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第4章 ジャンヌの西進
閑話31 立花里奈(オムカ王国軍師相談役)
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敵が退いていく。
それを見ながら思った。
終わった、と。
けど何も終わってなんかいない。
それは始まりだった。
復讐の第二幕が上がる、のろしでしかなかった。
ふらふらになりながら皆のいる砦の方へ向かう。
その足取りは重い。
ただでさえ、体中に血液を浴びて気持ちが悪いというのに、これから起こることを思うと気が重い。
今の私。
それを他人に見られるのは辛い。
村で起こった出来事。その時は大丈夫だった。
誰も見ていなかったし、結果的にそうだったという推測でしかなく、それに明彦くんが庇ってくれたからなんとかなった。
けど今はこうして衆人環視の元で現場を抑えられ、それに明彦くんのいない状況。
弁解のしようもない。
それでも、こうしなければあの敵がなだれ込んできて、私たちは殺されるところだった。
そう、彼が言っていた。
「やぁ、お疲れ様だね。立花さん」
彼――喜志田志木は、包帯を巻いた体でにこやかな笑みを浮かべて迎えてくれた。
「ありがとう。君がやってくれなかったら、皆死んでいたよ」
心底安堵するような笑み。
心底心配するような表情。
だがそれがどこか嘘くさい気がする。
それがとても不愉快。あの帝国にいたうさんくさい男と似ていて。
だから巻かれた包帯に沿って、体を分割してやろうかなんてことを考えていると、
「お姉ちゃん、大丈夫ですか!?」
「あんた……こんな無茶して」
竜胆と愛良さんが寄って来た。
その顔に恐怖はない。
でも喜志田と違って、本気で心配してくれる心根が感じられたから、沸き起こった不吉な感情は鳴りを潜めた。
「うん……ありがとう。ごめん」
「お礼を言うのはこっちの方だよ。まったく、1人で行くなんて馬鹿みたいなことを言った時はどうかと思ったけどね!」
キッと喜志田の方を見て、愛良さんが毒づく。
喜志田は肩をすくめて答えなかった。やっぱり不愉快。
そもそも私だけじゃなく、彼女らをここに連れてきたのも彼だ。
明彦くんにひとこと言ってやろうと、ようやく砦についた私を出迎え、
『もしかしたらアッキー危ないかもしれないんだよね。これからワーンス王国の増援を率いて対岸の砦に行くんだけど。来る?』
そんな言葉にほいほい乗って、ここに来た。
3日ほど何もない時間が過ぎ、そして昨夜から朝方にかけて、来るのは傷を負ったビンゴ王国の兵たちばかりで、明彦くんはおろか、オムカの兵もいない。
そして何よりもたらされた報告に一瞬――いや今もかもしれない――頭が真っ白になった。
明彦くんが狙撃されて重傷。
しかも離れ離れになって今はどこにいるか分からない。
もう小言を言おうなんて思わない。
ただただ無事を祈り、それでも抑えられなくて今すぐ飛び出しに行こうとした私を止めたのも彼だった。
『アッキーを守る部隊は少なくともいた。それにアッキーがここを目指すって言ったんだから、あとは信じて待つしかないよ。それに、帰ってくる場所を守るのも、俺たちの役目だと思うよ』
嘘だったら細切れにするとその時心に決めた。
そんな不安な状況からの敵だった。
その時、喜志田はさらに言ってきた。
『アッキーの帰る場所を守って、アッキーのために皆を守って、さらに君に対するアッキーの不安を取り除いて、アッキーを傷つけた奴らへ復讐する方法があるんだけど、聞く?』
その時の私は、いわゆる心の平常が保てていなかったんだろう。
明彦くんのためになる事ばかりで、いつも重荷になっていた自分が何か恩返しできるなら。
そう思って飛び出した。
そう思っての結果が……これ。
「…………」
砦にいる人たちからの視線。
命が救われた安堵とか、敵を撃退した歓喜とかそういたものはない。
あるのはただ恐怖。
そして萎縮、怯懦、戦慄。
あれだけのことをしたんだ。
自分ながらに、人間わざじゃないと思うんだから、そう思われても仕方がない。
