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18.鍵のかかった部屋
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「たぶん女だろ」
カルナは皮ごとよく焼いた豚の足にかぶりつきながら、適当に答えた。
「たぶんって……この子、けっこう大人みたいですけど、お屋敷で子猫を産んだりしていないんですか?」
「さあ、よく知らねぇ」
猫になどもう興味がないのか、カルナは目の前の豚を解体することに躍起になっている。骨ごと食べていないところを見ると、今日はさほど空腹ではないらしい。砦を出る前に持たせた、大きな鶏肉のパイ包みが功を奏した結果だろう。
カルナの足元では、白い毛がもぞもぞと動いて、ほぐした魚の身を一心不乱にむさぼっている。塩漬けの魚だったため、塩をよく洗い流し、なるべく塩味の染みていない内側の身を蒸してやった。
アルマは猫にやった蒸し魚の残りをつついている。冬はどうしても保存のきく塩漬けや燻製の肉、魚が多い。リオは慣れだと言っていたけれど、連日の塩辛さには、ほとほと飽きているところだ。
ライ麦と大麦を混ぜた、膨らみの悪いパンをかじる。
「性別が分かれば、名前も決めやすいくなると思ったんですが……」
カルナの「たぶん女」という言葉を信じて、可愛らしい名前を付けようか?
でも、もし男の子だった時に、可愛い名前では可哀想だ。
アルマはうんうんと頭を悩ませる。
「そもそも、こいつに性別あんのか?」
「猫はちゃんとオスとメスに分かれていますよ」
「そうだよな」
「竜は性別がないんですか?」
「いや、ある。結婚もするし、子どももできる」
「なんか不思議ですね、竜が猫を拾ってくるなんて」
「喰うために拾ったわけじゃねぇぞ」
カルナが心外だというように顔を歪める。
「分かってますよ」
いくらカルナでも、犬猫まで食べることはないだろう。昔はともかく、今は生肉よりもアルマの作った料理を食べてくれている。犬猫を食べなければいけないほど、空腹に追い込まれることもないだろう。
魚を食べ終えた猫は、アルマのワンピースの裾にじゃれつきながら、毛づくろいをしている。
「そいつは……ミーシャって顔だな」
「ミーシャ?」
「猫の名前ですか?」と問う前に、猫が大きな伸びをして、あくび混じりに一鳴きした。
カルナが「ミーシャ」と呼びかけると、得意げにテーブルの上へ飛び乗ってくる。猫、もといミーシャは完全に自分の名前を理解していた。
アルマの皿に残った魚をしつこく狙ってくるので、抱えてテーブルの上から下ろす。
「そうだ。お前、明日の昼は空けておけ」
カルナがしゃぶりつくした豚の足を放って言う。手を伸ばしてきたので、パンを一切れ渡した。
「なにか用事でも?」
「ああ、ちょっとな。掃除の用意も一緒に頼む」
「分かりました」
カルナから直接なにかを頼まれる機会は多くない。
なにか重大なことなのだろうか、と考えながら、アルマは手早くテーブルの上を片付けはじめた。
◇ ◇ ◇
翌日の昼。
アルマは言われた通りに、掃除に必要な道具を揃え、カルナが階下に来るのを待っていた。
昨日の夜は特に冷え込んでいたこともあり、ミーシャがアルマのベッドへ潜り込んできた。おかげで暖かく、朝までぐっすり眠れた。
革靴が床を叩く音がして、カルナが二階から途中まで下りてくる。階段の途中でアルマに向かって手招きをした。
「二階の端の部屋だ」
道具を持って二階へ上がる。カルナは外側から鍵がかけられた、端の部屋の前に立っていた。
