110 / 627
第2章 南郡平定戦
閑話6 立花里奈(エイン帝国軍所属)
しおりを挟む
前線の滞在が1週間を過ぎたその日、私は部隊を指揮する貴族の将軍に呼ばれた。
すでに陣幕には彼の幕僚たちが集まっていた。
折り畳みの椅子に座って机を取り囲んでいる30代から40代の平均年齢高めのおじさんたちが一斉にこちらを向く。じっと見られるようで気分が悪い。
その中心、若くて荘厳な鎧を着ているのがここの将軍。名前は知らない。覚える気もない。
わたしはただ張人の代わりにここにいるだけ。戦略とか政治とか良く分からないから言われるがままにしている。
正直この将軍も嫌いだった。
偉ぶった様子で、ところどころに見下す視線を感じたから。顔もタイプじゃないし。
それでもこうやって軍議の場に呼ばれるのは、私が『あの男』の部下みたいな立ち位置にいるからその配慮だろう。
「今夜、出撃することになった」
将軍が若干頬を上気させ言葉を放つ。
「出撃?」
「うむ。これを見てみよ。ビンゴからの手紙だ。先日の申し出に対しての返答だ」
一片の紙きれを渡された。
とはいえ最近ようやく文字が読めるようになったくらいだ。読むのに四苦八苦する。
しかも文体がかなりかしこまって、婉曲表現を使っているようで、そういった言葉のニュアンスは正直よくわからない。
ただどうもビンゴ王国がへりくだった形で、和睦に乗り気だというのが分かった。
その証拠として、1つの情報が書いてあった。
「今夜撤退する? オムカが?」
「その通りだ。ビンゴの奴らも自分の立場というものをようやく理解したようで何よりだ。しかしこの準備不足はいただけないな。準備ができておらず明日の朝に追撃に移るなど。奴らは昼寝でもしたのか? かくなる上は我々が攻め入り、その勢いに乗ってオムカの王都も攻めとるしかあるまい!」
将軍の勇ましい声に幕僚たちが同調する。
どうやらもうすでに衆議は決まっているらしい。
「このオムカが撤退するというのは本当なのですか?」
「なにを言う。こちらにオムカの主力を引き付けて王都を狙う。まさにお主の主であるハルト将軍の作戦通りではないか」
主じゃないんだけど。てかあいつ以下に扱われるこの不快感は何?
とはいえその戦術は卓抜したものがあると感じる。
こっちの本隊がそのまま砦を落とせればよし。膠着したら張人が王都を襲撃して、撤退する敵軍を追撃する。
一挙両得の作戦と言っていい。
ただ、どうもうまくいきそうにないと思っているのは私だけだろうか。
理由はない。ただの勘。けどその勘でこれまで生きてきた。
「それに偵察も出しておる。平静を装っておるが、オムカの陣ではこれまで以上に人の動きが激しい。今夜、闇夜に乗じて退くのは間違いない。そこをわが軍が背後から追撃する! これにて勝利間違いなしだ! しかるに援軍のいなくなったビンゴなど鎧袖一触に追い散らすこともできよう。……ふはははは、この私がバーベルの領主になる日も遠くはない!」
この頭がお花畑の貴族様に、捕らぬ狸の皮算用ってことわざを教えてあげようかしら。
いや、いいわ。どうせ無駄だし。
自分との連絡をかかさないでくれれば、特に何もしなくていい。
そんな張人の頼みを聞いてこのザマ。
最近戦争もなくて頭痛も和らいできたってのに、こんなところでこんなやつの相手を1週間もするなんて聞いてない。
お風呂やトイレがないのもつらい。
報告のためと言って、定期的に家に帰れる立場じゃなければ発狂していたかもしれない。
帰ったら一発ぶん殴ってやろうかしら。
……ううん、落ち着くのよ。
なんだかこの世界に来て、暴力的な思考が増えている自分が怖い。
まるで自分じゃなくなっているような気がして。
何か別のモノに変化してしまっているような気がして。
「君、その時には教皇様にも私をよろしく言っておいてくれたまえよ。なんてったって、君はかのお方の片腕なのだら」
これも自分が自分でなくなっていくようなことの一因。
どうやら『あの男』は、この世界で強大な権力を持っているらしい。なんとかいう宗教の偉い人。
『あの男』と会ったのはほんの数度。
けどこうして片腕とか言われるのは、『あの男』が私と同じだからにすぎない。
プレイヤー。
同じ穴の狢だからこそ、同じ派閥に属しているに過ぎないわけで。