『人は自分に理解できないことを恐れるんだよ。だから幽霊とか超常現象っていうのが信じる。幽霊の正体見たり枯れ尾花って言うけど、理解できないことに理由をつけて怖くないようにした人間の心理だね。ただそれだけのことなのさ。だから怖がる必要はないよ』
いつか、ホラーものを怖がった自分に対し明彦くんが言った言葉。
あまり意味が分からなかったけど、あれも彼なりの親切心だったんだと思う。
けど……分かったよ。今になって。その意味が。
彼らは私が怖い。
人を何百人、何千人と殺すことができる私が怖い。
それは物理的に実行する力のこともそうだけど、それ以上に自らの手でそれだけの人を殺してのうのうと生きていることの方が大きいと思う。
そんな人間のことなんざ理解できない。
理解しようとも思わないだろう。
だって、私は普通じゃないのだから。
いつ見境もなく襲いかかってくるか分からない。
しかも彼らとは所属する国が違う。前まで戦争をしていた相手。
――だからこその恐怖。
ナイフを持った殺人鬼が転校してきて、これから仲良くやっていってください、と言われてもできるわけがない。
それと同じ。
「あんたら、何ぼけっと見てんだよ。あんたたちを守るために、こんな傷だらけになったってのに!」
愛良さんが義侠心から声を荒げる。
でも違うの愛良さん。
これは返り血。
私、傷1つも負ってないんだよ。
「仲間のために命がけで頑張る! これこそ正義です!」
竜胆が感涙するように力説する。
でも違うの竜胆。
全部私のため。
私の怒りと自己満足と復讐と自己承認と――愉悦のためにやったことだから。
そんな私の気持ちが伝播したのか、誰もが声1つあげない。
それを打ち砕いたのは、やはりというか、ここぞとばかりの、彼だった。
「彼女は俺たちのために命を張ってくれた。それは分かるよね? この状況。あの3万に攻められれば負けてた」
喜志田だ。
彼は見渡すように、砦に集まる全員に対し論陣を張る。
「しかし、キシダ将軍がいれば――」
「センド。正直がっかりだよ。君のその観察眼のなさは。この砦、この兵数、そして士気。勝てるわけないじゃん。ま、自分の『一撃必殺』が発動すればあるいはだけど、天気がね、良すぎるよね」
「で、ですがそれでも――」
「あのねー、俺は怒ってるんだよ? あれだけアッキーの言う事聞けって言ったのに、それを破ってこの体たらく。ヴィレスも戻ってこないし。怪我人の俺まで担ぎ上げてさ。本当、めんど――いや、どう責任取るつもり?」
「はっ、はは! 申し訳ありません! お望みならこの命――」
「いや、そんなのいらないから。というわけで、全軍に告ぐ。これからはアッキーの言うことを俺の言葉と同じ、いやそれ以上に聞く事! これ破ったらキッツーいお仕置きだからね」
「しかしジャンヌ殿は……」
「帰ってくるよ。あれがそう簡単にくたばってたまるか。仮にも、俺に一杯食わせたやつなんだから」
その時の言葉は、これまで嘘と虚飾で塗り固められたような、彼の本当の心を代弁するかのようなものに聞こえた。
そう、か……彼も、明彦くんを。
そう思うと、八つ裂きにするのはやめて複雑骨折くらいにしてあげようと思った。
「というわけで今後はアッキーの言うことを聞く事。それから、ここにいる里奈さんも同じ。こんな傷だらけになって3万の敵を追い払ったなんて誰にできる? それもこれもアッキーがいなきゃ俺たちは死んでた。だから彼女に対する余計な詮索も禁止にするよ。それを破ったら……分かるよね?」
「は、はは!」
ビンゴの兵たちが喜志田の言葉に頭を下げる。
なんでこんな奴に頭を下げるんだろう、と思いつつも少しは感謝しなくもない。
これで少しは苛立つような視線から解放されると思えば。
けど、復讐の幕は上がったばかりだった。
「というわけなんだけど……文句あるの、いるよね?」
喜志田が振り向いた先。
そこにはオムカの兵たちが集まった場所。
その先頭に立つ男性が、こちらを射殺すような視線を向けてきているのに気づく。
さらに横に立つ女性も、さらにはその背後にいる彼らの部下らしき人たちからも同様の視線。
「1つ、お聞きしたいんすけど。里奈、さん?」
男性が一歩、こちらに向かって足を踏み込む。
「去年の5月25日。どこで、何をしてましたっすか?」
去年?
