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第4章 ジャンヌの西進
閑話20 椎葉達臣(エイン帝国ビンゴ方面東征軍将軍)
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“その人物”から報告が入ったのは、デュエイン将軍の後任として砦に入ってから4日目だった。
ここに来た当初、将軍の副官であるタニア女史は、将軍の死を知ると膝を落として泣き崩れた。
正直、そんな時にどうすればいいか分からず困っていたが、彼女は気丈にも立ち上がり、これまで見てきた無表情に近い冷静な表情に戻ると、
『後任のシーバ将軍に忠誠を誓います。あのお方が最期に認められたお人ですから』
僕にはそんな器量はない。
そう言って断りたかったけど、彼女の目があまりに真剣で熱を帯びていたので断るに断れなかった。
もっとも、切実な理由で断り切れなかった背景もあるが。
あの双子。
ああも簡単に味方を切り捨てる相手に、正直戦慄した。
自分にはそこまでの覚悟はできない。僕のスキルならば、数百人規模の犠牲を覚悟すれば、双子を排除することは可能だろうけど、そんな気概は持てない。
当然だ。
そう簡単に人殺しなんかに堕ちてたまるものか。
そんな想いがその時にはあった。
だがこれから、自分は人を殺す。
双子の命令だから、自分の命が大切だから、ここにいる人たちを見捨てられないから。多くを、殺す。
膠着状態の中、あの姉弟が言っていた内通者である“その人物”によって、敵が奇襲をかけてくることを知ると、タニアに迎撃の軍を指示して兵を伏せさせた。
正直、人に命令することなんてほぼ初めてだ。
けど、自分が判断し、その結果で人が死ぬというのを行うのに、こんなにプレッシャーを感じるとは思わなかった。
大勝の報告が入った時には、緊張から解放されて一瞬立てなくなったほどだ。
そんな人生初の綱渡りを経験していたところに、再び“その人物”がコンタクトを取って来たのだ。
“その人物”を砦内の自分の部屋へと招き入れる。
いや、“その人物”が勝手に部屋に入ってくるのだ。
一応これでも将軍の地位にいるのだから部屋の外には護衛もいるし、そもそもこの砦に簡単に侵入できるようなぬるい警備はしていない。
なのに“その人物”は何事もなかったかのように入ってくる。
まるで影だ。
ただ“その人物”の報告は正確で、信頼に足るものに感じる。
今回の情報もそれに足るものだった。
旧ビンゴ王国軍の本拠地である村、その場所が判明したのだ。
そして、そこにいる戦力の詳細までもが。
自室にある机にはゾイ川を中心とした地図を広げてある。
そして今まで知る限りの兵の配置を基に、思考を進める。
自分は劣等だ。
だからこそ、生きるのに必死だった。
どうやって生きるか、嫌われないか、のけ者にされないか、追い出されないか。考えに考えて考え考え尽くして生き延びてきた。
だから考えることは辛くはない。
そのころは、それによって世界からはじき出されるのが、何よりも怖かったのだから。
いや、今は昔の話はどうでもいい。
策は練った。後は実行に移すのみ。
「将軍、お連れしました」
「ありがとう、タ、タニア……」
最初はタニアさんと呼んだが、彼女は上官と部下の関係だから呼び捨てで呼んでくれと頼んできた。
かなり困ったが、それでなければ命令は聞きませんとまで言われたので、仕方なくそうすることにしたが、正直、まだ慣れない。
それでもタニアはそれが何でもないように受け入れている。
タニアはかなり魅力的な女性だった。
年齢は20を過ぎたくらいで、少し年上だろう。長いまつげにきりっとした瞳には厳格で知性の光が宿っているように思える。細もての顔に尖った顎を持つ彼女は、里奈と違ってかなり鋭利な印象を受けた。
