ハズレ聖女は花開く!

茶々

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第一章 カラス色の聖女

リュカの背中2

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 ――ひたり、ひたり


 何もない上も下も真っ白な場所をとぼとぼと歩く。裸足の白い足先から伝わるのはひんやりとした硬い床の温度。
 小鳥は目的もないまま、その真っ白な空間をただただ歩いていた。

(私はどこに向かっているのかしら?)

 そう思った時、ふとぼんやりと前を見ていた視界の端にピンク色の何かがちらりと映った。何だろう、と何かが見えた方へと視線を向ければそこには立派な桜の木があり、まさに今満開を迎えていた。
 硬質な真っ白な空間のそこだけが春であった。


 ――ひらり、ひらり


 無数の桜の花びらが舞い踊る。

「なんて綺麗なんだろう…。私が独り占めしてしまうには勿体ないな」

(あれ?私一人?)

 おかしい。小鳥は今まではずっと一人であったが、つい先日出会った満月の瞳と澄んだ水の髪を持つ誰かが今はいるはずだ。
 小鳥が辺りをきょろきょろと見渡してもその誰かの姿は見えない。しかし、小鳥の頭の中では確かにさらりとした浅葱色の髪が流れている。


「………リュカ」


 小鳥が思い出したその名前を呼べば、前も見えないほどの桜吹雪に包み込まれた。不思議と怖さや不安はない。
 桜吹雪の壁へと華奢な指先をゆっくりと伸ばせば、そこからぶわりと花びらがほどけ、桜色に染まっていた小鳥の視界が開けた。

 小鳥の眼前に広がっているのは自然の恵み豊かな森だった。
 きゃらきゃらと笑う小さな妖精達、四方から聞こえてくるのは愛を囁き合う小鳥のさえずり。足元の茂みからはウサギの親子がひょっこりと顔を覗かせている。
 この森には妖精や動物達が自由に暮らしているようであった。

(この森はなんて豊かなんだろう。とても気持ちが良い。風が運んでくるのは春の香りだわ)

 緩やかにウェーブした柔らかな黒髪を爽やかな風が揺らしてゆく。
 身体いっぱいに空気を吸い込めば、深い森の香りの中に春の香りが混ざる。今この森は冬から春に季節が移り変わったばかりなのだろう。

 小鳥は再びゆっくりと足を進めて行く。足元には芽吹いたばかりの青々とした草が生えている。足の裏に当たる柔らかな草の感触がなんとも心地良い。そんな足先の感覚を楽しみながらただ歩いて行く。
 迷いなく歩みを進める小鳥に目的地はない。ないはずであるのに、小鳥は何故かこの先に行かなくてはならないような気がしているのだった。

 一体どのくらい歩いただろうか。小鳥が心の赴くままに歩みを進め辿り着いた場所は、ぽっかりと広く開けた場所であった。
 その場所の中心には、底まで透き通るほど透明な泉があり、その周りを小さな妖精達が楽しそうに飛び回っている。

「わぁ……!」

 その美しい清廉な泉に誘われるように小鳥は思わず駆け出した。


 ――ぱしゃり、ぱしゃり


 泉の中へと進んで行けば、膝下まで水に浸かってしまうほどの所まで来てしまった。水音を立てながら歩くのはなんとも楽しかったのだ。
 冬を越したばかりだというのに、不思議とその泉からは凍えるような冷たさを感じなかった。小鳥の足先から感じるのは心地の良い冷たさと、溢れんばかりの喜びだ。

「この泉に命が宿ったのね。だから皆が喜んでいるのだわ」

 泉の水を両手で掬い取り高く持ち上げてみれば、小鳥の華奢な指の隙間からキラキラと水が溢れてくる。手を辿り白い腕へと伝う水は、まるで装飾品であるかのようにきらりと光を反射し小鳥の腕を彩る。

「この泉はきっと長く長く残るのね。雪解けの清らかな水と春の芽吹き。なんて素敵な場所でしょう」


 ――ぱさり、ぱさり


 小鳥の背後で何かが羽ばたくような音が聞こえた。鳥にしてその音は軽く、虫の羽音にしては随分と大きい。一体何が羽ばたいたのだろうか。


「ここはボクが大事にしなくてはね」


 知っているような知らないようなその声に思わず振り向けば、そこにはいつの間にか暗い暗い森が広がっていた。先ほどまでいた森であるはずなのにその様子が一変している。

(確かに誰かがいたはずなのだけど……)

 辺りを見回してみても誰も、そして何もいない。ついさっきまで楽しそうに笑っていた小さな妖精達も、森の動物達も何もかもが今はその姿はなく、どこかでじっと息を潜めている。
 小鳥は足元に感じる感触がなんとも刺々しい事に気が付いた。清らかな泉の余韻が残る自身の足元へと視線を落とせば、青々とした草は枯れ落ち葉と乾いた地面が一面に広がっている。


 ――トプリ、トプリ


 あまり気持ちの良くないどろりとした粘着質な音が小鳥の耳に届く。ぞわりとするような感覚に身震いしながら、その不快な音がした方へと目を向ける。

「っ……!」

 そこに広がっていたのはつい先ほどまでいた清廉な泉場所だ。もうこの場所に清らかな空気はない。
 水底まで透き通るほど澄んだ泉は、淀んだ紫色の沼と化していた。小鳥が茫然とそれを眺めていると、どこからか迷い込んだのか、ふわふわと浮かぶ小さな妖精の光が穢れた泉へと向かって行く。

「待って!駄目っ!!そっちに行っちゃ駄目!!」

 腹の底からそう叫んだ小鳥の言葉は妖精には届かない。穢れた泉から溢れ出した暗い瘴気が妖精に微かに触れた瞬間、妖精の身体は真っ黒に染まり足先のからほろほろと崩れるようにして穢れた泉へと散っていった。

「行っちゃ駄目って……言ったのに……」

 小鳥の口から小さく零れ落ちた言葉を拾ってくれるものはここにはいない。あの妖精に声が届かなかったのは森の木々の間にいる小鳥との距離が遠すぎたのか、それとも…。
 小さなため息をひとつ吐くとがっくりと落した頭を上げ、再び穢れた泉へと目を向ける。

(このままでは妖精達も動物達も住めなくなるわ。早く清めなくては手遅れになってしまう)

 何とかしなくては、と小鳥は強く思った。しかし、残念な事に小鳥にこの状況を救う手立てはない。
 美しかった泉が穢れて堕ちてゆくのを、ただ見ている事しか出来ないのであろうか。

「私は無力だわ…。こんな状況を前にしても出来る事が何もない……」


『おや、こんな所に珍しいね。……宵闇のヴェールを被ったお嬢さん。良く考えてごらん。本当に君に出来る事は何もないのかな?』


「えっ?」

 突然頭に直接聞こえたようなその声に小鳥は驚きの声をあげる。
 聞こえてきたその声は陽だまりのような温かなもので、小鳥に害を与えるような事はないのだと分かった。姿も見えない声だけの存在であるのに、小鳥には何故かそうであると直感的に分かったのだ。

 それきり聞こえなくなった声の代わりに、どさりと何かが倒れるような音が聞こえてきた。どこから聞こえてきたのかと辺りを見渡せば、近くにある大きな木の陰からである事が分かった。
 木の幹に隠れていてそれが何であるのかは分からなかったが、地面にふわりと広がった布のような物は見る事が出来た。それはとても薄くその向こう側が透けて見えるほどだ。角度によって複雑に色を変えるそれはまるでオーロラようで、えも言えぬ美しさであった。

(人なのかな…?とりあえず声を掛けてみよう)

 大丈夫ですか、そう言おうとして開いた小鳥の口から言葉が出てこなかった。そこにいるのが誰であるの分かってしまったのだから。


「……っ!リュカ!!リュカっ!!」

 力一杯叫ぶが木の幹に隠れたその身体が動く気配はない。声が届かないのならば近くに寄ろうと足を持ち上げようとしたがピクリとも動かない。

「何でっ……!」

 動かない足を見下ろせば、そこにはいつの間にか腰の辺りまでツタが絡み付き、動けないようになっていたのだ。

『おっと。お嬢さん、これ以上は駄目だよ。そろそろ君を隠すヴェールが解ける時間だからね。さあ、もう目を覚ましなさい』

「待って!リュカがそこにいるの!きっと助けが必要なんだわ!!リュカ、リュカっ!!」




「――リュカ!」

 そんな自分の悲痛な声で目が覚めた。リュカへと必死に伸ばした小鳥の手は、何もない天井へと伸ばされていた。深いため息を吐くと、天井へ伸ばしたその腕をパタリと力なくベッドへと落とす。
 眠りながら泣いていたのか、頬には一筋の涙が伝っている。

 あれは本当にただの夢だったのだろうか。

 ただの夢にしては随分とはっきり記憶に残っている。夢で感じた感触も匂いも、その全てが鮮明に思い出せた。自分であるはずなのに自分ではないその感覚も、まだ身体に残っているような気がする。

「リュカ……」

 小さく呟いた声は誰にも拾われず、朝靄の中へと消えていった。
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