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Ⅷ.凛月の真意
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第二ボイラー室に着くと、ミウがパソコンに向かっている凛月には目もくれず、温かい紅茶を淹れてくれた。はちみつが入っているのかほんのりと甘く、温かな紅茶が春の夜風で冷え切った身体に染み入っていく。
時刻はすでに20時を回っている。はっきり言って残業だ。これが本当に警察庁の仕事だと認められればの話だが。四葉が配属された生活安全局の上司、浅見は18時以降に匿名通報係として仕事をした分は遠慮なく残業申請してもらって構わないと言っていたが、正直申請するのは気が引ける。風俗店の事務所へ忍び込み、個人情報の書かれた紙を盗んできたのだ。そんなこと、正直に言えるわけがない。
四葉が手持ち無沙汰に紅茶の入ったカップの底を眺めていると、凛月が椅子ごと振り返る気配がした。顔を上げて凛月を見る。透き通った青い瞳はすこし眠そうで、顔にも覇気がない。
「写真だけあればいいのに、まさか現物をパクってくるとはな」
凛月の非難めいた物言いに、思わずむっとする。
「仕方ないじゃないですか、写真撮る時間がなかったんですよ」
「別に怒ったわけじゃない。新人のくせに肝が座ってると思っただけだ」
「それ褒めてます?」
四葉がなおも彼に言い寄ろうとしたのを、ミウが間に入って止める。はっきり言って、凛月のことは好きじゃない。初対面で自分に向かってチビと言い放っただけでなく、ろくに仕事の説明もしないまま新人を敵地に放り込むようなことをする。その人を見下したような、不遜すぎる態度も気に入らない。
四葉やミウはせっせと動いているのに、この男は日がな一日、第二ボイラー室でだらだらしているだけではないのか? 人に指図する前に自分も動くのが鉄則だろう。人が苦労して取ってきた成果に文句を付け、へらへら笑っているような男になど、誰も従いたくないはずだ。
凛月は四葉の苛立ちなど気にも留めていないようで、眠そうに目を瞬かせると椅子の背にもたれかかって長い脚を投げ出した。
「あなた最初から知っていたんじゃありませんの?」
「なにが?」
ミウは紅茶の入ったカップを手近なデスクの上に置くと、凛月に詰め寄った。
「あの店で15歳の女の子が働いていることですわ。凛月がその気になれば、匿名通報の情報から特定の一人を割り出すことくらい造作もないでしょう? わざわざ藤倉様を店に向かわせなくてもよかったんじゃなくて?」
ミウの主張に、凛月はうっすら笑っただけで否定も肯定もしない。掴みどころのない男だ、と四葉は思う。まだ出会って日は浅いが、四葉には彼の本心のが一片たりとも見えない。人を見下すような視線の裏でなにを考えているのか、四葉より長く凛月と一緒にいるはずのミウですら、時折彼に向けて戸惑うような視線を向けている。
凛月は大きく息を吐き出すと、ミウの視線を避けて四葉のほうを見た。
「いくら俺が情報を持っていたって、それを裏付けるものがなくちゃ話にならない。だから新人、お前はよくやったよ」
凛月の手には四葉が事務所から持ち帰ってきたエントリーシートが握られている。
「こいつを元に、本人を探す。本人が無理やり働かされてるっていうなら、遠慮なく日之出を警察に突き出せるからな」
「もし彼女が自分の意思で働いていると言ったら……警察は介入できないってことですか?」
彼の目がすうっと細くなる。明らかな軽蔑の色をたたえた青い瞳が、四葉を射抜く。なにか、まずいことを言っただろうか。
「お前……人から仕事を奪うことの意味もわかんねぇのか?」
「凛月、そんな言い方しなくても――」
「うるせぇな。金持ちの坊っちゃんは黙ってろよ」
