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2章(4)
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四年前――。
「なんで君についていかなきゃいけないんだ……」
碧は友人である赤崎の後ろをのろのろと歩きながら、文句を垂れた。
「執筆してるって言っても、どうせネタが思いつかなくて行き詰まってるんだろ? だったら新しいものでも見たらいいんじゃないかと思って」
前を歩く赤崎も、碧の文句には慣れた様子でそう返す。
赤崎とは高校に入ってから知り合った。線が細く、年中眼鏡が手放せない根っからの文系人間である碧とは対照的に、赤崎は身体つきがしっかりとしており、誰とでも仲良くなれそうな明るい体育会系の人間だ。
一見すると接点のなさそうな二人であるが、唯一の共通点が二人とも帰宅部であるということだった。碧は元々、部活に入る気はさらさらなく入学してすぐに帰宅部への所属を決め込んだ。一方の赤崎は、水泳のクラブに入っているとかなんとかで高校の部活には所属していない。碧たちが通う高校には水泳部がなかった。
今日は土曜日。本来なら家にこもって、一日中執筆をする予定だった。応募する予定の新人賞の締切が四ヶ月後に迫っているのだ。毎年応募しているが、未だに二次選考より先に進んだことがない。今年こそは。そう思ってはいるが、赤崎の言う通りネタが浮かんでいないというのも事実だった。
そうして悶々としている碧を見かねた赤崎が教室で声をかけてきたのが昨日。なんの説明もなく、ただ一言「水泳の大会を見に行こう」と言った。
「君は今回の大会には出ないのか?」
「俺? 俺は今回は見送ったよ。肩の調子がよくないんだ」
「じゃあ最近ずっと暇そうにしているのは……」
「練習もできないからね。放課後を狙って、小野くんに話しかけるくらいしかすることがない」
赤崎の暇つぶしに巻き込まれたことに多少の嫌気を感じつつも、碧はホイホイと大会の会場までついてきてしまっていた。別に水泳の試合を見たからといって、なにかいいアイデアが生まれるなどとは思っていない。アウトプットが上手くいかないなら、せめてインプットを増やそうと思っただけだ。
さほど大きな大会ではないのか、プールを取り囲むようにしてぐるりと設けられた観客席には出場者の保護者や関係者らしき人影がパラパラといる程度だった。男子高校生二人で観戦に来るような酔狂な人間は今のところ自分たち以外には見えない。
「思ったより人がすくないな」
赤崎が観客席の最前列に腰を下ろしながら言う。プールサイドでは、すでに何人かの選手が入念に準備運動をしたり、じっと濡れた床を見つめたりしていた。
電光掲示板に目をやると、これから行われるのは「400m自由形」という競技らしい。一口に水泳といっても、様々な種目があることは道中で赤崎から聞いていた。そしてこれから行われる「400m自由形」が特に今回の大会の目玉であることも。
「君が言ってた奴は、どこにいるんだ?」
競技用の水着を身に着け、ゴーグルをつけた選手たちは碧の目にはみんな同一人物に見えた。観客席からでは遠すぎて、水着の色や背丈のちがい程度しかわからない。選手たちがそれぞれのレーンの端に立つのを見ながら、赤崎が一点に指を差した。
「右端に立ってるのが、道上隼人。身長は低いけど、多くの大会新記録を持つ天才だよ」
赤崎が指差すほうを見る。なるほど、たしかに彼の言う通り身長はそう高くないようだ。隣に立つ選手と比べても頭ひとつ分はちがうように見える。
「道上隼人の隣に立ってるのが、十束旭陽。道上隼人と同じ地元、同じクラブ、同じ年齢の、まさしくライバルだ」
「彼も泳ぎが上手いのか?」
「記録では道上には劣るけどね。努力だけで食らいついてる選手って感じかな」
赤崎の説明を聞いているうちに選手紹介が終わり、選手それぞれがスタートの姿勢を取る。
ピ、という短い電子音が響いたあと、一斉に選手が水中へと躍り出た。水面が波立ち、長い腕が水をかき分けて、ぐんぐん身体が進んでいく。
「なんだ、自由形というけれどみんなクロールじゃないか」
「そりゃあクロールが一番速度が出るからね」
一人くらい、ちがう泳ぎ方をすれば面白いのに……という素人の感想を抱きながら、碧は水中で繰り広げられる戦いを黙って見ていた。
何度往復すればゴールなのかもわからず見ていたが、隣にいた赤崎がふいに「今回も一位は道上みたいだ」というのを聞いて、右端を見た。その時すでに、道上はプールの端に手をつき、水面から顔を覗かせていた。
「ほら、出た。大会新記録だ」
赤崎が呆れたような笑みを浮かべて電光掲示板を指差す。天才といわれる所以を、存分に見せつけられたようだった。
けれど、碧の視線は天才の隣に注がれていた。道上の隣のレーンを泳いでいた選手は、プールから上がると頭に被っていたキャップとゴーグルを床に叩きつけた。さっと電光掲示板に目を走らせると、隣の彼はどうやら二位だったようだ。
二位でも、入賞は入賞じゃないか。小説の新人賞でいえば、銀賞とか準大賞とかそんなところだろう。
席を立ちかけた時――碧は、目に飛び込んできた光景にぎょっとした。二位の彼が、プールサイドに突っ立ち、大声を上げて泣いていたからだ。その声は観客席まで届いてきていた。
「なにをそんなに……」
悔しがる必要があるのか。一位にはなれなかったかもしれないが、二位にはなれた。メダルはもらえるというのに。
それでも碧は大柄な背を丸めて号泣する彼から、目を離せなかった。負けた悔しさが、こちらまで届いてくるようで。一位じゃなきゃ意味がないと言われているようで。
気づけば碧の頭はめくるめくストーリーを組み立てはじめていた。天才に努力だけで食らいつき、人目を憚らず悔しさを表に出せる人間。彼こそが、主人公にふさわしい。
碧は未だ顔を覆って泣いている彼を一瞥し、赤崎について会場を後にした。
僕の物語の中で――君は天才に勝つ。
碧はその日を堺に、猛然と執筆をはじめた。今まで進まなかった筆が嘘のようにスラスラと進み、締切よりもだいぶ早く完成した。
そして一年後――。碧の書いた物語は日の目を見ることになる。大賞には届かなかった、銀賞として。
「なんで君についていかなきゃいけないんだ……」
碧は友人である赤崎の後ろをのろのろと歩きながら、文句を垂れた。
「執筆してるって言っても、どうせネタが思いつかなくて行き詰まってるんだろ? だったら新しいものでも見たらいいんじゃないかと思って」
前を歩く赤崎も、碧の文句には慣れた様子でそう返す。
赤崎とは高校に入ってから知り合った。線が細く、年中眼鏡が手放せない根っからの文系人間である碧とは対照的に、赤崎は身体つきがしっかりとしており、誰とでも仲良くなれそうな明るい体育会系の人間だ。
一見すると接点のなさそうな二人であるが、唯一の共通点が二人とも帰宅部であるということだった。碧は元々、部活に入る気はさらさらなく入学してすぐに帰宅部への所属を決め込んだ。一方の赤崎は、水泳のクラブに入っているとかなんとかで高校の部活には所属していない。碧たちが通う高校には水泳部がなかった。
今日は土曜日。本来なら家にこもって、一日中執筆をする予定だった。応募する予定の新人賞の締切が四ヶ月後に迫っているのだ。毎年応募しているが、未だに二次選考より先に進んだことがない。今年こそは。そう思ってはいるが、赤崎の言う通りネタが浮かんでいないというのも事実だった。
そうして悶々としている碧を見かねた赤崎が教室で声をかけてきたのが昨日。なんの説明もなく、ただ一言「水泳の大会を見に行こう」と言った。
「君は今回の大会には出ないのか?」
「俺? 俺は今回は見送ったよ。肩の調子がよくないんだ」
「じゃあ最近ずっと暇そうにしているのは……」
「練習もできないからね。放課後を狙って、小野くんに話しかけるくらいしかすることがない」
赤崎の暇つぶしに巻き込まれたことに多少の嫌気を感じつつも、碧はホイホイと大会の会場までついてきてしまっていた。別に水泳の試合を見たからといって、なにかいいアイデアが生まれるなどとは思っていない。アウトプットが上手くいかないなら、せめてインプットを増やそうと思っただけだ。
