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第2章 南郡平定戦
閑話4 水鏡八重(シータ王国 国王側近)
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何がなんでも元の世界に戻りたかった。
お母さん、東馬、美玖。今頃どうしているだろう。
もともとが裕福な家庭ではなかった。
高校2年の夏にお父さんが事故で死んでから暮らしは困窮し、お母さんのパートの時間が増えた。朝は早くから私たちのお弁当を作って、夜までパートの毎日。辛かっただろう。苦しかっただろう。
だから早く一人前になりたかった。就職してお母さんを助けたかった。
けどお母さんはわたしの夢を応援してくれた。
水泳でオリンピックに出たいというわたしの夢に。
何も心配しなくていいと言ってくれた。好きなことをやればいいと言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。
幸い、大学のスポーツ推薦枠が1つ空いていたこともあり、お父さんの死を悼む間もなく猛練習を積んでその座を勝ち取った。
その報告を受けた時のお母さんの笑顔は今でも忘れない。
大学生になってからも、水泳に打ち込めたのはお母さんが家庭をしっかり支えてくれたからだし、弟と妹の健気な節約生活も大きかった。だから選手権で入賞した時は涙が出るほどうれしかったし、同じ日にお母さんが倒れたという報告を受けた時は言葉を失うくらい悲しかった。
同じ日にこんなに事件が舞い込むことなんてドラマくらいのものだと思ってたから、まさか自分がという思いだった。
けど事件はそれだけに終わらなかった。大会の会場から急いで病院に駆け付ける途中、暴走する車に跳ねられるなんて。あまりに都合が良すぎて、コントみたいだと思った。
そしてこの世界にいる。
正直、天下統一とかよく分からないし、戦争のことも分からない。わたしには泳ぐことしかできないから。
それでも元の世界に戻れると言われれば、何が何でもという思いになる。
お母さんは無事なのか、東馬と美玖は泣いてやいないか。心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配でいてもたってもいられなくなって、ひたすらに走った。
そして、彼と出会った。いや、彼と言って良いのか分からないが、とにかく出会った。
「やぁ、ちょっと手を貸してくれないかな」
正直、あまり関わりたくなかった。とにかく元の世界に戻るのに精いっぱいで、他の人のことなんて考えていられなかった。
それでも手を貸したのは、そのなよっとした感じがお父さんに似ていたかもしれない。なよっとした外見に反して、熱く芯のしっかりしたところがあるお父さんに似ていると思ってしまったかもしれない。
だがそんなのはただの幻想だった。
外見も中身も何もないただのヘタレ。それが九鬼明の第一印象だった。
だから最初の手伝いだけで別れるつもりだった。
だが明から更に協力を求められた。
なんでも一緒にいると安心するとか、エネルギッシュな姿を見ていると力が湧いてくるとか。意味が分からない。
それでも従ったのは、同じ日本からやってきたことの同郷意識だったのか。元の世界に戻るための方法に、自分自身が何らビジョンを持っていなかったからというのもある。
そして気がついたらこんな場所にいる。大陸を三分する大国の国王の隣にいた。
だが何も嬉しいことではなかった。何より明にやる気がなかったのだ。
「元の世界? いや、別に考えてないけど」
なんて言われた時は刺してやろうかと思った。
私がこんなに戻りたがっているのに、その思いを踏みにじられたように思ったから。
それでも明の元を去らなかったのは、大国の重臣という立場を逃して元の世界に戻れる可能性を潰してしまうのが怖かったから。明のやる気があろうとなかろうと、この立場を利用してやろうと思ったからだ。
それよりなにより、このどことも知れない世界で1人放り出されるのに耐えきれなかったのかもしれない。あのまま明に会わなかったら、知り合いもいない、文字も読めない外国で野垂れ死ぬ。そんな未来を見たくなかったからかもしれない。
そうこうしている内に1年という時間が過ぎ、何ら変わらない日常に絶望し始めた時。隣国からの使者が来た。
ジャンヌ・ダルクだなんて名乗った少女は、あろうことか男で、ちっこくてなよなよしてて正直外見以外は一目見て嫌いだった。
もとより敵国の人間で、同じプレイヤーなのだ。つまり私の夢を妨害する憎むべき敵。好きになれる要素がない。
だけど――
『え、ちょっとこれ!? いや、さすがに面積狭くない!?』
『ダイジョブ、ダイジョブ。ニーアの目を信じて』
『大丈夫要素が全くないんだが!』
『いいからいいからー。わぁ、綺麗ですよお客様』
『そんなショップの店員みたいに……わっ!』
『はいはい、全部脱いじゃいましょうねー。ふっふっふ、ジャンヌ。あたしに腕力で勝てると思うてか!』
『ちょ、おい! ふざけんな! お前強制送還するぞ!』