帝国軍の白を基調にした軍服の隙間から見える肌は張りがあり、さすが軍人というべきか、引き締まった体つきをしているようだ。
そんな外見以上に、彼女は優秀な人間だった。
そうでもなければ、この若さで副官などという立場にはなれないだろう。
正直、この数日で何度助けてもらったか分からない。
かといって異性として気になるかと言われれば、僕は口をつぐまざるを得ない。
あまり感情を表に出さず、冷静な印象を抱かせる彼女が見せた激情。将軍の死に泣け暮れる姿は、僕の胸をギュッと締め付けた。肩に手をかけて抱きしめてあげたいとも思った。
けど、何よりも劣っているこの僕が、こんなにも優等な彼女と釣り合うわけがない。
そもそもまだ知り合って10日ほどしか経ってないのだ。
だから健気にも気丈にも悲しみを押し隠そうとする彼女に、僕がどうこうできるわけがなかった。
第一、僕はまだ――
「邪魔するぜィ」
そんな無駄な思考を断ち切るかのように、2人が部屋に入って来た。
「いきなり呼び出してすみません。諸人さん。キッドさん」
僕がそう2人を労うと、それぞれ別の反応を示した。
「いえ、構いません。我々はいわば客将。軍の責任者である貴方に言われれば飛んできますよ」
「へっ、つまんねー話はノーセンキューだがな」
この2人。
自分と同じプレイヤーということだが、はっきり言ってほとんど接点がなかったので、どう接したらいいか分からなかった。
けど今こうして物事を頼めるのは、やはり同じ立場にあるプレイヤーだと痛感している。
タニアはよくしてくれるが、それでもデュエイン将軍の部下は僕に心服しているとは言い難い。そりゃぽっと出の若者に、しきられたら不快なのも分かる。
けど今はそんなことは言ってられない。
そこらへんはタニアに任せつつ、さらなる仕掛けで敵を撃退するしか生きる道はないのだ。
「反乱軍の本拠地が判明しました」
さっそく本題を切り出す。
その内容に諸人さんは「ほぉ」と少し驚いた様子で、キッドさんは口笛を吹いた。
「4千の軍で攻めます。そこに諸人さんたちも同行してほしいのです」
「私が? 言っては何ですが、私はそこまで武闘派なわけではないのですよ。どちらかというと法についての方が役に立てるかと」
「いえ、僕が欲しいのは貴方のスキルです」
「私の?」
「ええ。煌夜教皇からさわりだけ教わりました。それが今回、とても重要な意味を持つと考えています」
「なるほど、つまりいるのですね。村にやっかいなプレイヤーが」
「はい。少なくともジャンヌ・ダルクというプレイヤーの存在は確認しています。そして長浜将軍との戦闘において彼女を助ける他のプレイヤーも。ですから、プレイヤーのスキルを無効化できる反プレイヤースキルである貴方が必要なのです。聞くところによれば、どれだけ強力なものでも無効化できるとか?」
「まぁ、そうですね」
諸人さんは少し悩んでいる様子だ。
それはそうだ。僕が言っているのは、敵のプレイヤーを無力化しろ。その間に兵がそのプレイヤーを始末するから。ということだから。
真っ当な人間が殺人の手伝いなんてするはずもない。だが煌夜教皇の話では、この諸人さんも真っ当な人間とは程遠いとの評価を得ている。
だから――
「分かりました。私にできることはやりましょう」
「んならオレもついてくぜ。相棒の手入れをしておかねーとな」
「それは心強いです、よろしく頼みますよキッド」
キッドさんは嬉しそうに手元の銃をくるくると回す。
相棒とは銃の事か。では手入れとは……いや、考えまい。
「で? その村をどうすんだ? 兵をボコって、村を焼けばいいのか?」
答えにくいことを聞く。
だが答えないわけにはいかない。
ここが今回の肝なのだから。
「もちろん……住民の殲滅です」
「それは……」
諸人さんだけでなく、キッドさんも言葉を失う。
当然だろう。
殲滅、すなわち皆殺し。
兵士も非戦闘員も老若男女問わず、すべてを殺せという。
「そういう指示ですので」
誰の、とは言わなかった。
