【完結】隣国の騎士と駆け落ちするために殺したはずの冷徹夫がなぜか溺愛してきます

古都まとい

文字の大きさ
8 / 39

2章(3)

しおりを挟む
「無理を言っていることは分かってる……でも、もう耐えられそうにないんだ」

 カイリエンが切なげにぎゅっと眉根を寄せる。
 息もできないほどきつく抱きしめられて、メルフェリーゼの瞳から自然と涙がこぼれる。

「叶うなら、あなたを攫ってしまいたい。俺のものにして、ずっと二人で生きていきたい」

 メルフェリーゼも、カイリエンも、そんなことは叶わないと分かっている。ただの理想だと分かっていながら、その理想を口にして、現実から目を逸らしている。
 そうでもしなければ、メルフェリーゼはユルハ城という水槽で、息をできずに溺れてしまうだけだから。カイリエンという酸素を得て、メルフェリーゼはゆるやかに生かされている。
 ただし、この水槽からは一生出ることができない。そして、酸素もいつかは尽きる。あとはただ、溺れて窒息死するのを待つだけ。

 メルフェリーゼは涙を拭うと、カイリエンの胸を押し、身体を離した。
 やはり自分は、この先には行けない。アウストルを裏切ることはできない。たとえそれが愛のない結婚だったとしても、仮にも自分は、ユルハ王国第二王子の妻なのだから。
 蜂蜜色の瞳に、メルフェリーゼの血の気のない顔が映る。

「ごめんなさい、やっぱり私……」
「いいんだ、分かってる」

 未練の残る息を吐きながらも、カイリエンはすっと自分の気持ちを切り替えたように微笑む。

「でも、これだけは覚えていて欲しい」

 カイリエンがメルフェリーゼの頭を撫でる。

「ユルハの人間がなんと言おうと、俺だけはずっとメルの味方だ。あなたが望むのなら……俺は王子を殺し、国を滅ぼすことだっていとわない」

 その目はどこまでも真摯で、メルフェリーゼはこみ上げる苦しみに身を浸してうつむいた。



◇ ◇ ◇



 あの夜会の夜以降、メルフェリーゼは表立ってカイリエンの部屋を訪ねることができなくなっていた。
 なにかを察したのかは分からないが、アウストルがカイリエンの部屋を移してしまったのだ。カイリエンは今、ユルハ城の敷地内に建つ離れの部屋で療養している。元々は、侍女の宿舎として使われていたものだが、その宿舎で逢瀬や密会が頻発して城内の風紀が乱れる原因となったため、今は使われていない。
 宿舎へ行くには一度、城門を出て裏門へ回るか、中庭を横切っていかねばならないため、外出する用のないメルフェリーゼにとって、カイリエンの元を訪ねるのは至難の業であった。

 城にいるはずのアウストルとすれ違いはするものの、声をかけられることはない。ロワディナはアウストルの帰還後、目立った行動はないが、かといってメルフェリーゼに優しいわけでもない。
 孤独がひたひたとメルフェリーゼに忍び寄り、その身を蝕んでいく。

 一人でいることには慣れたつもりだった。嫌味を言われるのも、アウストルに見つからない程度の嫌がらせをされることにも、慣れたはずだった。
 しかし、実際はどうだろう。カイリエンに会えないだけでメルフェリーゼは息苦しさで夜も眠れなくなる。蜂蜜色の目が、やわらかな指先が、石鹸の香りがする肌が、恋しくてたまらない。
 あのぬくもりを、メルフェリーゼは強烈に欲している。
 一度知ってしまった蜜の味を、メルフェリーゼは忘れることができずにいる。

「――様……メルフェリーゼ様!」

 誰かが自分を呼ぶ声がして、メルフェリーゼは我に返った。
 顔を上げると、目の前に心配そうな表情でメルフェリーゼのことを見つめるハナの顔がある。
 メルフェリーゼは無理やり口角を引き上げて、大丈夫だというように微笑んだ。

「ごめんなさい、ちょっとぼーっとしていて」
「大丈夫ですか? あまり顔色も優れないようですし……」
「なんでもないの、本当に。大丈夫よ」

 ハナの入れてくれた紅茶に口をつける。湯気とともにふんわりと広がる花の香りが、メルフェリーゼの心を優しく解きほぐしてゆく。
 ハナはいまだ心配そうにメルフェリーゼの顔を見つめていたが、椅子を勧めると、ちょこんと腰を下ろした。
 こう見ると、ハナはとても幼いように見える。本来であれば、学校に通っていてもおかしくはない年齢なのではないか。
 メルフェリーゼは俄然ハナに興味がわき、焼き菓子を勧めながら尋ねた。

「まだ幼いようだけれど、ハナはいくつなの?」
「わたしですか?」

 ハナは口の端に赤いジャムをつけながら、指先を唇に当て、考え込む様子を見せる。

「侍従長の奥様は、おそらく今年で十になっただろうと仰っていました」
「本当の年齢が分からないの?」
「はい。わたしがまだ赤子だった頃に、城門のところへ捨てられていたのを侍従長の奥様が拾ってくれたみたいなんです」

 メルフェリーゼは思わぬ告白に、言葉を失った。
 ハナは誰にでも明るく、愛嬌がある。城に仕える男女が結婚して子どもを産み育てることも珍しくないため、ハナもきっと城生まれの女の子だと思っていたのだ。

「ご、ごめんなさい……答えにくいことを聞いてしまって」

 謝るメルフェリーゼを見て、ハナは慌てたようにぶんぶんと手を振る。

「お気になさらないでください! わたしなんかのことより、よっぽどメルフェリーゼ様のことが心配です!」
「私のこと?」
「そうですよ!」

 ハナが憤慨したように、眉を吊り上げる。

「メルフェリーゼ様は、もっとご自分のことを大切になさるべきです! メルフェリーゼ様が仰らないのなら、わたしがアウストル様に直接言います! もっと奥様を敬うべきだと!」
「お、落ち着いて、ハナ……」
「家族と離れ離れになって、お城で頑張ってるメルフェリーゼ様を大事にしないなんて、ありえないですよ!」

 ハナはひとしきり怒鳴って落ち着いたのか、紅茶のカップに手を伸ばして一息で飲み干した。
 すさまじい熱量である。これほどまでに、自分の身を案じてくれる人間がいることに、メルフェリーゼはひそかに驚いた。
 とはいえ、メルフェリーゼから見ればハナはまだほんの子どもだ。王位継承のことも、世継ぎのことも、冷めた夫婦生活のことも、彼女に話すわけにはいかない。子どもは子どもらしく、余計な心配などせずにすくすくと育つべきなのだ。

「ありがとう、ハナ。私の心配をしてくれて」

 メルフェリーゼに頭を撫でられたハナは、にっこりと笑みを浮かべるとエプロンのポケットから懐中時計を取り出した。時刻を確認したハナの顔色が、さっと変わる。

「すみません、メルフェリーゼ様! ここは後で片付けますのでそのままで!」

 ハナが慌てた様子で、席を立ち、懐中時計をしまい込む。
 メルフェリーゼはバタバタと去っていくハナの背中に声をかけた。

「なにか急ぎの用でもあるの?」

 ハナも後ろを振り返りつつ、足を止めずにメルフェリーゼに向かって叫ぶ。

「マーリンド様に、カイリエン様のところへ案内して欲しいと仰せつかっていたことを忘れていました!」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

助けた騎士団になつかれました。

藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。 しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。 一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。 ☆本編完結しました。ありがとうございました!☆ 番外編①~2020.03.11 終了

転生したら地味ダサ令嬢でしたが王子様に助けられて何故か執着されました

古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
皆様の応援のおかげでHOT女性向けランキング第7位獲得しました。 前世病弱だったニーナは転生したら周りから地味でダサいとバカにされる令嬢(もっとも平民)になっていた。「王女様とか公爵令嬢に転生したかった」と祖母に愚痴ったら叱られた。そんなニーナが祖母が死んで冒険者崩れに襲われた時に助けてくれたのが、ウィルと呼ばれる貴公子だった。 恋に落ちたニーナだが、平民の自分が二度と会うことはないだろうと思ったのも、束の間。魔法が使えることがバレて、晴れて貴族がいっぱいいる王立学園に入ることに! しかし、そこにはウィルはいなかったけれど、何故か生徒会長ら高位貴族に絡まれて学園生活を送ることに…… 見た目は地味ダサ、でも、行動力はピカ一の地味ダサ令嬢の巻き起こす波乱万丈学園恋愛物語の始まりです!? 小説家になろうでも公開しています。 第9回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作品

老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。

ルーシャオ
恋愛
グリフィン伯爵家令嬢アルビナは実家の困窮のせいで援助金目当ての結婚に同意させられ、ラポール伯爵へ嫁ぐこととなる。しかし祖父の戦友だったというラポール伯爵とは五十歳も歳が離れ、名目だけの『白い結婚』とはいえ初婚で後妻という微妙な立場に置かれることに。 ぎこちなく暮らす中、アルビナはフィーという女騎士と出会い、友人になったつもりだったが——。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

処理中です...