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第4章 ジャンヌの西進
第47話 血の口づけ
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マールが剣を振り上げた。
そのまま振り下ろせば、無防備な里奈は確実に死ぬ。
そんなことあっちゃいけない。
マールが里奈を殺すなんて。
だからせめて俺が盾になる。
盾になって、里奈を守って、マールも守る。
それが俺の償い。
里奈を手元に置きながら、マールに隠し事をして騙していた俺の。
「よせ!」
だから叫ぶ。
それでもマールの方が速い。
里奈が死ぬ。せっかく再会できたのに。これからだってあるのに。一緒に帰るのに。
なのに――
「スキル『九紋竜』! 第一紋! 火竜!」
声が、響いた。
里奈とマールの間に入り込んだ小さな影が、手にした細長い棒を振り上げた形で止まっている。
マールがたたきつけた剣。
それが半ばから真っ二つに両断されていた。
自然に両断されることはない。
割り込んだ影、その手にした棒――木刀で剣を断ち切ったのだ。
「……リンドー?」
マールが呆気にとられたような表情でその人物の名を呼ぶ。
竜胆がいた。
彼女も居残り組だ。無事だったようで何よりだが、このジャストタイミングで介入してくるなんて……。
「マールさん……」
構えを解いて、木刀を下げた竜胆は、じっとマールを見つめる。
何をするつもりか。
そう思って見ていると、
パンッ。
乾いた音。
誰もが息を呑む。
竜胆がマールの頬を張った音だ。
マールは一瞬何が起きたか分からない様子だったが、すぐに竜胆を睨みつける。
対する竜胆は険しい表情をして先に口を開いた。
「マールさん。ザインさんを失った気持ち。全部わかるとはいいません。けど、今やろうとしていることは、正義じゃありません」
肩から力が抜ける。
この期に及んでもジャスティスか。
当然、マールも新たな攻撃目標を見つけたように、怒りを竜胆に向かって発散させる。
「何がジャスティスよ! わけのわからないこと言ってないで、どいて!」
「どきません! 竜胆は、正義じゃない行為を見逃すわけにはいきません!」
「そこの女が一番ジャスティスから遠いじゃない! だから私がこいつを討つのは正義なのよ!」
「違います。どんなことであれ、人殺しは正義ではありません」
マールは竜胆の気迫に気圧されたのか、小さく首を横に振った。
「わけがわからない。なんなの。じゃあ私はどうすればいいわけ?」
「許してください」
「は?」
「お姉ちゃんを――里奈さんを、許してあげてください」
お姉ちゃんってなんだ、と思ったけど今はシリアスな場面だから全力でスルー。
それでも彼女が真心から里奈のことを思っているのは口調から察せられた。だからこそ、マールにとっては苛立ちにしかならないのだろう。
「……は、はぁ!? ふざけてんの!? こいつはザインを殺したのよ! その前はオムカの兵も、ビンゴの兵もたくさん殺した! そして今は……帝国兵と、村の人たちも殺した。あなた怖くないわけ! こんな誰もかも殺すおかしな奴! いつ私たちに牙をむくのか分からないのよ!」
それは分かる。
俺も相手が里奈じゃなかったら、悩んでしまうだろう。
それでも竜胆ははっきりと答えた。
それが誰だろうと構わない。そんな信念の籠った言葉を。自分の想いを。
「はい、私も怖いです。正直、お姉ちゃんがそんな人だと知らず……今も震えが止まりません」
「なら――」
「でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんです。私の知っているお姉ちゃんは、優しくて格好良くて、竜胆の憧れだったんです!」
「……っ! でもそいつは人殺し! 見境なく人を殺す魔女なのよ! そんな奴が生きていていいわけ――」