そうでもなければあんな野心が見え透いた男、相手するのも嫌だ。
何もかも明彦くんとは全く違う。正直嫌いなタイプだった。
それでもこの世界で生きていくには、『あの男』の庇護は必要だった。
我ながらアコギな考えだと思う。けど、そうでもしなければこの世界でやっていけないのだから仕方ない。
そう自分に納得させて名前も知らない将軍の前を去った。
そして数時間後。
陽が落ちて暗闇の中、馬に乗った私は軍の中にいた。その数2万2千。
8千は万が一ビンゴが裏切った時のために備えてあるという。
ここ数日、陣の中に引きこもっていた兵たちが久しぶりの外を満喫して伸び伸びと動いているように見える。
ただこれは奇襲作戦。
誰もが口をつぐみ、馬には(枚と呼ばれていた)木の枝のようなものを咥えさせて音を出さないようにしている。
正直、自分も何をしているのかよく分からない。
もともとただの大学生だった。それがこんなところで、人殺しの片棒を担がされている。
何で? って思う。悪い夢なら醒めて欲しい。けど半年を過ぎた今もその夢は醒めない。
あの時は大学生活と未来への期待、そして気になる人との出会いで白く光り輝いて見えた。
それが今や、赤と黒に染まり暗澹とした日々を送っている。
本当、何でこんなことになってしまったんだろう。
本当、何でこんなになっても生きているんだろう。
生きるために殺して。
敵対するから殺して。
殺すために殺す。
あれ、私ってそんなことをしてでも、生きていたいんだっけ。
他人様の命を吸ってまで、生にしがみつきたい理由があったんだっけ。
もはやその理由すらも希薄。
だから惰性で『あの男』に使われ、張人には適当にやらされてる。
もうそろそろいいかな。
そう思ってしまうのは、きっと仕方のないことで。
それが自分のためにも、他人のためにも、世界のためにもなるんじゃないかって。
それほど私の手は――
「よし、止まれ」
はっとした。
他の馬に倣って急に自分の馬が止まったので、放り出されそうになったのを必死で堪える。
いつの間にか丘の上まで来たみたい。
丘のふもとから少し行ったところに、無数の炎が焚かれた陣地がある。
「よし、まだかがり火が見えるな。人の動きもある」
あぁ、そうか。あそこにいる人たちを殺しに行くのか。
気は進まない。
けど、やらないと私に居場所はない。
どれだけ自分を卑下したところで、自暴自棄になったところで、私は独りになるのが怖い。死ぬのが怖い。
なんて卑怯者。
なんて人でなし。
分かり切っていたことだった。だからもう悩むのはやめようか。
どうせここには、私を分かってくれる人は誰もいないのだから――
「全軍、突撃! オムカの裏切り者どもを皆殺しにせい!」
将軍の号令のもと、2万2千の兵たちが一気に丘を駆け下りる。
よく転ばないな、なんてどうでもいいことを感じた。
遅れて将軍とその旗下に紛れ、私の馬も丘を駆け下りる。
陣には兵が充満していて、ごった返している。
「む、すでに逃げた後か!」
敵がいない。戦闘が行われた形跡もない。
代わりに武器や旗といったものが散乱しているだけだ。
「なんだこの木箱は……」
「分かりませんが、捨てられた武具を見る限り軍需物資かと。すごい量です」
副官が散乱する木箱を見ながら説明する。
「これほどの量をオムカが隠し持っていたとは。我々も長期間の対陣で物資が不足していたところだが」
「兵に運ばせましょう。なに、2万もいれば弱腰のオムカなど鎧袖一触です。何よりハルト将軍と挟み撃ちにできるわけですし」
「うむ、その通りだな。では1千でこの物資を我が陣に運べ! 残りは追撃に移る!」
将軍が次の指示を与えたその時だ。
「エイン帝国の愚将様に申し上げる!」
声が響いた。
ふとその声に振り返る。
どこか知っている人の声に聞こえたからだ。
「なんだ、あれは……」
誰もが見たのは私たちが入って来たのとは逆の陣の出入り口。
そこに馬に乗った1人の少女がいた。
少女は旗を右肩に担いだまま、こちらに対峙する。年の頃は12か13か。幼いと言ってもそん色ない年頃。かがり火に照らされたブロンドカラーの髪が美しい。
だが何かが違う。
あれは、あの子は、いや、あの子に感じた何か。
――明彦くん?
