50 / 627
第1章 オムカ王国独立戦記
第46話 マッド・ティーパーティ
しおりを挟む
王都に帰って来てから3週間が経った。
約束の期限まであと1週間となったこのタイミングで、ようやくすべての準備が揃った。
王都はますます荒れて、今ではハカラ旗下でなければ人間ではないような状況だ。それはすなわち王都に住むオムカの人々の怒りが限界に達しようとしているのと同義。
さらに外に目を転じれば、抑圧された農民たちが明日に希望を見いだせずに|
喘《あえ》いでいる。
圧制、軍の増長、貧富差の拡大。
革命が起こる土壌は十分に育まれているわけだが、いまだに一歩を踏み出せていないのは理由がある。
軍だ。
敵は腐っても2万5千の兵。数の暴力がある。
たった6千のオムカ軍――しかも2千は金山の警護に駆り出されているから実質王都にいるのは4千いない――では鎧袖一触の兵力差だ。
王都で市街戦をやれば兵力差を縮めることができるが、それは自らの腕を食べるような行為だ。
市街戦をした後に残るのは、荒廃した王都と死者の群れ。そこから王都を復興しようとすれば何年かかるか分からないし、そもそもハカラに反旗を翻せばすなわちエイン帝国に宣戦布告をすると同じ意味を持つので、荒廃した王都では籠城も出来ずに蹂躙されて終わるだけだ。
だから俺が考えたのは、いかに2万5千の兵を王都から引きはがし、ハカラとその側近のみを排除するか。
すなわち分断と集中だ。
頭さえ討ってしまえば、2万5千は烏合の衆だから4千でも勝負になる。いや、してみせる。
だがその状況を作り出すのが困難だ。
さすがに王都に2万5千もの兵を兵を常駐できないから、ハカラは1万5千を王都に配し、残りの1万を王都から北に10キロほどの位置にある砦に置いた。
王都の1万5千の配分は、王宮に4千、四方の各城門に1千、残りの7千で城内警備となっている。
配置としては悪くないので、そこに隙を見つけなければ俺たちに勝ちはない。
『時が来たら旗のもとに集まる』
ジルとサカキはそう言って軍を解散させたというから、4千の部隊はすぐに集まれるという。
ジルとサカキ、マリアとニーアたちと協議を重ね、ブリーダとも王都の外で数回にわたって密に打ち合わせをした。
そして決行日は決まった。
明々後日、つまりあと3日。
その先駆けとしてブリーダが蜂起するのが今日だ。
そんなあと数日で俺自身、そしてこの国に住む多くの人間の運命が決まるという日の朝に、招かれざる客が俺の家を訪れた。
「ハカラ宰相兼将軍閣下からのお呼び出しです」
壁にもたれてタイルに座りながら『古の魔導書』で周辺地理や敵情報の復習をしている時に、ノックする音に反応して出てみたらハカラ将軍の部下が待っていたのだ。
そしてその言葉に、文字通り心臓が跳ね踊った。
まさか、バレたのか。そう思わずにいられない。
クロエはお昼の買い出しに行っていない。
相手は3人。無理だ、勝てない。
「いかがしましたか?」
「いえ、行きます。ただ住み込みの者が心配するといけないので書置きだけさせてください」
間髪入れず答えたのが良かったのだろう。
部下は頷くと、俺がクロエに書置きする時間を待ってくれた。
「では同行を願います」
この場合、願うといっても実質的にはほぼ強制だ。今この国でハカラに逆らえる者はいないのだから。
1人が先導し、残り2人が斜め後ろにそれぞれついた状態で、まるで連行されているようで見世物だ。
そういった意味では人通りが少なくて幸いだった。
門を通過し、王宮に入るとそこからは別の者が案内についた。
背筋のピンとした初老の男だ。初老の男は慇懃無礼な態度で先導していく。
この時点で俺は少なくとも殺される心配はなさそうだ、と思った。
とはいえここは敵地で油断はできないと戒める。
謁見の間とは違う方向に連れていかれたらしく、見覚えのない景色の中を進む。まぁ王宮自体が広すぎて、どこがどこなのかまだよく分かってないけど。
5分ほど歩いただろうか。
1つの大きな扉の前で初老の男が立ち止まると、その扉をノックする。
「お客様を連れてまいりました」
それに対する答えがあったかは分からないが、初老の男が静かにゆっくりと扉を開ける。
「どうぞ。宰相がお待ちです」
入った途端、ぷんと良い匂いがした。