「いいんです」
「え?」
「生きていいんです。どんな罪を犯した人も、どんな凶悪な犯罪者も。罪を償って、やり直す。だから、生きていいんです。だって、そうじゃなきゃ、悲しいじゃないですか。間違ったら、終わりだなんて」
竜胆から発せられた心からの言葉。
警察官だという彼女の親から受け継いだ魂というか。彼女の信念が現れるような言葉だった。
そしてそれはある意味、俺にとっても救いの言葉だったと思う。
心の奥底にあるもやが、ストンと落ちた。そんな気分になる。
だから、マールが更なる罵声を浴びせる前に、声が出た。
「マール」
呼ばれたマールは、ハッとした様子でこちらを見てくる。
そんな彼女に向かって告げる。
里奈の助命を、そして、俺の懺悔を。
「さっきも言ったよな。俺も一緒だ。俺はビンゴも、南郡も、帝国の人もたくさん殺した。なら俺も生きていちゃいけない人間ってことになる」
「そんな……隊長は、別です」
「お前は俺と同じオムカの人間だ。だからそう思うんだろう。けどそれは私情だろ。そして里奈を断罪しようとするお前の気持ち。それも私情だ。お前は今、私情でしか物事を考えられていない。国を運営する者として、軍を統括する者として、それを見逃すわけにはいかない」
「そう、公平な裁き。それこそジャス――もごっ」
「はいはい、後は隊長殿に任せましょうね」
竜胆が何かを言おうとしたのを、クロエが素早く近づいて口を封じた。何やってんだか。
嘆息1つ。
再びマールに視線を戻す。
マールは燃えるような瞳でこちらを見てくる。
「……たとえ私情でも、いや、私情だからこそ、許せるものと許せないものはあります」
「それは分かる。俺だって、十分に分かっている」
これまで散っていった人たち。
敵も味方も、俺が元の世界に戻りたいという私情の上で生まれた犠牲者だ。
それを許せないという人はこの大陸に数多くいるだろう。
「けど、それを許したらどうなる。里奈が死ぬ。そうすれば俺はきっとマール、お前を許せない。俺はお前に何をするか分からない。そうなれば次は誰だ。クロエか、ウィットかルックか? お前のために俺と対立する人も出てくるだろう。そうなって俺が死んだりしたら、また次の復讐者を産むだけだ。なぁマール。賢いお前なら分かるだろ。その連鎖が生み出すものの末路を。誰も幸せにならない。誰も救われない。そんな未来を望んでいるのか?」
「だから……許せと言うのですか! なんで私が我慢しなくちゃいけないんですか!?」
人はみんながやってるのに独りだけ我慢することに耐えられない。
自分だけ損をするというのが、何よりも許せない。
マールのような真面目で、責任感が強い人間にとってはそういうことにも耐性はあっただろう。
だがこうして極限の状況で、心に余裕をなくしてしまった状態では、もはやそこを寛容になることなど難しいのは分かってる。
……いや、違うな。
これまでマールはずっとずっと我慢してきた。真面目がゆえに、色々なものを引き取って、それに押しつぶされない強さで頑張って来た。
それが彼女の理解者である者の死と、それを奪った者の登場で壊れてしまったんだ。
それでも分かってくれる。
彼女なら。聡明で優しいマールなら。先に言った言葉も、今なら聞いてくれるだろう。
「全部許せと言っても無理だろう。だから一歩、退いてくれないか。1回腹に閉まって、それでもまだおさまりがつかなかったら……俺がいつだって恨みを聞いてやる。罵詈雑言だって受け止める覚悟がある。愚痴なんて何時間でも聞いてやる。もし、そうだとしても里奈のことを許せないなら――」
言うか。いや、言おう。
里奈の責任は俺の責任。
だから、これは俺の贖罪。
「俺を殺せ」
「っ!?」
「明彦くん!」
里奈が叫ぶ。それを手で制した。
マールから視線をそらさず、さらに告げる。