性別も年齢も身長も何もかも違うのに、そう感じた。
理屈は分からない。
他人に言えば100人が100人とも鼻で笑う、そんな妄想。
それでも私には無視できない確信。
「あれはオムカの軍服……まさか、あれがハルト将軍を撃退したオムカの軍師!? 確か名はジャンヌ・ダルク!」
ジャンヌ・ダルク。
その名前は聞いたことがある。もちろん日本でのことではない。この世界で、張人が言っていた名前だ。
そうか、彼女が。
あの時にオムカの王都を防衛したというプレイヤーの少女か。
あるいは彼女が本当に明彦くんなら、なんて運命的なのだろう。私が絶望に出会った日に、私は希望に出会ったのだ。赤と黒にまみれた世界に差した、一筋の光。
そんな馬鹿げた妄想を繰り広げている間にも、事態はどんどん進行する。
「わざわざのご足労痛み入る! いやしかしこれでオムカも安泰だ。なにせこうまでも愚かな人間が軍を統括しているのだからな! 是非とも貴君には生き延びてもらって、負け続けていただきたいものだ!」
少女の声が陣に木霊する。
これ以上ない侮蔑の言葉を聞いて、名も知らぬ将軍は怒りでプルプルと顔を震わせ、
「誰か奴を捕らえて黙らせろ! 捕らえたものは最大の恩賞を取らすぞ!」
「死地に留まる馬鹿が何を言うか!」
少女が一喝。
それはすがすがしい風として私の体を、心を打つ。
そして彼女は旗を振る。
青に染まったオムカの旗を。
ひゅんと、風を切る音が聞こえる。
もはや耳馴染みとなった音。矢が風を切る音だ。
だがそれは人には当たらない。
ところどころに落ちて、矢に装着された器が地面に砕けて中身をぶちまける。
鼻に着く匂い。油だ。
さらに矢は続く。テントや散乱した木箱に当たり、その時に初めてそれが火矢だと気づいた。
そして次の瞬間――大爆発が起きた。
いや、実際に爆発したわけじゃない。炎が爆発的に燃え上がっただけだ。
それでも衝撃と爆音が襲い掛かってくる。
悲鳴が辺りを包む。火に包まれた兵が地面に転がる。阿鼻叫喚の地獄が展開された。
火。
火だ。
私を焼いた火が、こんなにも多く囲んでいる。
「いやあああああああ!」
誰かの叫び声。
いや、違う。私だ。
私の叫びが、世界を揺るがす。
違う、これは地響き。多くの人が大地を揺るがす音。
「て、敵襲!」
「なんだと!? くっ、謀られたか! ええい、退け! 退け!」
誰もがこの地獄から抜け出そうと、来た道を戻る。
私の馬も、何も命令していないのにそれに倣った。
火。怖い。ここから逃げられるならなんでもよかった。
馬が何かを踏んだ。
生肉かなと思った。味方の兵だった。
酷い事をしたと思ったけど、そんなこともすぐにどうでもいい。
とにかく逃げる。炎から1歩でも、1センチでも遠くに逃げる。今はそれだけがすべてだった。
すぐに明るく照らされた場所から夜闇に戻る。
ホッと胸をなでおろす。もうここにあの炎はない。だから安全。安心。問題ない。
心臓がありえないくらい激しく胸を打ってる。うるさい。でも生きてる。それを感じる。
だがその時、前方から悲鳴が聞こえた。
先に逃げ出した味方の悲鳴。
「前方に敵! ……ビンゴ軍です!」
「おのれぇ! ビンゴの雑魚どもがぁ! おい貴様、なんとかせんか! 我先に逃げおって!」
え、私?
私が、先に、逃げた?
