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第一章

放課後 3

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葵は誰が見ても分かるほど怒っていた。

こうなった原因は数十分前。僕が葵からカラスを引き離すために囮なったことだ。

「どうして...あんなことしたの……?」

怒気が含まれた静かな声色で葵は僕に問う。

── どうして

その言葉が僕の頭の中で反響する。

葵が好きだから?

── 違う

葵が大切だから?

── それも違う

僕は葵のことは好きだし大切だとも思っている。

だけど、そうだからといってあの時行動に移した訳ではない。

では何故?

── 分からない

僕は自問自答を繰り返す。

いくら考えてもその問いの答えは浮かび上がらなかった。

『わから...ない……』

僕は正直に葵に言う。

「え...?」

僕のその返答に葵は困惑したような表情を浮かべる。

『ただ、あの時...僕が犠牲になって葵が助かるならそれでもいいと思ったんだ...』

そして、僕はそのままーー

『でも、どうしてそう考えて、どうして行動に移したのかが分からない...』

と、言葉を続けた。

途端に重くなる空気。

時計の針の音のみが教室に響いている。

僕と葵は互いに見つめ合いながら黙っている。

このたった数秒が恐ろしいほどに長く感じた。

「...はぁ...」

不意に、葵がため息を零した。

「私はね...優にああいうことして欲しくないだけなの」

呟くように葵は言葉を発する。

「だから、もうしないで。自分が犠牲になればいいなんて二度と思わないで」

葵は懇願するように僕に言う。

「優が犠牲になって助かったところで私は嬉しいなんて思わないよ」

葵は少し間を空けーー

「自分の命を、もっと大事にしてよ」

僕の目を真っ直ぐ見ながらそう言った。
その目からはおふざけなどなく真剣さだけが感じられる。

『分かった...』

しっかりと頭に刻み込むように、僕は了承の意を示す。

すると、葵は少し安心したかのような表情へと変える。

そして、そのまま葵は後ろを振り向きーー

「倉橋さんも優を助けてくれてありがとね」

と、感謝の言葉を述べた。

『助けてくれてありがとう』

僕も急いでそれに続きお礼の言葉を述べる。

「どういたしまして」

琴葉は赤子をあやすような優しい笑みを浮かべ、感謝の言葉を受け取った。

    *

禍憑きのせいですっかり遅くなってしまった掃除を終わらせた。

その際、琴葉も手伝いを申し出てくれていたので言葉に甘えて手伝ってもらった。

何故か掃除をしている間、葵は難しい顔をして黙っていた。

どうしたのか聞こうとも思ったが掃除を早く終わらせたいという気持ちが勝り聞くのをやめた。

そんなこんなで帰るために荷物をまとめていると突然、

「あ~!!そうだよ!」

葵が声をあげた。

その声に、僕と琴葉は立ち止まる。

『どうしたの?葵』

僕は葵にどうしたのかを尋ねる。

「なにかやり忘れていることがあるな~と思っていたら自己紹介するの忘れてたことに今気づいた」

『自己紹介?』

「うん!私と優は倉橋さんの名前しか知らないし、逆に倉橋さんも私達のこと知らないでしょ?」

『まぁ、そうだね』

「これからお互いにお世話になる訳だし、自己紹介しようよ」

『そういうことなら僕は良いけど...倉橋さんは?』

僕は自己紹介しても良いのであとは琴葉がやるかどうかだ。

そのためどうするかを琴葉に聞く。

「私もいいよ。仲良くなりたいから」

琴葉は笑顔でそう答えると、僕や葵の方へ向き直す。

「よし、決まりだね!じゃあ私から...」

葵は意気揚々と声をあげると、少し深呼吸をして準備をする。

「私の名前は神原 葵。剣道部に入っているよ。趣味は洋服を買いに行ったり、剣道とかかな。え~とあとは...隣にいる男の子、優とは中学校からの幼馴染で.........。あはは、自分から自己紹介しようとか言ってたけどよくよく考えたらあんまり紹介することなかった」

葵は微笑しながら僕等の方を向いて言う。

「じゃあ次優ね!」

そしてそのまま僕に順番を譲った。
少し呆れながらも、僕は自己紹介し始める。

『え~と、僕の名前は日宮 優。部活動は特にしていないかな。葵も言ってたけど葵とは中学時代の幼馴染だよ。趣味は本を読んだり、ゲームをしたりと結構普通なことをするのが好きかな。まぁ、僕も特に自己紹介するほど紹介することがないからこれで終わり。倉橋さん次どうぞ』

僕もひと通り自己紹介をし終わると琴葉に順番を回す。

だが、琴葉は何故か驚いたような表情を浮かべ、僕の方を向いて固まっていた。

『ど、どうしたの?』

不思議に思いながら僕は琴葉に質問をする。

「いや...なんでもない。ごめん」

一応聞いてみたが、目をそらされてしまった。

「...さてと、次は私の番だね」

聞かれたくないことなのだろうか。琴葉は話題を自己紹介へと戻す。

琴葉が言いたくないのなら僕は深くは追求しない。
いずれ話してくれるその時まで待つことにしよう。

琴葉は喉を鳴らす。
そして、口を開くとーー

「私の名前はーーー」

琴葉は僕等と同じような、そんなありきたりの自己紹介を始めた。

    *

琴葉の自己紹介が終わる。
自己紹介の内容というと、趣味の話がほとんどだった。

朝から彼女は落ち着いていてクールそうなイメージがあったのだが、意外と可愛いものが好きらしい。

葵も可愛い物が好きなので琴葉の話に一々相槌をうっては、その良さについて賛同していた。

やはり女の子は可愛いものに目がないのだろうか。

そうだとしても、二人とも仲良くできそうで僕は少し安堵する。

「さて、自己紹介も済んだことだしそろそろ帰ろうか?」

葵が僕と琴葉を見渡しながら帰るかどうかを聞く。

「そうだね」

「朝から色々あって僕はもうくたくただよ...」

他にすることもなく日が暮れてきていたので当然その意見に賛同する。

琴葉もどうやら同じようだ。

教室の扉に手をかける。
そして、そのまま廊下を歩き出す。
廊下はすっかり暗くなっていて、人が誰一人としていないからか静けさに包まれていた。

   *

「...ただいま」

人の気配が何一つしないマンションの一室でそんな言葉が響く。

言い方は無機質で、感情が篭っていないように聞こえる。

その言葉を発した人物ーー日宮 優は、玄関に背負っていた学生鞄を下ろすとそのままある部屋へと向かう。

向かったのは仏間。そこには優の両親であろう顔写真が飾ってある。

「ただいま。父さん、母さん」

再び帰ったことを両親に伝える。

だが、永遠にその言葉が返ってくることはない。

しかし、さっきとは違い、その言葉には優の感情が深く篭っていた。

それも、悲哀や寂しさといった感情だけが。

優は両親の顔写真から目を逸らす。

きっと、これ以上は見たくないのだろう。

そのまま優は仏間から出ると、寝室へと一直線に向かい、眠りについた。

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