「大事なものを奪われたのなら、その大事なものを奪うのが復讐ってものだろ。けどこれで最後にしてくれ。里奈も、決して誰も恨まないと誓ってくれ。それで、悲しみの連鎖を断ち切れるなら、俺の命は……いらない」
「…………」
マールは黙り込む。それを周囲はかたずをのんで見守った。
正直、都合の良い話だと思う。
マールの想いを押しやって、彼女の優しさにつけ込んで折れてくれと頼むのだから。
本当、鬼畜の所業だ。
でもこのままだと里奈もマールも不幸になる。
そしてそれは周囲の人間を巻き込む。
だから俺は頼むしかない。
マールなら、きっとわかってくれる。そう信じて。
どれだけ時間が過ぎたか。
俺の視線を受けつづけたマールは、
「……はぁ。まったく。酷い人です、隊長は」
やがて全身の力を吐き出すようにため息をついた。
「皆の目の前、こんな状況、こんなこと言われてなおノーと言えるほど、私は強くないですよ」
「なら――」
「とりあえずお話は分かりました。少し頭を冷やして考えてみます。ただ――」
「ん、なんだ?」
「私の愚痴は長いですよ?」
「……お手柔らかに頼むよ」
「嫌です、隊長の言うことを聞いたんですから、こっちの言うことも聞いてください」
そう言ってふと笑う。
優等生と思っていたマールのふとした笑顔。今までと何かが違う。いたずらっ子のようなあどけない微笑み。そう思えた。
しかしそれも一瞬。
悲し気な表情に落とし込んだ彼女は、踵を返してその場から離れていく。
彼女にも少し、落ち着く時間が必要なんだろう。
だから俺はその背中に向かって頭を下げる。
ありがとう。
そしてごめん。
その想いを彼女の背中に向かって投げかけた。
「っ! 全員で消火! それから救助に当たる!」
我に返ったようなヴィレスの言葉で、周囲が一気に慌ただしくなる。
全軍でばらけて、生存者の救助や鎮火、敵の捜索などが始まった。
「明彦くん……」
そんな中、里奈がふらつきながらも近づいてきた。
全身に血を浴びているが、彼女自身は傷ついているわけではないようだ。改めて彼女のスキル。その恐ろしさというものを認識させる。
それでもそれがなかったら里奈は生きていなかったかもしれないと思うと複雑な気分だ。
いや、今はただ彼女の無事を祝おう。
「里奈。もうこんなことはやめてくれよ。本当に死ぬかと思った」
「うん、明彦くんも」
「でも、無事でよかった」
「無事、なのかな?」
「無事だよ。今の里奈も、俺の中の里奈のままだ」
「………………そう」
小さく頷く。
それだけで十分だった。そう思った。
だから笑った。心の底からの安堵の笑みを里奈に向ける。
すると里奈はちょっとビックリしたような表情をして、俯いてしまった。
なんだろう。珍しい反応だ。いや、こんな状況だ。きっと色々複雑な思いがあるんだろう。
「さって、俺も手伝いしないとな……これからのことも、考えなきゃ」
そう思って独りごち、村の広場へ向かおうと思ったその時。
「ねぇ、明彦くん」
「なんだ?」
振り向く。するとすぐそこに里奈の顔があった。
何を――という前に、口をふさがれた。
口で、口をふさがれた。
何が起きたか理解できない。
長いようで短い一瞬だったのだろう。
里奈は俺から離れれると、小さく笑い、
「ありがとう。ごめんね。だからそのお礼とお詫び」
恥ずかしそうに、そして悲しそうに笑みを見せる里奈に、俺は呆然とするしかない。
今、何が起きたのか。
今、何をされたのか。
単語は知っているけど、それが現象と上手く結びつかない。
あまりに色々なことが置きすぎて、知力99の脳みそが現実についていけない。
里奈が何かを言った気がするが、それも頭に入ってこない。
今が現実で、何が夢なのか、それすらも曖昧な非現実的な心地。
これが俺と里奈の最初の口づけ。
ファーストキスは、血の味がした。