それでも2人には分かったのだろう。少し同情するような視線を感じた。
自分だって気が乗らない。乗るはずがない。
けれど、そうしなければ命を握られている身としてはやるしかない。
今は、感情もプライドも殺せ。
「はっ、過激だねぇ。しかしこんな情報、どっから漏れたんだか」
「内通者から連絡が来ただけです」
「ほぉ、さすが堂島元帥の盟友ですね。こうも早く内通者を仕立て上げるとは」
諸人さんが手放しでほめるが、もちろんそんなわけはない。
もとからあの双子が放っていたのだ。
「へ、いーじゃねーか。奴らの本拠地を襲う。そうすりゃ敵は大慌てだ。そうなった敵はどうにでもできる。これまで溜まってた鬱憤、存分に晴らさせてもらうぜ」
キッドという男。
見た目よりも頭が回らないわけではないらしい。作戦の本質を突いてきた。
そして彼はサングラスの奥から光る視線をこちらに向けて、
「あの双子に言われて来た奴だからどんな偏屈野郎かと思ってたが、案外話せるじゃねーか」
「キッド……」
諸人さんがやんわり制止する。
言いすぎだと思ったのだろう。
「いえ、構いません。若輩者なので、正直に言ってくれるのは助かります」
「へっ、良く分かってんな。なら聞くけどよ……前の将軍が双子に謝罪に行って自殺した。それ、本当か?」
その無遠慮な問いに、室内の空気が震えた。
少なくとも、そう感じた。
どう答えるべきか。
いや、それはもう決まっている。
考えて、堪えられるべき答えを用意していた。
「それは…………そう伝えられているなら、それが真実ではないですか?」
卑怯な答えだとは思った。
けど嘘は言っていない。本当を語っていないだけで。
「嫌な答えだな。だが噂になってるぜ。将軍は敗戦の際に確かに死のうとした。それを押しとどめた奴がいてそれを聞き入れた。あんたのことだよ。シーバさんよぉ。そんな決定をした人間が、またほいほいと死を受け入れるもんかねぇ?」
「…………」
諸人さんは何も言わない。
彼自身も同じことを考えていたからだろう。
「正直、俺はお前を買ってるんだぜ。会ったばっかで嘘くさいと思うかもしれねーがよ。臭いで分かる。何よりそんな漢気ある奴に悪い奴はいねー。今回のこともそうだし、先日の奇襲を撃退する軍略も持ってる。少なくともあの双子とは違う男だ」
一体彼はどれだけ僕を買いかぶっているのだろう。
それほど優等な人間ではないのに。すべてが成り行きの結果に過ぎないというのに。
「だから本当のことを言っちゃくれねーか? 同志と見込んでのお願いだよ」
同士……。
言われたことのない言葉。
そしてどこか惹かれる言葉。
上下ではなく対等の言葉。
こんな僕でも、横に立っていいのか。認めてくれるのか。
嘘だろうと過大評価だろうと、ここまで初めて言ってくれた人だ。
その気持ちに応えたい。
けど――
『あなたに呪いをかけました。その右手の刻印。それは兄さんを困らせた時に減る命の残機数です』
『あなたに呪いをかけました。その左手の刻印。それは姉さんに嘘をついた時に減る命の残機数です』
『これがなくなった時、貴方は必ず死にます。そう兄さんが言っています』
『これがなくなった時、貴方は必ず死にます。そう姉さんが言っています』
『これを解除するには僕の言うことを聞くしかありません。そう兄さんが言っています』
『これを解除するには私の言うことを聞くしかありません。そう姉さんが言っています』
あの時。
デュエイン将軍が肉の塊になったあの時。
あの双子はそう言ってゆっくり笑った。
そして僕の両手首。
そこに二本線と斜線のラインが刻まれた。
ノットイコールの記号に似た形だが、まるでリストカットのためらい傷のようで気味が悪かった。
『どうか、私たちを困らせないでくださいね。そう兄さんが言っています』
『どうか、私たちに嘘をつかないでくださいね。そう姉さんが言っています』
そして今、僕はここにいる。