掃除をする必要はないと言われ、なによりアルマは開けることのできない部屋なので、中がどうなっているか、見たこともない。
わざわざ鍵をかけるくらいだから、と少し身構えるが、扉はひっそりと静まり返っている。異臭や、嫌な気配もない。
カルナはポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。カチリ、と音がして、解錠される。
「何年も開けてないから、埃っぽいかもな」
細く開けた扉の隙間から、一気に埃が舞い上がり、カビ臭さが鼻をつく。
扉が完全に開いて、中を窺うと、埃が積もっているものの、アルマの使用している部屋と同じ間取りの、なんの変哲もない一般的な部屋だった。
カルナが足を踏み入れたことで埃が舞い、放置されてきた年月の長さをうかがわせる。
部屋に合わせて作られたであろう、小ぢんまりとしたベッドと机、アルマの胸あたりの高さの本棚。本棚には聖書らしきものが一冊入っているだけで、あとは空っぽだ。
カルナは木枠だけになっているベッドの埃を払い、腰かけた。
「十年くらい前に、ここへ来た女が使っていた部屋だ。レスターに連れて来られた女だったが、確か二、三年はいたと思う」
生贄としては珍しく、長い期間、砦にいたらしい。
「その方は、そのあとどこへ?」
「さあ、分からん。出かけると言って、そのまま戻ってこなかった。すぐに別の女が送られてきたから、いつものパターンだと思った」
いつものパターンというわりには、使っていた部屋を鍵までかけて保存していたようだ。
なぜアルマをこの部屋へ通す気になったのか、いまいちカルナの意図は掴めない。掃除道具を持ってくるよう言っていたから案外、深い意味はなく、ただ掃除をさせたかっただけかもしれない。
カルナは机に備えつけられた引き出しを指した。
「そこに女の持ち物が、あらかた入ってる。掃除が終わったら好きに使えばいい」
「でも、持ち主の方は……」
「生きてても死んでても、ここに戻ってくることはないだろ。お前も、母親が何十年も経って、ひょっこり帰ってくるとは思ってないんだろ?」
「そうですね……もう十二年、待ちましたから」
この部屋にいた女性は、家族の元へ帰ったのだろうか。それとも、出た先でなにかに巻き込まれて……。
アルマはゆるやかに首を振って、思考を断ち切った。一緒に母親のことまで思い出して感情の波にさらわれそうになったが、現実に立ち返る。
やるべきことは、この部屋の掃除だ。終わってから、ゆっくりと考えればいい。
カルナは皮ごとよく焼いた豚の足にかぶりつきながら、適当に答えた。
「たぶんって……この子、けっこう大人みたいですけど、お屋敷で子猫を産んだりしていないんですか?」
「さあ、よく知らねぇ」
猫になどもう興味がないのか、カルナは目の前の豚を解体することに躍起になっている。骨ごと食べていないところを見ると、今日はさほど空腹ではないらしい。砦を出る前に持たせた、大きな鶏肉のパイ包みが功を奏した結果だろう。
カルナの足元では、白い毛がもぞもぞと動いて、ほぐした魚の身を一心不乱にむさぼっている。塩漬けの魚だったため、塩をよく洗い流し、なるべく塩味の染みていない内側の身を蒸してやった。
アルマは猫にやった蒸し魚の残りをつついている。冬はどうしても保存のきく塩漬けや燻製の肉、魚が多い。リオは慣れだと言っていたけれど、連日の塩辛さには、ほとほと飽きているところだ。
ライ麦と大麦を混ぜた、膨らみの悪いパンをかじる。
「性別が分かれば、名前も決めやすいくなると思ったんですが……」
カルナの「たぶん女」という言葉を信じて、可愛らしい名前を付けようか?
でも、もし男の子だった時に、可愛い名前では可哀想だ。
アルマはうんうんと頭を悩ませる。
「そもそも、こいつに性別あんのか?」
「猫はちゃんとオスとメスに分かれていますよ」
「そうだよな」
「竜は性別がないんですか?」
「いや、ある。結婚もするし、子どももできる」
「なんか不思議ですね、竜が猫を拾ってくるなんて」
「喰うために拾ったわけじゃねぇぞ」
カルナが心外だというように顔を歪める。
「分かってますよ」
いくらカルナでも、犬猫まで食べることはないだろう。昔はともかく、今は生肉よりもアルマの作った料理を食べてくれている。犬猫を食べなければいけないほど、空腹に追い込まれることもないだろう。
魚を食べ終えた猫は、アルマのワンピースの裾にじゃれつきながら、毛づくろいをしている。
「そいつは……ミーシャって顔だな」
「ミーシャ?」
「猫の名前ですか?」と問う前に、猫が大きな伸びをして、あくび混じりに一鳴きした。
カルナが「ミーシャ」と呼びかけると、得意げにテーブルの上へ飛び乗ってくる。猫、もといミーシャは完全に自分の名前を理解していた。
アルマの皿に残った魚をしつこく狙ってくるので、抱えてテーブルの上から下ろす。
「そうだ。お前、明日の昼は空けておけ」
カルナがしゃぶりつくした豚の足を放って言う。手を伸ばしてきたので、パンを一切れ渡した。
「なにか用事でも?」
「ああ、ちょっとな。掃除の用意も一緒に頼む」
「分かりました」
カルナから直接なにかを頼まれる機会は多くない。
なにか重大なことなのだろうか、と考えながら、アルマは手早くテーブルの上を片付けはじめた。
◇ ◇ ◇
翌日の昼。
アルマは言われた通りに、掃除に必要な道具を揃え、カルナが階下に来るのを待っていた。
昨日の夜は特に冷え込んでいたこともあり、ミーシャがアルマのベッドへ潜り込んできた。おかげで暖かく、朝までぐっすり眠れた。
革靴が床を叩く音がして、カルナが二階から途中まで下りてくる。階段の途中でアルマに向かって手招きをした。
「二階の端の部屋だ」
道具を持って二階へ上がる。カルナは外側から鍵がかけられた、端の部屋の前に立っていた。
掃除をする必要はないと言われ、なによりアルマは開けることのできない部屋なので、中がどうなっているか、見たこともない。
わざわざ鍵をかけるくらいだから、と少し身構えるが、扉はひっそりと静まり返っている。異臭や、嫌な気配もない。
カルナはポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。カチリ、と音がして、解錠される。
「何年も開けてないから、埃っぽいかもな」
細く開けた扉の隙間から、一気に埃が舞い上がり、カビ臭さが鼻をつく。
扉が完全に開いて、中を窺うと、埃が積もっているものの、アルマの使用している部屋と同じ間取りの、なんの変哲もない一般的な部屋だった。
カルナが足を踏み入れたことで埃が舞い、放置されてきた年月の長さをうかがわせる。
部屋に合わせて作られたであろう、小ぢんまりとしたベッドと机、アルマの胸あたりの高さの本棚。本棚には聖書らしきものが一冊入っているだけで、あとは空っぽだ。
カルナは木枠だけになっているベッドの埃を払い、腰かけた。
「十年くらい前に、ここへ来た女が使っていた部屋だ。レスターに連れて来られた女だったが、確か二、三年はいたと思う」
生贄としては珍しく、長い期間、砦にいたらしい。
「その方は、そのあとどこへ?」
「さあ、分からん。出かけると言って、そのまま戻ってこなかった。すぐに別の女が送られてきたから、いつものパターンだと思った」
いつものパターンというわりには、使っていた部屋を鍵までかけて保存していたようだ。
なぜアルマをこの部屋へ通す気になったのか、いまいちカルナの意図は掴めない。掃除道具を持ってくるよう言っていたから案外、深い意味はなく、ただ掃除をさせたかっただけかもしれない。
カルナは机に備えつけられた引き出しを指した。
「そこに女の持ち物が、あらかた入ってる。掃除が終わったら好きに使えばいい」
「でも、持ち主の方は……」
「生きてても死んでても、ここに戻ってくることはないだろ。お前も、母親が何十年も経って、ひょっこり帰ってくるとは思ってないんだろ?」
「そうですね……もう十二年、待ちましたから」
この部屋にいた女性は、家族の元へ帰ったのだろうか。それとも、出た先でなにかに巻き込まれて……。
アルマはゆるやかに首を振って、思考を断ち切った。一緒に母親のことまで思い出して感情の波にさらわれそうになったが、現実に立ち返る。
やるべきことは、この部屋の掃除だ。終わってから、ゆっくりと考えればいい。
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