そのまま振り下ろせば、無防備な里奈は確実に死ぬ。
そんなことあっちゃいけない。
マールが里奈を殺すなんて。
だからせめて俺が盾になる。
盾になって、里奈を守って、マールも守る。
それが俺の償い。
里奈を手元に置きながら、マールに隠し事をして騙していた俺の。
「よせ!」
だから叫ぶ。
それでもマールの方が速い。
里奈が死ぬ。せっかく再会できたのに。これからだってあるのに。一緒に帰るのに。
なのに――
「スキル『九紋竜』! 第一紋! 火竜!」
声が、響いた。
里奈とマールの間に入り込んだ小さな影が、手にした細長い棒を振り上げた形で止まっている。
マールがたたきつけた剣。
それが半ばから真っ二つに両断されていた。
自然に両断されることはない。
割り込んだ影、その手にした棒――木刀で剣を断ち切ったのだ。
「……リンドー?」
マールが呆気にとられたような表情でその人物の名を呼ぶ。
竜胆がいた。
彼女も居残り組だ。無事だったようで何よりだが、このジャストタイミングで介入してくるなんて……。
「マールさん……」
構えを解いて、木刀を下げた竜胆は、じっとマールを見つめる。
何をするつもりか。
そう思って見ていると、
パンッ。
乾いた音。
誰もが息を呑む。
竜胆がマールの頬を張った音だ。
マールは一瞬何が起きたか分からない様子だったが、すぐに竜胆を睨みつける。
対する竜胆は険しい表情をして先に口を開いた。
「マールさん。ザインさんを失った気持ち。全部わかるとはいいません。けど、今やろうとしていることは、正義じゃありません」
肩から力が抜ける。
この期に及んでもジャスティスか。
当然、マールも新たな攻撃目標を見つけたように、怒りを竜胆に向かって発散させる。
「何がジャスティスよ! わけのわからないこと言ってないで、どいて!」
「どきません! 竜胆は、正義じゃない行為を見逃すわけにはいきません!」
「そこの女が一番ジャスティスから遠いじゃない! だから私がこいつを討つのは正義なのよ!」
「違います。どんなことであれ、人殺しは正義ではありません」
マールは竜胆の気迫に気圧されたのか、小さく首を横に振った。
「わけがわからない。なんなの。じゃあ私はどうすればいいわけ?」
「許してください」
「は?」
「お姉ちゃんを――里奈さんを、許してあげてください」
お姉ちゃんってなんだ、と思ったけど今はシリアスな場面だから全力でスルー。
それでも彼女が真心から里奈のことを思っているのは口調から察せられた。だからこそ、マールにとっては苛立ちにしかならないのだろう。
「……は、はぁ!? ふざけてんの!? こいつはザインを殺したのよ! その前はオムカの兵も、ビンゴの兵もたくさん殺した! そして今は……帝国兵と、村の人たちも殺した。あなた怖くないわけ! こんな誰もかも殺すおかしな奴! いつ私たちに牙をむくのか分からないのよ!」
それは分かる。
俺も相手が里奈じゃなかったら、悩んでしまうだろう。
それでも竜胆ははっきりと答えた。
それが誰だろうと構わない。そんな信念の籠った言葉を。自分の想いを。
「はい、私も怖いです。正直、お姉ちゃんがそんな人だと知らず……今も震えが止まりません」
「なら――」
「でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんです。私の知っているお姉ちゃんは、優しくて格好良くて、竜胆の憧れだったんです!」
「……っ! でもそいつは人殺し! 見境なく人を殺す魔女なのよ! そんな奴が生きていていいわけ――」
「いいんです」
「え?」
「生きていいんです。どんな罪を犯した人も、どんな凶悪な犯罪者も。罪を償って、やり直す。だから、生きていいんです。だって、そうじゃなきゃ、悲しいじゃないですか。間違ったら、終わりだなんて」
竜胆から発せられた心からの言葉。
