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2章(1)
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ユルハ王国にも、長い冬がやってきた。王国を取り囲む大河が凍ることはないため、冬でもさほど不便は感じないが、積雪量は多く、気温も低い。
特に、隣国のツリシャ王国へと続く道は猛吹雪に見舞われやすく、冬にユルハとツリシャを行き来しようなどと考える人間はめったにいない。
東方遠征に行ったアウストルも、雪が降る前にはユルハに帰ってくるとのことだった。
その便りを受け取った時、メルフェリーゼは少しの嬉しさと戸惑いとがないまぜになった、複雑な感情に陥った。
嬉しさはもちろん、アウストルが城に戻ってくることで城内の自分に対する扱いが改善することの嬉しさである。カイリエンという友を得てもなお、メルフェリーゼは城内でいないものとして扱われる自分の境遇に人知れず傷ついていた。
アウストルが戻れば、少なくとも表立ってメルフェリーゼを邪険に扱う者はいなくなる。結局、第二王子の庇護がなければ生きてゆかれない自分に、苛立ちを覚えることもある。
そして戸惑いは、アウストルが帰ってくると知った時の、自分の感情に対しての戸惑いだった。メルフェリーゼは便りを受け取った時、一瞬だけ思ったのだ。案外、帰ってくるのが早かった、と。
それはアウストルがまだ帰って来なければいいのに、と思うことの裏返しだし、メルフェリーゼも薄々気づいていたのだ。アウストルが帰って来れば、今のように自由にカイリエンと会うことはできなくなることに。
メルフェリーゼとカイリエンの間には、友人関係以上のものはない。二人はまるで触れ合うことを避けるかのように、一度近づいたら取り返しがつかなくなるとでもいうかのように、寸分の狂いもなく友人であることに徹した。
お互いの国の話をし、一緒に食事を取り、愛称で呼び合う仲だけれど、そこに横たわる大きな一線を、二人は決して踏み越えなかった。
いつ帰って来るかも分からないアウストルの存在が、メルフェリーゼを踏みとどまらせていたのは言うまでもない。
メルフェリーゼはこの日、六度目のため息をついた。本のページをめくる指も止まる。
「メルは、なにか悩みごとでもあるのか?」
メルフェリーゼの朗読に耳を傾けていたカイリエンが、包帯に覆われた目でメルフェリーゼのほうを見ようとする。
カイリエンの傷はほとんど癒えたものの、日中の光は傷ついた目には刺激が強すぎるということで、昼間は包帯を外せずにいた。オイルランプの灯りも消える夜更けにカイリエンの部屋を尋ねるわけにもいかず、メルフェリーゼはカイリエンの瞳の色を知らず、またカイリエンもメルフェリーゼの顔を知らずじまいだった。
メルフェリーゼは本を閉じて、カイリエンに向き直る。
「アウストル様が、そろそろ東方遠征から帰られるそうなの」
「そうか……冬の間は、ずっと城にいるんだろ?」
「ええ、そのはずよ」
メルフェリーゼは答えながらも、自分の気持ちがどんどん沈んでいくのを感じずにはいられない。アウストルが帰って来る件もあるが、メルフェリーゼにはもっと大事な、カイリエンに聞かなければならないことがあった。
「ねぇ、カイ」
メルフェリーゼの呼ぶ声に不安を感じ取ったのか、カイリエンもベッドの上で姿勢を正す。
「あなたが、ツリシャに帰る日は決まったの?」
カイリエンにはそろそろ、故郷であるツリシャ王国に帰るという話が持ち上がっていた。傷の経過が良く、ツリシャ王国側が片目を失ったカイリエンを王国軍の教官として再任用するため、なるべく早く帰国させて欲しいと要求してきたこともその一端だった。
カイリエンが国に帰れば、二人の関係も終わる。この部屋だけの友人関係は幕を下ろし、後には近衛兵と王子妃の肩書きだけが残る。メルフェリーゼはまた、夫であるアウストルには見向きもされず、周りに嘲笑されながら城の中で老いていくだけの日々に戻る。
カイリエンは探るような手つきで、メルフェリーゼのほうへ手を伸ばした。その指がメルフェリーゼのやわらかな毛先に触れ、カイリエンは髪をたどって彼女の頭にぽんと手を置く。
「この冬は、ユルハで越すことになった」
思いがけない言葉に、メルフェリーゼの目が見開かれる。もうすぐ去っていってしまうものだと思っていたカイリエンは、まだここにいる。少なくとも、雪解けまでは、ユルハにいるのだ。
「本当に? 本当に冬の間、ここにいるの?」
「ああ、帰るのは春になってからだ。王国軍側とも、話はついている」
じわじわと喜びがわき上がり、同時に昏い感情が胸の中で首をもたげる。
アウストルさえ、いなければ。自分を縛りつける、王子妃という肩書きがなくなれば。
メルフェリーゼは自分の奥からわいてきた情念の醜さに、ぶるりと身震いした。
自分はいつから、こんなふうにひどいことを考えるようになってしまったのか。アウストルが、自分の夫がいなくなってしまえばいいだなんて、妻が考えていいことじゃない。
「メル? 大丈夫か?」
黙り込んでしまったメルフェリーゼの様子を窺うように、カイリエンがそっと声をかけてくる。メルフェリーゼは彼に悟られないように少しはにかんで「大丈夫」と呟いた。
カイリエンはメルフェリーゼの答えに安心したように、彼女の艷やかなブロンドの長髪を撫でた。
カイリエンの目が見えていなくてよかった。
きっとアウストルのことを考えている自分は、ひどく醜い顔をしていたと思うから。
特に、隣国のツリシャ王国へと続く道は猛吹雪に見舞われやすく、冬にユルハとツリシャを行き来しようなどと考える人間はめったにいない。
東方遠征に行ったアウストルも、雪が降る前にはユルハに帰ってくるとのことだった。
その便りを受け取った時、メルフェリーゼは少しの嬉しさと戸惑いとがないまぜになった、複雑な感情に陥った。
嬉しさはもちろん、アウストルが城に戻ってくることで城内の自分に対する扱いが改善することの嬉しさである。カイリエンという友を得てもなお、メルフェリーゼは城内でいないものとして扱われる自分の境遇に人知れず傷ついていた。
アウストルが戻れば、少なくとも表立ってメルフェリーゼを邪険に扱う者はいなくなる。結局、第二王子の庇護がなければ生きてゆかれない自分に、苛立ちを覚えることもある。
そして戸惑いは、アウストルが帰ってくると知った時の、自分の感情に対しての戸惑いだった。メルフェリーゼは便りを受け取った時、一瞬だけ思ったのだ。案外、帰ってくるのが早かった、と。
それはアウストルがまだ帰って来なければいいのに、と思うことの裏返しだし、メルフェリーゼも薄々気づいていたのだ。アウストルが帰って来れば、今のように自由にカイリエンと会うことはできなくなることに。
メルフェリーゼとカイリエンの間には、友人関係以上のものはない。二人はまるで触れ合うことを避けるかのように、一度近づいたら取り返しがつかなくなるとでもいうかのように、寸分の狂いもなく友人であることに徹した。
お互いの国の話をし、一緒に食事を取り、愛称で呼び合う仲だけれど、そこに横たわる大きな一線を、二人は決して踏み越えなかった。
いつ帰って来るかも分からないアウストルの存在が、メルフェリーゼを踏みとどまらせていたのは言うまでもない。
メルフェリーゼはこの日、六度目のため息をついた。本のページをめくる指も止まる。
「メルは、なにか悩みごとでもあるのか?」
メルフェリーゼの朗読に耳を傾けていたカイリエンが、包帯に覆われた目でメルフェリーゼのほうを見ようとする。
カイリエンの傷はほとんど癒えたものの、日中の光は傷ついた目には刺激が強すぎるということで、昼間は包帯を外せずにいた。オイルランプの灯りも消える夜更けにカイリエンの部屋を尋ねるわけにもいかず、メルフェリーゼはカイリエンの瞳の色を知らず、またカイリエンもメルフェリーゼの顔を知らずじまいだった。
メルフェリーゼは本を閉じて、カイリエンに向き直る。
「アウストル様が、そろそろ東方遠征から帰られるそうなの」
「そうか……冬の間は、ずっと城にいるんだろ?」
「ええ、そのはずよ」
メルフェリーゼは答えながらも、自分の気持ちがどんどん沈んでいくのを感じずにはいられない。アウストルが帰って来る件もあるが、メルフェリーゼにはもっと大事な、カイリエンに聞かなければならないことがあった。
「ねぇ、カイ」
メルフェリーゼの呼ぶ声に不安を感じ取ったのか、カイリエンもベッドの上で姿勢を正す。
「あなたが、ツリシャに帰る日は決まったの?」
カイリエンにはそろそろ、故郷であるツリシャ王国に帰るという話が持ち上がっていた。傷の経過が良く、ツリシャ王国側が片目を失ったカイリエンを王国軍の教官として再任用するため、なるべく早く帰国させて欲しいと要求してきたこともその一端だった。
カイリエンが国に帰れば、二人の関係も終わる。この部屋だけの友人関係は幕を下ろし、後には近衛兵と王子妃の肩書きだけが残る。メルフェリーゼはまた、夫であるアウストルには見向きもされず、周りに嘲笑されながら城の中で老いていくだけの日々に戻る。
カイリエンは探るような手つきで、メルフェリーゼのほうへ手を伸ばした。その指がメルフェリーゼのやわらかな毛先に触れ、カイリエンは髪をたどって彼女の頭にぽんと手を置く。
「この冬は、ユルハで越すことになった」
思いがけない言葉に、メルフェリーゼの目が見開かれる。もうすぐ去っていってしまうものだと思っていたカイリエンは、まだここにいる。少なくとも、雪解けまでは、ユルハにいるのだ。
「本当に? 本当に冬の間、ここにいるの?」
「ああ、帰るのは春になってからだ。王国軍側とも、話はついている」
じわじわと喜びがわき上がり、同時に昏い感情が胸の中で首をもたげる。
アウストルさえ、いなければ。自分を縛りつける、王子妃という肩書きがなくなれば。
メルフェリーゼは自分の奥からわいてきた情念の醜さに、ぶるりと身震いした。
自分はいつから、こんなふうにひどいことを考えるようになってしまったのか。アウストルが、自分の夫がいなくなってしまえばいいだなんて、妻が考えていいことじゃない。
「メル? 大丈夫か?」
黙り込んでしまったメルフェリーゼの様子を窺うように、カイリエンがそっと声をかけてくる。メルフェリーゼは彼に悟られないように少しはにかんで「大丈夫」と呟いた。
カイリエンはメルフェリーゼの答えに安心したように、彼女の艷やかなブロンドの長髪を撫でた。
カイリエンの目が見えていなくてよかった。
きっとアウストルのことを考えている自分は、ひどく醜い顔をしていたと思うから。
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