『残念ながらこれはシータ国王の命令なのです。これを拒否するってことは、ジャンヌ。国際問題になるわけですよ。なんせ賞品を約束したシータ国王に恥をかかせたわけだから。って、抵抗したら言えだって』
『あの野郎ーーー!』
王宮のプール横にある更衣室から聞こえてくる声に、はぁっと思いっきり嘆息する。
なんで自分はあんな勝負を受けてしまったのだろう。
なんであんな奴に負けたんだろう。
それでこの有様。
分かってる? あいつは外見は女だけど中身は男。
そんな中途半端で覚悟のない奴が国の代表としてデカい顔してるだけで我慢ならないのに、しかも女ものの水着を着るなんて想像するだけで吐き気がする。
だから――
「あー……もうお婿に行けない……」
更衣室からふらふらになりながら出てきた彼を見て、
白いフリルのついたビキニを着ているのを見て、
恥ずかしいのか右手で胸元を、左手で下腹部を隠すようにしているのを見て、
「――――っ!」
衝動が爆発した。
ちょっと待って。え、なにこれ。なにこのちっこいの。かわいすぎんでしょうが! ちっこいけどスタイルいいとか反則。まじ羨ましい。昨日までは礼服やドレスでよく体格が分からなかったけど、これはまた……。てか超かわいい。いや、もともと外見は超好みだった。小さい頃の美玖みたい。抱きしめたいギュッとしたいハグハグしたいナデナデしたい。てかお持ち帰りしていい? 飾っておきたい。ダメ? じゃあ写真でいいから。誰かカメラを持って来なさい!
「えっと、水鏡。そんなに睨まれると困る……」
「はっ……」
いけないいけない。こいつは敵。私の夢を妨害する邪魔者。だからこんなの――
「あっははージャンヌ。かーわーいー」
「こら、やめろ! まとわりつくな! あ、手が……ちょ、恥ずかし……」
「よいではないかよいではないかー。ほら、ミカっちもエロイ目で見てるよ」
「え!?」
「いや、わたしは違――」
いや、エロくはないけど見惚れていたのは確か。てゆうか恥ずかしがる姿もまたいいんだけど。でもこの子は男でわたしと同年代で……いや、でも可愛いに性別も年齢も関係ない!
「ま、まぁ男の割には、似合ってるんじゃない」
「褒められてるのか、それ……」
「うるさい。そもそもわたしはあんたを恥ずかしがらせようと思ってたんだから。むしろいい気味」
「て、てめぇ……」
「ふーん、国を代表する使者が他国の重臣に手をあげる?」
「ぐ……ぐぐ……」
あぁ、顔を真っ赤にして。けどそれがいい。わたしってこんなSだったのか。新しい自分を発見した気分。
だからもうちょっと攻めたくなる。
「ほら。わたしは無防備よ。こんなに近づいても何もできないの。それでも男? 帝国を倒そうとかよくそれで言えるわね」
「う、うぅ……」
少女が目の前で涙目になっている。
そういえば、東馬も美玖もこんな時があった。悔しくて悲しくてたまらないことが会った時に、顔を真っ赤にしてわたしにすがりついてくるのだ。そういう時にはこうやって抱きしめて……。
「うわっ!?」
水着だから肌が露出している分、熱を直に感じさせる。
小さく、温かい。
よくよく考えればこんななりでもオムカの軍師だ。
天の策を受けた時雨たちを追い払ったらしいし、帝国に対し防衛の指揮を取ったのもこの男と聞いている。
こんな小さな体で、とんでもない男だと思う。
そもそもが護衛1人で敵国に乗り込んでくるのも、わたしでは考え付かないほどの度胸が必要だろう。
しかもあの女に負けた後、まず心配してくれたのがこの男だ。
『大丈夫か。すまん、あの馬鹿が迷惑かけて』
水中で落とされて、なんとか息を吹き返したわたしにかけてきた一声。
その時、陽の光がまるで後光のように広がったのを覚えている。
あるいはそれが変化の始まりだったのかもしれない。
思えばあのニーアとかいう化け物は、不利な水中で、わたしに対して捨て身で勝利をもぎ取ろうとしていた。
そんな化け物が心底敬服している。それだけでこの男も十分化け物だ。
その手腕、その知能、その美貌、その度胸、そのカリスマ。
あぁ、そうか。
わたしは嫉妬していたんだ。このなりふり構わず、全身全霊で生きているその姿に。わき目もふらず、ひたすら泳ぎ続けてきたあの時のわたしを思い出させるみたいで。
聞けば日本に残した思い人のために戦っているという。わたしと同じだ。だからわたしはこいつが嫌いだった。嫌いだと思おうとした。ぐだぐだとこの世の平穏を楽しんでいるだけの明。それをそういうものとして諦めてしまっている自分とは対局にいた存在だから。
それを認めてしまえば、自分がとてもみじめで、情けなくて、恥ずかしいと思ったから。
だからこうも邪険に扱った。
けど、今はもう違う。
「嘘。あんたはよくやってる。たった独りで。わたしには明がいたから。それなのに……冷たくして、ごめんなさい」
すんなりと言葉が出た。
なんでだろう。もう憎む理由がない。
東馬たちに重ねたからだろうか。あるいはわたしもこのジャンヌ・ダルクを名乗る人物に憧れてしまったからなのか。
「水鏡……?」
不思議そうな表情でこちらを見てくる。
その表情すらも愛おしいと思う。
だから、きっとこの感情は――
「へぇミカっちも大胆だねぇ」
ふと、視線を感じてハッと顔をあげる。
にやにやとニーアがこっちを見ていた。でも顔が引きつっている。そこから感じるのは……殺気?
