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①⓪話 羽柴軍との対峙
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「任されたって言ったって、手勢五十騎で岐阜から走ってきてどうするんだよ、松。外は見たとおり、羽柴の軍勢五百だぜ」
と慶次が不満げに口を挟んだ。
彼の言葉には棘があったが、同時に現実的な疑問が込められていた。
寺の外に目をやれば、確かに羽柴軍の旗が風に揺れ、兵たちの影が朝靄の中に蠢いているのが見えた。
五十騎で五百の軍勢をどうにかできるとは、私にも思えなかった。
窓の隙間から見えるその光景は、まるで黒い雲が空を覆うようだった。
しかし、松は動じなかった。
「羽柴様の軍勢は私が話を付けます。なんなりと私にお任せを。お市様方は出立の御仕度を」
と言い切ると、彼女はくるりと踵を返し、寺の外へと消えた。
その背中からは揺るぎない自信が溢れていた。
彼女の足取りは力強く、まるでどんな困難も跳ね除ける覚悟が感じられた。
私はその姿に圧倒されながらも、不安を拭いきれなかった。
羽柴の軍勢と話をつけるなど、そんな簡単にいくものだろうか。
藤吉郎という男の狡猾さは、すでに噂として私の耳にも届いていた。
彼の策略に打ち勝つほどの力と知恵が、松に本当に備わっているのだろうか。
母上様の命で、私たちは急いで旅装束に着替えた。
お初はまだ怯えた顔で母上様の袖を離さず、私は黙々と支度を進めた。
部屋の中には静かな緊張が漂い、誰もが言葉少なだった。
外の喧騒はさらに大きくなり、時折、馬の嘶きや兵たちの怒号が聞こえてきた。
私は窓の隙間から外を覗いた。
朝日が昇り始め、山の稜線を金色に染めていたが、その美しさとは裏腹に、空気には戦の匂いが漂っているように感じられた。
風が運んでくる冷たい空気には、血と鉄の臭いが混じっているような気がしてならなかった。
しばらくすると、寺の庭に異変が起きた。
羽柴軍の旗指物を掲げた兵たちが、大きな輿を運び入れてきたのだ。
私は驚きに目を見張った。
兵たちの動きは統制が取れており、まるで訓練された軍勢のようだった。
松が戻り、その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
彼女の瞳には勝利の光が宿り、唇の端がわずかに上がっていた。
「お市様、羽柴の軍勢とは話を付けてきました。もし私の命に従わないときは、藤吉郎殿の悪行を上様に申しつけると」
と彼女は言った。
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
藤吉郎を脅すほどの切り札を松が握っていたとは。
彼女の胆力と知恵に、初めて本物の信頼が芽生えた瞬間だった。
松の言葉には、まるで勝利を確信した将軍のような響きがあった。
「そうですか、松がそういうなら信じましょう。さぁ、輿に乗りなさい」
と母上様が静かに命じた。
私はお初の手を握り、彼女を励ますように小さく微笑んだ。
しかし、お初は突然ぐずり始めた。
「母上様と同じ輿じゃなきゃいや」
と駄々をこね、母上様は困ったように笑った。
「流石にお江を抱いて乗るので、私の輿は手狭に・・・・・・困りましたね」
と呟いた。
お江はまだ幼く、母上様の腕の中で眠っている。
その小さな体を抱えたままでは、確かに輿に余裕はないだろう。
「お初、わがままはいけません。母上様を困らせないの、私の輿に一緒に乗りなさい」
と私が諭したが、お初は首を振って頑なに拒んだ。
「いや、母上様じゃないといや」
と繰り返すばかりだった。
お初の目は涙で潤み、頬が赤く染まっていた。
すると、松が前に進み出た。
「お市様、お江様は私が抱かせていただきます。お初様と輿をともに」
と提案した。
母上様は一瞬考えた後、静かに頷いた。
「そうですか? 松、頼みましたよ」
と答え、お江を松の腕に預けた。
その瞬間、母上様の横顔に一抹の寂しさが滲んだのを私は見逃さなかった。
お江を手放すことへのわずかな躊躇いと、私たちを守るための決意が、そこに混在しているように見えた。
母上様の手が一瞬震えたようにも思えた。
私も胸に不安がこみ上げたが、それを押し殺した。
こんな時だからこそ、母上様を支えなければ。
そう思った矢先、慶次が突然私をひょいと抱え上げた。
