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6.戻れない道
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時空がゆがむような話に、アルマはめまいを覚えた。
目の前に座るレスターは、おそらく四十代前半といったところだろう。レスターの話が本当だとすれば竜人の騎士は、四十年前にはすでに西の砦を治め、今もなお若さを保ったまま砦の騎士を続けていることになる。
アルマは竜を見たことも、竜人に会ったこともない。すべてはおとぎ話の中の話だと思っていた。しかし、おとぎ話だと思っていたそれは、急激に実体を伴って、アルマに近づいてきているのである。
「生贄になる運命を受け入れているのですね」
そう声をかけられ、アルマは、はっと顔を上げた。
「生贄になりたくない一心で、馬車から飛び降りて死ぬ女もいるくらいなんですよ。でも、君は泣きも喚きもしない。すべてを受け入れて、すべてを諦めているように見えます」
レスターの言うことは半分くらい、正しいように思う。アルマは生贄になることに恐怖は覚えるものの、命がけで逃げ出そうとは思っていなかった。
「……あの場でレスター様に助けていただけなかったら、わたしは死んでいましたから。寿命が少し延びただけ、そう思うんです」
いつの間にか、日没が近づいている。
村の姿はもう跡形もなく、馬車は枯れ木の間を走る獣道に従って進み、山の方へ向かっているようだ。山頂の辺りに、塔の先端らしきものが見える。あれが、砦の一部だろうか。
「君ほどの綺麗な瞳を持つ人間を、そう易々と生贄にしてしまうのは惜しい」
レスターは窓の外に目を向けたまま、ぽつりと呟いた。しかし、この決定を取り消すつもりはないようだ。
そもそも、レスターが本気でアルマの瞳を綺麗だと思っているのかも、確かめようがない。本当は村の人間と同じく、アルマを自分の領地に潜む異端者だとみて、生贄として処分しようとしている可能性もある。
もし、あの墓地でアルマの代わりに生贄を差し出せる人間がいたら?
レスターはアルマを生かし、別の生贄を連れて、馬車を走らせたのだろうか。
そんな空想を楽しめるほど、アルマに元気は残っていない。心には深い諦めと、膜が張って濁った薄い希望が、沈殿している。
山の麓まできたところで、馬車はゆるやかに速度を落とし、ゆっくりと止まった。
「着きましたよ」
レスターが自ら馬車の扉を開け、アルマに手を差し出す。
レスターの手を遠慮がちに取り、慎重に足を降ろす。久しぶりに地面を踏んだ気がするが、墓地を出てから半日も経っていないはずだ。
長時間乗ったわけではないはずだが、体がまだ馬車の揺れを覚えているようで、足元がふらふらとおぼつかない。
レスターがアルマに、一本の獣道を指す。
「その道をまっすぐ登っていけば、砦に着きます。道をはずれたら狼の餌食になるので、おすすめはしません」
安易に逃げるな、と言いたいのだろう。
「少し登ればすぐに見えますから、日没前には着くでしょう。跳ね橋の前の鐘を鳴らせば、番人が出てくるはずです」
アルマがわずかに頷いたのを見て、レスターは足早に馬車の中へ戻っていく。
「レスター様は砦まで、いかないのですか?」
一人で日の暮れかけた山を登るのが怖くなり、レスターに声をかけたが、その顔はやんわりと拒絶を表していた。
「彼に会うと、いつも喧嘩になるのでね。私がいつ喰われるやもしれないので、なるべく会いたくないのです」
そこまで言われると、アルマも無理についてきてほしいとは言えなかった。
暗くなりはじめている獣道を一瞥し、覚悟を決める。
「君が長く生きられるように、祈っています」
アルマの返事も聞かず、馬車はきた道を引き返していった。
後味の悪さを感じながらも、アルマに残された道は、山を登って砦にたどり着くことだけである。
日の暮れかかった山は、恐ろしいほどに静かだ。枝を踏む微かな物音さえ、普段の何倍もの大きさで聞こえ、狼に気づかれはしないかと不安になる。
気を張っているせいか、上手いこと歩が進まず、自分で自分の足を踏みつけながら、なんとか前に進む。自分の息遣いと、落ち葉を踏むカサカサとした音だけが耳に残る。
アルマはふと、ステラのことを思った。ここにステラがいれば、こんなに心細くなることもなかっただろう。
ステラは落ち葉に体を擦りつけるのが好きだった。泥まみれ、落ち葉まみれになりながら、アルマを楽しそうに見上げる目を思い出して、視界が滲む。
ステラの亡骸は、きちんと埋葬されたのだろうか。墓地から馬車に至るまでの記憶が曖昧で、ほとんど思い出せない。レスターに聞けば分かるかもしれないが、もう一度会える保証はなかった。
登り坂は思ったよりも傾斜がゆるく、荷馬車でも通れそうなくらい獣道は広い。
時折、道の脇でなにかが動く気配がする。アルマは気づかないふりをした。一度気になってしまえば、その存在を意識せざるを得ないが、極力、不安からは目を背けたかった。
馬車から見た塔の先端が、空に高く昇っていく。
徐々に見えてきたのは高い石壁と、石壁を取り囲むように張り巡らされた水路だ。
高い壁に阻まれ、中を覗くことはできないが、かなり規模が大きいように見える。山の一部を切り開いて建てられたであろう砦は、背後にそびえる切り立った崖までが、防衛拠点としての役割を果たしているようだ。
アルマは道が途切れ、水路になっている場所までやってきた。間近で見る水路は、思ったよりも幅が広く、底が見えないほど深い。馬でも渡るのは難しそうだ。
