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1章(5)
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ロワディナはメルフェリーゼ、そしてカイリエンの顔を眺め回した後、訳知り顔で微笑んだ。
「身分を隠して男に近づくなんて、メルフェリーゼ様も案外やり手なのね。そんなに男に飢えているんですの?」
「ち、違います! カイリエン様は目が見えなくて、通りかかった私を侍女と勘違いしただけで……」
ロワディナは着崩したドレスをさっと元に戻すと、気怠げにカイリエンの上から退いた。
カイリエンはまだ、侍女だと思っていたメルフェリーゼが第二王子の妻であるという事実を受け入れられていないようだ。ロワディナが退き、自由になったにも関わらず、シャツの前をはだけさせたまま呆けている。
ロワディナはなにかをひらめいたのか、肉厚な唇をメルフェリーゼの耳元に寄せた。
「どうでしたの? 夫以外の男に抱かれる気分は」
「だっ……!」
ボン、と音がしそうなほど、メルフェリーゼの顔がたちまち真っ赤に染まる。ロワディナはメルフェリーゼの初心な反応を面白がっているようで、カイリエンにも聞こえるような声量で滔々と語り出す。
「あたくし、知ってるのよ。嫁いでから一度もアウストル様に抱かれたことがないのでしょう? 久しぶり……それともはじめての男がこんな美丈夫なら、さぞかし良かったんじゃなくって?」
ロワディナがくすくすと笑う。
「隠さなくてもいいのよ? あなたがアウストル様から見限られて城から追い出されるほうが、あたくしたちにとっても都合が良いんですもの」
「おい、どういうことだ」
カイリエンの尖った声が、ロワディナの演説を遮る。
メルフェリーゼは顔を真っ赤にしたり、蒼白にしたり忙しく、立っていることもままならずによろよろと椅子に腰を下ろした。震える肩を両腕で抱き、じっと耐える。
ロワディナは形のいい唇を吊り上げ、カイリエンに向き直った。
「この子はねぇ、カイリエン様。貧民窟から第二王子のアウストル様に嫁入りしてきたの。でもアウストル様ったら、悪い人。この子を一度も妻として扱ったことがないんですもの」
ロワディナがあからさまに大きなため息を吐く。
「可哀想なメルフェリーゼ様……まだ若いのに世継ぎも望めず、男も知らず、王子妃というお飾りに縛りつけられたまま城の中で飼い殺されているんですの。男のあなたには……このつらさが分からないかもしれませんけれど」
メルフェリーゼはロワディナの言葉にぞっとした。
彼女の言葉は一見、メルフェリーゼの行く末を憂いているかのように聞こえる。しかし実際に言いたいことはきっと「アウストルを裏切り、カイリエンにくっついてさっさと城を出て行くか、城の外で野垂れ死ね」ということだ。
メルフェリーゼがいなくなれば、アウストルは新しい嫁探しに追われる。世継ぎどころの話ではなくなるし、もしかしたらアウストルが新しい嫁を娶ることはないかもしれない。そうこうしている間にロワディナが男児を産むことだってあるだろう。
ロワディナの隠そうともしない敵意が、メルフェリーゼの心をずたずたに切り裂く。
それほどまでに王位を追い求めるロワディナの心境が、メルフェリーゼにはさっぱり理解できなかった。
「仕方ないから、彼はあなたに譲るわ。あなたも、メルフェリーゼ様のことを思うなら、うんと可愛がってあげてくださいまし」
ロワディナは来た時と変わらぬ上機嫌で去って行った。嵐のように激しい彼女が去った後、室内はしんと静まり返る。
メルフェリーゼは、カイリエンにかけるべき言葉を持たなかった。隠しておきたかった事実をすべてロワディナに明かされて、彼の元に立っている自分がひどく恥ずかしい存在のように思えた。
「今の話は……」
カイリエンがぎこちなく切り出す。
「本当のことか? 君は第二王子の妻で、君は王子から、その、疎まれていると」
メルフェリーゼはこっくりとうなづいた。そしてそのうなづきがカイリエンの目には映らないことに気づき、小さな声で肯定を示す。
カイリエンは盛大なため息をつくと、シャツのボタンを手早く留め直し、ベッドの上で頭を下げた。
「申し訳ありません、メルフェリーゼ様。あなたが王子妃だとは知らずに、食事の介助などさせて……」
「やめてください! あなたまで私を王子妃として扱うなら、私……」
メルフェリーゼの悲痛な訴えに、カイリエンはどう返事をしたら良いものか、迷っているようだ。
メルフェリーゼはベッドの上で固く握り込まれたカイリエンの拳を、両手で包み込んだ。
「私の顔が見えていないあなたなら、王子妃としての私を知らないあなたなら、私をただのメルフェリーゼという名前の人間として扱ってくれると思ったの……王子妃なんて呼ばれて、敬われたいなんて、絶対に思わない」
「メルフェリーゼ様……」
カイリエンの手が迷いながらも、メルフェリーゼの手の上に重ねられる。
「あなたの怪我が治るまででいい。私を、名前だけの王子妃から解放して。ただの、一人の友人として扱って」
病人に対し、無理なお願いをしていることは分かっている。カイリエンの立場上、隣国の王子妃を友達のように扱うなんて無理だと分かっている。けれど、久しぶりに感じたこのぬくもりを、メルフェリーゼはすでに離し難く感じていた。
「じゃあ、こうしましょう」
カイリエンがメルフェリーゼの手を包みながら言う。
「この部屋では、あなたは俺のことをカイって呼んでください。俺も、あなたのことはメルと呼びます。もちろん部屋を出たら、俺とあなたは、なんの接点もない隣国の近衛兵と王子妃です」
カイリエンの優しい声が、じわじわとメルフェリーゼの心に染み入っていく。
「ありがとうございます……その、嬉しいです」
「敬語もやめましょう、友人らしくない」
包帯に隠れたカイリエンの目元が、ふんわりと和らいだ気がした。
手探りにメルフェリーゼの顔を探り当てたカイリエンが、無骨な指先でメルフェリーゼの頬を撫でる。
「また夕食時に、ここへ来て。メルの話をたくさん聞かせて欲しい」
こうして、隣国の近衛兵と王子妃の、一部屋だけの関係がはじまりを告げたのだった。
「身分を隠して男に近づくなんて、メルフェリーゼ様も案外やり手なのね。そんなに男に飢えているんですの?」
「ち、違います! カイリエン様は目が見えなくて、通りかかった私を侍女と勘違いしただけで……」
ロワディナは着崩したドレスをさっと元に戻すと、気怠げにカイリエンの上から退いた。
カイリエンはまだ、侍女だと思っていたメルフェリーゼが第二王子の妻であるという事実を受け入れられていないようだ。ロワディナが退き、自由になったにも関わらず、シャツの前をはだけさせたまま呆けている。
ロワディナはなにかをひらめいたのか、肉厚な唇をメルフェリーゼの耳元に寄せた。
「どうでしたの? 夫以外の男に抱かれる気分は」
「だっ……!」
ボン、と音がしそうなほど、メルフェリーゼの顔がたちまち真っ赤に染まる。ロワディナはメルフェリーゼの初心な反応を面白がっているようで、カイリエンにも聞こえるような声量で滔々と語り出す。
「あたくし、知ってるのよ。嫁いでから一度もアウストル様に抱かれたことがないのでしょう? 久しぶり……それともはじめての男がこんな美丈夫なら、さぞかし良かったんじゃなくって?」
ロワディナがくすくすと笑う。
「隠さなくてもいいのよ? あなたがアウストル様から見限られて城から追い出されるほうが、あたくしたちにとっても都合が良いんですもの」
「おい、どういうことだ」
カイリエンの尖った声が、ロワディナの演説を遮る。
メルフェリーゼは顔を真っ赤にしたり、蒼白にしたり忙しく、立っていることもままならずによろよろと椅子に腰を下ろした。震える肩を両腕で抱き、じっと耐える。
ロワディナは形のいい唇を吊り上げ、カイリエンに向き直った。
「この子はねぇ、カイリエン様。貧民窟から第二王子のアウストル様に嫁入りしてきたの。でもアウストル様ったら、悪い人。この子を一度も妻として扱ったことがないんですもの」
ロワディナがあからさまに大きなため息を吐く。
「可哀想なメルフェリーゼ様……まだ若いのに世継ぎも望めず、男も知らず、王子妃というお飾りに縛りつけられたまま城の中で飼い殺されているんですの。男のあなたには……このつらさが分からないかもしれませんけれど」
メルフェリーゼはロワディナの言葉にぞっとした。
彼女の言葉は一見、メルフェリーゼの行く末を憂いているかのように聞こえる。しかし実際に言いたいことはきっと「アウストルを裏切り、カイリエンにくっついてさっさと城を出て行くか、城の外で野垂れ死ね」ということだ。
メルフェリーゼがいなくなれば、アウストルは新しい嫁探しに追われる。世継ぎどころの話ではなくなるし、もしかしたらアウストルが新しい嫁を娶ることはないかもしれない。そうこうしている間にロワディナが男児を産むことだってあるだろう。
ロワディナの隠そうともしない敵意が、メルフェリーゼの心をずたずたに切り裂く。
それほどまでに王位を追い求めるロワディナの心境が、メルフェリーゼにはさっぱり理解できなかった。
「仕方ないから、彼はあなたに譲るわ。あなたも、メルフェリーゼ様のことを思うなら、うんと可愛がってあげてくださいまし」
ロワディナは来た時と変わらぬ上機嫌で去って行った。嵐のように激しい彼女が去った後、室内はしんと静まり返る。
メルフェリーゼは、カイリエンにかけるべき言葉を持たなかった。隠しておきたかった事実をすべてロワディナに明かされて、彼の元に立っている自分がひどく恥ずかしい存在のように思えた。
「今の話は……」
カイリエンがぎこちなく切り出す。
「本当のことか? 君は第二王子の妻で、君は王子から、その、疎まれていると」
メルフェリーゼはこっくりとうなづいた。そしてそのうなづきがカイリエンの目には映らないことに気づき、小さな声で肯定を示す。
カイリエンは盛大なため息をつくと、シャツのボタンを手早く留め直し、ベッドの上で頭を下げた。
「申し訳ありません、メルフェリーゼ様。あなたが王子妃だとは知らずに、食事の介助などさせて……」
「やめてください! あなたまで私を王子妃として扱うなら、私……」
メルフェリーゼの悲痛な訴えに、カイリエンはどう返事をしたら良いものか、迷っているようだ。
メルフェリーゼはベッドの上で固く握り込まれたカイリエンの拳を、両手で包み込んだ。
「私の顔が見えていないあなたなら、王子妃としての私を知らないあなたなら、私をただのメルフェリーゼという名前の人間として扱ってくれると思ったの……王子妃なんて呼ばれて、敬われたいなんて、絶対に思わない」
「メルフェリーゼ様……」
カイリエンの手が迷いながらも、メルフェリーゼの手の上に重ねられる。
「あなたの怪我が治るまででいい。私を、名前だけの王子妃から解放して。ただの、一人の友人として扱って」
病人に対し、無理なお願いをしていることは分かっている。カイリエンの立場上、隣国の王子妃を友達のように扱うなんて無理だと分かっている。けれど、久しぶりに感じたこのぬくもりを、メルフェリーゼはすでに離し難く感じていた。
「じゃあ、こうしましょう」
カイリエンがメルフェリーゼの手を包みながら言う。
「この部屋では、あなたは俺のことをカイって呼んでください。俺も、あなたのことはメルと呼びます。もちろん部屋を出たら、俺とあなたは、なんの接点もない隣国の近衛兵と王子妃です」
カイリエンの優しい声が、じわじわとメルフェリーゼの心に染み入っていく。
「ありがとうございます……その、嬉しいです」
「敬語もやめましょう、友人らしくない」
包帯に隠れたカイリエンの目元が、ふんわりと和らいだ気がした。
手探りにメルフェリーゼの顔を探り当てたカイリエンが、無骨な指先でメルフェリーゼの頬を撫でる。
「また夕食時に、ここへ来て。メルの話をたくさん聞かせて欲しい」
こうして、隣国の近衛兵と王子妃の、一部屋だけの関係がはじまりを告げたのだった。
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