何を言っているのか分からない。
私はただみんなに従っただけ。
炎が怖いから、一歩でも先に離れたかっただけ。
「ええい、早くしないと死ぬぞ!」
死ぬ。
それは嫌だ。
さっきまでは死んでもいいと思ってたのに、なんて現金。
それでもあの子。
明彦くんを感じさせたあの少女のことを思うと、そんなことも言っていられない。
彼女が明彦くんならこんなところで死んでられない。
だからここでは生きなくちゃ。
生きるためには、戦わなくちゃ。
あぁありがとう女神様。
こんな時に生き残る力を与えてくれて。
この世界で生きるための目的を与えてくれて。
まぁちょっと気持ち悪くなるけど、それは罰だから。人様の命を奪って生き延びる罰だから。
それもしょうがないこと。
だから――
「……『収乱斬獲祭』」
瞬間、視界が炎に似た赤に染まった。
すでに陣幕には彼の幕僚たちが集まっていた。
折り畳みの椅子に座って机を取り囲んでいる30代から40代の平均年齢高めのおじさんたちが一斉にこちらを向く。じっと見られるようで気分が悪い。
その中心、若くて荘厳な鎧を着ているのがここの将軍。名前は知らない。覚える気もない。
わたしはただ張人の代わりにここにいるだけ。戦略とか政治とか良く分からないから言われるがままにしている。
正直この将軍も嫌いだった。
偉ぶった様子で、ところどころに見下す視線を感じたから。顔もタイプじゃないし。
それでもこうやって軍議の場に呼ばれるのは、私が『あの男』の部下みたいな立ち位置にいるからその配慮だろう。
「今夜、出撃することになった」
将軍が若干頬を上気させ言葉を放つ。
「出撃?」
「うむ。これを見てみよ。ビンゴからの手紙だ。先日の申し出に対しての返答だ」
一片の紙きれを渡された。
とはいえ最近ようやく文字が読めるようになったくらいだ。読むのに四苦八苦する。
しかも文体がかなりかしこまって、婉曲表現を使っているようで、そういった言葉のニュアンスは正直よくわからない。
ただどうもビンゴ王国がへりくだった形で、和睦に乗り気だというのが分かった。
その証拠として、1つの情報が書いてあった。
「今夜撤退する? オムカが?」
「その通りだ。ビンゴの奴らも自分の立場というものをようやく理解したようで何よりだ。しかしこの準備不足はいただけないな。準備ができておらず明日の朝に追撃に移るなど。奴らは昼寝でもしたのか? かくなる上は我々が攻め入り、その勢いに乗ってオムカの王都も攻めとるしかあるまい!」
将軍の勇ましい声に幕僚たちが同調する。
どうやらもうすでに衆議は決まっているらしい。
「このオムカが撤退するというのは本当なのですか?」
「なにを言う。こちらにオムカの主力を引き付けて王都を狙う。まさにお主の主であるハルト将軍の作戦通りではないか」
主じゃないんだけど。てかあいつ以下に扱われるこの不快感は何?