凛月が椅子から立ち上がり、ミウを押し退けて大股で距離を詰めてくる。四葉は怯まず、大木のように目の前にそびえ立つ凛月の長身を見上げて睨み返した。
「仕事だとしても、犯罪なんですよ? 15歳の子がそんなところで働かないと生活できないような状況なら、一刻も早く大人が介入して行政の支援につなげるべきでしょう」
「行政の支援ねぇ……」
四葉を見下ろした凛月が喉の奥でくつくつと笑う。
「なにがおかしいんです? 私、間違ったこと言ってますか?」
突然笑われたことにむっとして返すと、彼はさっと嘲笑を引っ込めた。自分を見下ろす目が、ひんやりと冷たい。
「さすが、大卒で国家公務員になった勝ち組は言うことが違うな」
「ちょっと凛月」
しばらく二人の動向を見守っていたミウが割って入るが、凛月は止まらない。存分に侮蔑のこもったまなざしで、四葉の顔を睨み返す。
「よく覚えとけよ、新人」
瞳に浮かぶ感情の強さに、四葉は思わずたじろぐ。
「お前の言ってることは、所詮きれいごとだ。この世には国からも見捨てられた奴が、ごろごろいんだよ」
ぎゅっと唇を引き結ぶ四葉の横を凛月がすり抜けていく。彼はそのまま第二ボイラー室を出て行ってしまった。金属製の重たい扉が、がちゃんと大きな音を立てて閉まる。
自分は間違ったことを言っただろうか。15歳はまだ子どもだ。子どもが身体を売って生活していいはずがない。きちんと大人の庇護下で育つべきだ。凛月がなぜあれほど強く自分を批判したのか、四葉はその意味を測りかねていた。
気まずい沈黙を打ち破るように、ミウが四葉の腕にそっと触れる。
「凛月はきっと、お腹が空いて気が立っていただけですわ。わたくしたちも夕食にしません? 近くに美味しいお寿司屋さんがあるんですの」
ミウは四葉を急かすように腕を引いた。断る理由も見当たらず、曖昧な返事をしながら連れ立って第二ボイラー室を出る。
彼のことを――凛月のことをもっと知らなければならない。いがみ合ったままでは仕事で顔を合わせるのすら嫌になる。
ネオンがきらめく秋葉原の街を歩きながら、四葉は自然と凛月の面影を探していた。
時刻はすでに20時を回っている。はっきり言って残業だ。これが本当に警察庁の仕事だと認められればの話だが。四葉が配属された生活安全局の上司、浅見は18時以降に匿名通報係として仕事をした分は遠慮なく残業申請してもらって構わないと言っていたが、正直申請するのは気が引ける。風俗店の事務所へ忍び込み、個人情報の書かれた紙を盗んできたのだ。そんなこと、正直に言えるわけがない。
四葉が手持ち無沙汰に紅茶の入ったカップの底を眺めていると、凛月が椅子ごと振り返る気配がした。顔を上げて凛月を見る。透き通った青い瞳はすこし眠そうで、顔にも覇気がない。
「写真だけあればいいのに、まさか現物をパクってくるとはな」
凛月の非難めいた物言いに、思わずむっとする。
「仕方ないじゃないですか、写真撮る時間がなかったんですよ」
「別に怒ったわけじゃない。新人のくせに肝が座ってると思っただけだ」
「それ褒めてます?」
四葉がなおも彼に言い寄ろうとしたのを、ミウが間に入って止める。はっきり言って、凛月のことは好きじゃない。初対面で自分に向かってチビと言い放っただけでなく、ろくに仕事の説明もしないまま新人を敵地に放り込むようなことをする。その人を見下したような、不遜すぎる態度も気に入らない。
四葉やミウはせっせと動いているのに、この男は日がな一日、第二ボイラー室でだらだらしているだけではないのか? 人に指図する前に自分も動くのが鉄則だろう。人が苦労して取ってきた成果に文句を付け、へらへら笑っているような男になど、誰も従いたくないはずだ。
凛月は四葉の苛立ちなど気にも留めていないようで、眠そうに目を瞬かせると椅子の背にもたれかかって長い脚を投げ出した。