そして気付く。我に返る。
今自分が何をしてるか。どんな状態になっているか。
「…………はっ! ち、ちが! いや。そのこれは……なんでも…………馬鹿!」
「おわっ!?」
反射的に彼を突き飛ばした。水の音。プールに落ちた。
あ……いや、わたしは悪くない。悪いのはこの性悪女。
それ以前に今のわたしはおかしかった。
なんであんなことを。相手は男。少女の体をしてるけど、れっきとした男。そんなのに……。
今自分の顔がどんな表情か分からない。ただ発熱したように熱い。
それを見られるのが嫌で、わたしは逃げるようにその場を後にした。
その間に記憶をたどって名前を探す。
写楽明彦とか言ってたっけ。彼の名前。
次からはそう呼んでみようか。
いや、それも恥ずかしいから明に倣ってアッキーと呼んでみよう。
そうしたらどんな顔をするだろうか。
うん、だから呼んでみよう。
それはこの世界に絶望し始めていたわたしにとって、きっと救いになってくれることだと思うから。
お母さん、東馬、美玖。今頃どうしているだろう。
もともとが裕福な家庭ではなかった。
高校2年の夏にお父さんが事故で死んでから暮らしは困窮し、お母さんのパートの時間が増えた。朝は早くから私たちのお弁当を作って、夜までパートの毎日。辛かっただろう。苦しかっただろう。
だから早く一人前になりたかった。就職してお母さんを助けたかった。
けどお母さんはわたしの夢を応援してくれた。
水泳でオリンピックに出たいというわたしの夢に。
何も心配しなくていいと言ってくれた。好きなことをやればいいと言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。
幸い、大学のスポーツ推薦枠が1つ空いていたこともあり、お父さんの死を悼む間もなく猛練習を積んでその座を勝ち取った。
その報告を受けた時のお母さんの笑顔は今でも忘れない。
大学生になってからも、水泳に打ち込めたのはお母さんが家庭をしっかり支えてくれたからだし、弟と妹の健気な節約生活も大きかった。だから選手権で入賞した時は涙が出るほどうれしかったし、同じ日にお母さんが倒れたという報告を受けた時は言葉を失うくらい悲しかった。
同じ日にこんなに事件が舞い込むことなんてドラマくらいのものだと思ってたから、まさか自分がという思いだった。
けど事件はそれだけに終わらなかった。大会の会場から急いで病院に駆け付ける途中、暴走する車に跳ねられるなんて。あまりに都合が良すぎて、コントみたいだと思った。
そしてこの世界にいる。
正直、天下統一とかよく分からないし、戦争のことも分からない。わたしには泳ぐことしかできないから。
それでも元の世界に戻れると言われれば、何が何でもという思いになる。
お母さんは無事なのか、東馬と美玖は泣いてやいないか。心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配で心配でいてもたってもいられなくなって、ひたすらに走った。
そして、彼と出会った。いや、彼と言って良いのか分からないが、とにかく出会った。
「やぁ、ちょっと手を貸してくれないかな」
正直、あまり関わりたくなかった。とにかく元の世界に戻るのに精いっぱいで、他の人のことなんて考えていられなかった。
それでも手を貸したのは、そのなよっとした感じがお父さんに似ていたかもしれない。なよっとした外見に反して、熱く芯のしっかりしたところがあるお父さんに似ていると思ってしまったかもしれない。
だがそんなのはただの幻想だった。
外見も中身も何もないただのヘタレ。それが九鬼明の第一印象だった。
だから最初の手伝いだけで別れるつもりだった。
だが明から更に協力を求められた。
なんでも一緒にいると安心するとか、エネルギッシュな姿を見ていると力が湧いてくるとか。意味が分からない。