5月……というと、自分がこの世界に来て、まだ数か月というころ。
あぁ、そうだ。そろそろ明彦くんの誕生日だなとか思ったのを、あの空気を読まない尾田張人が茶々を入れてきてイラっとした思いがあった。
あれは確か、オムカの王都を囲む直前。
だからそのころは……。
「王都バーベルにいた。帝国軍として。違うっすか?」
ああ、やっぱりそうか。
この人たちも、私の犠牲者。
やっぱり、どこまでもついてくる。
明彦くんに庇われても、こうして取り繕ってもらっても、罪は罪。
どこまで追いかけて私を苦しめる。
「爺は……自分を守るために犠牲になった。あの時、敵味方関係なく襲いかかったあんたから守るため。その恨みは……そう簡単に消えないっすよ」
「ブリーダさん。どうかそれは水に流してもらえないですかね。こういった状況ですから」
喜志田が割って入ろうとする。
その時、この人の名前がブリーダだと始めて知った。
「わかってるっす! でも……理解と納得は違うっす」
あぁ、やっぱりそうだ。
誰だって親しい人が殺されたとなれば、いくらその人を許してと言われても納得はできない。マールだって、ああは言ったものの、あれ以来一度も声をかわしてない。顔も合わせてない。
「なら、どうすればいいんですかね?」
喜志田がさらに聞く。
この人には遠慮という言葉はないのだろうか。
返答に困ったブリーダさんは俯き、そして沈黙が支配する。
そしてやがて意を決したように、言葉を発する。
「分からねっす」
ブリーダさんが絞り出した言葉。
それに対し、隣にいた女性が一段と険しい視線をブリーダさんに投げる。
「あんたが軍師殿とどういう関係か、知らないっす。けど、大事な人だってのは聞いてるっす」
彼がちらっと視線を動かす。その先にクロエさんがいた。
彼女は辛そうに視線を逸らす。
「それに、さっきの状況。戦ってたら確実に負けていた。それも分かってるっす。だから……自分の感情で、私怨でどうこうすることはできないっす。だから――」
ブリーダさんは顔をあげ、私を見据えてくる。
その表情に、恐怖も怒りも怨恨もない。
ただただ、覚悟を決めた男がそこにいた。
「一度、軍師殿に預けるっす。それが今、自分にできるベストの判断だと思うので」
「ブリーダ!」
隣に立つ女性がブリーダさんに噛みつく。
だが、彼は冷静な所作で女性に振り向き、釘を刺す。
「この件で、彼女にかかわることを禁止する。いいっすね」
「…………」
まだ納得いかないようすの女性とその部下たちを無視して、喜志田とビンゴの兵たちに一礼して、ブリーダさんは踵を返して去っていく。
私とは目も合わせない。合わしたくないのだろう。
置いてかれた彼の部下たちは迷いながらも彼の後を追う。
だがその前に、先ほどの女性がこちらに殺意の籠った視線を向け、告げてきた。
「納得いかない。けど、あの人が決めたことならそれに従う。それが私たち。でも1つだけ言わせて」
そして、彼女は、血を吐くように、私に向かって、決然と、言い放った。
「お前みたいのが、安穏と平穏のうちに天寿を全うするなんて許さない。さっきみたいに敵に突っ込んで、殺して殺して殺して殺して、最後は絶望と苦痛と後悔にまみれろ。それがお前の罰。だから戦いの果てに汚く、むごたらしく、孤独のまま――――死ね」
それは呪いの言葉。
私を縛る、いや、死へと誘う呪怨。
それでも私は何も反論できない。
彼女の言っていることは、正しいのだから。
そして彼女はそのままブリーダさんの後を追う。
場にはなんとも言えない停滞した空気が漂った。
