、聞かれるうちにわからなくなってしまった・・・」
思い出すように、細い声で話す。
「確かに結婚したんだけど、一緒になった人は、別人だった」
「お付き合いしていたんじゃないの?」
「親が決めたの。何度か、お会いして。普通の人だと思っていた。だけど・・」
莉子を妻に迎えたけど、ただ、人形のように飾っておくだけだったと聞いた。彼女の感情を彼は、認めなかった。
「いつから、そんなに感情を押し殺すようになったの?」
「新先生こそ、どうして、そんなに、質問をするの?」
「そうだね・・・」
僕は、言おうか躊躇った。
「ステージに上がる本当の莉子が見たいと思って」
少し、気恥ずかしいセリフを言ってしまった。
「決めたって、言ったよね。その為に、先生も僕も、努力を惜しまないって」
結局、藤井先生のせいにして、僕は、本当の事が言えなかった。莉子の踊る姿を見てみたい。だけど、今の莉子ができるのは、ステージの片隅で、椅子に座りパルマを打つ事だけだ。
「莉子。僕を信じてくれる?」
思わず、そんな言葉が飛び出していった。
「必ず、ステージに立たせるから」
莉子の双眸が大きく見開かれたいく。僕は、莉子の黒目がちな瞳に吸い込まれそうになる。心臓が口から飛び出しそうだ。
「莉子も、応えて。」
僕の言葉が、莉子の気持ちに火をつけたのなら、藤井先生の思惑がうまく行った事になる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

なくなって気付く愛

戒月冷音
恋愛
生まれて死ぬまで…意味があるのかしら?

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...