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第3話
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天音が去ったあと、数人のホストが入れ替わり立ち替わり席について接客してくれたが、天音のような一瞬で心惹かれる華を持つようなホストはいなかった。
彼は特別だ。同性の自分ですら天音のことを魅力的だと思うのだから、女性たちはもっと彼に魅了され、彼のためならばと財布の紐をゆるめるのだろう。
誠は無意識に昨夜の夢のような時間のことを思い出し、首を振って脳裏に浮かぶ数々の言葉や出来事を振り払った。
誠がここまでホストクラブに興味を持ったのには、訳がある。閉店間際、再度テーブルに着いた天音が囁いたのだ。
――村谷さんって、僕のタイプなんすよね。
それが売れっ子ホストなりの、社交辞令だということはわかっている。きっと、彼は誰に対しても愛を囁くように、簡単にそんなことを言っているのだろう。誠だって、彼の言葉を本気にしているわけではない。第一、天音は自分と同性だ。相手が女性なら舞い上がることもあっただろうが、同性にタイプだと言われて素直に受け取れるほど、誠は能天気な人間ではない。
それでも、なぜ。どうしてこんなにも天音のことが気になるのだろう。魅力あるホストというのは、異性だけでなく、同性までもを虜にするような人間なのだろうか。
いや、もう考えるのはよそう。それに梶山に誘われて仕方なくホストクラブへの同行を許しただけで、誠はもう二度とあそこへは行かないと思っている。自分には縁のない世界だ。いくら見目が良くても、同性に貢ぐ趣味はない。
誠はふと、パソコンの画面から目を離した。会議用の資料を作っているうちに、午前中はあっという間に過ぎ去ったようだ。時刻はすでに昼を回り、ちらほらとデスクにも空席が見える。
ぐるりとフロアの中に視線を巡らせていた時、誠の目は一点で引き付けられた。部下の和泉周だ。誠のデスクからちょうど見える位置に、周のデスクがある。彼は仕事をするわけでもなく、かといって昼食へ出かけようとしている様子も、自分のデスクで弁当を広げる様子もない。ただ、ぼうっとそこに座っているようだ。周の顔色は色白というよりも青白く、不健康さが目立っている。それほど激務でもないはずだが、目の下の隈が色濃く、疲労を映し出しているようだった。
そういえば今朝は、コンビニで周の姿を見かけなかった。ほぼ毎日、出社前にコンビニで顔を合わせるものの、誠は周に社外で話しかけたことはほぼない。というか、一度もない。部下の様子は逐一把握しているつもりだったが、はたして周のことはどうだっただろうか。彼がいま受け持っている顧客のことすら、自分はろくに知らないのではないだろうか。
誠はぐぐっと背を反らして伸びをすると、椅子から立ち上がった。目指すは周のデスクである。どんよりとした雰囲気や、周囲を敬遠している様子から避けてきたが、一度くらいしっかり話してみてもいいだろう。部下のことを気にかけ、業務の効率を上げるのも立派な上司としての仕事である。
「和泉、ちょっといいか」
誠は周のデスクに近づきながら、極力柔らかい声でそう問いかけた。ボサボサの黒髪に覆われた瞳が、ゆったりと持ち上がって誠を見やる。その視線の胡乱さに、誠は一瞬怯んだ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。前髪と黒縁眼鏡で隠れた周の目を覗き込むようにして、誠は言葉を紡ぐ。
「これから一緒に飯に行かないか? もちろん、俺が奢るよ」
誠の誘いに、周はすこしだけ考え込むように、視線を伏せた。伏し目がちになると髪の毛で隠れている目がなおさら見えなくなり、どんな感情も読み取れない。
迷惑だと思われただろうか? それとも、怖がらせたか?
普段あまり接点のない上司から急に食事に誘われたら、誰だって自分がなにかしでかしたのではないかと怯えるはずだ。誠は努めて威圧的にならないようにしたつもりだが、部下の立場からすればどう思ったかは定かではない。
「……俺で、良ければ」
周は自分の手元に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。あまりの覇気のなさに、誠は膝から力が抜けるようだった。とてもじゃないが、周が本心から誠と食事に行きたがっているとは到底思えないような沈んだ声色だ。
それでも誠が促すより早く、周は自ら席を立った。誠が奢ると言ったが、手にはしっかりと財布が握られている。
「悪いな、付き合わせて」
「いえ……」
見た目に反さず、周は言葉少なに誠の後ろをついてきた。二人でエレベーターに乗り込む頃には、誠は思いつきで周を食事に誘ったことを後悔していた。思った以上に、周との会話が続かなかったのである。なにを聞いても「はい」か「いいえ」でしか答えないロボットのように、彼の回答は聞いているこちらの気力まで奪うほど明朗でいて、それなのに暗く、警戒心たっぷりで、他者との距離を決して縮めようとしない野生動物のようだった。
ここまで来て、いまさらやっぱりなしで、と言うわけにもいかない。周が喋らない分、誠は必死に頭を絞って話題を提供し続けた。飯にありつく前に、気力がすべて削がれるのではないか、と本気で心配したくらいだった。
彼は特別だ。同性の自分ですら天音のことを魅力的だと思うのだから、女性たちはもっと彼に魅了され、彼のためならばと財布の紐をゆるめるのだろう。
誠は無意識に昨夜の夢のような時間のことを思い出し、首を振って脳裏に浮かぶ数々の言葉や出来事を振り払った。
誠がここまでホストクラブに興味を持ったのには、訳がある。閉店間際、再度テーブルに着いた天音が囁いたのだ。
――村谷さんって、僕のタイプなんすよね。
それが売れっ子ホストなりの、社交辞令だということはわかっている。きっと、彼は誰に対しても愛を囁くように、簡単にそんなことを言っているのだろう。誠だって、彼の言葉を本気にしているわけではない。第一、天音は自分と同性だ。相手が女性なら舞い上がることもあっただろうが、同性にタイプだと言われて素直に受け取れるほど、誠は能天気な人間ではない。
それでも、なぜ。どうしてこんなにも天音のことが気になるのだろう。魅力あるホストというのは、異性だけでなく、同性までもを虜にするような人間なのだろうか。
いや、もう考えるのはよそう。それに梶山に誘われて仕方なくホストクラブへの同行を許しただけで、誠はもう二度とあそこへは行かないと思っている。自分には縁のない世界だ。いくら見目が良くても、同性に貢ぐ趣味はない。
誠はふと、パソコンの画面から目を離した。会議用の資料を作っているうちに、午前中はあっという間に過ぎ去ったようだ。時刻はすでに昼を回り、ちらほらとデスクにも空席が見える。
ぐるりとフロアの中に視線を巡らせていた時、誠の目は一点で引き付けられた。部下の和泉周だ。誠のデスクからちょうど見える位置に、周のデスクがある。彼は仕事をするわけでもなく、かといって昼食へ出かけようとしている様子も、自分のデスクで弁当を広げる様子もない。ただ、ぼうっとそこに座っているようだ。周の顔色は色白というよりも青白く、不健康さが目立っている。それほど激務でもないはずだが、目の下の隈が色濃く、疲労を映し出しているようだった。
そういえば今朝は、コンビニで周の姿を見かけなかった。ほぼ毎日、出社前にコンビニで顔を合わせるものの、誠は周に社外で話しかけたことはほぼない。というか、一度もない。部下の様子は逐一把握しているつもりだったが、はたして周のことはどうだっただろうか。彼がいま受け持っている顧客のことすら、自分はろくに知らないのではないだろうか。
誠はぐぐっと背を反らして伸びをすると、椅子から立ち上がった。目指すは周のデスクである。どんよりとした雰囲気や、周囲を敬遠している様子から避けてきたが、一度くらいしっかり話してみてもいいだろう。部下のことを気にかけ、業務の効率を上げるのも立派な上司としての仕事である。
「和泉、ちょっといいか」
誠は周のデスクに近づきながら、極力柔らかい声でそう問いかけた。ボサボサの黒髪に覆われた瞳が、ゆったりと持ち上がって誠を見やる。その視線の胡乱さに、誠は一瞬怯んだ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。前髪と黒縁眼鏡で隠れた周の目を覗き込むようにして、誠は言葉を紡ぐ。
「これから一緒に飯に行かないか? もちろん、俺が奢るよ」
誠の誘いに、周はすこしだけ考え込むように、視線を伏せた。伏し目がちになると髪の毛で隠れている目がなおさら見えなくなり、どんな感情も読み取れない。
迷惑だと思われただろうか? それとも、怖がらせたか?
普段あまり接点のない上司から急に食事に誘われたら、誰だって自分がなにかしでかしたのではないかと怯えるはずだ。誠は努めて威圧的にならないようにしたつもりだが、部下の立場からすればどう思ったかは定かではない。
「……俺で、良ければ」
周は自分の手元に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。あまりの覇気のなさに、誠は膝から力が抜けるようだった。とてもじゃないが、周が本心から誠と食事に行きたがっているとは到底思えないような沈んだ声色だ。
それでも誠が促すより早く、周は自ら席を立った。誠が奢ると言ったが、手にはしっかりと財布が握られている。
「悪いな、付き合わせて」
「いえ……」
見た目に反さず、周は言葉少なに誠の後ろをついてきた。二人でエレベーターに乗り込む頃には、誠は思いつきで周を食事に誘ったことを後悔していた。思った以上に、周との会話が続かなかったのである。なにを聞いても「はい」か「いいえ」でしか答えないロボットのように、彼の回答は聞いているこちらの気力まで奪うほど明朗でいて、それなのに暗く、警戒心たっぷりで、他者との距離を決して縮めようとしない野生動物のようだった。
ここまで来て、いまさらやっぱりなしで、と言うわけにもいかない。周が喋らない分、誠は必死に頭を絞って話題を提供し続けた。飯にありつく前に、気力がすべて削がれるのではないか、と本気で心配したくらいだった。
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