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第15話 命に、未来を預ける日
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202X年10月、東京。
秋雨前線が去ったあとの、澄んだ空が都市を覆っていた。
六本木、国際フォーラム。
ガラス張りの巨大なコンベンションホールには、世界中から集まった研究者、政治家、宗教指導者、患者家族、そして未来予測を担うAIシステムが一堂に会していた。
国際ゲノム倫理会議──。
人類史上、初めて「ヒト遺伝子編集の未来」を正面から議論するための場。
アジア圏で開催されるのは、これが初めてだった。
広いホールに緊張が漂う。
各国の代表たちは、国旗を背に座り、通訳用のイヤホンを耳に当てながら、慎重に相手の言葉を待っていた。
壇上に立つ、日本代表。
那珂湊比呂志。そして、天城朔弥。
彼らは、全身に覚悟をまといながら、この場に立っていた。
壇上に映し出された今日の議題は、シンプルな一行だった。
──【ヒト遺伝子編集の国際倫理基準を定めるべきか】──
マイクを握ったアメリカ代表は、きっぱりと語った。
「我々は、限定された医療目的に限り、厳格な規制のもとで遺伝子編集を認めるべきだと考える」
一方、EU代表団は、毅然と反論した。
「倫理的リスクを考慮すれば、すべてのヒト遺伝子編集行為は原則として禁止されるべきだ」
会場がざわつき、通訳の声が交錯する。
賛成と反対。進歩と保守。
互いに譲れぬ理念がぶつかり合い、議論はすぐに紛糾した。
そして──。
静かに手を挙げた一人の男に、議長は発言の機会を与えた。
天城朔弥だった。
壇上に立ち、マイクに手をかける。
ほんのわずかに震える指先を、自覚しながら。
彼は、ゆっくりと語り始めた。
「……私は、医師です。そして、あるひとりの“親”でもあります」
その言葉だけで、場内の空気が変わった。
「私が救おうとした命は、完全なものではありませんでした。
未完成で、不安定で、誰よりも傷つきやすい存在でした」
誰もが耳を傾ける。
翻訳機を通しても、言葉の重みが失われないのを感じた。
「だが、私は知っています。
すべての命が、“最初から完璧”なわけではないことを」
ホールの奥で、誰かが小さく息を呑んだ。
「遺伝子を編集するという行為が、未来を創り変える“力”であることは確かです。
しかし、その力が、選ばれた者だけのものであってはならない」
スライドには、結彩と奏人の後ろ姿──病院の庭で、肩を並べた二人の姿が映し出される。
「私たちは、すべての命が“未完成”であることを、恐れずに受け入れるべきです。
そして、未完成なまま、互いに支え合うことを、未来の礎とするべきです」
長い、長い沈黙が訪れた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
咀嚼し、痛みと希望を混ぜ合わせながら、心の奥に落とす時間が必要だった。
──そして。
後方の席から、ひとりの老人が立ち上がった。
銀髪のラビ。
ユダヤ教最高評議会の代表であり、信仰と倫理の両輪を語る賢者だった。
彼は、柔らかな微笑みを浮かべ、こう言った。
「神は、人間に“完成”を与えなかった。
それは、我々が互いに支え合うことを学ぶためだ」
その言葉に、重みがあった。
たった一言で、世界中の論争を超えるだけの。
少しずつ、場内に頷きが広がる。
あのEU代表すら、静かに視線を落とし、考え込んでいた。
翌朝。
つくば市の郊外、小学校の正門前。
秋の空気は澄み渡り、朝露がアスファルトをほんのり湿らせていた。
門の前に、二つの小さな影が並んで立っていた。
結彩と、奏人。
冬制服に袖を通し、きちんと整えた襟を、お互いに直し合う。
「……緊張する?」
結彩が、少しだけ笑って尋ねた。
「……ちょっと」
奏人が、正直に答える。
「大丈夫。わたしが隣にいるから」
その言葉に、奏人はこくりと頷いた。
ぎゅっと繋がれた小さな手。
一歩ずつ、二人は校門をくぐった。
すれ違う子供たちの視線が、少しだけ刺さった。
でも、それでも。
──歩き出せる。
誰にも奪わせない、二人だけの誇りを胸に抱いて。
頭上の空。
朝陽が、二人の背中を優しく照らしていた。
ナレーション:
この物語は、まだ終わらない。
命が問いを投げかけ続ける限り。
社会が迷い、揺れ、悩み続ける限り。
命と、社会と。
私たちは、共に生きていく。
秋雨前線が去ったあとの、澄んだ空が都市を覆っていた。
六本木、国際フォーラム。
ガラス張りの巨大なコンベンションホールには、世界中から集まった研究者、政治家、宗教指導者、患者家族、そして未来予測を担うAIシステムが一堂に会していた。
国際ゲノム倫理会議──。
人類史上、初めて「ヒト遺伝子編集の未来」を正面から議論するための場。
アジア圏で開催されるのは、これが初めてだった。
広いホールに緊張が漂う。
各国の代表たちは、国旗を背に座り、通訳用のイヤホンを耳に当てながら、慎重に相手の言葉を待っていた。
壇上に立つ、日本代表。
那珂湊比呂志。そして、天城朔弥。
彼らは、全身に覚悟をまといながら、この場に立っていた。
壇上に映し出された今日の議題は、シンプルな一行だった。
──【ヒト遺伝子編集の国際倫理基準を定めるべきか】──
マイクを握ったアメリカ代表は、きっぱりと語った。
「我々は、限定された医療目的に限り、厳格な規制のもとで遺伝子編集を認めるべきだと考える」
一方、EU代表団は、毅然と反論した。
「倫理的リスクを考慮すれば、すべてのヒト遺伝子編集行為は原則として禁止されるべきだ」
会場がざわつき、通訳の声が交錯する。
賛成と反対。進歩と保守。
互いに譲れぬ理念がぶつかり合い、議論はすぐに紛糾した。
そして──。
静かに手を挙げた一人の男に、議長は発言の機会を与えた。
天城朔弥だった。
壇上に立ち、マイクに手をかける。
ほんのわずかに震える指先を、自覚しながら。
彼は、ゆっくりと語り始めた。
「……私は、医師です。そして、あるひとりの“親”でもあります」
その言葉だけで、場内の空気が変わった。
「私が救おうとした命は、完全なものではありませんでした。
未完成で、不安定で、誰よりも傷つきやすい存在でした」
誰もが耳を傾ける。
翻訳機を通しても、言葉の重みが失われないのを感じた。
「だが、私は知っています。
すべての命が、“最初から完璧”なわけではないことを」
ホールの奥で、誰かが小さく息を呑んだ。
「遺伝子を編集するという行為が、未来を創り変える“力”であることは確かです。
しかし、その力が、選ばれた者だけのものであってはならない」
スライドには、結彩と奏人の後ろ姿──病院の庭で、肩を並べた二人の姿が映し出される。
「私たちは、すべての命が“未完成”であることを、恐れずに受け入れるべきです。
そして、未完成なまま、互いに支え合うことを、未来の礎とするべきです」
長い、長い沈黙が訪れた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
咀嚼し、痛みと希望を混ぜ合わせながら、心の奥に落とす時間が必要だった。
──そして。
後方の席から、ひとりの老人が立ち上がった。
銀髪のラビ。
ユダヤ教最高評議会の代表であり、信仰と倫理の両輪を語る賢者だった。
彼は、柔らかな微笑みを浮かべ、こう言った。
「神は、人間に“完成”を与えなかった。
それは、我々が互いに支え合うことを学ぶためだ」
その言葉に、重みがあった。
たった一言で、世界中の論争を超えるだけの。
少しずつ、場内に頷きが広がる。
あのEU代表すら、静かに視線を落とし、考え込んでいた。
翌朝。
つくば市の郊外、小学校の正門前。
秋の空気は澄み渡り、朝露がアスファルトをほんのり湿らせていた。
門の前に、二つの小さな影が並んで立っていた。
結彩と、奏人。
冬制服に袖を通し、きちんと整えた襟を、お互いに直し合う。
「……緊張する?」
結彩が、少しだけ笑って尋ねた。
「……ちょっと」
奏人が、正直に答える。
「大丈夫。わたしが隣にいるから」
その言葉に、奏人はこくりと頷いた。
ぎゅっと繋がれた小さな手。
一歩ずつ、二人は校門をくぐった。
すれ違う子供たちの視線が、少しだけ刺さった。
でも、それでも。
──歩き出せる。
誰にも奪わせない、二人だけの誇りを胸に抱いて。
頭上の空。
朝陽が、二人の背中を優しく照らしていた。
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命が問いを投げかけ続ける限り。
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命と、社会と。
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