「あなた最初から知っていたんじゃありませんの?」
「なにが?」
ミウは紅茶の入ったカップを手近なデスクの上に置くと、凛月に詰め寄った。
「あの店で15歳の女の子が働いていることですわ。凛月がその気になれば、匿名通報の情報から特定の一人を割り出すことくらい造作もないでしょう? わざわざ藤倉様を店に向かわせなくてもよかったんじゃなくて?」
ミウの主張に、凛月はうっすら笑っただけで否定も肯定もしない。掴みどころのない男だ、と四葉は思う。まだ出会って日は浅いが、四葉には彼の本心のが一片たりとも見えない。人を見下すような視線の裏でなにを考えているのか、四葉より長く凛月と一緒にいるはずのミウですら、時折彼に向けて戸惑うような視線を向けている。
凛月は大きく息を吐き出すと、ミウの視線を避けて四葉のほうを見た。
「いくら俺が情報を持っていたって、それを裏付けるものがなくちゃ話にならない。だから新人、お前はよくやったよ」
凛月の手には四葉が事務所から持ち帰ってきたエントリーシートが握られている。
「こいつを元に、本人を探す。本人が無理やり働かされてるっていうなら、遠慮なく日之出を警察に突き出せるからな」
「もし彼女が自分の意思で働いていると言ったら……警察は介入できないってことですか?」
彼の目がすうっと細くなる。明らかな軽蔑の色をたたえた青い瞳が、四葉を射抜く。なにか、まずいことを言っただろうか。
「お前……人から仕事を奪うことの意味もわかんねぇのか?」
「凛月、そんな言い方しなくても――」
「うるせぇな。金持ちの坊っちゃんは黙ってろよ」
凛月が椅子から立ち上がり、ミウを押し退けて大股で距離を詰めてくる。四葉は怯まず、大木のように目の前にそびえ立つ凛月の長身を見上げて睨み返した。
「仕事だとしても、犯罪なんですよ? 15歳の子がそんなところで働かないと生活できないような状況なら、一刻も早く大人が介入して行政の支援につなげるべきでしょう」
「行政の支援ねぇ……」
四葉を見下ろした凛月が喉の奥でくつくつと笑う。
「なにがおかしいんです? 私、間違ったこと言ってますか?」
突然笑われたことにむっとして返すと、彼はさっと嘲笑を引っ込めた。自分を見下ろす目が、ひんやりと冷たい。
「さすが、大卒で国家公務員になった勝ち組は言うことが違うな」
「ちょっと凛月」
しばらく二人の動向を見守っていたミウが割って入るが、凛月は止まらない。存分に侮蔑のこもったまなざしで、四葉の顔を睨み返す。
「よく覚えとけよ、新人」
瞳に浮かぶ感情の強さに、四葉は思わずたじろぐ。
「お前の言ってることは、所詮きれいごとだ。この世には国からも見捨てられた奴が、ごろごろいんだよ」
ぎゅっと唇を引き結ぶ四葉の横を凛月がすり抜けていく。彼はそのまま第二ボイラー室を出て行ってしまった。金属製の重たい扉が、がちゃんと大きな音を立てて閉まる。
自分は間違ったことを言っただろうか。15歳はまだ子どもだ。子どもが身体を売って生活していいはずがない。きちんと大人の庇護下で育つべきだ。凛月がなぜあれほど強く自分を批判したのか、四葉はその意味を測りかねていた。
気まずい沈黙を打ち破るように、ミウが四葉の腕にそっと触れる。
「凛月はきっと、お腹が空いて気が立っていただけですわ。わたくしたちも夕食にしません? 近くに美味しいお寿司屋さんがあるんですの」
ミウは四葉を急かすように腕を引いた。断る理由も見当たらず、曖昧な返事をしながら連れ立って第二ボイラー室を出る。
彼のことを――凛月のことをもっと知らなければならない。いがみ合ったままでは仕事で顔を合わせるのすら嫌になる。
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