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終
しおりを挟む「よってこれより、神の御名の元にこの女を火刑に処する!!」
わぁ!と民衆から大きな歓声が上がると、松明を手にした騎士がゆっくりとした足取りでステラフィアラの方へ向かって来た。
痛いのも苦しいのも嫌いだが、少しだけ我慢をすれば全てから解き放たれ自由になれるし、きっと愛したシルヴェリオのためにもなるはずだ。
「……何か言い残したことはありませんか」
松明を持つ騎士がそっと声を掛けてきた。
これが本当に最後なのだろう。
「いいえ。何もありません」
「そうですか。………では、あなたの行く道が少しでも穏やかであるよう、神に祈っております」
「……ありがとう。嫌な役目をさせてごめんね」
ステラフィアラが小さく微笑むと、騎士は複雑な感情を押し殺したような顔を俯けながら火を放った。
付けられたばかりの火はまだ小さいが、煙はもくもくと立ち上る。
煙越しにぼんやりと景色を眺めていると、ふと少し高い場所に設置された席に座る人物が目に入った。
(シルヴェリオ様も来てたんだ。彼の隣にいるのは、やっぱり………)
キラキラ光る銀色の髪の彼に寄り添うのは、青薔薇のように美しいジュリエットであった。
髪も瞳も、そして肌さえも黒く染まったステラフィアラなどよりもよっぽどお似合いの二人だ。
遠く離れているはずなのに、彼女の目に浮かぶ大粒の涙が良く見えた。
悲しそうな顔をしながらほろほろと零れ落ちる涙を拭いもせず、ステラフィアラを一身に見つめている。
可哀想だと、憐れだと思っているのだろうか。
そんな彼女の涙を拭ったのはすぐ隣に立ってるシルヴェリオだ。
慈しむように頬を撫でる指先に、ステラフィアラの凪いでいた心がほんの少しだけ波立った。
(あぁ、見たくなかった……)
今まさに死にゆくステラフィアラに見せるには、あまりにも残酷な光景。
煙が随分と増えてきて視界が悪くなっているはずなのに、二人の姿だけは嫌なほど良く見えてしまうのだからたまらない。
ステラフィアラはなぜ心穏やかに死なせてくれないのか、とカサついた唇を噛み締めると同時に足先に熱を感じた。
それはみるみるうちに痛いほどの熱さとなり、お似合いの二人を見てしまったステラフィアラの心だけでなく、体にも苦痛をもたらす。
「……うぁ………、ケホッ、ゲホッ!」
枯れ果てたはずの涙が込み上げてくるのは、はたして煙だけのせいなのだろうか。
(煙が目に染みる。苦しいし、痛い。あぁ、シルヴェリオさ………)
痛む目を無理やり開き、救いを求めるように遠くにいるシルヴェリオを見た瞬間、その光景に息を呑んだ。
彼の目は自身のために身を粉にしたステラフィアラではなく、隣にいるジュリエットへと向けられており、慈しむように彼の手が伸ばされた先にあったのはジュリエットの腹であった。
若い女の腹に宿るものなど一つしかない。
(どうして? 婚約者である私がいたのに、なんで?)
心の中のさざ波はどんどんと大きくなる。
(……いや、ほんとは分かってた。二人は昔からそうだったもの。でも、だからこそ、私はここまで頑張った。苦しくても歯を食いしばって耐えてきた。きっといつか私だけを愛してくれると思ったから。それなのに……)
ステラフィアラが泥と血に塗れながら魔獣を倒し、吐き気を堪えながら魔瘴石を飲み込んでたその時、彼らは何をしていたのか。
安全な美しい城で笑い合いながら、その手に髪に肌に触れて愛を育んでいたのか。
そして、それが実を結んだのか。
(そっか、そうだったんだ。あー、やっと分かった)
魔力を暴走させたとはいえ、ここまで国に尽くしてきた聖女は紛れもなくステラフィアラだ。
それなのに、なぜそんな彼女一人だけに全てを押し付ける形になっているのか。
それも、このように一番目立つようにして。
(私が、邪魔だったんだね)
王家であってもこの国の法では重婚は認められないし、愛する人を共有するなど出来ないステラフィアラもそのような事は許さない。
しかし婚姻を結ばない妾であれば、ステラフィアラの感情はどうであれ、ジュリエットを囲い込むことは可能だ。
ただその場合、妾の子は王位継承権から外される事となる。
(シルヴェリオ様はジュリエット様とのお子を世継ぎにしたいのね。……例え私がどんな事になったとしても。私が死ねば、次の婚約者は自動的にジュリエット様だもの。邪魔な私に全てを負わせてしまえば、二人の、いや三人の未来は綺麗に収まる)
愛されようと一生懸命に努力を重ねてきたが、それが少しも彼には届いておらず、昔からずっとジュリエットだけを見つめていた。
ステラフィアラが死してなお、きっとそれは変わらないだろう。
結局のところ、ステラフィアラが頑張ってきた事は全て無駄だったのだ。
「っはは……、全部全部無駄だったんだ。痛い、痛いなぁ。熱い痛い、あぁ……、ああああああぁぁ…!!!」
足元で燃える火よりも、大きく熱く激しい炎が心の中に渦巻いた。
ひたすらに愛しても愛してもそれはただの一方通行で、やっと返ってきたと思えばそれは〝魔女としての死〟だった。
ステラフィアラのことを愛してない彼のためにここまでする必要などない。
ステラフィアラの絶叫が広場に響き渡る。
「ああああああああああああ!!」
(ねぇ、シルヴェリオ様? そんなに私に消えて欲しい?)
「ああああああああああああぁ!!」
(集まった民衆よ、そんなに私が悪い魔女に見える? 私がこれまでしてきた事はあなた達のためにならなかった?)
「あああああああああぁぁ、ぁ……あはは、ふふっ、あははははっ!!!」
その身を焼かれながら笑い始めたステラフィアラの異様な姿に、それまで声高に罵詈雑言を投げかけていた人々が口を閉ざす。
「あははっ、 ふふふっ! あー、おっかしい! もう、どうとでもなればいい! ……みーんな、邪悪で悪女で魔女な私を求めてるんでしょう? そんなに魔女になって欲しいのなら、お望み通り魔女になってあげるわ!!」
そして、ステラフィアラは己の力を解き放った。
すると手枷も首輪も、おもちゃのように壊れて地面に落ちた。
食べたくもない魔瘴石を数えきれないほど食べて培われた膨大な魔力の前では、魔力封じの手枷や首輪など無意味なのだ。
ただ、ステラフィアラが皆が安心するならと大人しく着けられていただけ。
湧き水のように体の底から湧き上がる魔力に身を任せれば、不思議なほどに体が軽くなった。
焼かれた足先の痛みもないし、心もふんわり軽やかだ。
「ふふっ! 最初からこうしていればよかったな。こんなに気分が良いのは久しぶり!」
愛されなければ、と自分自身に枷をかけていた。
それはずっとずっと小さな頃から無意識に。
(でももう、どうでもいい。どうとでもなればいいんだ。私はもう愛なんて要らない。愛されたい苦しみはもうたくさん。……あー、やっと自由だ。……もう、苦しくないよ。〝わたし〟はよく頑張ったね)
心の奥にいる幼い頃の自分にそっと呟く。
愛されたい、という望みさえなくせばよかったのだ。
昔から一番求めていたモノが一番不要なモノであったのだ。
「もう、いいの。私は自由になった!」
まだらに黒く染まった肌も、いつの間にか昔のように傷ひとつない真っ白な肌に戻っている。
煤けた粗末なワンピースの裾から綺麗になったその足を晒しながら、重力を感じないほど軽やかにふわりふわりと跳んで歩く。
ひらり、と舞うように辿り着いた先は、愛しかった王子様と美しい青薔薇姫の元。
「ス、ステラフィアラ……? 君は、一体……」
「ふふ、そんなにおひめさまを庇わなくても…。私はあなた達を襲ったりしないわ。……ただ一つ、呪いを届けにきたの」
「の、呪い……? お願いです……! どうか、この子だけはっ!」
「ジュリエット!……ステラフィアラ、どうか落ち着いて? 君を追い詰めるようなこんな方法は間違っていたね。今からでも遅くはない。もっと別の方法を一緒に考えよう?」
「私は落ち着いてるし、何も間違いはない。……それにもう何もかもが手遅れなの。あなた達はただ、私の言葉を聞けばいい」
怯えるおひめさまと、それを庇うおうじさま。
ああ、なんと絵になる景色だろうか。
(そんな二人の行く道に、そしてこの国の行く先に、もう私のようなモノが現れませんように)
ステラフィアラは国中に響き渡るよう魔法を掛けた言葉を紡ぐ。
「皆の望み通り、魔女がここに生まれた! その魔女がこの国にひとつ、呪いを授けよう!」
膨大な魔力を全身に纏いながら、大きな呪いを大地に染み込ませる。
もう二度と、ステラフィアラのような思いをする者が現れないように、しっかりと。
「この国には、聖女も魔女も現れないだろう!! 皆の望み通り、聖女も魔女ももう二度と!! 絶対に生まれない!!!」
ステラフィアラそう言い切った瞬間、この国に光の雨が降り注いだ。
キラキラと光るそれは儚く美しい魔女からの呪いであった。
そして、光の雨が止むと共に国中の女性から魔力が消え去った。
聖女も魔女も、もとを正せば魔力を持った女性という同じ存在である。
ただ、穢れを祓うことが出来たり、不思議なまじないの力が強かったりする者を聖女や魔女と呼んでいるにすぎない。
生活の中で使うようなちょっとした魔法も、女性たちはこれから使うことが出来ないから困るだろう。
それだけではなく、呪いが染み込んだ大地では魔法自体弱くなってしまうかもしれない。
けれどもう、ステラフィアラには関係のないことだ。
(私はもう自由。誰にも何にも、私の行く道を邪魔させない。私を傷付けさせない)
自由になって嬉しいはずなのに、なぜか涙が止まらなかった。
流れる涙をそのままに、ステラフィアラは叫ぶようにして最後の言葉を口にした。
「魔女である私は、もう二度とこの地へは戻らない!! 皆の望み通り消え去る!! さあ、願いの成就を喜べば良い!!」
ステラフィアラが一歩足を踏み出した瞬間、光を纏うようにしてその姿は跡形もなく一瞬にして消え去ってしまった。
彼女が消えたその広場には、ただただ猛然と燃え続ける無人の火刑台と彼女を捨てた人々が立ち尽くす。
そして、聖女で魔女な彼女が去ったその国には呪われた大地だけが残った。
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