「さ、ひとまずここは解散しようか。とりあえず敵は退いた。今のうちにまだ戻って来てない味方の捜索! あとはこの砦を少しでも固める。言われなくてもやるの、俺を過労死させる気!?」
喜志田が仕切りだして、停滞した空気が霧消し、現場が動き出した。
「お姉ちゃん、大丈夫です?」
竜胆が心配するように声をかけてくれた。
その気遣いが、胸に痛い。
「うん……でも、しょうがないから」
曖昧に頷くと、横から愛良さんが口出ししてきた。
「しょうがないことなんざあるかよ。あんただって、こんな変な世界に連れてこられて、生き残るためにやったことなんだろ。そりゃ人殺しがいい事じゃないのは分かるけどよ。相手の言い分も聞かずに一方的にまくしたてるのはいただけないねぇな」
「そう、ノン正義です!」
2人の気持ちはありがたいけど、今の私には重すぎた。
そうやって同情されると、さらに自分が虚しくなる。
やっぱり、自分はそんなものだ。
ここにいちゃいけない人間なんだ。
だからあるいはと思い続けていたことが、はっきりと形作るのを感じる。
明彦くんが会ったら話そう。
だから無事に帰ってきて。
ただただそれだけを願うばかり。
そしてその願いが通じたのか、その日の夕方のことだ。
明彦くんが帰って来たのは。
血と汚れにまみれた物言わぬ姿で、だが。
それを見ながら思った。
終わった、と。
けど何も終わってなんかいない。
それは始まりだった。
復讐の第二幕が上がる、のろしでしかなかった。
ふらふらになりながら皆のいる砦の方へ向かう。
その足取りは重い。
ただでさえ、体中に血液を浴びて気持ちが悪いというのに、これから起こることを思うと気が重い。
今の私。
それを他人に見られるのは辛い。
村で起こった出来事。その時は大丈夫だった。
誰も見ていなかったし、結果的にそうだったという推測でしかなく、それに明彦くんが庇ってくれたからなんとかなった。
けど今はこうして衆人環視の元で現場を抑えられ、それに明彦くんのいない状況。
弁解のしようもない。
それでも、こうしなければあの敵がなだれ込んできて、私たちは殺されるところだった。
そう、彼が言っていた。
「やぁ、お疲れ様だね。立花さん」
彼――喜志田志木は、包帯を巻いた体でにこやかな笑みを浮かべて迎えてくれた。
「ありがとう。君がやってくれなかったら、皆死んでいたよ」
心底安堵するような笑み。
心底心配するような表情。
だがそれがどこか嘘くさい気がする。
それがとても不愉快。あの帝国にいたうさんくさい男と似ていて。
だから巻かれた包帯に沿って、体を分割してやろうかなんてことを考えていると、
「お姉ちゃん、大丈夫ですか!?」
「あんた……こんな無茶して」
竜胆と愛良さんが寄って来た。
その顔に恐怖はない。
でも喜志田と違って、本気で心配してくれる心根が感じられたから、沸き起こった不吉な感情は鳴りを潜めた。
「うん……ありがとう。ごめん」
「お礼を言うのはこっちの方だよ。まったく、1人で行くなんて馬鹿みたいなことを言った時はどうかと思ったけどね!」
キッと喜志田の方を見て、愛良さんが毒づく。
喜志田は肩をすくめて答えなかった。やっぱり不愉快。
そもそも私だけじゃなく、彼女らをここに連れてきたのも彼だ。
明彦くんにひとこと言ってやろうと、ようやく砦についた私を出迎え、
『もしかしたらアッキー危ないかもしれないんだよね。これからワーンス王国の増援を率いて対岸の砦に行くんだけど。来る?』
そんな言葉にほいほい乗って、ここに来た。
3日ほど何もない時間が過ぎ、そして昨夜から朝方にかけて、来るのは傷を負ったビンゴ王国の兵たちばかりで、明彦くんはおろか、オムカの兵もいない。
