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第十九章『血と義の岐路──独眼竜、家を裁く』
第百八十一話『その刀は、兄弟を分かつために──』
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吹雪が、米沢の城下を白く染めていた。
その中を、一騎の駕籠が、静かに政宗の居所へと向かっていた。
駕籠に乗っていたのは、弟・小次郎。十六の面差しは、まだ少年の柔らかさを残しながらも、どこかに覚悟の色を滲ませていた。
その横に寄り添うのは義姫。
頬に紅をさし、まるで“戦”に挑む女の顔であった。
「政宗は、家を斬り裂こうとしている。あの子に未来はない。ならば、お前が“正しい伊達”を背負わねば」
「……母上。兄上は、強いお方です。誰よりも」
「強いがゆえに、孤独を好む。孤独な者に、家は守れぬ」
義姫の手が、小次郎の手を強く握る。
「お前が……“お前が兄を止めてやらねばならぬ”」
小次郎は、静かに頷いた。
その日、政宗は城の書院にいた。
大内定綱が控え、静かに報告をする。
「小次郎様、おひとりにて来訪の旨。義姫様は城外に控えたまま、入らず」
「……よかろう。通せ」
小次郎が現れたとき、政宗はすでに座して待っていた。
茶の湯が用意されていたが、手はつけられていない。
「来たか」
小次郎は黙って一礼し、正面に座る。
しばし、沈黙。
火鉢の火が、ぱちりと爆ぜる音が、異様に響いた。
「小次郎。お前に問いたい。母の声は、お前の心か?」
その問いに、小次郎はわずかに顔を歪めた。
「兄上……俺は……ただ……」
「ただ、母に従った。それで家が割れれば、お前は納得するのか」
「俺は……兄上が怖かった。昔から。戦場で鬼のように剣を振るい、敵を斬るその姿が……」
「俺は……誰かを斬るために生きているのではない」
政宗は立ち上がり、障子を開けた。
外は、雪。白一色の世界。
「だが、斬らねばならぬ時がある。その時、俺は……俺自身を斬っている」
その時、書院の襖がわずかに開き、黒装束の影が現れた。
「政宗様、失礼致します」
忍びの姿──黒脛巾組の千代が、静かに一歩前へ。
彼女の手には、巻物があった。
「小次郎様、これは……あなたにご覧いただきたい文書です」
千代は膝をつき、巻物をそっと差し出す。
小次郎は戸惑いながらもそれを受け取り、広げる。
そこには、旧臣らと最上家使者の密談記録。屋敷裏手での武器搬入の報告。小次郎の名のもとに“反政宗同盟”が練られていた証拠が、詳細に記されていた。
「……これは……」
小次郎の唇が震える。
「私の……名で……?」
「殿は、この証を焼くこともできた。しかし、あなた自身の目で見ていただきたいと……」
千代の言葉に、小次郎は膝の上で拳を握り締めた。
「俺は……ただ、兄上の影になっていただけなのに……」
袖の内から、一振りの脇差を取り出した。
「兄上……これが、俺の答えです」
その刀は、震えていた。
「俺が兄上に刃を向ければ、家中は兄上を正しき主と認めるでしょう。兄上に斬られてこそ、伊達の道理が立つ」
涙が、一筋、頬を伝う。
「……兄上が、俺を“必要な犠牲”と呼ぶなら、それでいい」
政宗は静かに、小次郎の前に立った。
「必要などとは言わぬ。……だが、お前がこの刃を抜くのならば、俺は逃げぬ」
小次郎が、ゆっくりと刀を構える。
政宗は、目を逸らさなかった。
次の瞬間。
雪が、音もなく、ふたりの間を舞った。
小次郎が踏み出し、政宗もまた応じるように抜刀した。
交差する刃。
一閃。
小次郎の動きは拙く、刃は空を切った。
政宗の太刀が、彼の胸元を斜めに裂いた。
「う……ぁ……」
小次郎の体が崩れ落ちる。
血が、雪の上に赤く染み広がる。
政宗は、黙ってその体を抱きとめた。
「なぜ……ここまで……」
小次郎は、息を詰まらせながら呟いた。
「兄上の背を、誰よりも……見ていたかっただけ……なのに」
「……小次郎……」
「ありがとう……兄上……兄として、俺を……
俺を最後まで……弟として、斬ってくれて……」
その言葉を最後に、小次郎の瞳から光が消えた。
政宗は、ただ黙っていた。
血で濡れた雪の上、小次郎の冷たい手を、ずっと握り続けていた。
その背を、襖の向こうで大内定綱が見守っていた。
政宗は、呟くように言った。
「……この手で、家を守るとは……この手で、弟を殺すということだったか」
その夜、政宗は一言も発せず、小次郎の亡骸のそばで夜を明かした。
龍はまた、ひとつの命を喰らって、生き延びる。
(続く)
その中を、一騎の駕籠が、静かに政宗の居所へと向かっていた。
駕籠に乗っていたのは、弟・小次郎。十六の面差しは、まだ少年の柔らかさを残しながらも、どこかに覚悟の色を滲ませていた。
その横に寄り添うのは義姫。
頬に紅をさし、まるで“戦”に挑む女の顔であった。
「政宗は、家を斬り裂こうとしている。あの子に未来はない。ならば、お前が“正しい伊達”を背負わねば」
「……母上。兄上は、強いお方です。誰よりも」
「強いがゆえに、孤独を好む。孤独な者に、家は守れぬ」
義姫の手が、小次郎の手を強く握る。
「お前が……“お前が兄を止めてやらねばならぬ”」
小次郎は、静かに頷いた。
その日、政宗は城の書院にいた。
大内定綱が控え、静かに報告をする。
「小次郎様、おひとりにて来訪の旨。義姫様は城外に控えたまま、入らず」
「……よかろう。通せ」
小次郎が現れたとき、政宗はすでに座して待っていた。
茶の湯が用意されていたが、手はつけられていない。
「来たか」
小次郎は黙って一礼し、正面に座る。
しばし、沈黙。
火鉢の火が、ぱちりと爆ぜる音が、異様に響いた。
「小次郎。お前に問いたい。母の声は、お前の心か?」
その問いに、小次郎はわずかに顔を歪めた。
「兄上……俺は……ただ……」
「ただ、母に従った。それで家が割れれば、お前は納得するのか」
「俺は……兄上が怖かった。昔から。戦場で鬼のように剣を振るい、敵を斬るその姿が……」
「俺は……誰かを斬るために生きているのではない」
政宗は立ち上がり、障子を開けた。
外は、雪。白一色の世界。
「だが、斬らねばならぬ時がある。その時、俺は……俺自身を斬っている」
その時、書院の襖がわずかに開き、黒装束の影が現れた。
「政宗様、失礼致します」
忍びの姿──黒脛巾組の千代が、静かに一歩前へ。
彼女の手には、巻物があった。
「小次郎様、これは……あなたにご覧いただきたい文書です」
千代は膝をつき、巻物をそっと差し出す。
小次郎は戸惑いながらもそれを受け取り、広げる。
そこには、旧臣らと最上家使者の密談記録。屋敷裏手での武器搬入の報告。小次郎の名のもとに“反政宗同盟”が練られていた証拠が、詳細に記されていた。
「……これは……」
小次郎の唇が震える。
「私の……名で……?」
「殿は、この証を焼くこともできた。しかし、あなた自身の目で見ていただきたいと……」
千代の言葉に、小次郎は膝の上で拳を握り締めた。
「俺は……ただ、兄上の影になっていただけなのに……」
袖の内から、一振りの脇差を取り出した。
「兄上……これが、俺の答えです」
その刀は、震えていた。
「俺が兄上に刃を向ければ、家中は兄上を正しき主と認めるでしょう。兄上に斬られてこそ、伊達の道理が立つ」
涙が、一筋、頬を伝う。
「……兄上が、俺を“必要な犠牲”と呼ぶなら、それでいい」
政宗は静かに、小次郎の前に立った。
「必要などとは言わぬ。……だが、お前がこの刃を抜くのならば、俺は逃げぬ」
小次郎が、ゆっくりと刀を構える。
政宗は、目を逸らさなかった。
次の瞬間。
雪が、音もなく、ふたりの間を舞った。
小次郎が踏み出し、政宗もまた応じるように抜刀した。
交差する刃。
一閃。
小次郎の動きは拙く、刃は空を切った。
政宗の太刀が、彼の胸元を斜めに裂いた。
「う……ぁ……」
小次郎の体が崩れ落ちる。
血が、雪の上に赤く染み広がる。
政宗は、黙ってその体を抱きとめた。
「なぜ……ここまで……」
小次郎は、息を詰まらせながら呟いた。
「兄上の背を、誰よりも……見ていたかっただけ……なのに」
「……小次郎……」
「ありがとう……兄上……兄として、俺を……
俺を最後まで……弟として、斬ってくれて……」
その言葉を最後に、小次郎の瞳から光が消えた。
政宗は、ただ黙っていた。
血で濡れた雪の上、小次郎の冷たい手を、ずっと握り続けていた。
その背を、襖の向こうで大内定綱が見守っていた。
政宗は、呟くように言った。
「……この手で、家を守るとは……この手で、弟を殺すということだったか」
その夜、政宗は一言も発せず、小次郎の亡骸のそばで夜を明かした。
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(続く)
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