警察官だという彼女の親から受け継いだ魂というか。彼女の信念が現れるような言葉だった。
そしてそれはある意味、俺にとっても救いの言葉だったと思う。
心の奥底にあるもやが、ストンと落ちた。そんな気分になる。
だから、マールが更なる罵声を浴びせる前に、声が出た。
「マール」
呼ばれたマールは、ハッとした様子でこちらを見てくる。
そんな彼女に向かって告げる。
里奈の助命を、そして、俺の懺悔を。
「さっきも言ったよな。俺も一緒だ。俺はビンゴも、南郡も、帝国の人もたくさん殺した。なら俺も生きていちゃいけない人間ってことになる」
「そんな……隊長は、別です」
「お前は俺と同じオムカの人間だ。だからそう思うんだろう。けどそれは私情だろ。そして里奈を断罪しようとするお前の気持ち。それも私情だ。お前は今、私情でしか物事を考えられていない。国を運営する者として、軍を統括する者として、それを見逃すわけにはいかない」
「そう、公平な裁き。それこそジャス――もごっ」
「はいはい、後は隊長殿に任せましょうね」
竜胆が何かを言おうとしたのを、クロエが素早く近づいて口を封じた。何やってんだか。
嘆息1つ。
再びマールに視線を戻す。
マールは燃えるような瞳でこちらを見てくる。
「……たとえ私情でも、いや、私情だからこそ、許せるものと許せないものはあります」
「それは分かる。俺だって、十分に分かっている」
これまで散っていった人たち。
敵も味方も、俺が元の世界に戻りたいという私情の上で生まれた犠牲者だ。
それを許せないという人はこの大陸に数多くいるだろう。
「けど、それを許したらどうなる。里奈が死ぬ。そうすれば俺はきっとマール、お前を許せない。俺はお前に何をするか分からない。そうなれば次は誰だ。クロエか、ウィットかルックか? お前のために俺と対立する人も出てくるだろう。そうなって俺が死んだりしたら、また次の復讐者を産むだけだ。なぁマール。賢いお前なら分かるだろ。その連鎖が生み出すものの末路を。誰も幸せにならない。誰も救われない。そんな未来を望んでいるのか?」
「だから……許せと言うのですか! なんで私が我慢しなくちゃいけないんですか!?」
人はみんながやってるのに独りだけ我慢することに耐えられない。
自分だけ損をするというのが、何よりも許せない。
マールのような真面目で、責任感が強い人間にとってはそういうことにも耐性はあっただろう。
だがこうして極限の状況で、心に余裕をなくしてしまった状態では、もはやそこを寛容になることなど難しいのは分かってる。
……いや、違うな。
これまでマールはずっとずっと我慢してきた。真面目がゆえに、色々なものを引き取って、それに押しつぶされない強さで頑張って来た。
それが彼女の理解者である者の死と、それを奪った者の登場で壊れてしまったんだ。
それでも分かってくれる。
彼女なら。聡明で優しいマールなら。先に言った言葉も、今なら聞いてくれるだろう。
「全部許せと言っても無理だろう。だから一歩、退いてくれないか。1回腹に閉まって、それでもまだおさまりがつかなかったら……俺がいつだって恨みを聞いてやる。罵詈雑言だって受け止める覚悟がある。愚痴なんて何時間でも聞いてやる。もし、そうだとしても里奈のことを許せないなら――」
言うか。いや、言おう。
里奈の責任は俺の責任。
だから、これは俺の贖罪。
「俺を殺せ」
「っ!?」
「明彦くん!」
里奈が叫ぶ。それを手で制した。
マールから視線をそらさず、さらに告げる。
「大事なものを奪われたのなら、その大事なものを奪うのが復讐ってものだろ。けどこれで最後にしてくれ。里奈も、決して誰も恨まないと誓ってくれ。それで、悲しみの連鎖を断ち切れるなら、俺の命は……いらない」
「…………」
マールは黙り込む。それを周囲はかたずをのんで見守った。
正直、都合の良い話だと思う。