そして何よりもたらされた報告に一瞬――いや今もかもしれない――頭が真っ白になった。
明彦くんが狙撃されて重傷。
しかも離れ離れになって今はどこにいるか分からない。
もう小言を言おうなんて思わない。
ただただ無事を祈り、それでも抑えられなくて今すぐ飛び出しに行こうとした私を止めたのも彼だった。
『アッキーを守る部隊は少なくともいた。それにアッキーがここを目指すって言ったんだから、あとは信じて待つしかないよ。それに、帰ってくる場所を守るのも、俺たちの役目だと思うよ』
嘘だったら細切れにするとその時心に決めた。
そんな不安な状況からの敵だった。
その時、喜志田はさらに言ってきた。
『アッキーの帰る場所を守って、アッキーのために皆を守って、さらに君に対するアッキーの不安を取り除いて、アッキーを傷つけた奴らへ復讐する方法があるんだけど、聞く?』
その時の私は、いわゆる心の平常が保てていなかったんだろう。
明彦くんのためになる事ばかりで、いつも重荷になっていた自分が何か恩返しできるなら。
そう思って飛び出した。
そう思っての結果が……これ。
「…………」
砦にいる人たちからの視線。
命が救われた安堵とか、敵を撃退した歓喜とかそういたものはない。
あるのはただ恐怖。
そして萎縮、怯懦、戦慄。
あれだけのことをしたんだ。
自分ながらに、人間わざじゃないと思うんだから、そう思われても仕方がない。
『人は自分に理解できないことを恐れるんだよ。だから幽霊とか超常現象っていうのが信じる。幽霊の正体見たり枯れ尾花って言うけど、理解できないことに理由をつけて怖くないようにした人間の心理だね。ただそれだけのことなのさ。だから怖がる必要はないよ』
いつか、ホラーものを怖がった自分に対し明彦くんが言った言葉。
あまり意味が分からなかったけど、あれも彼なりの親切心だったんだと思う。
けど……分かったよ。今になって。その意味が。
彼らは私が怖い。
人を何百人、何千人と殺すことができる私が怖い。
それは物理的に実行する力のこともそうだけど、それ以上に自らの手でそれだけの人を殺してのうのうと生きていることの方が大きいと思う。
そんな人間のことなんざ理解できない。
理解しようとも思わないだろう。
だって、私は普通じゃないのだから。
いつ見境もなく襲いかかってくるか分からない。
しかも彼らとは所属する国が違う。前まで戦争をしていた相手。
――だからこその恐怖。
ナイフを持った殺人鬼が転校してきて、これから仲良くやっていってください、と言われてもできるわけがない。
それと同じ。
「あんたら、何ぼけっと見てんだよ。あんたたちを守るために、こんな傷だらけになったってのに!」
愛良さんが義侠心から声を荒げる。
でも違うの愛良さん。
これは返り血。
私、傷1つも負ってないんだよ。
「仲間のために命がけで頑張る! これこそ正義です!」
竜胆が感涙するように力説する。
でも違うの竜胆。
全部私のため。
私の怒りと自己満足と復讐と自己承認と――愉悦のためにやったことだから。
そんな私の気持ちが伝播したのか、誰もが声1つあげない。
それを打ち砕いたのは、やはりというか、ここぞとばかりの、彼だった。
「彼女は俺たちのために命を張ってくれた。それは分かるよね? この状況。あの3万に攻められれば負けてた」
喜志田だ。
彼は見渡すように、砦に集まる全員に対し論陣を張る。
「しかし、キシダ将軍がいれば――」
「センド。正直がっかりだよ。君のその観察眼のなさは。この砦、この兵数、そして士気。勝てるわけないじゃん。ま、自分の『一撃必殺』が発動すればあるいはだけど、天気がね、良すぎるよね」
「で、ですがそれでも――」
「あのねー、俺は怒ってるんだよ? あれだけアッキーの言う事聞けって言ったのに、それを破ってこの体たらく。ヴィレスも戻ってこないし。怪我人の俺まで担ぎ上げてさ。本当、めんど――いや、どう責任取るつもり?」
「はっ、はは! 申し訳ありません! お望みならこの命――」
「いや、そんなのいらないから。というわけで、全軍に告ぐ。これからはアッキーの言うことを俺の言葉と同じ、いやそれ以上に聞く事! これ破ったらキッツーいお仕置きだからね」
「しかしジャンヌ殿は……」
「帰ってくるよ。あれがそう簡単にくたばってたまるか。仮にも、俺に一杯食わせたやつなんだから」
その時の言葉は、これまで嘘と虚飾で塗り固められたような、彼の本当の心を代弁するかのようなものに聞こえた。
そう、か……彼も、明彦くんを。
そう思うと、八つ裂きにするのはやめて複雑骨折くらいにしてあげようと思った。
「というわけで今後はアッキーの言うことを聞く事。それから、ここにいる里奈さんも同じ。こんな傷だらけになって3万の敵を追い払ったなんて誰にできる? それもこれもアッキーがいなきゃ俺たちは死んでた。だから彼女に対する余計な詮索も禁止にするよ。それを破ったら……分かるよね?」
「は、はは!」
ビンゴの兵たちが喜志田の言葉に頭を下げる。
なんでこんな奴に頭を下げるんだろう、と思いつつも少しは感謝しなくもない。
これで少しは苛立つような視線から解放されると思えば。
けど、復讐の幕は上がったばかりだった。
「というわけなんだけど……文句あるの、いるよね?」
喜志田が振り向いた先。
そこにはオムカの兵たちが集まった場所。
その先頭に立つ男性が、こちらを射殺すような視線を向けてきているのに気づく。
さらに横に立つ女性も、さらにはその背後にいる彼らの部下らしき人たちからも同様の視線。
「1つ、お聞きしたいんすけど。里奈、さん?」
男性が一歩、こちらに向かって足を踏み込む。
「去年の5月25日。どこで、何をしてましたっすか?」
去年?
5月……というと、自分がこの世界に来て、まだ数か月というころ。
あぁ、そうだ。そろそろ明彦くんの誕生日だなとか思ったのを、あの空気を読まない尾田張人が茶々を入れてきてイラっとした思いがあった。
あれは確か、オムカの王都を囲む直前。
だからそのころは……。
「王都バーベルにいた。帝国軍として。違うっすか?」
ああ、やっぱりそうか。
この人たちも、私の犠牲者。
やっぱり、どこまでもついてくる。
明彦くんに庇われても、こうして取り繕ってもらっても、罪は罪。
どこまで追いかけて私を苦しめる。
「爺は……自分を守るために犠牲になった。あの時、敵味方関係なく襲いかかったあんたから守るため。その恨みは……そう簡単に消えないっすよ」
「ブリーダさん。どうかそれは水に流してもらえないですかね。こういった状況ですから」
喜志田が割って入ろうとする。
その時、この人の名前がブリーダだと始めて知った。
「わかってるっす! でも……理解と納得は違うっす」
あぁ、やっぱりそうだ。
誰だって親しい人が殺されたとなれば、いくらその人を許してと言われても納得はできない。マールだって、ああは言ったものの、あれ以来一度も声をかわしてない。顔も合わせてない。
「なら、どうすればいいんですかね?」
喜志田がさらに聞く。
この人には遠慮という言葉はないのだろうか。
返答に困ったブリーダさんは俯き、そして沈黙が支配する。
そしてやがて意を決したように、言葉を発する。
「分からねっす」
ブリーダさんが絞り出した言葉。
それに対し、隣にいた女性が一段と険しい視線をブリーダさんに投げる。
「あんたが軍師殿とどういう関係か、知らないっす。けど、大事な人だってのは聞いてるっす」
彼がちらっと視線を動かす。その先にクロエさんがいた。
彼女は辛そうに視線を逸らす。
「それに、さっきの状況。戦ってたら確実に負けていた。それも分かってるっす。だから……自分の感情で、私怨でどうこうすることはできないっす。だから――」
ブリーダさんは顔をあげ、私を見据えてくる。
その表情に、恐怖も怒りも怨恨もない。
ただただ、覚悟を決めた男がそこにいた。
「一度、軍師殿に預けるっす。それが今、自分にできるベストの判断だと思うので」
「ブリーダ!」
隣に立つ女性がブリーダさんに噛みつく。
だが、彼は冷静な所作で女性に振り向き、釘を刺す。
「この件で、彼女にかかわることを禁止する。いいっすね」
「…………」
まだ納得いかないようすの女性とその部下たちを無視して、喜志田とビンゴの兵たちに一礼して、ブリーダさんは踵を返して去っていく。
私とは目も合わせない。合わしたくないのだろう。
置いてかれた彼の部下たちは迷いながらも彼の後を追う。
だがその前に、先ほどの女性がこちらに殺意の籠った視線を向け、告げてきた。
「納得いかない。けど、あの人が決めたことならそれに従う。それが私たち。でも1つだけ言わせて」
そして、彼女は、血を吐くように、私に向かって、決然と、言い放った。
「お前みたいのが、安穏と平穏のうちに天寿を全うするなんて許さない。さっきみたいに敵に突っ込んで、殺して殺して殺して殺して、最後は絶望と苦痛と後悔にまみれろ。それがお前の罰。だから戦いの果てに汚く、むごたらしく、孤独のまま――――死ね」
それは呪いの言葉。
私を縛る、いや、死へと誘う呪怨。
それでも私は何も反論できない。
彼女の言っていることは、正しいのだから。
そして彼女はそのままブリーダさんの後を追う。
場にはなんとも言えない停滞した空気が漂った。
「さ、ひとまずここは解散しようか。とりあえず敵は退いた。今のうちにまだ戻って来てない味方の捜索! あとはこの砦を少しでも固める。言われなくてもやるの、俺を過労死させる気!?」
喜志田が仕切りだして、停滞した空気が霧消し、現場が動き出した。
「お姉ちゃん、大丈夫です?」
竜胆が心配するように声をかけてくれた。
その気遣いが、胸に痛い。
「うん……でも、しょうがないから」
曖昧に頷くと、横から愛良さんが口出ししてきた。
「しょうがないことなんざあるかよ。あんただって、こんな変な世界に連れてこられて、生き残るためにやったことなんだろ。そりゃ人殺しがいい事じゃないのは分かるけどよ。相手の言い分も聞かずに一方的にまくしたてるのはいただけないねぇな」
「そう、ノン正義です!」
2人の気持ちはありがたいけど、今の私には重すぎた。
そうやって同情されると、さらに自分が虚しくなる。
やっぱり、自分はそんなものだ。
ここにいちゃいけない人間なんだ。
だからあるいはと思い続けていたことが、はっきりと形作るのを感じる。
明彦くんが会ったら話そう。
だから無事に帰ってきて。
ただただそれだけを願うばかり。
そしてその願いが通じたのか、その日の夕方のことだ。
明彦くんが帰って来たのは。
血と汚れにまみれた物言わぬ姿で、だが。
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地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
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