とはいえその戦術は卓抜したものがあると感じる。
こっちの本隊がそのまま砦を落とせればよし。膠着したら張人が王都を襲撃して、撤退する敵軍を追撃する。
一挙両得の作戦と言っていい。
ただ、どうもうまくいきそうにないと思っているのは私だけだろうか。
理由はない。ただの勘。けどその勘でこれまで生きてきた。
「それに偵察も出しておる。平静を装っておるが、オムカの陣ではこれまで以上に人の動きが激しい。今夜、闇夜に乗じて退くのは間違いない。そこをわが軍が背後から追撃する! これにて勝利間違いなしだ! しかるに援軍のいなくなったビンゴなど鎧袖一触に追い散らすこともできよう。……ふはははは、この私がバーベルの領主になる日も遠くはない!」
この頭がお花畑の貴族様に、捕らぬ狸の皮算用ってことわざを教えてあげようかしら。
いや、いいわ。どうせ無駄だし。
自分との連絡をかかさないでくれれば、特に何もしなくていい。
そんな張人の頼みを聞いてこのザマ。
最近戦争もなくて頭痛も和らいできたってのに、こんなところでこんなやつの相手を1週間もするなんて聞いてない。
お風呂やトイレがないのもつらい。
報告のためと言って、定期的に家に帰れる立場じゃなければ発狂していたかもしれない。
帰ったら一発ぶん殴ってやろうかしら。
……ううん、落ち着くのよ。
なんだかこの世界に来て、暴力的な思考が増えている自分が怖い。
まるで自分じゃなくなっているような気がして。
何か別のモノに変化してしまっているような気がして。
「君、その時には教皇様にも私をよろしく言っておいてくれたまえよ。なんてったって、君はかのお方の片腕なのだら」
これも自分が自分でなくなっていくようなことの一因。
どうやら『あの男』は、この世界で強大な権力を持っているらしい。なんとかいう宗教の偉い人。
『あの男』と会ったのはほんの数度。
けどこうして片腕とか言われるのは、『あの男』が私と同じだからにすぎない。
プレイヤー。
同じ穴の狢だからこそ、同じ派閥に属しているに過ぎないわけで。
そうでもなければあんな野心が見え透いた男、相手するのも嫌だ。
何もかも明彦くんとは全く違う。正直嫌いなタイプだった。
それでもこの世界で生きていくには、『あの男』の庇護は必要だった。
我ながらアコギな考えだと思う。けど、そうでもしなければこの世界でやっていけないのだから仕方ない。
そう自分に納得させて名前も知らない将軍の前を去った。
そして数時間後。
陽が落ちて暗闇の中、馬に乗った私は軍の中にいた。その数2万2千。
8千は万が一ビンゴが裏切った時のために備えてあるという。
ここ数日、陣の中に引きこもっていた兵たちが久しぶりの外を満喫して伸び伸びと動いているように見える。
ただこれは奇襲作戦。
誰もが口をつぐみ、馬には(枚と呼ばれていた)木の枝のようなものを咥えさせて音を出さないようにしている。
正直、自分も何をしているのかよく分からない。
もともとただの大学生だった。それがこんなところで、人殺しの片棒を担がされている。
何で? って思う。悪い夢なら醒めて欲しい。けど半年を過ぎた今もその夢は醒めない。
あの時は大学生活と未来への期待、そして気になる人との出会いで白く光り輝いて見えた。
それが今や、赤と黒に染まり暗澹とした日々を送っている。
本当、何でこんなことになってしまったんだろう。
本当、何でこんなになっても生きているんだろう。
生きるために殺して。
敵対するから殺して。
殺すために殺す。
あれ、私ってそんなことをしてでも、生きていたいんだっけ。
他人様の命を吸ってまで、生にしがみつきたい理由があったんだっけ。
もはやその理由すらも希薄。
だから惰性で『あの男』に使われ、張人には適当にやらされてる。
もうそろそろいいかな。
そう思ってしまうのは、きっと仕方のないことで。
それが自分のためにも、他人のためにも、世界のためにもなるんじゃないかって。
それほど私の手は――
「よし、止まれ」
はっとした。
他の馬に倣って急に自分の馬が止まったので、放り出されそうになったのを必死で堪える。
いつの間にか丘の上まで来たみたい。
丘のふもとから少し行ったところに、無数の炎が焚かれた陣地がある。
「よし、まだかがり火が見えるな。人の動きもある」
あぁ、そうか。あそこにいる人たちを殺しに行くのか。
気は進まない。
けど、やらないと私に居場所はない。
どれだけ自分を卑下したところで、自暴自棄になったところで、私は独りになるのが怖い。死ぬのが怖い。
なんて卑怯者。
なんて人でなし。
分かり切っていたことだった。だからもう悩むのはやめようか。
どうせここには、私を分かってくれる人は誰もいないのだから――
「全軍、突撃! オムカの裏切り者どもを皆殺しにせい!」
将軍の号令のもと、2万2千の兵たちが一気に丘を駆け下りる。
よく転ばないな、なんてどうでもいいことを感じた。
遅れて将軍とその旗下に紛れ、私の馬も丘を駆け下りる。
陣には兵が充満していて、ごった返している。
「む、すでに逃げた後か!」
敵がいない。戦闘が行われた形跡もない。
代わりに武器や旗といったものが散乱しているだけだ。
「なんだこの木箱は……」
「分かりませんが、捨てられた武具を見る限り軍需物資かと。すごい量です」
副官が散乱する木箱を見ながら説明する。
「これほどの量をオムカが隠し持っていたとは。我々も長期間の対陣で物資が不足していたところだが」
「兵に運ばせましょう。なに、2万もいれば弱腰のオムカなど鎧袖一触です。何よりハルト将軍と挟み撃ちにできるわけですし」
「うむ、その通りだな。では1千でこの物資を我が陣に運べ! 残りは追撃に移る!」
将軍が次の指示を与えたその時だ。
「エイン帝国の愚将様に申し上げる!」
声が響いた。
ふとその声に振り返る。
どこか知っている人の声に聞こえたからだ。
「なんだ、あれは……」
誰もが見たのは私たちが入って来たのとは逆の陣の出入り口。
そこに馬に乗った1人の少女がいた。
少女は旗を右肩に担いだまま、こちらに対峙する。年の頃は12か13か。幼いと言ってもそん色ない年頃。かがり火に照らされたブロンドカラーの髪が美しい。
だが何かが違う。
あれは、あの子は、いや、あの子に感じた何か。
――明彦くん?