それもそのはず、教室大の部屋の中央には、真っ白なテーブルクロスの机があり、その上には様々な料理の皿が置かれている。パンにスープはもちろん、ステーキやサラダ、さらには魚介類を使ったシーフードもあるし果物やケーキといったデザートも山盛りだ。
海のないオムカで魚介類を食べようとすれば輸入に頼らざるを得ない。
それをふんだんに使った料理を食べるということは、その権力と財力の強大さを誇示するようなものだ。
そしてその席につく人物はその両方の力を持っている。
「うむ、来たか小娘――いや、ジャンヌよ」
ハカラがいた。
すでに料理に手を付けているらしく、ナイフとフォークを持ち、胸元につけたナプキンはひどく汚れている。
「ほれ、何をしている。そこに座れ」
ハカラが右手のナイフで対面の席を示す。マナーが悪い。
指示された場所には、確かにお皿やナイフやフォーク、ナプキンやワイングラスといったフランス料理店で見るようなお膳が配置されている。
だが俺はまだそこに至っても危険を疑った。
「宰相のお呼びと伺いましたが。火急の用事があるのでしょうか」
「ん、いや。なにもない。なかなかお主が来てくれないのでな。一緒に食事でもどうかと思っただけだ」
なんの風の吹きまわしだ?
俺はこいつと食事を共にするほど仲良くはないはずだが。
あ、いや。ハカラにとってはそうでもないのか。
小憎たらしいやつという感情とは別に、好色な視線を向けてくるような奴だ。正直、気分が悪くて食事どころじゃないのだがここは大人しく従うのが吉だ。
「ではご一緒させていただきます」
「うむ。おい、彼女に食事の用意を」
傍にいたメイド服姿の女中に命令する。
「ふむ、しかし今日は大人しいではないか。そうしおらしくしておれば、わしの妾になっても不自由はないぞ?」
「……年がら年中、うるさくしているつもりはないのですが」
いきなり切り込んできたハカラに更なる不快を感じつつも、当たり障りのないよう答える。
それからは運ばれてくる料理を、ハカラの止まることのない内容のない話をBGMに舌鼓を打つことになる。
中でも辟易としたのが、
「どうだ? わしのところに来ればこのような料理が毎日食えるぞ」
「来週には南国の珍味が届くという。是非一緒に食べてみようじゃないか」
「帝都ではもっと素晴らしいものがあるぞ。美食だけではない、金銀宝石といった類のものが山のようにある」
「わしもこの国をうまく収めた功績でそろそろ中央に呼び戻されるだろう。わしと一緒にいれば今後の不自由はないぞ?」
正直うんざりだった。
いや、料理は美味しかった。
日本でもそうそう食べたことのない豪華で美味しいものだったから、この世界の料理も捨てたもんじゃないと認識を改めた。
相席の相手がこの男でなければ。
いや、逆に考えろ。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。蜂起を前にこの男を知ることは、兵法上理にかなっている。
これは戦闘だ。
そう考えれば、我慢はできる。多分。
「宰相閣下はエインの帝都に戻りたいのですね」
食事がひと段落した時に、俺は聞いてみた。
「それはそうだ。こんな辺境ではろくな遊興も女もおらん。いや、お主のような者を得たのはこれ以上ない奇跡だがな」
永遠に得ることはねーよ。
「だがそれに比べてやはり帝都は良い。すべての富と女と遊興が集中した史上最高の都よ。そこでは栄華も立身出世も思いのままなのだ」
俺には快楽と退廃の都、バビロンにしか思えないけどね。
ふと希望を抱いてしまう。
帝都がハカラの言う通りの状態ならば、おそらく政治の上層部はマヒしている。即時決断などといった判断はできないだろうから、俺たちの独立に対しての反応は時間がかかるに違いない。
この状況下で時間は俺たちにとって最大の武器だ。
防備を固めて、地方の豪族を取り込み戦力とし、シータとの同盟をさらに厚いものにできる。さらにビンゴとの和睦、南部自治領の攻略といった絵図まで描ける。
さすが『古の魔導書』といえども、遠く、そして未知の国の主都の状況など拾えるものではないのだから、現地を知る人間から聞くことができたのは棚からぼたもちだ。
何よりハカラが上だけ見て足元を全く注視していないのが分かったのが収穫だった。
ん…………収穫?