「前田家じゃ~幼子取って食ったりしねぇ~から安心しな、猿とは違うぜ。犬と呼ばれるうちの大将だ。犬は他の犬の子を預けられてもちゃんと面倒見るんですぜ」
と彼はケラケラと笑った。
その無礼な態度に一瞬腹が立ったが、なぜかその言葉に嘘がないと感じた。
慶次の笑顔には、どこか純粋な温かさがあった。彼の大きな手は意外にも優しく、私をしっかりと支えていた。
と慶次が不満げに口を挟んだ。
彼の言葉には棘があったが、同時に現実的な疑問が込められていた。
寺の外に目をやれば、確かに羽柴軍の旗が風に揺れ、兵たちの影が朝靄の中に蠢いているのが見えた。
五十騎で五百の軍勢をどうにかできるとは、私にも思えなかった。
窓の隙間から見えるその光景は、まるで黒い雲が空を覆うようだった。
しかし、松は動じなかった。
「羽柴様の軍勢は私が話を付けます。なんなりと私にお任せを。お市様方は出立の御仕度を」
と言い切ると、彼女はくるりと踵を返し、寺の外へと消えた。
その背中からは揺るぎない自信が溢れていた。
彼女の足取りは力強く、まるでどんな困難も跳ね除ける覚悟が感じられた。
私はその姿に圧倒されながらも、不安を拭いきれなかった。
羽柴の軍勢と話をつけるなど、そんな簡単にいくものだろうか。
藤吉郎という男の狡猾さは、すでに噂として私の耳にも届いていた。
彼の策略に打ち勝つほどの力と知恵が、松に本当に備わっているのだろうか。
母上様の命で、私たちは急いで旅装束に着替えた。
お初はまだ怯えた顔で母上様の袖を離さず、私は黙々と支度を進めた。
部屋の中には静かな緊張が漂い、誰もが言葉少なだった。
外の喧騒はさらに大きくなり、時折、馬の嘶きや兵たちの怒号が聞こえてきた。
私は窓の隙間から外を覗いた。
朝日が昇り始め、山の稜線を金色に染めていたが、その美しさとは裏腹に、空気には戦の匂いが漂っているように感じられた。
風が運んでくる冷たい空気には、血と鉄の臭いが混じっているような気がしてならなかった。
しばらくすると、寺の庭に異変が起きた。
羽柴軍の旗指物を掲げた兵たちが、大きな輿を運び入れてきたのだ。
私は驚きに目を見張った。
兵たちの動きは統制が取れており、まるで訓練された軍勢のようだった。
松が戻り、その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
彼女の瞳には勝利の光が宿り、唇の端がわずかに上がっていた。
「お市様、羽柴の軍勢とは話を付けてきました。もし私の命に従わないときは、藤吉郎殿の悪行を上様に申しつけると」
と彼女は言った。
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
藤吉郎を脅すほどの切り札を松が握っていたとは。
彼女の胆力と知恵に、初めて本物の信頼が芽生えた瞬間だった。
松の言葉には、まるで勝利を確信した将軍のような響きがあった。
「そうですか、松がそういうなら信じましょう。さぁ、輿に乗りなさい」
と母上様が静かに命じた。
私はお初の手を握り、彼女を励ますように小さく微笑んだ。
しかし、お初は突然ぐずり始めた。
「母上様と同じ輿じゃなきゃいや」
と駄々をこね、母上様は困ったように笑った。
「流石にお江を抱いて乗るので、私の輿は手狭に・・・・・・困りましたね」
と呟いた。
お江はまだ幼く、母上様の腕の中で眠っている。
その小さな体を抱えたままでは、確かに輿に余裕はないだろう。
「お初、わがままはいけません。母上様を困らせないの、私の輿に一緒に乗りなさい」
と私が諭したが、お初は首を振って頑なに拒んだ。
「いや、母上様じゃないといや」
と繰り返すばかりだった。
お初の目は涙で潤み、頬が赤く染まっていた。
すると、松が前に進み出た。
「お市様、お江様は私が抱かせていただきます。お初様と輿をともに」
と提案した。
母上様は一瞬考えた後、静かに頷いた。
「そうですか? 松、頼みましたよ」
と答え、お江を松の腕に預けた。
その瞬間、母上様の横顔に一抹の寂しさが滲んだのを私は見逃さなかった。
お江を手放すことへのわずかな躊躇いと、私たちを守るための決意が、そこに混在しているように見えた。
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私も胸に不安がこみ上げたが、それを押し殺した。
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