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第5章 帝国決戦
閑話11 立花里奈(オムカ王国軍師相談役)
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明彦くんが王都を出ていって、数日が経った。
その間、わたしは王都にいた。
かといって何もしていなかったわけではない。
ニーアさんに頼まれて、妹でもある女王様の警護の任務を受けていたのだ。
だから基本、日中は彼女の傍にいて一緒にお話ししたり、お茶を飲んだり、お昼を食べたり、日向ぼっこをしたり、本を読んだりしていた。
もちろん政務やお勉強がある時は、別室にて待機した。そして夜は一緒にお風呂に入ったり、彼女が眠るまで寝物語をしたり、就寝後は隣室で眠った。
戦いに出た明彦くんたちのことを思うと、少し申し訳ないくらいの平穏な日々を送っている気がする。
けど明彦くんに大事な役目と言われれば、それもまた納得するしかなかった。
それに、
「お姉さまみたいなにおいがして安心できるのじゃ」
と言われれば、孤独な王様の少しの安らぎになるのであれば、嫌とは断じて言えない。
しかしなんだろう、この気持ちは。
家族を、妹を慈しむような優しい気持ち。
何度思い返しても、私は一人っ子だし、幼馴染や従妹に年下の女の子がいた覚えもない。
なのに彼女のことになると、どこかおかしくなる。
何が何でも守ってあげなきゃ、って気分になる。
きっとこれは、私の深層心理に違いない。
年下の女の子が好きで守りたいという想いがあるのに違いない。
だって、そうでもなきゃ、今の明彦くんにこんな気持ちを持つわけがないんだもの。
可愛いのは確かだけど、明彦くんだってことは十分に理解しているわけで、本来ならもっと慎ましやかに対応できるはずだったのに。
うん、きっとそうだ。
そしてある日、久しぶりに家に帰ることになった。
「ずっと王宮にこもっていても気づまりじゃろうからの」
私は全然かまわなかったけど、その心使いはありがたかったから一度家に帰ることにした。
気軽に外を出歩くこともままならない、彼女の境遇をおもんぱかった意味もあったかもしれない。
だから家に帰り、私服に着替えてぼうっと午前を過ごし、お昼を食べに外に出た昼下がり、
「あ、おねえちゃん!」
リンちゃんに、声をかけられた。
「久しぶり、リンちゃん。元気?」
「うん! げんき!」
王都の南に住処を持つにしては、出会う場所が王都の北ということでちょっと不思議に思ったけど、
「うん、今日はおみせがおやすみなの。だから、ちょっとぼうけん!」
なるほど。
そういった自由時間もあって、リンちゃんは幸せだなぁ、と微笑ましい気分になる。
「ジャンヌおねえちゃんは?」
「今明彦――ジャンヌお姉ちゃんは、お仕事で外に出かけてるの。もう少ししたら帰ってくるからね」
「そうなの……」
あからさまに残念そうな顔を浮かべるリンちゃん。
うーん、明彦くんも忙しかったから、あまり会えてなかったのかな。
「リンちゃん、お昼食べた?」
「ううん」
「じゃあお姉ちゃんと一緒に食べようか」
「うん!」
とっさに考えてのお誘いだったけど、これはナイスアイディアだったかもしれない。
1人で食べる食事も味気ないし、リンちゃんの寂しげな表情を和らげられるなら、それはとてもいいことだから。
というわけで、リンちゃんと一緒に食事処に行く。
私はパンケーキと数種類のフルーツ盛りといったものを食べたけど、リンちゃんはお肉をメインにおいしそうに食べていた。
あんな細くて小さい体なのによく入るなぁ、なんて思った。
食べ盛りなのかな。
それから、リンちゃんにせがまれて王都の北を案内した。
といっても私もそれほど知っているものは少ない。だから案内というよりは、彼女の言葉を借りるなら『たんけん』みたいなものだったわけで。
陽が暮れ始めるころ、独りで帰れると胸を張るリンちゃんと別れ、夕飯用の鶏肉とサラダとお米を大量に買って孤児院へと向かった。
竜胆や愛良、それに子供たちと交じっての団らんの食事に、飛び込みゲストとして入ったわけだけど、大量の素材もあり大いに喜んでくれた。
そして日も暮れ、そろそろ帰って、また明日のために早めに寝ようかなんてことを考えていると、
――ぞくり
何かが、癇に障った。
何か。分からない。