自分が死にたくないから、罪もない村人を含め皆殺しにする。
吐き気がする。
それでも死にたくないからやるしかない。
あぁ、本当に僕は劣等だ。そこに最悪が追加されるのだから、もう死にたい。けど死にたくない。だから殺す。
そんな堂々巡りの想い。
誰かに話したいが、それは双子を困らせることになるから喋れない。
誰かに話しても、嘘を交える可能性があるから喋れない。
だからこう答えるしかない。
「言えません」
「けどよぉ」
それでもまだ食い下がろうとするキッドに、諸人さんが肩に手を置いて制した。
「キッド、もういいでしょう。彼に話す気はないでしょうから」
「……ちっ」
キッドは不満そうに舌打ちするも、あっさりと引き下がった。
だがそれに代わるように、諸人さんが問いかけてきた。
「1つ確認したい、椎葉くん」
「なんでしょう」
「何があったかは言えない。そういう回答でいいかな?」
少し露骨すぎたか。
両手の手首をチラ見する。
線は減っていない。なら困らせてもいないし、嘘をついたわけでもないらしい。
そして諸人さんの言い回し。
どうやら気づいてくれたようだ。
何があったか知らない、ではなく、言えない。
つまり何かあったことをほのめかしたのだ。
そしてそれを言えないということは、その理由はあるということ。
「はい」
じっと諸人さんの瞳を見る。
全て喋って助けてくださいと言えればどれだけ楽か。
それでもそれはできないからこうして託すしかない。
やがて諸人さんは小さく頷き、
「分かりました。あなたも辛い立場なのでしょう」
「お心遣い、感謝します」
ホッとした。
彼は分かってくれた。
このずれた世界においても、あるいは気持ちが通じ合えた。
それがどこか嬉しかった。
「それでは、自分たちはこれで」
「んじゃ、また会おうぜシーバ」
諸人さんが礼儀正しく出て行こうとするのを、キッドがおちゃらけた挨拶で出て行こうとする。
緊張が解け、体が弛緩する。
だがそこへ、
「ああ、そういえば最後に1つ」
諸人さんが出口のところに立ってこちらを見ていた。
その不意打ちの言葉に少しドキリとする。
「なんでしょう」
「その両手首のタトゥー。いかしてますね」
気づいていたのか。
いや、ことさら隠していたわけじゃない。
気づく人は気づく。そして気付いた。
「そうですね。最近、ここらで流行っていると聞いてます」
「ああ、道理で色々な人がつけているようでした。旧ビンゴ王国の人など特に」
旧ビンゴ王国の人にこの呪いがある。それには気づいていた。
被支配者に一番有効なものは死の恐怖だ。
逆らえば死あるのみ。これほど有効な圧政はないだろう。
「それがなんらかのものによるならば、私のスキルで消せると思いましたが…」
それはかなり魅力的な提案だった。
だがそれによって本当に無事なのか、元通りになるかは分からない。
あの双子も解除できないと言っていた。
そこに賭ける勇気は、僕にはなかった。
「いえ、大丈夫ですので」
「そうですか……ですが安心してください。卑劣な脅迫者には法の裁きが必ずや下されるでしょう。では」
それだけ言って、諸人さんが出て行き、キッドさんも出て行った。
今度こそ戻ってこない。
大きく息を吐き出す。
この呪い。人と話すのも一苦労だ。
「……シーバ将軍」
ふと呼ばれて見ればタニアがいた。
あぁ、そういえばずっといたのか。ということは今までのやり取り、全部聞いていたのか。
デュエイン将軍がどうなったのかのくだりも含めて。
話したい。
あれほど感情を激しく乱した彼女には本当のことを話してやりたい。
でもそれでどうなる。
話せば彼女は嘆き悲しみ、そして上層部への不信感と怒りを抱かせるだろう。
そして自分は残機が減る。
だから今は話せない。
話せるわけがない。
「分かってる。……ただ、今は何も話せない。ごめん」
「……いえ。でもいつか、必ずいつか、話してくださいますね」
「…………ああ」