なんだろう、クロエの時もそうだったけど、その言葉が引っかかる。
「なにか考え事か?」
「い、いえ。なんでもないです。ただこの料理が美味しくて」
「ふっふっふ、そうであろう。下民ごときが一生口にできぬであろうものを今お主は食べているのだ。なに、もっと感謝してもよいのだぞ?」
「は、ははは」
どこまで本気なのだろうか、乾いた笑いしか出ない。
あるいはこれも全て擬態で、本当は俺たちの反乱計画を察知していて、この料理に睡眠薬が入れてあり、俺を捕まえるための罠だった、というのであれば俺はもう拍手をして降参するしかない。
それほどの智謀と演技力を持った権力者が相手だったのなら、知力99とはいえ俺1人では抗いきれないからだ。
だがこいつは違う。
頭の中に己しかないのだ。
己の力を誇示したいがために将軍の権利を行使し、他者を見下し、さらに政敵を誅殺する。俺に対する態度も、自身に手に入らないものはないと本気で思い込んでいるのだからたちが悪い。
要は子供なのだ。
自分の感情の赴くままに行動し、思った通りにいかないと腹を立てる、考えの足りないガキなのだ。
そんなガキを相手に真正面からぶつかるのは割に合わない。
ここは大人の対応をして様子を見るに限る。
すなわち、なだめ、すかし、褒めちぎり、曖昧に濁す。
大人の汚さを見せてやる。
「今日はお招きいただきありがとうございました」
「む、帰るのか。これからが本番だというのに」
なんの本番だよ。想像するのが怖い。
とにかくここは舌先三寸で全力で断る。
「いえ、宰相閣下のご厚意はこれ以上なく私の心をつかみ取りましてございます。とはいえ私はオムカに属する身。すぐに閣下の元へ行くことは叶いませぬ」
「オムカの宰相はわしだ。将軍すらもこのわしだ。そのわしが許すのだからそれは問題ないのだ」
「しかし周囲の人間はどう思いましょう。これまでお世話になった人への挨拶もなく向かえば、それこそ義理を欠き、節度を失った下郎となんら変わりません。そんな者をお迎えしたとあれば、閣下のご名声にも傷がつきます。それは閣下の今後に良い影響を与えないのは明らかでございましょう。故にほんの数日、来週までには身辺を整理しますので、それまでお待ちいただけますよう伏してお願いいたします」
「ううむ……お主がそこまで言うのであれば仕方ない」
渋々ながらも、だがそこまで気にかけてくれたこと、そして何よりついに俺が手に入るとことへの喜びを口元に表しながらハカラは頷く。
その日はそれで解放してくれた。行きと同じように護衛兼監視の兵がついてようやく家に戻った時には日が傾きかけていた。
家に入ると、驚いた様子のクロエに構わず風呂場に入り、溜めてあった水をざばんと被った。
それでも体にこびりついたハカラの残滓があるようで、2回、3回と水をかぶる。
洋服も着たままだったからまさに濡れネズミだ。
「た、隊長殿……いったい何が」
「ハカラに呼び出された」
「っ! よくぞご無事で。しかしどうされたのですか」
俺はすぐに答えられなかった。
この今の気持ちをどう言葉にすればいいか分からなかったから。
少し呼吸を整えて、そして考えがまとまった。
ハカラ。
あの男。
圧制を敷き、人々を顧みず、部下の制御もできず、街は荒れ放題で、かといって何もせず、自分の栄達と蓄財にしか興味がなく、遊興と女と美食にうつつを抜かし、感情のままに行動する子供で、無駄に気位の高いどうしようもないクズ。
俺は初めて思ってしまった。
別に自分の貞操とかどうでもいい。
それ以上に、この男は生きているだけで害となる。そんなことを確信してしまった。
「クロエ……俺は初めて思ったよ。人を殺したいと」
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
夜が明ければブリーダが蜂起した報告が王都を駆け巡るはずだ。そしてすべてが動き出す。
俺の、いやこの国を賭けた大勝負が始まる。
それがなんとも待ち遠しい。そう思ってしまった自分の考えに、不覚ながらも戦慄した。