対岸には、来訪者を拒むように跳ね橋が上がっている。声を出して人を呼ぶには、砦はあまりにも遠かった。
目の前に座るレスターは、おそらく四十代前半といったところだろう。レスターの話が本当だとすれば竜人の騎士は、四十年前にはすでに西の砦を治め、今もなお若さを保ったまま砦の騎士を続けていることになる。
アルマは竜を見たことも、竜人に会ったこともない。すべてはおとぎ話の中の話だと思っていた。しかし、おとぎ話だと思っていたそれは、急激に実体を伴って、アルマに近づいてきているのである。
「生贄になる運命を受け入れているのですね」
そう声をかけられ、アルマは、はっと顔を上げた。
「生贄になりたくない一心で、馬車から飛び降りて死ぬ女もいるくらいなんですよ。でも、君は泣きも喚きもしない。すべてを受け入れて、すべてを諦めているように見えます」
レスターの言うことは半分くらい、正しいように思う。アルマは生贄になることに恐怖は覚えるものの、命がけで逃げ出そうとは思っていなかった。
「……あの場でレスター様に助けていただけなかったら、わたしは死んでいましたから。寿命が少し延びただけ、そう思うんです」
いつの間にか、日没が近づいている。
村の姿はもう跡形もなく、馬車は枯れ木の間を走る獣道に従って進み、山の方へ向かっているようだ。山頂の辺りに、塔の先端らしきものが見える。あれが、砦の一部だろうか。
「君ほどの綺麗な瞳を持つ人間を、そう易々と生贄にしてしまうのは惜しい」
レスターは窓の外に目を向けたまま、ぽつりと呟いた。しかし、この決定を取り消すつもりはないようだ。
そもそも、レスターが本気でアルマの瞳を綺麗だと思っているのかも、確かめようがない。本当は村の人間と同じく、アルマを自分の領地に潜む異端者だとみて、生贄として処分しようとしている可能性もある。
もし、あの墓地でアルマの代わりに生贄を差し出せる人間がいたら?
レスターはアルマを生かし、別の生贄を連れて、馬車を走らせたのだろうか。
そんな空想を楽しめるほど、アルマに元気は残っていない。心には深い諦めと、膜が張って濁った薄い希望が、沈殿している。
山の麓まできたところで、馬車はゆるやかに速度を落とし、ゆっくりと止まった。
「着きましたよ」
レスターが自ら馬車の扉を開け、アルマに手を差し出す。
レスターの手を遠慮がちに取り、慎重に足を降ろす。久しぶりに地面を踏んだ気がするが、墓地を出てから半日も経っていないはずだ。
長時間乗ったわけではないはずだが、体がまだ馬車の揺れを覚えているようで、足元がふらふらとおぼつかない。
レスターがアルマに、一本の獣道を指す。
「その道をまっすぐ登っていけば、砦に着きます。道をはずれたら狼の餌食になるので、おすすめはしません」
安易に逃げるな、と言いたいのだろう。
「少し登ればすぐに見えますから、日没前には着くでしょう。跳ね橋の前の鐘を鳴らせば、番人が出てくるはずです」
アルマがわずかに頷いたのを見て、レスターは足早に馬車の中へ戻っていく。
「レスター様は砦まで、いかないのですか?」
一人で日の暮れかけた山を登るのが怖くなり、レスターに声をかけたが、その顔はやんわりと拒絶を表していた。
「彼に会うと、いつも喧嘩になるのでね。私がいつ喰われるやもしれないので、なるべく会いたくないのです」
そこまで言われると、アルマも無理についてきてほしいとは言えなかった。
暗くなりはじめている獣道を一瞥し、覚悟を決める。
「君が長く生きられるように、祈っています」
アルマの返事も聞かず、馬車はきた道を引き返していった。
後味の悪さを感じながらも、アルマに残された道は、山を登って砦にたどり着くことだけである。
日の暮れかかった山は、恐ろしいほどに静かだ。枝を踏む微かな物音さえ、普段の何倍もの大きさで聞こえ、狼に気づかれはしないかと不安になる。
気を張っているせいか、上手いこと歩が進まず、自分で自分の足を踏みつけながら、なんとか前に進む。自分の息遣いと、落ち葉を踏むカサカサとした音だけが耳に残る。
アルマはふと、ステラのことを思った。ここにステラがいれば、こんなに心細くなることもなかっただろう。
ステラは落ち葉に体を擦りつけるのが好きだった。泥まみれ、落ち葉まみれになりながら、アルマを楽しそうに見上げる目を思い出して、視界が滲む。
ステラの亡骸は、きちんと埋葬されたのだろうか。墓地から馬車に至るまでの記憶が曖昧で、ほとんど思い出せない。レスターに聞けば分かるかもしれないが、もう一度会える保証はなかった。
登り坂は思ったよりも傾斜がゆるく、荷馬車でも通れそうなくらい獣道は広い。
時折、道の脇でなにかが動く気配がする。アルマは気づかないふりをした。一度気になってしまえば、その存在を意識せざるを得ないが、極力、不安からは目を背けたかった。
馬車から見た塔の先端が、空に高く昇っていく。
徐々に見えてきたのは高い石壁と、石壁を取り囲むように張り巡らされた水路だ。
高い壁に阻まれ、中を覗くことはできないが、かなり規模が大きいように見える。山の一部を切り開いて建てられたであろう砦は、背後にそびえる切り立った崖までが、防衛拠点としての役割を果たしているようだ。
アルマは道が途切れ、水路になっている場所までやってきた。間近で見る水路は、思ったよりも幅が広く、底が見えないほど深い。馬でも渡るのは難しそうだ。
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