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1.墓守の少女

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 十人いれば、十通りの死に様がある。
 家族に見守られながら逝く者、誰にも見向きもされず道端で死ぬ者、戦争で命を落とす者。
 死の瞬間は皆、等しく訪れる。悲しんでくれる者がいるかどうかは、ささいな違いにすぎない。

 マーロイズ王国・アルフォンライン領の外れ、エムイ村の墓地で、少女アルマは寝起きをしていた。職業は墓守である。

 しかし、教会直轄の聖職者が務めるような高尚こうしょうな墓守ではない。誰にも看取られずに死んでいった貧民窟の人間や、伝染病の恐れがあり隔離されていた人間など、人々から遠ざけられる遺体を埋葬するのが仕事だ。
 この日もアルマは夜中に起き出し、かたわらで眠る相棒の犬ステラの頭を撫でた。

 ステラは茶色の毛で覆われた大きな体躯たいくをぶるりと震わせながら、大きなあくびをした後、ぐぐっと伸びをしてから立ち上がる。
 十二年前にアルマの母親がどこからか拾ってきたステラは、人間でいえばもう高齢の類である。けれど、その足取りはしっかりしていて、墓荒らしを追い払える力もある。
 友人がいないアルマにとって、唯一、心を許せる相手がステラだった。

 使い古された農具を持って、アルマは墓守小屋から、そろそろと足を踏み出す。
 腰に下げられたランタンの中で揺らめく蝋燭の灯りだけを頼りに、遺体が運び込まれる予定となっている墓地の入口まで歩を進める。
 ステラはアルマの周りを楽しげにくるくる回りながらも、辺りへの警戒を怠らない。
 世界のすべてが闇に沈んだ濃密な暗闇の中、アルマは入口でぽつりと光る光源を見つけ、安堵のため息をもらした。
 相手もアルマを見つけたようで、ひいっと短い悲鳴が上がる。

「そ、それ以上近づくな……!」

 男が頭を振ると、一緒になって光源も揺れる。アルマは相手を刺激しないように、じりじりと後ずさる。ステラは慣れているといわんばかりに伏せたままだ。

「大丈夫です、わたしから近づくことはありません! 遺体はそこに置いてありますか?」

 墓地の裏山に潜む獣を起こさないよう、アルマは可能な限りの大声を出して相手へ呼びかける。

「そこの麻袋に入っている! 子どもが二人だ。貧民窟のそばに落ちていたから身ぐるみはない」

 男は自分の足元の塊を指しながら言った。貧民窟の人間は伝染病など気にしない。遺体でもなんでも、容赦せずに使えるものはすべて剥ぎ取ってしまう。
 早く帰りたいと思っているように視線をさまよわせる男に、アルマは慌てて声をかける。

「ご協力ありがとうございました! あなたに神のご加護がありますように!」

 お決まりの言葉を聞いた瞬間、男は「異端者のくせに!」と捨て台詞のようなものを吐きながら、一目散に村の方角へと駆けていった。こんな墓地の淀んだ空気など、一秒たりとも吸っていたくないと背中は語っていた。
 男の姿が完全に闇に紛れたことを確認してから、アルマはそっと地面に放り出された麻袋へ近づき、その重みを確かめる。

 子ども二人が入っているとは思えない軽さだった。きっとろくに食事も取れず、痩せ細っていたのだろう。二人でやっと、一人分の重さしか感じられない。
 いくら痩せていても、遺体は硬直し、一人分の重さとて鉛のように重い。両腕に力を込めて、勢いよく引きずる。
 アルマが地面に置いた農具は、ステラが柄を咥えて引きずっている。

「ステラ、置いていいよ。無理しないで」

 アルマがそう呼びかけると、ステラは農具をふいと放し、アルマの引きずる麻袋を鼻先でぐいぐいと押しはじめた。アルマの鈍感な鼻ですら、遺体の腐敗臭をはっきりと感じ取っているのに、人間より鼻のきく犬のステラが気にならないはずがない。それでもステラは、アルマを気遣うように健気に手伝ってくれている。
 だいたいの人間は、墓守をしているアルマを避ける。先ほどの男も、アルマがなにか伝染病を持っているのではないかと恐れて、そばに寄ることを拒否した。

 仕方のないことだとは分かっている。実際、アルマも遺体から病気をもらわないように、常に気を張っている。
 傷口から菌が入り込むこともあるため、埋葬時に怪我をしないよう気をつけ、万が一にでも傷ができれば治るまで仕事はしない。
 埋葬が滞るが、アルマの管理する墓地に身分の高い人がくることは稀であるし、運び込まれた時点で腐敗が進んでいる遺体も多いため、さほど問題にはならなかった。
 元々、連絡を受けて掘ってあった埋葬用の穴に麻袋ごと遺体を落とす。
 ステラが途中まで運んでいた農具を取りに、一度来た道を引き返し、ふと男が消えていった村の方を見やる。

 母親がいた頃は、アルマもよく母親に連れられて村へ下りていた。
 村では墓守であることが分かるように、首に赤い紐を巻きつけなければならず、アルマと母親が通ると、たちまち通りから人が消えた。
 それでも母親はアルマに数々の話を聞かせ、村のはずれにある粉屋で、カチコチに固まった石のような燕麦えんばくパンを買って、アルマに食べさせてくれた。

 母親はもう墓地にはいない。十二年前に出稼ぎに行くと言って、アルマとまだ子犬だったステラを置いてどこかへ消えた。十二年経った今でも、戻ってきていない。
 母親との思い出を埋めるように、アルマは丁寧に麻袋へ土をかけていく。農具を握り続けた手のひらには、大きなまめができている。
 掘っては埋めるの繰り返し。アルマの日常は腐敗臭と、土から香るかすかな緑の匂いで満たされている。

 ここへ埋葬された人が、せめて神の許しを得られるように、とアルマは願わずにはいられない。
 ランタンの中の蝋燭が尽きかけているのを見て、アルマはようやく埋葬の手を止めた。
 立派な墓標を建てることはできないが、ないよりいいだろうと木を組んだだけの十字架を土に突き立てる。
 手についた土や汗を乱雑に服で拭ってから、アルマはそっと胸の前で手を組む。

「安らかに、眠れますように」

 幾度となく繰り返した祈り。この祈りだけが、異端者を罵られるアルマを人たらしめるものなのかもしれない。
 アルマはランタンの灯りをふっと吹き消して、冷たい墓守小屋へと戻っていった。
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