けどとても不快な気持ち。
「どうした、里奈さん?」
愛良が話しかけてくる。
一瞬、彼女がその原因かと思ったけど、一瞬で打ち消す。
彼女のわけがない。この孤児院いる人でもない。
一般の人でもない、何かどす黒くて気味の悪い何かを持つ人間の発する気配。
「愛良、王宮ってどっち?」
「え? えっと……あっち、だったかな」
愛良が指した方向。
それは私の記憶とも合致する。
そして、嫌な気配もそちらから。
「っ!」
「お、おい! どうしたんだよ!」
愛良の制止の声も、すぐに遠く背後になる。
駆けた。
同時、視界が赤く染まる。
「『収乱斬獲祭』」
使う。
スキルを。
大げさとは思わない。
こうでもしないと間に合わない。
流れるように景色が背後に流れる。
誰かにぶつかって弾き飛ばした。
それすらもすぐ背後。
いや、駄目だ。
これ以上は。
人通りが多くなる。
夜の王都は、人通りが激しい。
買い物帰りの人や、仕事帰りの人、居酒屋みたいな場所で一杯ひっかけていく人など多くが群れをなしている。
それを弾き飛ばしては、『収穫』してはいけない。
けどこの人ごみを行けば間に合わない。
なら――上。
跳ぶ。
屋根に出た。
そのまま、石造りの屋根をひたかける。
走り、跳び、走り、降り、また跳び、そして走る。
ひたすらにただただ王宮へと駆け、およそ5分もかからずにたどり着く。
この時間だ。
もちろん入り口は鉄柵で閉ざされ、見張りの兵がいる。
彼らに身分を明かして通してもらうか。いや、それだと遅い。きっと照会とか何かで時間がかかる。裏口から回っても時間の無駄だ。
だからやることは1つ。
屋根。
そこから王宮を囲む柵をまでの距離は10メートル。高さは5メートル。
ならいける。
少し助走をつけ――跳んだ。
浮遊感。そしてすぐに落下感。
距離感を間違えれば、鉄柵にぶつかっるか、槍みたいに尖った先端に体を串刺しにされるか。
だが、そんな危機もなく、体はゆっくりと落下すると、柵の内側の草むらに着地した。
「ん? なんだ?」
門番の兵の声が聞こえる。
下手に勘繰られる前に、足音を殺しながら高速で走った。
王宮。扉。開いている。
もはや猶予はない。
ためらわずに飛び込んだ。
攻撃はなかった。
変わりに鼻に来るのは不吉なにおい。
いつか、大量に浴びて大量にかいだことのあるにおい。
――血のにおいだ。
この時間ともなれば、すでに仕事は終わっているから少数の警備と、住み込みの人間くらいしかいない。
それでも、そこにあるのは死の匂いだ。
廊下の影に隠れるようにして座り込む影がある。
兵士だ。
死んでいる。
背後から首をざっくりとやられて、服を自らの血で濡らしている。
血は固まっていない。
つまりまだ来たばかりだということ。
誰が?
決まってる。
暗殺者だ。
ニーアさんが言っていたことを思い出す。
かつて、明彦くんや妹を狙った暗殺者がいたと。
そして今、狙われる価値のある人間はたった1人しかいない。
だから駆ける。
道はもう覚えた。
だから迷わず行く。
彼女の部屋。
その前で立ち止まる。
中の音。
いや、聞くまでもない。
感じる。
この奥から、不快なよどみを。
死と血にまみれた、同種のにおいを。
ドアを蹴とばした。
頑丈そうな厚みのあるドアだったが、ちょっと蹴るだけで簡単に内側に吹き飛んだ。
それに驚いた人物。
3人。
それが反撃の態勢を取る前に走った。
左右にいる2人。
その頭に手を伸ばし、一瞬で縦にひねる。
ゴキッと何かが鳴る音がして、首を変な方向に曲げた2人が音もなく崩れる。
その間に、残る1人は冷静に剣を抜いた。
剣というよりはナイフ。暗殺者が使うような小ぶりなナイフだ。
男――そう、目の前の敵は男。そして今ひねりつぶした2人も男。
つまり、ニーアさんの言う暗殺者ではない。
そのことに安堵しつつも、どこか惜しいと思っていた。
明彦くんたちを狙ったやつに、罰を与えられると思ったから。
残った男が、無言でナイフを突いてくる。
声も掛け声もなく繰り出された突きは、寸分の狂いなく私の心臓を狙ってくる。
元の世界の私だったら、何が起こったか分からないまま胸を刺されて死んだだろう。
けど今の私は違う。
もはや、人間を捨てた狂戦士。
大事なものを守るためなら、そんな不名誉な称号でも受け入れる。
だからこんなもので殺されるわけにはいかない。
私は高速で迫るそのナイフを――手のひらで横にはじいた。