約束はできない。
けどそう答えざるを得なかった。
そうやって見つめてくるタニアの視線は、どこか抗いがたい肉質的なものを感じたから。
ここに来た当初、将軍の副官であるタニア女史は、将軍の死を知ると膝を落として泣き崩れた。
正直、そんな時にどうすればいいか分からず困っていたが、彼女は気丈にも立ち上がり、これまで見てきた無表情に近い冷静な表情に戻ると、
『後任のシーバ将軍に忠誠を誓います。あのお方が最期に認められたお人ですから』
僕にはそんな器量はない。
そう言って断りたかったけど、彼女の目があまりに真剣で熱を帯びていたので断るに断れなかった。
もっとも、切実な理由で断り切れなかった背景もあるが。
あの双子。
ああも簡単に味方を切り捨てる相手に、正直戦慄した。
自分にはそこまでの覚悟はできない。僕のスキルならば、数百人規模の犠牲を覚悟すれば、双子を排除することは可能だろうけど、そんな気概は持てない。
当然だ。
そう簡単に人殺しなんかに堕ちてたまるものか。
そんな想いがその時にはあった。
だがこれから、自分は人を殺す。
双子の命令だから、自分の命が大切だから、ここにいる人たちを見捨てられないから。多くを、殺す。
膠着状態の中、あの姉弟が言っていた内通者である“その人物”によって、敵が奇襲をかけてくることを知ると、タニアに迎撃の軍を指示して兵を伏せさせた。
正直、人に命令することなんてほぼ初めてだ。
けど、自分が判断し、その結果で人が死ぬというのを行うのに、こんなにプレッシャーを感じるとは思わなかった。
大勝の報告が入った時には、緊張から解放されて一瞬立てなくなったほどだ。
そんな人生初の綱渡りを経験していたところに、再び“その人物”がコンタクトを取って来たのだ。
“その人物”を砦内の自分の部屋へと招き入れる。
いや、“その人物”が勝手に部屋に入ってくるのだ。
一応これでも将軍の地位にいるのだから部屋の外には護衛もいるし、そもそもこの砦に簡単に侵入できるようなぬるい警備はしていない。
なのに“その人物”は何事もなかったかのように入ってくる。
まるで影だ。
ただ“その人物”の報告は正確で、信頼に足るものに感じる。
今回の情報もそれに足るものだった。
旧ビンゴ王国軍の本拠地である村、その場所が判明したのだ。
そして、そこにいる戦力の詳細までもが。
自室にある机にはゾイ川を中心とした地図を広げてある。
そして今まで知る限りの兵の配置を基に、思考を進める。
自分は劣等だ。
だからこそ、生きるのに必死だった。
どうやって生きるか、嫌われないか、のけ者にされないか、追い出されないか。考えに考えて考え考え尽くして生き延びてきた。
だから考えることは辛くはない。
そのころは、それによって世界からはじき出されるのが、何よりも怖かったのだから。
いや、今は昔の話はどうでもいい。
策は練った。後は実行に移すのみ。
「将軍、お連れしました」
「ありがとう、タ、タニア……」
最初はタニアさんと呼んだが、彼女は上官と部下の関係だから呼び捨てで呼んでくれと頼んできた。
かなり困ったが、それでなければ命令は聞きませんとまで言われたので、仕方なくそうすることにしたが、正直、まだ慣れない。
それでもタニアはそれが何でもないように受け入れている。
タニアはかなり魅力的な女性だった。
年齢は20を過ぎたくらいで、少し年上だろう。長いまつげにきりっとした瞳には厳格で知性の光が宿っているように思える。細もての顔に尖った顎を持つ彼女は、里奈と違ってかなり鋭利な印象を受けた。
帝国軍の白を基調にした軍服の隙間から見える肌は張りがあり、さすが軍人というべきか、引き締まった体つきをしているようだ。
そんな外見以上に、彼女は優秀な人間だった。
そうでもなければ、この若さで副官などという立場にはなれないだろう。
正直、この数日で何度助けてもらったか分からない。
かといって異性として気になるかと言われれば、僕は口をつぐまざるを得ない。
あまり感情を表に出さず、冷静な印象を抱かせる彼女が見せた激情。将軍の死に泣け暮れる姿は、僕の胸をギュッと締め付けた。肩に手をかけて抱きしめてあげたいとも思った。
けど、何よりも劣っているこの僕が、こんなにも優等な彼女と釣り合うわけがない。
そもそもまだ知り合って10日ほどしか経ってないのだ。
だから健気にも気丈にも悲しみを押し隠そうとする彼女に、僕がどうこうできるわけがなかった。
第一、僕はまだ――
「邪魔するぜィ」
そんな無駄な思考を断ち切るかのように、2人が部屋に入って来た。
「いきなり呼び出してすみません。諸人さん。キッドさん」
僕がそう2人を労うと、それぞれ別の反応を示した。
「いえ、構いません。我々はいわば客将。軍の責任者である貴方に言われれば飛んできますよ」
「へっ、つまんねー話はノーセンキューだがな」
この2人。
自分と同じプレイヤーということだが、はっきり言ってほとんど接点がなかったので、どう接したらいいか分からなかった。
けど今こうして物事を頼めるのは、やはり同じ立場にあるプレイヤーだと痛感している。
タニアはよくしてくれるが、それでもデュエイン将軍の部下は僕に心服しているとは言い難い。そりゃぽっと出の若者に、しきられたら不快なのも分かる。
けど今はそんなことは言ってられない。
そこらへんはタニアに任せつつ、さらなる仕掛けで敵を撃退するしか生きる道はないのだ。
「反乱軍の本拠地が判明しました」
さっそく本題を切り出す。
その内容に諸人さんは「ほぉ」と少し驚いた様子で、キッドさんは口笛を吹いた。
「4千の軍で攻めます。そこに諸人さんたちも同行してほしいのです」
「私が? 言っては何ですが、私はそこまで武闘派なわけではないのですよ。どちらかというと法についての方が役に立てるかと」
「いえ、僕が欲しいのは貴方のスキルです」
「私の?」
「ええ。煌夜教皇からさわりだけ教わりました。それが今回、とても重要な意味を持つと考えています」
「なるほど、つまりいるのですね。村にやっかいなプレイヤーが」
「はい。少なくともジャンヌ・ダルクというプレイヤーの存在は確認しています。そして長浜将軍との戦闘において彼女を助ける他のプレイヤーも。ですから、プレイヤーのスキルを無効化できる反プレイヤースキルである貴方が必要なのです。聞くところによれば、どれだけ強力なものでも無効化できるとか?」
「まぁ、そうですね」
諸人さんは少し悩んでいる様子だ。
それはそうだ。僕が言っているのは、敵のプレイヤーを無力化しろ。その間に兵がそのプレイヤーを始末するから。ということだから。
真っ当な人間が殺人の手伝いなんてするはずもない。だが煌夜教皇の話では、この諸人さんも真っ当な人間とは程遠いとの評価を得ている。
だから――
「分かりました。私にできることはやりましょう」
「んならオレもついてくぜ。相棒の手入れをしておかねーとな」
「それは心強いです、よろしく頼みますよキッド」
キッドさんは嬉しそうに手元の銃をくるくると回す。
相棒とは銃の事か。では手入れとは……いや、考えまい。
「で? その村をどうすんだ? 兵をボコって、村を焼けばいいのか?」
答えにくいことを聞く。
だが答えないわけにはいかない。
ここが今回の肝なのだから。
「もちろん……住民の殲滅です」
「それは……」
諸人さんだけでなく、キッドさんも言葉を失う。
当然だろう。
殲滅、すなわち皆殺し。
兵士も非戦闘員も老若男女問わず、すべてを殺せという。
「そういう指示ですので」
誰の、とは言わなかった。
それでも2人には分かったのだろう。少し同情するような視線を感じた。
自分だって気が乗らない。乗るはずがない。
けれど、そうしなければ命を握られている身としてはやるしかない。
今は、感情もプライドも殺せ。
「はっ、過激だねぇ。しかしこんな情報、どっから漏れたんだか」