さほど大きな大会ではないのか、プールを取り囲むようにしてぐるりと設けられた観客席には出場者の保護者や関係者らしき人影がパラパラといる程度だった。男子高校生二人で観戦に来るような酔狂な人間は今のところ自分たち以外には見えない。
「思ったより人がすくないな」
赤崎が観客席の最前列に腰を下ろしながら言う。プールサイドでは、すでに何人かの選手が入念に準備運動をしたり、じっと濡れた床を見つめたりしていた。
電光掲示板に目をやると、これから行われるのは「400m自由形」という競技らしい。一口に水泳といっても、様々な種目があることは道中で赤崎から聞いていた。そしてこれから行われる「400m自由形」が特に今回の大会の目玉であることも。
「君が言ってた奴は、どこにいるんだ?」
競技用の水着を身に着け、ゴーグルをつけた選手たちは碧の目にはみんな同一人物に見えた。観客席からでは遠すぎて、水着の色や背丈のちがい程度しかわからない。選手たちがそれぞれのレーンの端に立つのを見ながら、赤崎が一点に指を差した。
「右端に立ってるのが、道上隼人。身長は低いけど、多くの大会新記録を持つ天才だよ」
赤崎が指差すほうを見る。なるほど、たしかに彼の言う通り身長はそう高くないようだ。隣に立つ選手と比べても頭ひとつ分はちがうように見える。
「道上隼人の隣に立ってるのが、十束旭陽。道上隼人と同じ地元、同じクラブ、同じ年齢の、まさしくライバルだ」
「彼も泳ぎが上手いのか?」
「記録では道上には劣るけどね。努力だけで食らいついてる選手って感じかな」
赤崎の説明を聞いているうちに選手紹介が終わり、選手それぞれがスタートの姿勢を取る。
ピ、という短い電子音が響いたあと、一斉に選手が水中へと躍り出た。水面が波立ち、長い腕が水をかき分けて、ぐんぐん身体が進んでいく。
「なんだ、自由形というけれどみんなクロールじゃないか」
「そりゃあクロールが一番速度が出るからね」
一人くらい、ちがう泳ぎ方をすれば面白いのに……という素人の感想を抱きながら、碧は水中で繰り広げられる戦いを黙って見ていた。
何度往復すればゴールなのかもわからず見ていたが、隣にいた赤崎がふいに「今回も一位は道上みたいだ」というのを聞いて、右端を見た。その時すでに、道上はプールの端に手をつき、水面から顔を覗かせていた。
「ほら、出た。大会新記録だ」
赤崎が呆れたような笑みを浮かべて電光掲示板を指差す。天才といわれる所以を、存分に見せつけられたようだった。
けれど、碧の視線は天才の隣に注がれていた。道上の隣のレーンを泳いでいた選手は、プールから上がると頭に被っていたキャップとゴーグルを床に叩きつけた。さっと電光掲示板に目を走らせると、隣の彼はどうやら二位だったようだ。
二位でも、入賞は入賞じゃないか。小説の新人賞でいえば、銀賞とか準大賞とかそんなところだろう。
席を立ちかけた時――碧は、目に飛び込んできた光景にぎょっとした。二位の彼が、プールサイドに突っ立ち、大声を上げて泣いていたからだ。その声は観客席まで届いてきていた。
「なにをそんなに……」
悔しがる必要があるのか。一位にはなれなかったかもしれないが、二位にはなれた。メダルはもらえるというのに。
それでも碧は大柄な背を丸めて号泣する彼から、目を離せなかった。負けた悔しさが、こちらまで届いてくるようで。一位じゃなきゃ意味がないと言われているようで。
気づけば碧の頭はめくるめくストーリーを組み立てはじめていた。天才に努力だけで食らいつき、人目を憚らず悔しさを表に出せる人間。彼こそが、主人公にふさわしい。
碧は未だ顔を覆って泣いている彼を一瞥し、赤崎について会場を後にした。
僕の物語の中で――君は天才に勝つ。
碧はその日を堺に、猛然と執筆をはじめた。今まで進まなかった筆が嘘のようにスラスラと進み、締切よりもだいぶ早く完成した。
そして一年後――。碧の書いた物語は日の目を見ることになる。大賞には届かなかった、銀賞として。
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