それでも従ったのは、同じ日本からやってきたことの同郷意識だったのか。元の世界に戻るための方法に、自分自身が何らビジョンを持っていなかったからというのもある。
そして気がついたらこんな場所にいる。大陸を三分する大国の国王の隣にいた。
だが何も嬉しいことではなかった。何より明にやる気がなかったのだ。
「元の世界? いや、別に考えてないけど」
なんて言われた時は刺してやろうかと思った。
私がこんなに戻りたがっているのに、その思いを踏みにじられたように思ったから。
それでも明の元を去らなかったのは、大国の重臣という立場を逃して元の世界に戻れる可能性を潰してしまうのが怖かったから。明のやる気があろうとなかろうと、この立場を利用してやろうと思ったからだ。
それよりなにより、このどことも知れない世界で1人放り出されるのに耐えきれなかったのかもしれない。あのまま明に会わなかったら、知り合いもいない、文字も読めない外国で野垂れ死ぬ。そんな未来を見たくなかったからかもしれない。
そうこうしている内に1年という時間が過ぎ、何ら変わらない日常に絶望し始めた時。隣国からの使者が来た。
ジャンヌ・ダルクだなんて名乗った少女は、あろうことか男で、ちっこくてなよなよしてて正直外見以外は一目見て嫌いだった。
もとより敵国の人間で、同じプレイヤーなのだ。つまり私の夢を妨害する憎むべき敵。好きになれる要素がない。
だけど――
『え、ちょっとこれ!? いや、さすがに面積狭くない!?』
『ダイジョブ、ダイジョブ。ニーアの目を信じて』
『大丈夫要素が全くないんだが!』
『いいからいいからー。わぁ、綺麗ですよお客様』
『そんなショップの店員みたいに……わっ!』
『はいはい、全部脱いじゃいましょうねー。ふっふっふ、ジャンヌ。あたしに腕力で勝てると思うてか!』
『ちょ、おい! ふざけんな! お前強制送還するぞ!』
『残念ながらこれはシータ国王の命令なのです。これを拒否するってことは、ジャンヌ。国際問題になるわけですよ。なんせ賞品を約束したシータ国王に恥をかかせたわけだから。って、抵抗したら言えだって』
『あの野郎ーーー!』
王宮のプール横にある更衣室から聞こえてくる声に、はぁっと思いっきり嘆息する。
なんで自分はあんな勝負を受けてしまったのだろう。
なんであんな奴に負けたんだろう。
それでこの有様。
分かってる? あいつは外見は女だけど中身は男。
そんな中途半端で覚悟のない奴が国の代表としてデカい顔してるだけで我慢ならないのに、しかも女ものの水着を着るなんて想像するだけで吐き気がする。
だから――
「あー……もうお婿に行けない……」
更衣室からふらふらになりながら出てきた彼を見て、
白いフリルのついたビキニを着ているのを見て、
恥ずかしいのか右手で胸元を、左手で下腹部を隠すようにしているのを見て、
「――――っ!」
衝動が爆発した。
ちょっと待って。え、なにこれ。なにこのちっこいの。かわいすぎんでしょうが! ちっこいけどスタイルいいとか反則。まじ羨ましい。昨日までは礼服やドレスでよく体格が分からなかったけど、これはまた……。てか超かわいい。いや、もともと外見は超好みだった。小さい頃の美玖みたい。抱きしめたいギュッとしたいハグハグしたいナデナデしたい。てかお持ち帰りしていい? 飾っておきたい。ダメ? じゃあ写真でいいから。誰かカメラを持って来なさい!
「えっと、水鏡。そんなに睨まれると困る……」
「はっ……」
いけないいけない。こいつは敵。私の夢を妨害する邪魔者。だからこんなの――
「あっははージャンヌ。かーわーいー」
「こら、やめろ! まとわりつくな! あ、手が……ちょ、恥ずかし……」
「よいではないかよいではないかー。ほら、ミカっちもエロイ目で見てるよ」
「え!?」
「いや、わたしは違――」
いや、エロくはないけど見惚れていたのは確か。てゆうか恥ずかしがる姿もまたいいんだけど。でもこの子は男でわたしと同年代で……いや、でも可愛いに性別も年齢も関係ない!