「内通者から連絡が来ただけです」
「ほぉ、さすが堂島元帥の盟友ですね。こうも早く内通者を仕立て上げるとは」
諸人さんが手放しでほめるが、もちろんそんなわけはない。
もとからあの双子が放っていたのだ。
「へ、いーじゃねーか。奴らの本拠地を襲う。そうすりゃ敵は大慌てだ。そうなった敵はどうにでもできる。これまで溜まってた鬱憤、存分に晴らさせてもらうぜ」
キッドという男。
見た目よりも頭が回らないわけではないらしい。作戦の本質を突いてきた。
そして彼はサングラスの奥から光る視線をこちらに向けて、
「あの双子に言われて来た奴だからどんな偏屈野郎かと思ってたが、案外話せるじゃねーか」
「キッド……」
諸人さんがやんわり制止する。
言いすぎだと思ったのだろう。
「いえ、構いません。若輩者なので、正直に言ってくれるのは助かります」
「へっ、良く分かってんな。なら聞くけどよ……前の将軍が双子に謝罪に行って自殺した。それ、本当か?」
その無遠慮な問いに、室内の空気が震えた。
少なくとも、そう感じた。
どう答えるべきか。
いや、それはもう決まっている。
考えて、堪えられるべき答えを用意していた。
「それは…………そう伝えられているなら、それが真実ではないですか?」
卑怯な答えだとは思った。
けど嘘は言っていない。本当を語っていないだけで。
「嫌な答えだな。だが噂になってるぜ。将軍は敗戦の際に確かに死のうとした。それを押しとどめた奴がいてそれを聞き入れた。あんたのことだよ。シーバさんよぉ。そんな決定をした人間が、またほいほいと死を受け入れるもんかねぇ?」
「…………」
諸人さんは何も言わない。
彼自身も同じことを考えていたからだろう。
「正直、俺はお前を買ってるんだぜ。会ったばっかで嘘くさいと思うかもしれねーがよ。臭いで分かる。何よりそんな漢気ある奴に悪い奴はいねー。今回のこともそうだし、先日の奇襲を撃退する軍略も持ってる。少なくともあの双子とは違う男だ」
一体彼はどれだけ僕を買いかぶっているのだろう。
それほど優等な人間ではないのに。すべてが成り行きの結果に過ぎないというのに。
「だから本当のことを言っちゃくれねーか? 同志と見込んでのお願いだよ」
同士……。
言われたことのない言葉。
そしてどこか惹かれる言葉。
上下ではなく対等の言葉。
こんな僕でも、横に立っていいのか。認めてくれるのか。
嘘だろうと過大評価だろうと、ここまで初めて言ってくれた人だ。
その気持ちに応えたい。
けど――
『あなたに呪いをかけました。その右手の刻印。それは兄さんを困らせた時に減る命の残機数です』
『あなたに呪いをかけました。その左手の刻印。それは姉さんに嘘をついた時に減る命の残機数です』
『これがなくなった時、貴方は必ず死にます。そう兄さんが言っています』
『これがなくなった時、貴方は必ず死にます。そう姉さんが言っています』
『これを解除するには僕の言うことを聞くしかありません。そう兄さんが言っています』
『これを解除するには私の言うことを聞くしかありません。そう姉さんが言っています』
あの時。
デュエイン将軍が肉の塊になったあの時。
あの双子はそう言ってゆっくり笑った。
そして僕の両手首。
そこに二本線と斜線のラインが刻まれた。
ノットイコールの記号に似た形だが、まるでリストカットのためらい傷のようで気味が悪かった。
『どうか、私たちを困らせないでくださいね。そう兄さんが言っています』
『どうか、私たちに嘘をつかないでくださいね。そう姉さんが言っています』
そして今、僕はここにいる。
自分が死にたくないから、罪もない村人を含め皆殺しにする。
吐き気がする。
それでも死にたくないからやるしかない。
あぁ、本当に僕は劣等だ。そこに最悪が追加されるのだから、もう死にたい。けど死にたくない。だから殺す。
そんな堂々巡りの想い。