約束の期限まであと1週間となったこのタイミングで、ようやくすべての準備が揃った。
王都はますます荒れて、今ではハカラ旗下でなければ人間ではないような状況だ。それはすなわち王都に住むオムカの人々の怒りが限界に達しようとしているのと同義。
さらに外に目を転じれば、抑圧された農民たちが明日に希望を見いだせずに|
喘《あえ》いでいる。
圧制、軍の増長、貧富差の拡大。
革命が起こる土壌は十分に育まれているわけだが、いまだに一歩を踏み出せていないのは理由がある。
軍だ。
敵は腐っても2万5千の兵。数の暴力がある。
たった6千のオムカ軍――しかも2千は金山の警護に駆り出されているから実質王都にいるのは4千いない――では鎧袖一触の兵力差だ。
王都で市街戦をやれば兵力差を縮めることができるが、それは自らの腕を食べるような行為だ。
市街戦をした後に残るのは、荒廃した王都と死者の群れ。そこから王都を復興しようとすれば何年かかるか分からないし、そもそもハカラに反旗を翻せばすなわちエイン帝国に宣戦布告をすると同じ意味を持つので、荒廃した王都では籠城も出来ずに蹂躙されて終わるだけだ。
だから俺が考えたのは、いかに2万5千の兵を王都から引きはがし、ハカラとその側近のみを排除するか。
すなわち分断と集中だ。
頭さえ討ってしまえば、2万5千は烏合の衆だから4千でも勝負になる。いや、してみせる。
だがその状況を作り出すのが困難だ。
さすがに王都に2万5千もの兵を兵を常駐できないから、ハカラは1万5千を王都に配し、残りの1万を王都から北に10キロほどの位置にある砦に置いた。
王都の1万5千の配分は、王宮に4千、四方の各城門に1千、残りの7千で城内警備となっている。
配置としては悪くないので、そこに隙を見つけなければ俺たちに勝ちはない。
『時が来たら旗のもとに集まる』
ジルとサカキはそう言って軍を解散させたというから、4千の部隊はすぐに集まれるという。
ジルとサカキ、マリアとニーアたちと協議を重ね、ブリーダとも王都の外で数回にわたって密に打ち合わせをした。
そして決行日は決まった。
明々後日、つまりあと3日。
その先駆けとしてブリーダが蜂起するのが今日だ。
そんなあと数日で俺自身、そしてこの国に住む多くの人間の運命が決まるという日の朝に、招かれざる客が俺の家を訪れた。
「ハカラ宰相兼将軍閣下からのお呼び出しです」
壁にもたれてタイルに座りながら『古の魔導書』で周辺地理や敵情報の復習をしている時に、ノックする音に反応して出てみたらハカラ将軍の部下が待っていたのだ。
そしてその言葉に、文字通り心臓が跳ね踊った。
まさか、バレたのか。そう思わずにいられない。
クロエはお昼の買い出しに行っていない。
相手は3人。無理だ、勝てない。
「いかがしましたか?」
「いえ、行きます。ただ住み込みの者が心配するといけないので書置きだけさせてください」
間髪入れず答えたのが良かったのだろう。
部下は頷くと、俺がクロエに書置きする時間を待ってくれた。
「では同行を願います」
この場合、願うといっても実質的にはほぼ強制だ。今この国でハカラに逆らえる者はいないのだから。
1人が先導し、残り2人が斜め後ろにそれぞれついた状態で、まるで連行されているようで見世物だ。
そういった意味では人通りが少なくて幸いだった。
門を通過し、王宮に入るとそこからは別の者が案内についた。
背筋のピンとした初老の男だ。初老の男は慇懃無礼な態度で先導していく。
この時点で俺は少なくとも殺される心配はなさそうだ、と思った。
とはいえここは敵地で油断はできないと戒める。
謁見の間とは違う方向に連れていかれたらしく、見覚えのない景色の中を進む。まぁ王宮自体が広すぎて、どこがどこなのかまだよく分かってないけど。
5分ほど歩いただろうか。
1つの大きな扉の前で初老の男が立ち止まると、その扉をノックする。
「お客様を連れてまいりました」
それに対する答えがあったかは分からないが、初老の男が静かにゆっくりと扉を開ける。
「どうぞ。宰相がお待ちです」
入った途端、ぷんと良い匂いがした。
それもそのはず、教室大の部屋の中央には、真っ白なテーブルクロスの机があり、その上には様々な料理の皿が置かれている。パンにスープはもちろん、ステーキやサラダ、さらには魚介類を使ったシーフードもあるし果物やケーキといったデザートも山盛りだ。
海のないオムカで魚介類を食べようとすれば輸入に頼らざるを得ない。
それをふんだんに使った料理を食べるということは、その権力と財力の強大さを誇示するようなものだ。
そしてその席につく人物はその両方の力を持っている。
「うむ、来たか小娘――いや、ジャンヌよ」
ハカラがいた。
すでに料理に手を付けているらしく、ナイフとフォークを持ち、胸元につけたナプキンはひどく汚れている。
「ほれ、何をしている。そこに座れ」
ハカラが右手のナイフで対面の席を示す。マナーが悪い。
指示された場所には、確かにお皿やナイフやフォーク、ナプキンやワイングラスといったフランス料理店で見るようなお膳が配置されている。
だが俺はまだそこに至っても危険を疑った。
「宰相のお呼びと伺いましたが。火急の用事があるのでしょうか」
「ん、いや。なにもない。なかなかお主が来てくれないのでな。一緒に食事でもどうかと思っただけだ」
なんの風の吹きまわしだ?
俺はこいつと食事を共にするほど仲良くはないはずだが。
あ、いや。ハカラにとってはそうでもないのか。
小憎たらしいやつという感情とは別に、好色な視線を向けてくるような奴だ。正直、気分が悪くて食事どころじゃないのだがここは大人しく従うのが吉だ。
「ではご一緒させていただきます」
「うむ。おい、彼女に食事の用意を」
傍にいたメイド服姿の女中に命令する。
「ふむ、しかし今日は大人しいではないか。そうしおらしくしておれば、わしの妾になっても不自由はないぞ?」
「……年がら年中、うるさくしているつもりはないのですが」
いきなり切り込んできたハカラに更なる不快を感じつつも、当たり障りのないよう答える。
それからは運ばれてくる料理を、ハカラの止まることのない内容のない話をBGMに舌鼓を打つことになる。
中でも辟易としたのが、
「どうだ? わしのところに来ればこのような料理が毎日食えるぞ」
「来週には南国の珍味が届くという。是非一緒に食べてみようじゃないか」
「帝都ではもっと素晴らしいものがあるぞ。美食だけではない、金銀宝石といった類のものが山のようにある」
「わしもこの国をうまく収めた功績でそろそろ中央に呼び戻されるだろう。わしと一緒にいれば今後の不自由はないぞ?」
正直うんざりだった。
いや、料理は美味しかった。
日本でもそうそう食べたことのない豪華で美味しいものだったから、この世界の料理も捨てたもんじゃないと認識を改めた。
相席の相手がこの男でなければ。
いや、逆に考えろ。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。蜂起を前にこの男を知ることは、兵法上理にかなっている。
これは戦闘だ。
そう考えれば、我慢はできる。多分。
「宰相閣下はエインの帝都に戻りたいのですね」
食事がひと段落した時に、俺は聞いてみた。
「それはそうだ。こんな辺境ではろくな遊興も女もおらん。いや、お主のような者を得たのはこれ以上ない奇跡だがな」
永遠に得ることはねーよ。
「だがそれに比べてやはり帝都は良い。すべての富と女と遊興が集中した史上最高の都よ。そこでは栄華も立身出世も思いのままなのだ」
俺には快楽と退廃の都、バビロンにしか思えないけどね。
ふと希望を抱いてしまう。
帝都がハカラの言う通りの状態ならば、おそらく政治の上層部はマヒしている。即時決断などといった判断はできないだろうから、俺たちの独立に対しての反応は時間がかかるに違いない。
この状況下で時間は俺たちにとって最大の武器だ。
防備を固めて、地方の豪族を取り込み戦力とし、シータとの同盟をさらに厚いものにできる。さらにビンゴとの和睦、南部自治領の攻略といった絵図まで描ける。
さすが『古の魔導書』といえども、遠く、そして未知の国の主都の状況など拾えるものではないのだから、現地を知る人間から聞くことができたのは棚からぼたもちだ。
何よりハカラが上だけ見て足元を全く注視していないのが分かったのが収穫だった。
ん…………収穫?
なんだろう、クロエの時もそうだったけど、その言葉が引っかかる。
「なにか考え事か?」
「い、いえ。なんでもないです。ただこの料理が美味しくて」
「ふっふっふ、そうであろう。下民ごときが一生口にできぬであろうものを今お主は食べているのだ。なに、もっと感謝してもよいのだぞ?」
「は、ははは」
どこまで本気なのだろうか、乾いた笑いしか出ない。
あるいはこれも全て擬態で、本当は俺たちの反乱計画を察知していて、この料理に睡眠薬が入れてあり、俺を捕まえるための罠だった、というのであれば俺はもう拍手をして降参するしかない。
それほどの智謀と演技力を持った権力者が相手だったのなら、知力99とはいえ俺1人では抗いきれないからだ。
だがこいつは違う。
頭の中に己しかないのだ。
己の力を誇示したいがために将軍の権利を行使し、他者を見下し、さらに政敵を誅殺する。俺に対する態度も、自身に手に入らないものはないと本気で思い込んでいるのだからたちが悪い。
要は子供なのだ。
自分の感情の赴くままに行動し、思った通りにいかないと腹を立てる、考えの足りないガキなのだ。
そんなガキを相手に真正面からぶつかるのは割に合わない。
ここは大人の対応をして様子を見るに限る。
すなわち、なだめ、すかし、褒めちぎり、曖昧に濁す。
大人の汚さを見せてやる。
「今日はお招きいただきありがとうございました」
「む、帰るのか。これからが本番だというのに」
なんの本番だよ。想像するのが怖い。
とにかくここは舌先三寸で全力で断る。
「いえ、宰相閣下のご厚意はこれ以上なく私の心をつかみ取りましてございます。とはいえ私はオムカに属する身。すぐに閣下の元へ行くことは叶いませぬ」
「オムカの宰相はわしだ。将軍すらもこのわしだ。そのわしが許すのだからそれは問題ないのだ」
「しかし周囲の人間はどう思いましょう。これまでお世話になった人への挨拶もなく向かえば、それこそ義理を欠き、節度を失った下郎となんら変わりません。そんな者をお迎えしたとあれば、閣下のご名声にも傷がつきます。それは閣下の今後に良い影響を与えないのは明らかでございましょう。故にほんの数日、来週までには身辺を整理しますので、それまでお待ちいただけますよう伏してお願いいたします」
「ううむ……お主がそこまで言うのであれば仕方ない」
渋々ながらも、だがそこまで気にかけてくれたこと、そして何よりついに俺が手に入るとことへの喜びを口元に表しながらハカラは頷く。
その日はそれで解放してくれた。行きと同じように護衛兼監視の兵がついてようやく家に戻った時には日が傾きかけていた。
家に入ると、驚いた様子のクロエに構わず風呂場に入り、溜めてあった水をざばんと被った。
それでも体にこびりついたハカラの残滓があるようで、2回、3回と水をかぶる。
洋服も着たままだったからまさに濡れネズミだ。
「た、隊長殿……いったい何が」
「ハカラに呼び出された」
「っ! よくぞご無事で。しかしどうされたのですか」
俺はすぐに答えられなかった。
この今の気持ちをどう言葉にすればいいか分からなかったから。
少し呼吸を整えて、そして考えがまとまった。
ハカラ。
あの男。
圧制を敷き、人々を顧みず、部下の制御もできず、街は荒れ放題で、かといって何もせず、自分の栄達と蓄財にしか興味がなく、遊興と女と美食にうつつを抜かし、感情のままに行動する子供で、無駄に気位の高いどうしようもないクズ。
俺は初めて思ってしまった。
別に自分の貞操とかどうでもいい。
それ以上に、この男は生きているだけで害となる。そんなことを確信してしまった。
「クロエ……俺は初めて思ったよ。人を殺したいと」
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
夜が明ければブリーダが蜂起した報告が王都を駆け巡るはずだ。そしてすべてが動き出す。
俺の、いやこの国を賭けた大勝負が始まる。
それがなんとも待ち遠しい。そう思ってしまった自分の考えに、不覚ながらも戦慄した。
3
あなたにおすすめの小説
無限に進化を続けて最強に至る
お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。
※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。
改稿したので、しばらくしたら消します
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
【完結】487222760年間女神様に仕えてきた俺は、そろそろ普通の異世界転生をしてもいいと思う
こすもすさんど(元:ムメイザクラ)
ファンタジー
異世界転生の女神様に四億年近くも仕えてきた、名も無きオリ主。
億千の異世界転生を繰り返してきた彼は、女神様に"休暇"と称して『普通の異世界転生がしたい』とお願いする。
彼の願いを聞き入れた女神様は、彼を無難な異世界へと送り出す。
四億年の経験知識と共に異世界へ降り立ったオリ主――『アヤト』は、自由気ままな転生者生活を満喫しようとするのだが、そんなぶっ壊れチートを持ったなろう系オリ主が平穏無事な"普通の異世界転生"など出来るはずもなく……?
道行く美少女ヒロイン達をスパルタ特訓で徹底的に鍛え上げ、邪魔する奴はただのパンチで滅殺抹殺一撃必殺、それも全ては"普通の異世界転生"をするために!
気が付けばヒロインが増え、気が付けば厄介事に巻き込まれる、テメーの頭はハッピーセットな、なろう系最強チーレム無双オリ主の明日はどっちだ!?
※小説家になろう、エブリスタ、ノベルアップ+にも掲載しております。
神様、ちょっとチートがすぎませんか?
ななくさ ゆう
ファンタジー
【大きすぎるチートは呪いと紙一重だよっ!】
未熟な神さまの手違いで『常人の“200倍”』の力と魔力を持って産まれてしまった少年パド。
本当は『常人の“2倍”』くらいの力と魔力をもらって転生したはずなのにっ!!
おかげで、産まれたその日に家を壊しかけるわ、謎の『闇』が襲いかかってくるわ、教会に命を狙われるわ、王女様に勇者候補としてスカウトされるわ、もう大変!!
僕は『家族と楽しく平和に暮らせる普通の幸せ』を望んだだけなのに、どうしてこうなるの!?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――前世で大人になれなかった少年は、新たな世界で幸せを求める。
しかし、『幸せになりたい』という夢をかなえるの難しさを、彼はまだ知らない。
自分自身の幸せを追い求める少年は、やがて世界に幸せをもたらす『勇者』となる――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本文中&表紙のイラストはへるにゃー様よりご提供戴いたものです(掲載許可済)。
へるにゃー様のHP:http://syakewokuwaeta.bake-neko.net/
---------------
※カクヨムとなろうにも投稿しています
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
ガチャと異世界転生 システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!
よっしぃ
ファンタジー
偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。
獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。
俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる