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1章 田口 悠大
余熱
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あんなに嫌になるほど照りつけた日差しも、気が付けば冷たい風に攫われてしまっている。
右肩に提げたエナメルバッグはほとんど剥げていて、青に金縁で刺繍された学校名だけが2年前と同じ姿で残っていた。
「田口先輩!お久しぶりです!」
ふと振り返ると、1つ歳下の小原が頭を下げていた。
「おー。はよ。今日部活は?」
「うす!あ~…今日は放課後練だけっす!」
「そうか。冬になっても気ぃ抜くなよ。俺も大学決まれば練習顔出すからよ。」
「まじすか!田口先輩も受験頑張ってください!」
「おー。…んじゃ、またな。」
「うす!」
小原は2年の中で1番優秀な選手だ。ピッチャーのポジションにいながら、ホームランだって打つことができる。正直、俺よりも上手い。というより、うちの所謂弱小野球部に、何故こんな上手いやつがいるのかが不思議なくらいだ。
もっとも小原は2年になって転入してきて、前は甲子園予選の準決までいった強豪でプレーしていたらしいから当然といえば当然だが。
それでも小原は、誰より努力するやつだった。朝練も1番に来て、放課後は最後まで残って、準備も後片付けも丁寧にやるやつだった。だからみんな小原を信頼しているし、弱小なりに小原に追いつこうと練習強度をあげる努力をした。小原がいたから、チームがまとまったと言っても過言ではない。
それに加えて、先輩の俺らよりも上手いくせに鼻につかないくらい模範的な運動部後輩の立ち位置を確立しているのだから、人間性にだって申し分ない。
きっと、来年、俺たちのチームはもっと強くなる。そこに俺は居られないけれど、変化のはじまりを少し覗けただけでも満足している。
自習が多くなった授業を、そんなことを考えながら過ごす。窓の外に目をやると、グラウンドに人気はない。3ヶ月前までは毎日そこにいたんだな、なんて柄にもなく感傷に浸ってみたりする。
“そこ”にいた頃は、何も考えずに笑っていた。俺は、1人じゃなかった。仲間と一緒に馬鹿しながら、【甲子園出場】なんていう宇宙の裏側のような目標を掲げても笑っていられた。もしかすると、そんな宇宙の裏側にも手が届くんじゃないかと思っていた。…確かに俺は、俺たちは、あの場所での主役だったんだ。
それが、一歩引いた今ではどうだろう。
【甲子園出場】の目標を鼻で笑えるようになってしまった。「冗談だろ」って、言えるようになってしまった。
熱が冷めた頭で考えれば、宇宙の裏側に手なんか届くはずがなくて。そもそも、宇宙の裏側がどこにあるのかもわからなくて。いまさらそんな過去が恥ずかしいとか、後悔してるとかじゃない。ただ、馬鹿だったなぁ、とふと思うことがあるんだ。
もう、俺は舞台のゼロ番にいる資格がないだけ。1年前の今はついに主演だと張り切っていたけれど、お役御免の後には脇役にもなれず舞台から引き摺りおろされてしまう。そうして、次の主演たちが、主演だけが、妙に慌ただしく動き回るのを見ることしかできない。そんなものを見せられた俺たちは口々に囁きあうんだ。「滑稽だ」と。
そう言いながら、そこにかつて自分がいたんだと思い返して、どうしようもなく惨めな気持ちになる。だから、否定する。目を覚ませと、暗に伝える。客席は時が経つにつれて1人、また1人と退出していって、スカスカの状態になる。次第に仲間がいなくなることに焦って、いつかは自分も席を立つ。
青春なんて、所詮はそんなものなんだろう。
憧れ続けた青春は、知らないうちにやってきて、ある日ぷつんと途切れてしまうんだ。終わってしまったら、あぁこれは青春だったんだ、なんてあっけない感想だけしかでてこない。でも時間を取り返すことなんてできなくて、追い越してしまった憧れは二度と掴めなくて。憧れはいつまでも憧れのまま、そっと息を引き取っていく。
俺は、俺の青春は、周りにはどう映っていたんだろう。滑稽だと思われただろうか。無様だと笑われただろうか。…誰かの憧れに、なれたのだろうか。
ただひとつの白球をみんなで追いかけて、泥だらけになったあの日々に、意味はあるのだろうか。あの日の涙はいつか、後悔以外の意味を持つのだろうか。……あぁ、でも。後悔がなくなってしまうのは少しだけ悲しいから、ひとつまみくらいは残ってほしい。
後悔はつまり、執着だと思う。執着がきれいさっぱり流れてしまったら、この日々の意味までなくなってしまう気がする。それはなんとも、虚しいことだ。
そういえば、あんなに毎日顔をあわせて笑いあっていた仲間たちとも、クラスが違えば会わない日も増えてきていて。それが、“そういえば”で思い出すくらいには当たり前のことになっていて。こうして何もかも過去になっていってしまうんだ。
…なんて、さすがに考えすぎだろうか。
こんなに小難しいことをややこしく考えなくても、本当はわかってるんだ。いまこうしている間も過ぎ去っていく俺の日常に意味なんてないことくらい。それなのに無理矢理意味をこじつけようとして、どうにか現在から引き剥がれないようにしているのは、あの日々に縋っていないと潰れてしまいそうだから。
たったひとつ、俺のなかから部活というピースがなくなっただけなのに、パズルの絵はなんだったかも分からなくなった。完成予想図はあんなにカラフルだったのに、出来上がった途端に色を失ってしまった。
俺の青春は、なんだったんだろう。
俺は、お前が羨ましいよ。小原。
いっつも青春ド真ん中みたいに笑って、お前もそれを自覚してて、何にしても馬鹿みたいに全力で。
「だって今しかできないっすから!」
ってお前が言ってたこと、今になってようやくわかった。
気になってる映画はしばらくすればテレビで放映される。部活は大学でも続ければいい。遊ぶのは大人になってもできる。そうやってだらだら過ごしていた俺には気づけなかった青春が、俺の過去のどこかに有り余るほど散りばめられていたんだろう。あとひとつでも、そんな青春の欠片を拾い上げられていたなら、こんな虚無感には襲われなかったんだろうか。
小原、お前は後悔するなよ。
思えば、俺個人は打ててもチームとしてはどうせ弱いからと、みんなにあわせてゆるい練習をしていた俺がやっと本気になれたのは、お前が来てくれたからだった。お前の球を打ちたくて、こっそり自主練しようとグラウンドに行ったらもうお前がいて、結局バレてそれからは一緒に練習するようになった。それが他の部員にもいつの間にか知れ渡って、ないも同然だった朝練が必須みたいになっていって…。
そんなこんなであっという間にきた最後の夏は、努力のおかげで弱小野球部の快進撃をみせた…なんてことはなく。
地方予選の1回戦でそこそこの学校にあたって負けた。コールドじゃないだけマシだと笑いながら、本当は泣きたい気持ちを抑えた。
俺たちがゆるくやっていた約2年のうちに、相手の高校は必死こいて練習してたのだから当たり前の結果だと思った。
最後の半年を頑張ったくらいで勝てるなんていう話は、どこかの映画か小説にでも任せていればいい。
ただ、俺達は確かに全力でぶつかって、負けた。なんてことない、どこにでもある話だ。
でも、それだけのことだった。
幼いころにテレビで憧れた、9回裏ツーアウト満塁、打たれれば逆転負けのシーンを相手の三振で終わらせたピッチャーに駆け寄る選手たち。
俺たちは、そっちじゃないほうだった。
グラウンドに集まって輪を作る相手を伏し目がちに見ることしか許されなかった。
さらに俺たちは、負けた後に号泣しながら支えあって整列するほどかっこいい試合なんてできなくて。
最後までへらへらしていることが、精一杯の強がりだった。
もう一度、高1の春に戻れたら。
…そしたら、なにか変わるだろうか。
いや、きっとなにも変わらない。
なんだかんだで俺たちは部活が好きだった。あの雰囲気が心地よかった。
でもそれは、青春の答えにはならない。
右肩に提げたエナメルバッグはほとんど剥げていて、青に金縁で刺繍された学校名だけが2年前と同じ姿で残っていた。
「田口先輩!お久しぶりです!」
ふと振り返ると、1つ歳下の小原が頭を下げていた。
「おー。はよ。今日部活は?」
「うす!あ~…今日は放課後練だけっす!」
「そうか。冬になっても気ぃ抜くなよ。俺も大学決まれば練習顔出すからよ。」
「まじすか!田口先輩も受験頑張ってください!」
「おー。…んじゃ、またな。」
「うす!」
小原は2年の中で1番優秀な選手だ。ピッチャーのポジションにいながら、ホームランだって打つことができる。正直、俺よりも上手い。というより、うちの所謂弱小野球部に、何故こんな上手いやつがいるのかが不思議なくらいだ。
もっとも小原は2年になって転入してきて、前は甲子園予選の準決までいった強豪でプレーしていたらしいから当然といえば当然だが。
それでも小原は、誰より努力するやつだった。朝練も1番に来て、放課後は最後まで残って、準備も後片付けも丁寧にやるやつだった。だからみんな小原を信頼しているし、弱小なりに小原に追いつこうと練習強度をあげる努力をした。小原がいたから、チームがまとまったと言っても過言ではない。
それに加えて、先輩の俺らよりも上手いくせに鼻につかないくらい模範的な運動部後輩の立ち位置を確立しているのだから、人間性にだって申し分ない。
きっと、来年、俺たちのチームはもっと強くなる。そこに俺は居られないけれど、変化のはじまりを少し覗けただけでも満足している。
自習が多くなった授業を、そんなことを考えながら過ごす。窓の外に目をやると、グラウンドに人気はない。3ヶ月前までは毎日そこにいたんだな、なんて柄にもなく感傷に浸ってみたりする。
“そこ”にいた頃は、何も考えずに笑っていた。俺は、1人じゃなかった。仲間と一緒に馬鹿しながら、【甲子園出場】なんていう宇宙の裏側のような目標を掲げても笑っていられた。もしかすると、そんな宇宙の裏側にも手が届くんじゃないかと思っていた。…確かに俺は、俺たちは、あの場所での主役だったんだ。
それが、一歩引いた今ではどうだろう。
【甲子園出場】の目標を鼻で笑えるようになってしまった。「冗談だろ」って、言えるようになってしまった。
熱が冷めた頭で考えれば、宇宙の裏側に手なんか届くはずがなくて。そもそも、宇宙の裏側がどこにあるのかもわからなくて。いまさらそんな過去が恥ずかしいとか、後悔してるとかじゃない。ただ、馬鹿だったなぁ、とふと思うことがあるんだ。
もう、俺は舞台のゼロ番にいる資格がないだけ。1年前の今はついに主演だと張り切っていたけれど、お役御免の後には脇役にもなれず舞台から引き摺りおろされてしまう。そうして、次の主演たちが、主演だけが、妙に慌ただしく動き回るのを見ることしかできない。そんなものを見せられた俺たちは口々に囁きあうんだ。「滑稽だ」と。
そう言いながら、そこにかつて自分がいたんだと思い返して、どうしようもなく惨めな気持ちになる。だから、否定する。目を覚ませと、暗に伝える。客席は時が経つにつれて1人、また1人と退出していって、スカスカの状態になる。次第に仲間がいなくなることに焦って、いつかは自分も席を立つ。
青春なんて、所詮はそんなものなんだろう。
憧れ続けた青春は、知らないうちにやってきて、ある日ぷつんと途切れてしまうんだ。終わってしまったら、あぁこれは青春だったんだ、なんてあっけない感想だけしかでてこない。でも時間を取り返すことなんてできなくて、追い越してしまった憧れは二度と掴めなくて。憧れはいつまでも憧れのまま、そっと息を引き取っていく。
俺は、俺の青春は、周りにはどう映っていたんだろう。滑稽だと思われただろうか。無様だと笑われただろうか。…誰かの憧れに、なれたのだろうか。
ただひとつの白球をみんなで追いかけて、泥だらけになったあの日々に、意味はあるのだろうか。あの日の涙はいつか、後悔以外の意味を持つのだろうか。……あぁ、でも。後悔がなくなってしまうのは少しだけ悲しいから、ひとつまみくらいは残ってほしい。
後悔はつまり、執着だと思う。執着がきれいさっぱり流れてしまったら、この日々の意味までなくなってしまう気がする。それはなんとも、虚しいことだ。
そういえば、あんなに毎日顔をあわせて笑いあっていた仲間たちとも、クラスが違えば会わない日も増えてきていて。それが、“そういえば”で思い出すくらいには当たり前のことになっていて。こうして何もかも過去になっていってしまうんだ。
…なんて、さすがに考えすぎだろうか。
こんなに小難しいことをややこしく考えなくても、本当はわかってるんだ。いまこうしている間も過ぎ去っていく俺の日常に意味なんてないことくらい。それなのに無理矢理意味をこじつけようとして、どうにか現在から引き剥がれないようにしているのは、あの日々に縋っていないと潰れてしまいそうだから。
たったひとつ、俺のなかから部活というピースがなくなっただけなのに、パズルの絵はなんだったかも分からなくなった。完成予想図はあんなにカラフルだったのに、出来上がった途端に色を失ってしまった。
俺の青春は、なんだったんだろう。
俺は、お前が羨ましいよ。小原。
いっつも青春ド真ん中みたいに笑って、お前もそれを自覚してて、何にしても馬鹿みたいに全力で。
「だって今しかできないっすから!」
ってお前が言ってたこと、今になってようやくわかった。
気になってる映画はしばらくすればテレビで放映される。部活は大学でも続ければいい。遊ぶのは大人になってもできる。そうやってだらだら過ごしていた俺には気づけなかった青春が、俺の過去のどこかに有り余るほど散りばめられていたんだろう。あとひとつでも、そんな青春の欠片を拾い上げられていたなら、こんな虚無感には襲われなかったんだろうか。
小原、お前は後悔するなよ。
思えば、俺個人は打ててもチームとしてはどうせ弱いからと、みんなにあわせてゆるい練習をしていた俺がやっと本気になれたのは、お前が来てくれたからだった。お前の球を打ちたくて、こっそり自主練しようとグラウンドに行ったらもうお前がいて、結局バレてそれからは一緒に練習するようになった。それが他の部員にもいつの間にか知れ渡って、ないも同然だった朝練が必須みたいになっていって…。
そんなこんなであっという間にきた最後の夏は、努力のおかげで弱小野球部の快進撃をみせた…なんてことはなく。
地方予選の1回戦でそこそこの学校にあたって負けた。コールドじゃないだけマシだと笑いながら、本当は泣きたい気持ちを抑えた。
俺たちがゆるくやっていた約2年のうちに、相手の高校は必死こいて練習してたのだから当たり前の結果だと思った。
最後の半年を頑張ったくらいで勝てるなんていう話は、どこかの映画か小説にでも任せていればいい。
ただ、俺達は確かに全力でぶつかって、負けた。なんてことない、どこにでもある話だ。
でも、それだけのことだった。
幼いころにテレビで憧れた、9回裏ツーアウト満塁、打たれれば逆転負けのシーンを相手の三振で終わらせたピッチャーに駆け寄る選手たち。
俺たちは、そっちじゃないほうだった。
グラウンドに集まって輪を作る相手を伏し目がちに見ることしか許されなかった。
さらに俺たちは、負けた後に号泣しながら支えあって整列するほどかっこいい試合なんてできなくて。
最後までへらへらしていることが、精一杯の強がりだった。
もう一度、高1の春に戻れたら。
…そしたら、なにか変わるだろうか。
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