誰かに話したいが、それは双子を困らせることになるから喋れない。
誰かに話しても、嘘を交える可能性があるから喋れない。
だからこう答えるしかない。
「言えません」
「けどよぉ」
それでもまだ食い下がろうとするキッドに、諸人さんが肩に手を置いて制した。
「キッド、もういいでしょう。彼に話す気はないでしょうから」
「……ちっ」
キッドは不満そうに舌打ちするも、あっさりと引き下がった。
だがそれに代わるように、諸人さんが問いかけてきた。
「1つ確認したい、椎葉くん」
「なんでしょう」
「何があったかは言えない。そういう回答でいいかな?」
少し露骨すぎたか。
両手の手首をチラ見する。
線は減っていない。なら困らせてもいないし、嘘をついたわけでもないらしい。
そして諸人さんの言い回し。
どうやら気づいてくれたようだ。
何があったか知らない、ではなく、言えない。
つまり何かあったことをほのめかしたのだ。
そしてそれを言えないということは、その理由はあるということ。
「はい」
じっと諸人さんの瞳を見る。
全て喋って助けてくださいと言えればどれだけ楽か。
それでもそれはできないからこうして託すしかない。
やがて諸人さんは小さく頷き、
「分かりました。あなたも辛い立場なのでしょう」
「お心遣い、感謝します」
ホッとした。
彼は分かってくれた。
このずれた世界においても、あるいは気持ちが通じ合えた。
それがどこか嬉しかった。
「それでは、自分たちはこれで」
「んじゃ、また会おうぜシーバ」
諸人さんが礼儀正しく出て行こうとするのを、キッドがおちゃらけた挨拶で出て行こうとする。
緊張が解け、体が弛緩する。
だがそこへ、
「ああ、そういえば最後に1つ」
諸人さんが出口のところに立ってこちらを見ていた。
その不意打ちの言葉に少しドキリとする。
「なんでしょう」
「その両手首のタトゥー。いかしてますね」
気づいていたのか。
いや、ことさら隠していたわけじゃない。
気づく人は気づく。そして気付いた。
「そうですね。最近、ここらで流行っていると聞いてます」
「ああ、道理で色々な人がつけているようでした。旧ビンゴ王国の人など特に」
旧ビンゴ王国の人にこの呪いがある。それには気づいていた。
被支配者に一番有効なものは死の恐怖だ。
逆らえば死あるのみ。これほど有効な圧政はないだろう。
「それがなんらかのものによるならば、私のスキルで消せると思いましたが…」
それはかなり魅力的な提案だった。
だがそれによって本当に無事なのか、元通りになるかは分からない。
あの双子も解除できないと言っていた。
そこに賭ける勇気は、僕にはなかった。
「いえ、大丈夫ですので」
「そうですか……ですが安心してください。卑劣な脅迫者には法の裁きが必ずや下されるでしょう。では」
それだけ言って、諸人さんが出て行き、キッドさんも出て行った。
今度こそ戻ってこない。
大きく息を吐き出す。
この呪い。人と話すのも一苦労だ。
「……シーバ将軍」
ふと呼ばれて見ればタニアがいた。
あぁ、そういえばずっといたのか。ということは今までのやり取り、全部聞いていたのか。
デュエイン将軍がどうなったのかのくだりも含めて。
話したい。
あれほど感情を激しく乱した彼女には本当のことを話してやりたい。
でもそれでどうなる。
話せば彼女は嘆き悲しみ、そして上層部への不信感と怒りを抱かせるだろう。
そして自分は残機が減る。
だから今は話せない。
話せるわけがない。
「分かってる。……ただ、今は何も話せない。ごめん」
「……いえ。でもいつか、必ずいつか、話してくださいますね」
「…………ああ」
約束はできない。
けどそう答えざるを得なかった。
そうやって見つめてくるタニアの視線は、どこか抗いがたい肉質的なものを感じたから。
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