マールの想いを押しやって、彼女の優しさにつけ込んで折れてくれと頼むのだから。
本当、鬼畜の所業だ。
でもこのままだと里奈もマールも不幸になる。
そしてそれは周囲の人間を巻き込む。
だから俺は頼むしかない。
マールなら、きっとわかってくれる。そう信じて。
どれだけ時間が過ぎたか。
俺の視線を受けつづけたマールは、
「……はぁ。まったく。酷い人です、隊長は」
やがて全身の力を吐き出すようにため息をついた。
「皆の目の前、こんな状況、こんなこと言われてなおノーと言えるほど、私は強くないですよ」
「なら――」
「とりあえずお話は分かりました。少し頭を冷やして考えてみます。ただ――」
「ん、なんだ?」
「私の愚痴は長いですよ?」
「……お手柔らかに頼むよ」
「嫌です、隊長の言うことを聞いたんですから、こっちの言うことも聞いてください」
そう言ってふと笑う。
優等生と思っていたマールのふとした笑顔。今までと何かが違う。いたずらっ子のようなあどけない微笑み。そう思えた。
しかしそれも一瞬。
悲し気な表情に落とし込んだ彼女は、踵を返してその場から離れていく。
彼女にも少し、落ち着く時間が必要なんだろう。
だから俺はその背中に向かって頭を下げる。
ありがとう。
そしてごめん。
その想いを彼女の背中に向かって投げかけた。
「っ! 全員で消火! それから救助に当たる!」
我に返ったようなヴィレスの言葉で、周囲が一気に慌ただしくなる。
全軍でばらけて、生存者の救助や鎮火、敵の捜索などが始まった。
「明彦くん……」
そんな中、里奈がふらつきながらも近づいてきた。
全身に血を浴びているが、彼女自身は傷ついているわけではないようだ。改めて彼女のスキル。その恐ろしさというものを認識させる。
それでもそれがなかったら里奈は生きていなかったかもしれないと思うと複雑な気分だ。
いや、今はただ彼女の無事を祝おう。
「里奈。もうこんなことはやめてくれよ。本当に死ぬかと思った」
「うん、明彦くんも」
「でも、無事でよかった」
「無事、なのかな?」
「無事だよ。今の里奈も、俺の中の里奈のままだ」
「………………そう」
小さく頷く。
それだけで十分だった。そう思った。
だから笑った。心の底からの安堵の笑みを里奈に向ける。
すると里奈はちょっとビックリしたような表情をして、俯いてしまった。
なんだろう。珍しい反応だ。いや、こんな状況だ。きっと色々複雑な思いがあるんだろう。
「さって、俺も手伝いしないとな……これからのことも、考えなきゃ」
そう思って独りごち、村の広場へ向かおうと思ったその時。
「ねぇ、明彦くん」
「なんだ?」
振り向く。するとすぐそこに里奈の顔があった。
何を――という前に、口をふさがれた。
口で、口をふさがれた。
何が起きたか理解できない。
長いようで短い一瞬だったのだろう。
里奈は俺から離れれると、小さく笑い、
「ありがとう。ごめんね。だからそのお礼とお詫び」
恥ずかしそうに、そして悲しそうに笑みを見せる里奈に、俺は呆然とするしかない。
今、何が起きたのか。
今、何をされたのか。
単語は知っているけど、それが現象と上手く結びつかない。
あまりに色々なことが置きすぎて、知力99の脳みそが現実についていけない。
里奈が何かを言った気がするが、それも頭に入ってこない。
今が現実で、何が夢なのか、それすらも曖昧な非現実的な心地。
これが俺と里奈の最初の口づけ。
ファーストキスは、血の味がした。
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そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
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