「ま、まぁ男の割には、似合ってるんじゃない」
「褒められてるのか、それ……」
「うるさい。そもそもわたしはあんたを恥ずかしがらせようと思ってたんだから。むしろいい気味」
「て、てめぇ……」
「ふーん、国を代表する使者が他国の重臣に手をあげる?」
「ぐ……ぐぐ……」
あぁ、顔を真っ赤にして。けどそれがいい。わたしってこんなSだったのか。新しい自分を発見した気分。
だからもうちょっと攻めたくなる。
「ほら。わたしは無防備よ。こんなに近づいても何もできないの。それでも男? 帝国を倒そうとかよくそれで言えるわね」
「う、うぅ……」
少女が目の前で涙目になっている。
そういえば、東馬も美玖もこんな時があった。悔しくて悲しくてたまらないことが会った時に、顔を真っ赤にしてわたしにすがりついてくるのだ。そういう時にはこうやって抱きしめて……。
「うわっ!?」
水着だから肌が露出している分、熱を直に感じさせる。
小さく、温かい。
よくよく考えればこんななりでもオムカの軍師だ。
天の策を受けた時雨たちを追い払ったらしいし、帝国に対し防衛の指揮を取ったのもこの男と聞いている。
こんな小さな体で、とんでもない男だと思う。
そもそもが護衛1人で敵国に乗り込んでくるのも、わたしでは考え付かないほどの度胸が必要だろう。
しかもあの女に負けた後、まず心配してくれたのがこの男だ。
『大丈夫か。すまん、あの馬鹿が迷惑かけて』
水中で落とされて、なんとか息を吹き返したわたしにかけてきた一声。
その時、陽の光がまるで後光のように広がったのを覚えている。
あるいはそれが変化の始まりだったのかもしれない。
思えばあのニーアとかいう化け物は、不利な水中で、わたしに対して捨て身で勝利をもぎ取ろうとしていた。
そんな化け物が心底敬服している。それだけでこの男も十分化け物だ。
その手腕、その知能、その美貌、その度胸、そのカリスマ。
あぁ、そうか。
わたしは嫉妬していたんだ。このなりふり構わず、全身全霊で生きているその姿に。わき目もふらず、ひたすら泳ぎ続けてきたあの時のわたしを思い出させるみたいで。
聞けば日本に残した思い人のために戦っているという。わたしと同じだ。だからわたしはこいつが嫌いだった。嫌いだと思おうとした。ぐだぐだとこの世の平穏を楽しんでいるだけの明。それをそういうものとして諦めてしまっている自分とは対局にいた存在だから。
それを認めてしまえば、自分がとてもみじめで、情けなくて、恥ずかしいと思ったから。
だからこうも邪険に扱った。
けど、今はもう違う。
「嘘。あんたはよくやってる。たった独りで。わたしには明がいたから。それなのに……冷たくして、ごめんなさい」
すんなりと言葉が出た。
なんでだろう。もう憎む理由がない。
東馬たちに重ねたからだろうか。あるいはわたしもこのジャンヌ・ダルクを名乗る人物に憧れてしまったからなのか。
「水鏡……?」
不思議そうな表情でこちらを見てくる。
その表情すらも愛おしいと思う。
だから、きっとこの感情は――
「へぇミカっちも大胆だねぇ」
ふと、視線を感じてハッと顔をあげる。
にやにやとニーアがこっちを見ていた。でも顔が引きつっている。そこから感じるのは……殺気?
そして気付く。我に返る。
今自分が何をしてるか。どんな状態になっているか。
「…………はっ! ち、ちが! いや。そのこれは……なんでも…………馬鹿!」
「おわっ!?」
反射的に彼を突き飛ばした。水の音。プールに落ちた。
あ……いや、わたしは悪くない。悪いのはこの性悪女。
それ以前に今のわたしはおかしかった。
なんであんなことを。相手は男。少女の体をしてるけど、れっきとした男。そんなのに……。
今自分の顔がどんな表情か分からない。ただ発熱したように熱い。
それを見られるのが嫌で、わたしは逃げるようにその場を後にした。
その間に記憶をたどって名前を探す。
写楽明彦とか言ってたっけ。彼の名前。
次からはそう呼んでみようか。
いや、それも恥ずかしいから明に倣ってアッキーと呼んでみよう。
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それはこの世界に絶望し始めていたわたしにとって、きっと救いになってくれることだと思うから。
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