すると相手の体も横に流れる。
まさか自分の突きが、かわされるでもなく、受け止められるでもなく、ナイフの横腹を叩かれて軌道をずらされるとは思ってもみなかったのだろう。男の体がつんのめる。
けどそれも一瞬。すぐに態勢を直して攻撃しようとする。
その前に、私は男の背後に回って、左腕をその喉にからませ、
「ごめんね。でも、そっちが悪いんだからね」
右手で、頭をひねった。
軽い音と共に、体の力が抜ける。
本来なら、生まれてきたことを後悔するように、四肢を千切ってゆっくり自分の死にざまを体験させてあげたかったけど、こんな奴らの血で妹の部屋を汚したくなかった。
それに今はそんなことに時間をかける暇はない。
「マリア? 無事? 私よ、里奈よ」
声を張って部屋に問いかける。
見た感じベッドにも椅子にもクローゼットにも彼女はいなさそうだ。
だからこそ暗殺者もすぐに獲物を仕留めることができなかったわけで。
「ひっ……お姉、さま?」
「マリア!」
ベッドの下から這い出してきた彼女を見て、体から力が抜ける。
寝間着姿の彼女は、恐怖に満ちた顔を涙で濡らしていたが外傷はないようだ。
そのことでもう1つホッと一息。
それが致命的な油断となった。
彼女の背後。
何かが降り立つ。
それが全身黒づくめの、人の形をした何かだと気付く。ただ弛緩した体が動き出すのにコンマ1秒かかる。
それは、黒ずくめの男が剣をマリアののど元に達するより遅く――
「あああああああ!」
叫んだ。
もはや手も足も出ない。
だが声が出た。
もはや悪あがきの一種。
それでも敵の行動が、何かに気圧されたようにコンマ1秒、いや2秒遅れる。
遅れを取り戻し、それでもやはりまだ間に合わないと感じながらも、左腕を伸ばす。
次の瞬間、
「――っ!」
左腕に激痛が走った。
前腕部分をナイフが貫いていた。
だが刺さった分、速度が鈍化し、位置もずらせたおかげでマリアの身にはかすり傷1つつかない。
そのことに安堵しながらも、全身を駆けめぐるような痛みに、憤怒がこみあげる。
対する男は失敗を悟ると、そのまますぐに逃げようと後ろに一歩下がる。
「痛い――」
男の体をナイフが刺さったままの左手が追う。
そしてその黒ずくめの襟首をつかみ、
「でしょ!」
想いきりさかさまに地面に叩きつけた。
ごり、ともぐちゃ、とも気味の悪い音がして、周囲は静かになった。
さかさまにつぶれた男の顔から、泡とも血とも思える何かが出て気味悪かった。
まったく。
変な液体で妹の部屋をよごすんじゃないわよ。
自分の左腕に刺さったナイフを抜き、そのまま倒れた男の背中に投げつける。
さて、そうだ。マリアは。
「うわぁぁぁぁ! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
そう思って振り返ると、涙を流しながら抱きついてきた。
怖かったのだろう。心細かったのだろう。
そう思った。
「ごめんなさいなのじゃ。余のせいで怖い思いを、痛い思いをさせてしまったのじゃな」
違った。
彼女は自分より私のことを案じてくれていた。
「今すぐ包帯を持ってくるのじゃ。えっと、でもその前に消毒かの? えっと、消毒って、どうやるのじゃ? 誰か! 医者を呼ぶのじゃ!」
まだ実行力が伴わないみたいだけど。
それでも彼女の心遣いは嬉しい。
何より、お姉さまではなく、お姉ちゃんと呼んでくれたことが、なんだかより距離が縮まったみたいで、とても嬉しい。
だから私はおろおろする彼女を抱きしめた。
「ごめんね、間に合わないところで。あと、部屋を汚しちゃって……本当に、ごめん」
「うん、こちらこそごめん……違う、ありがとうなのじゃ……助けてくれて。お姉ちゃん」
力強く抱きしめ返される。
その体温を感じながら思う。
この可愛らしい妹たちを守れるなら。
腕だろうと足だろうと、命だろうとくれてあげる。
そう、思いを新たに、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
その間、わたしは王都にいた。
かといって何もしていなかったわけではない。
ニーアさんに頼まれて、妹でもある女王様の警護の任務を受けていたのだ。
だから基本、日中は彼女の傍にいて一緒にお話ししたり、お茶を飲んだり、お昼を食べたり、日向ぼっこをしたり、本を読んだりしていた。
もちろん政務やお勉強がある時は、別室にて待機した。そして夜は一緒にお風呂に入ったり、彼女が眠るまで寝物語をしたり、就寝後は隣室で眠った。
戦いに出た明彦くんたちのことを思うと、少し申し訳ないくらいの平穏な日々を送っている気がする。
けど明彦くんに大事な役目と言われれば、それもまた納得するしかなかった。
それに、
「お姉さまみたいなにおいがして安心できるのじゃ」
と言われれば、孤独な王様の少しの安らぎになるのであれば、嫌とは断じて言えない。
しかしなんだろう、この気持ちは。
家族を、妹を慈しむような優しい気持ち。
何度思い返しても、私は一人っ子だし、幼馴染や従妹に年下の女の子がいた覚えもない。
なのに彼女のことになると、どこかおかしくなる。
何が何でも守ってあげなきゃ、って気分になる。
きっとこれは、私の深層心理に違いない。
年下の女の子が好きで守りたいという想いがあるのに違いない。
だって、そうでもなきゃ、今の明彦くんにこんな気持ちを持つわけがないんだもの。
可愛いのは確かだけど、明彦くんだってことは十分に理解しているわけで、本来ならもっと慎ましやかに対応できるはずだったのに。
うん、きっとそうだ。
そしてある日、久しぶりに家に帰ることになった。
「ずっと王宮にこもっていても気づまりじゃろうからの」
私は全然かまわなかったけど、その心使いはありがたかったから一度家に帰ることにした。
気軽に外を出歩くこともままならない、彼女の境遇をおもんぱかった意味もあったかもしれない。
だから家に帰り、私服に着替えてぼうっと午前を過ごし、お昼を食べに外に出た昼下がり、
「あ、おねえちゃん!」
リンちゃんに、声をかけられた。
「久しぶり、リンちゃん。元気?」
「うん! げんき!」
王都の南に住処を持つにしては、出会う場所が王都の北ということでちょっと不思議に思ったけど、
「うん、今日はおみせがおやすみなの。だから、ちょっとぼうけん!」
なるほど。
そういった自由時間もあって、リンちゃんは幸せだなぁ、と微笑ましい気分になる。
「ジャンヌおねえちゃんは?」
「今明彦――ジャンヌお姉ちゃんは、お仕事で外に出かけてるの。もう少ししたら帰ってくるからね」
「そうなの……」
あからさまに残念そうな顔を浮かべるリンちゃん。
うーん、明彦くんも忙しかったから、あまり会えてなかったのかな。
「リンちゃん、お昼食べた?」
「ううん」
「じゃあお姉ちゃんと一緒に食べようか」
「うん!」
とっさに考えてのお誘いだったけど、これはナイスアイディアだったかもしれない。
1人で食べる食事も味気ないし、リンちゃんの寂しげな表情を和らげられるなら、それはとてもいいことだから。
というわけで、リンちゃんと一緒に食事処に行く。
私はパンケーキと数種類のフルーツ盛りといったものを食べたけど、リンちゃんはお肉をメインにおいしそうに食べていた。
あんな細くて小さい体なのによく入るなぁ、なんて思った。
食べ盛りなのかな。
それから、リンちゃんにせがまれて王都の北を案内した。
といっても私もそれほど知っているものは少ない。だから案内というよりは、彼女の言葉を借りるなら『たんけん』みたいなものだったわけで。
陽が暮れ始めるころ、独りで帰れると胸を張るリンちゃんと別れ、夕飯用の鶏肉とサラダとお米を大量に買って孤児院へと向かった。
竜胆や愛良、それに子供たちと交じっての団らんの食事に、飛び込みゲストとして入ったわけだけど、大量の素材もあり大いに喜んでくれた。
そして日も暮れ、そろそろ帰って、また明日のために早めに寝ようかなんてことを考えていると、
――ぞくり
何かが、癇に障った。
何か。分からない。
けどとても不快な気持ち。
「どうした、里奈さん?」
愛良が話しかけてくる。
一瞬、彼女がその原因かと思ったけど、一瞬で打ち消す。
彼女のわけがない。この孤児院いる人でもない。
一般の人でもない、何かどす黒くて気味の悪い何かを持つ人間の発する気配。
「愛良、王宮ってどっち?」
「え? えっと……あっち、だったかな」
愛良が指した方向。
それは私の記憶とも合致する。
そして、嫌な気配もそちらから。
「っ!」
「お、おい! どうしたんだよ!」
愛良の制止の声も、すぐに遠く背後になる。
駆けた。
同時、視界が赤く染まる。
「『収乱斬獲祭』」
使う。
スキルを。
大げさとは思わない。
こうでもしないと間に合わない。
流れるように景色が背後に流れる。
誰かにぶつかって弾き飛ばした。
それすらもすぐ背後。
いや、駄目だ。
これ以上は。
人通りが多くなる。
夜の王都は、人通りが激しい。
買い物帰りの人や、仕事帰りの人、居酒屋みたいな場所で一杯ひっかけていく人など多くが群れをなしている。
それを弾き飛ばしては、『収穫』してはいけない。
けどこの人ごみを行けば間に合わない。
なら――上。
跳ぶ。
屋根に出た。
そのまま、石造りの屋根をひたかける。
走り、跳び、走り、降り、また跳び、そして走る。
ひたすらにただただ王宮へと駆け、およそ5分もかからずにたどり着く。
この時間だ。
もちろん入り口は鉄柵で閉ざされ、見張りの兵がいる。
彼らに身分を明かして通してもらうか。いや、それだと遅い。きっと照会とか何かで時間がかかる。裏口から回っても時間の無駄だ。
だからやることは1つ。
屋根。
そこから王宮を囲む柵をまでの距離は10メートル。高さは5メートル。
ならいける。
少し助走をつけ――跳んだ。
浮遊感。そしてすぐに落下感。
距離感を間違えれば、鉄柵にぶつかっるか、槍みたいに尖った先端に体を串刺しにされるか。
だが、そんな危機もなく、体はゆっくりと落下すると、柵の内側の草むらに着地した。
「ん? なんだ?」
門番の兵の声が聞こえる。
下手に勘繰られる前に、足音を殺しながら高速で走った。
王宮。扉。開いている。
もはや猶予はない。
ためらわずに飛び込んだ。
攻撃はなかった。
変わりに鼻に来るのは不吉なにおい。
いつか、大量に浴びて大量にかいだことのあるにおい。
――血のにおいだ。
この時間ともなれば、すでに仕事は終わっているから少数の警備と、住み込みの人間くらいしかいない。
それでも、そこにあるのは死の匂いだ。
廊下の影に隠れるようにして座り込む影がある。
兵士だ。
死んでいる。
背後から首をざっくりとやられて、服を自らの血で濡らしている。
血は固まっていない。
つまりまだ来たばかりだということ。
誰が?
決まってる。
暗殺者だ。
ニーアさんが言っていたことを思い出す。
かつて、明彦くんや妹を狙った暗殺者がいたと。
そして今、狙われる価値のある人間はたった1人しかいない。
だから駆ける。
道はもう覚えた。
だから迷わず行く。
彼女の部屋。
その前で立ち止まる。
中の音。
いや、聞くまでもない。
感じる。
この奥から、不快なよどみを。
死と血にまみれた、同種のにおいを。
ドアを蹴とばした。
頑丈そうな厚みのあるドアだったが、ちょっと蹴るだけで簡単に内側に吹き飛んだ。
それに驚いた人物。
3人。
それが反撃の態勢を取る前に走った。
左右にいる2人。
その頭に手を伸ばし、一瞬で縦にひねる。
ゴキッと何かが鳴る音がして、首を変な方向に曲げた2人が音もなく崩れる。
その間に、残る1人は冷静に剣を抜いた。
剣というよりはナイフ。暗殺者が使うような小ぶりなナイフだ。
男――そう、目の前の敵は男。そして今ひねりつぶした2人も男。
つまり、ニーアさんの言う暗殺者ではない。
そのことに安堵しつつも、どこか惜しいと思っていた。
明彦くんたちを狙ったやつに、罰を与えられると思ったから。
残った男が、無言でナイフを突いてくる。
声も掛け声もなく繰り出された突きは、寸分の狂いなく私の心臓を狙ってくる。
元の世界の私だったら、何が起こったか分からないまま胸を刺されて死んだだろう。
けど今の私は違う。
もはや、人間を捨てた狂戦士。
大事なものを守るためなら、そんな不名誉な称号でも受け入れる。
だからこんなもので殺されるわけにはいかない。
私は高速で迫るそのナイフを――手のひらで横にはじいた。
すると相手の体も横に流れる。
まさか自分の突きが、かわされるでもなく、受け止められるでもなく、ナイフの横腹を叩かれて軌道をずらされるとは思ってもみなかったのだろう。男の体がつんのめる。
けどそれも一瞬。すぐに態勢を直して攻撃しようとする。
その前に、私は男の背後に回って、左腕をその喉にからませ、
「ごめんね。でも、そっちが悪いんだからね」
右手で、頭をひねった。
軽い音と共に、体の力が抜ける。
本来なら、生まれてきたことを後悔するように、四肢を千切ってゆっくり自分の死にざまを体験させてあげたかったけど、こんな奴らの血で妹の部屋を汚したくなかった。
それに今はそんなことに時間をかける暇はない。
「マリア? 無事? 私よ、里奈よ」
声を張って部屋に問いかける。
見た感じベッドにも椅子にもクローゼットにも彼女はいなさそうだ。
だからこそ暗殺者もすぐに獲物を仕留めることができなかったわけで。
「ひっ……お姉、さま?」
「マリア!」
ベッドの下から這い出してきた彼女を見て、体から力が抜ける。
寝間着姿の彼女は、恐怖に満ちた顔を涙で濡らしていたが外傷はないようだ。
そのことでもう1つホッと一息。
それが致命的な油断となった。
彼女の背後。
何かが降り立つ。
それが全身黒づくめの、人の形をした何かだと気付く。ただ弛緩した体が動き出すのにコンマ1秒かかる。
それは、黒ずくめの男が剣をマリアののど元に達するより遅く――
「あああああああ!」
叫んだ。
もはや手も足も出ない。
だが声が出た。
もはや悪あがきの一種。
それでも敵の行動が、何かに気圧されたようにコンマ1秒、いや2秒遅れる。
遅れを取り戻し、それでもやはりまだ間に合わないと感じながらも、左腕を伸ばす。
次の瞬間、
「――っ!」
左腕に激痛が走った。
前腕部分をナイフが貫いていた。
だが刺さった分、速度が鈍化し、位置もずらせたおかげでマリアの身にはかすり傷1つつかない。
そのことに安堵しながらも、全身を駆けめぐるような痛みに、憤怒がこみあげる。
対する男は失敗を悟ると、そのまますぐに逃げようと後ろに一歩下がる。
「痛い――」
男の体をナイフが刺さったままの左手が追う。
そしてその黒ずくめの襟首をつかみ、
「でしょ!」
想いきりさかさまに地面に叩きつけた。
ごり、ともぐちゃ、とも気味の悪い音がして、周囲は静かになった。
さかさまにつぶれた男の顔から、泡とも血とも思える何かが出て気味悪かった。
まったく。
変な液体で妹の部屋をよごすんじゃないわよ。
自分の左腕に刺さったナイフを抜き、そのまま倒れた男の背中に投げつける。
さて、そうだ。マリアは。
「うわぁぁぁぁ! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
そう思って振り返ると、涙を流しながら抱きついてきた。
怖かったのだろう。心細かったのだろう。
そう思った。
「ごめんなさいなのじゃ。余のせいで怖い思いを、痛い思いをさせてしまったのじゃな」
違った。
彼女は自分より私のことを案じてくれていた。
「今すぐ包帯を持ってくるのじゃ。えっと、でもその前に消毒かの? えっと、消毒って、どうやるのじゃ? 誰か! 医者を呼ぶのじゃ!」
まだ実行力が伴わないみたいだけど。
それでも彼女の心遣いは嬉しい。
何より、お姉さまではなく、お姉ちゃんと呼んでくれたことが、なんだかより距離が縮まったみたいで、とても嬉しい。
だから私はおろおろする彼女を抱きしめた。
「ごめんね、間に合わないところで。あと、部屋を汚しちゃって……本当に、ごめん」
「うん、こちらこそごめん……違う、ありがとうなのじゃ……助けてくれて。お姉ちゃん」
力強く抱きしめ返される。
その体温を感じながら思う。
この可愛らしい妹たちを守れるなら。
腕だろうと足だろうと、命だろうとくれてあげる。
そう、思いを新たに、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
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普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
ガチャと異世界転生 システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!
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偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。
獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。
俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
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