『茶々の乱華 ~戦国の姫、愛と野望の果てに~』

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第1巻:小谷の姫と父の死

第10章:石の囁き

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 岐阜城の朝は、霧に濡れる。
 木の廊下を歩くたび、軋む音が静寂を裂く。
 小谷城の湖畔の風は遠く、父上の笑顔は届かぬ。
 わしは小さな窓に凭れ、山の稜線を見つめる。
 ――父上。わが心は、まだ石になれぬ。  
 初がわしを呼ぶ。
「茶々、そなた、いつも遠くを見てるな。江がそなたを待ってるぞ」
 その声は明るいが、微かな不安を帯びる。
 わしは振り返る。
 初が江の手を引き、笑顔を作る。
 江がちっちゃな足で駆け寄る。
「茶々、朝餉だ! 一緒に食べよう!」  
 わしは微笑む。
「江、そなた、元気だな。よし、参ろう」
 小さな部屋に、粗末な膳が並ぶ。
 粟の粥、干した魚、わずかな菜っ葉。
 母上が江に粥を差し出す。
「江、よく食べなされ。初、そなたもだ」
 初が頷き、江が笑う。
「茶々、粥、美味しいぞ!」  
 わしは箸を手に持つ。
 この粥の味は、淡く、どこか苦い。
 岐阜城は籠だ。
 信長殿の影が、わしらの背に伸びる。
 わしは母上を見る。
「母上、この城は我らをどうする?」
 母上が一瞬、目を伏せる。
「茶々、そなた、賢いな。信長殿は我らを織田の血と見なす。されど、長女として、初と江を守れ」  
 わしは頷く。
 ――長女として。わし、妹を離さぬ。
 食事を終え、わしらは裏庭に出る。
 岐阜城の庭は岩だらけ、雑草が風に揺れる。
 江が石を積み、塔を作ろうとする。
「茶々、初、見て! 塔だぞ!」
 初が笑う。
「江、そなた、器用だな。茶々、そなたも手伝え」  
 わしは石を手に持つ。
 そのざらついた重さが、胸に響く。
 塔はすぐに崩れる。
 江がふくれ、初がくすくす笑う。
「茶々、そなた、下手だな。わしの方が上手いぞ」
 わしは返す。
「初、そなた、口だけだ。江、わしと再び築こう」
 この刹那、わしは妹たちと小谷城にいる気がする。  
 その時、林佐渡守が現れる。
 織田の家臣、わしらを見守る男。
「茶々殿、初殿、江殿。岐阜の庭は、そなたらに似合わぬな」
 わしは立ち上がる。
「林殿、そなた、何を言う? この庭は、わしらの籠だ」
 林が微笑む。
 その目は、試すようで、どこか哀しい。  
「茶々殿、そなた、籠と呼ぶか。ならば、その籠をどうする?」
 わしは息を呑む。
「籠を破る。されど、林殿、そなた、わしに何を求めている?」
 林が岩に腰を下ろす。
「某はそなたに、戦国の目を求めている。茶々殿、そなたは長女だ。初殿、江殿を守る刃となれ。されど、刃は敵味方を問わぬ」  
 わしは眉を寄せる。
「敵味方を問わぬ? 林殿、そなた、信長殿を敵と見るか?」
 林が一瞬、目を伏せる。
「茶々殿、戦国の世に敵味方は曖昧だ。信長殿はそなたの叔父。されど、そなたの父を討った。そなた、その矛盾をどう斬る?」
 わが心が波立つ。
 ――矛盾。わしは、まだその答えを持たぬ。  
 夜、部屋で、母上が縫い物を教える。
「茶々、初、針は心を映す。そなたら、乱さぬようにな」
 わしは針を握る。
 その小さな鉄が、指を刺す。
 初が江を抱き、鼻歌を唄う。
「茶々、そなた、今日、何を考えた?」
 わしは答える。
「初、わし、戦国の目を学んだ。そなたと江を守るために」  
 江が眠り、母上がわしを見る。
「茶々、そなた、賢い。されど、戦国の目は冷たい。そなたの心を、温かく保て」
 わしは頷く。
 ――母上。わし、初と江の笑顔を失わぬ。
 わしは目を閉じる。
 小谷城の炎が、瞼の裏で揺れる。
 父上の声が、遠く響く。
 ――茶々、鷹になれ。
 わしは答える。
 ――父上。わし、目を開き、翼を広げ、籠を破る。  

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