性別も年齢も身長も何もかも違うのに、そう感じた。
理屈は分からない。
他人に言えば100人が100人とも鼻で笑う、そんな妄想。
それでも私には無視できない確信。
「あれはオムカの軍服……まさか、あれがハルト将軍を撃退したオムカの軍師!? 確か名はジャンヌ・ダルク!」
ジャンヌ・ダルク。
その名前は聞いたことがある。もちろん日本でのことではない。この世界で、張人が言っていた名前だ。
そうか、彼女が。
あの時にオムカの王都を防衛したというプレイヤーの少女か。
あるいは彼女が本当に明彦くんなら、なんて運命的なのだろう。私が絶望に出会った日に、私は希望に出会ったのだ。赤と黒にまみれた世界に差した、一筋の光。
そんな馬鹿げた妄想を繰り広げている間にも、事態はどんどん進行する。
「わざわざのご足労痛み入る! いやしかしこれでオムカも安泰だ。なにせこうまでも愚かな人間が軍を統括しているのだからな! 是非とも貴君には生き延びてもらって、負け続けていただきたいものだ!」
少女の声が陣に木霊する。
これ以上ない侮蔑の言葉を聞いて、名も知らぬ将軍は怒りでプルプルと顔を震わせ、
「誰か奴を捕らえて黙らせろ! 捕らえたものは最大の恩賞を取らすぞ!」
「死地に留まる馬鹿が何を言うか!」
少女が一喝。
それはすがすがしい風として私の体を、心を打つ。
そして彼女は旗を振る。
青に染まったオムカの旗を。
ひゅんと、風を切る音が聞こえる。
もはや耳馴染みとなった音。矢が風を切る音だ。
だがそれは人には当たらない。
ところどころに落ちて、矢に装着された器が地面に砕けて中身をぶちまける。
鼻に着く匂い。油だ。
さらに矢は続く。テントや散乱した木箱に当たり、その時に初めてそれが火矢だと気づいた。
そして次の瞬間――大爆発が起きた。
いや、実際に爆発したわけじゃない。炎が爆発的に燃え上がっただけだ。
それでも衝撃と爆音が襲い掛かってくる。
悲鳴が辺りを包む。火に包まれた兵が地面に転がる。阿鼻叫喚の地獄が展開された。
火。
火だ。
私を焼いた火が、こんなにも多く囲んでいる。
「いやあああああああ!」
誰かの叫び声。
いや、違う。私だ。
私の叫びが、世界を揺るがす。
違う、これは地響き。多くの人が大地を揺るがす音。
「て、敵襲!」
「なんだと!? くっ、謀られたか! ええい、退け! 退け!」
誰もがこの地獄から抜け出そうと、来た道を戻る。
私の馬も、何も命令していないのにそれに倣った。
火。怖い。ここから逃げられるならなんでもよかった。
馬が何かを踏んだ。
生肉かなと思った。味方の兵だった。
酷い事をしたと思ったけど、そんなこともすぐにどうでもいい。
とにかく逃げる。炎から1歩でも、1センチでも遠くに逃げる。今はそれだけがすべてだった。
すぐに明るく照らされた場所から夜闇に戻る。
ホッと胸をなでおろす。もうここにあの炎はない。だから安全。安心。問題ない。
心臓がありえないくらい激しく胸を打ってる。うるさい。でも生きてる。それを感じる。
だがその時、前方から悲鳴が聞こえた。
先に逃げ出した味方の悲鳴。
「前方に敵! ……ビンゴ軍です!」
「おのれぇ! ビンゴの雑魚どもがぁ! おい貴様、なんとかせんか! 我先に逃げおって!」
え、私?
私が、先に、逃げた?
何を言っているのか分からない。
私はただみんなに従っただけ。
炎が怖いから、一歩でも先に離れたかっただけ。
「ええい、早くしないと死ぬぞ!」
死ぬ。
それは嫌だ。
さっきまでは死んでもいいと思ってたのに、なんて現金。
それでもあの子。
明彦くんを感じさせたあの少女のことを思うと、そんなことも言っていられない。
彼女が明彦くんならこんなところで死んでられない。
だからここでは生きなくちゃ。
生きるためには、戦わなくちゃ。
あぁありがとう女神様。
こんな時に生き残る力を与えてくれて。
この世界で生きるための目的を与えてくれて。
まぁちょっと気持ち悪くなるけど、それは罰だから。人様の命を奪って生き延びる罰だから。
それもしょうがないこと。
だから――
「……『収乱斬獲祭』」
瞬間、視界が炎に似た赤に染まった。
1
あなたにおすすめの小説
無限に進化を続けて最強に至る
お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。
※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。
改稿したので、しばらくしたら消します
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
【完結】487222760年間女神様に仕えてきた俺は、そろそろ普通の異世界転生をしてもいいと思う
こすもすさんど(元:ムメイザクラ)
ファンタジー
異世界転生の女神様に四億年近くも仕えてきた、名も無きオリ主。
億千の異世界転生を繰り返してきた彼は、女神様に"休暇"と称して『普通の異世界転生がしたい』とお願いする。
彼の願いを聞き入れた女神様は、彼を無難な異世界へと送り出す。
四億年の経験知識と共に異世界へ降り立ったオリ主――『アヤト』は、自由気ままな転生者生活を満喫しようとするのだが、そんなぶっ壊れチートを持ったなろう系オリ主が平穏無事な"普通の異世界転生"など出来るはずもなく……?
道行く美少女ヒロイン達をスパルタ特訓で徹底的に鍛え上げ、邪魔する奴はただのパンチで滅殺抹殺一撃必殺、それも全ては"普通の異世界転生"をするために!
気が付けばヒロインが増え、気が付けば厄介事に巻き込まれる、テメーの頭はハッピーセットな、なろう系最強チーレム無双オリ主の明日はどっちだ!?
※小説家になろう、エブリスタ、ノベルアップ+にも掲載しております。
神様、ちょっとチートがすぎませんか?
ななくさ ゆう
ファンタジー
【大きすぎるチートは呪いと紙一重だよっ!】
未熟な神さまの手違いで『常人の“200倍”』の力と魔力を持って産まれてしまった少年パド。
本当は『常人の“2倍”』くらいの力と魔力をもらって転生したはずなのにっ!!
おかげで、産まれたその日に家を壊しかけるわ、謎の『闇』が襲いかかってくるわ、教会に命を狙われるわ、王女様に勇者候補としてスカウトされるわ、もう大変!!
僕は『家族と楽しく平和に暮らせる普通の幸せ』を望んだだけなのに、どうしてこうなるの!?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――前世で大人になれなかった少年は、新たな世界で幸せを求める。
しかし、『幸せになりたい』という夢をかなえるの難しさを、彼はまだ知らない。
自分自身の幸せを追い求める少年は、やがて世界に幸せをもたらす『勇者』となる――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本文中&表紙のイラストはへるにゃー様よりご提供戴いたものです(掲載許可済)。
へるにゃー様のHP:http://syakewokuwaeta.bake-neko.net/
---------------
※カクヨムとなろうにも投稿しています
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
ガチャと異世界転生 システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!
よっしぃ
ファンタジー
偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。
獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。
俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる