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3章(3)
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翌日。旭陽は講義が終わったと同時に講義室を抜け出し、一目散に部室を目指した。駆け足で構内を抜け、水泳部の部室にたどり着く。部室の鍵は開いていたが、人の姿は見えなかった。
旭陽はてきぱきと着替えを済ませると、すぐにプールサイドに出た。先輩たちがちらほらと泳いでいるのを見ながら、入念にストレッチを行う。そのうち一年生たちがぞろぞろとプールにやってきて、旭陽の姿を認めると眉をひそめた。
そういった反応をされることは覚悟していた。正直、これまでの自分の態度は真剣に部活に打ち込んでいる人間から見れば気持ちのいいものではなかっただろう。昨日、碧の部屋から戻った後、旭陽は自分のこれまでの行いをじっくりと振り返った。そして、過去に自分も選手コースにいるのにやる気のない練習生を見て、密かに腹を立てていたことを思い出した。
旭陽は一年生たちが声をかけてくる前にストレッチを切り上げ、立ち上がった。集団の先頭には、昨日、旭陽に向かってやる気がないなら帰ってほしいと進言した彼が立っていた。
「今まで悪かった。部活に顔出してるのに、中途半端な格好ばっかり見せて」
旭陽は素直に頭を下げた。何人かが困惑したように小さな声を上げるのを聞いた。
「俺、今月の大会で入賞を目指してる。だから一緒に練習することを許してほしい。これからは真剣にやるから」
しばらく沈黙が続いた。どう反応するべきか、迷っているようでもある。やがて、一人が「もうやる気ない姿見せるなよ」と言ったことで、旭陽はゆっくりと顔を上げた。そう言ったのは、短髪の彼のようだ。それ以上、言葉を重ねることもできず、旭陽はまた頭を下げた。
その後は粛々と練習をした。一年生たちはまだ遠巻きに旭陽のことを見ていたが、時折、二年生の先輩や部長の赤崎が様子を窺うように声をかけてくれた。そのひとつひとつに対応しながら、旭陽はわずかな罪悪感を覚えていた。
自分はどうせ、今月の大会に出たら大学ごと辞めるつもりなのだから。
◇ ◇ ◇
講義と練習に明け暮れている間に、あっという間に大会当日がやってきた。仕上がりは万全とは言えない。練習量が足りていないことは旭陽も自覚していた。
しかし当日がやってきたからにはやるしかない。いつもと同じ、400m自由形にのみエントリーしている。そして今日は、大学に入ってからはじめて道上隼人と大会で会う日でもあった。
旭陽とは別の大学に行った道上とは、まったく連絡を取っていなかった。そのため彼がどのくらい練習し、どのくらいタイムを縮めてきたのか、まったく情報がない。自身の才能にあぐらをかいて練習をサボるような人間ではない。旭陽が足踏みをしている間に、道上はまた数歩先に行っていることはたしかめる必要もなかった。
二つレーンを挟んだ先に、道上はいた。更衣室でも姿は見かけていたが、お互い存在を認知していないかのように無視して言葉を交わすことはなかった。
合図に従って、スタートの姿勢を取る。全神経を耳に集中させ、観客のざわめきの中からスタートの電子音を拾う。
ピッ、とスタートを知らせる音が鳴って、旭陽はスタート台を蹴った。いつもと同じフォームで入水し、まるで自分の身体が水と一体になったかのような感覚を得る。抵抗を感じながら、腕を回し、ぐんぐん前に進む。今のところ、練習の時と変わらないペースを維持できている。呼吸のために水から顔を上げると、その時だけはくぐもっていた音がクリアに聞こえる。
最後のターンを終えて、旭陽は怠さを訴える腕で水をかいた。隣のレーンの選手が自分よりだいぶ遅れていることはわかる。しかし、道上がどこを泳いでいるかはわからない。もうゴールしたのか?
プールの壁に触れ、旭陽は勢いよく水中から顔を上げた。ゴーグルを外し、天井近くに設けられた電光掲示板を仰ぐ。
一位から順にタイムをたどり、三位に自分の名前を見つけて、ホッとした。一応、入賞は果たせた。一位はもちろん道上。二位は道上と同じ大学に通っているという学生だった。
久しぶりの銅メダルは、自身の練習が足りないことを如実に表していた。四月の段階からきちんと練習していれば、道上には勝てなくとも二位には滑り込めただろう。それが、他の選手に負けるなんて。道上以外に負けるのは、本当に久しぶりの出来事だった。
更衣室で帰り支度をしていると、道上がそばに寄ってきた気配がした。リュックを背負い、自分より低い位置にある頭を見下ろす。
「お前、練習してないだろ」
道上はむっつりと唇を引き結び、嫌悪感すら露わにして、そう言った。
「俺が練習サボったって、お前には関係ないだろ。俺がなにしてもしなくても、お前が一位なのは変わらないんだから」
「……そんな奴だとは思わなかった」
それきり、道上は旭陽のことをぎりっと睨むと更衣室を出ていった。なぜ彼があんなに怒るのか、旭陽にはその理由がわからなかった。
道上は今回も一位になった。それだけで満足じゃないのか。なぜわざわざ旭陽に突っかかってきたのか。
旭陽は重たい足を引きずって、会場を後にした。外に出ると、梅雨時には珍しい綺麗な茜色の夕暮れ空が広がっており、旭陽は夕日の眩しさに目を細めながら改めて決意した。
碧との勝負は、おそらく自分が勝っただろう。これで心置きなく、すべてを諦めることができる。
旭陽はてきぱきと着替えを済ませると、すぐにプールサイドに出た。先輩たちがちらほらと泳いでいるのを見ながら、入念にストレッチを行う。そのうち一年生たちがぞろぞろとプールにやってきて、旭陽の姿を認めると眉をひそめた。
そういった反応をされることは覚悟していた。正直、これまでの自分の態度は真剣に部活に打ち込んでいる人間から見れば気持ちのいいものではなかっただろう。昨日、碧の部屋から戻った後、旭陽は自分のこれまでの行いをじっくりと振り返った。そして、過去に自分も選手コースにいるのにやる気のない練習生を見て、密かに腹を立てていたことを思い出した。
旭陽は一年生たちが声をかけてくる前にストレッチを切り上げ、立ち上がった。集団の先頭には、昨日、旭陽に向かってやる気がないなら帰ってほしいと進言した彼が立っていた。
「今まで悪かった。部活に顔出してるのに、中途半端な格好ばっかり見せて」
旭陽は素直に頭を下げた。何人かが困惑したように小さな声を上げるのを聞いた。
「俺、今月の大会で入賞を目指してる。だから一緒に練習することを許してほしい。これからは真剣にやるから」
しばらく沈黙が続いた。どう反応するべきか、迷っているようでもある。やがて、一人が「もうやる気ない姿見せるなよ」と言ったことで、旭陽はゆっくりと顔を上げた。そう言ったのは、短髪の彼のようだ。それ以上、言葉を重ねることもできず、旭陽はまた頭を下げた。
その後は粛々と練習をした。一年生たちはまだ遠巻きに旭陽のことを見ていたが、時折、二年生の先輩や部長の赤崎が様子を窺うように声をかけてくれた。そのひとつひとつに対応しながら、旭陽はわずかな罪悪感を覚えていた。
自分はどうせ、今月の大会に出たら大学ごと辞めるつもりなのだから。
◇ ◇ ◇
講義と練習に明け暮れている間に、あっという間に大会当日がやってきた。仕上がりは万全とは言えない。練習量が足りていないことは旭陽も自覚していた。
しかし当日がやってきたからにはやるしかない。いつもと同じ、400m自由形にのみエントリーしている。そして今日は、大学に入ってからはじめて道上隼人と大会で会う日でもあった。
旭陽とは別の大学に行った道上とは、まったく連絡を取っていなかった。そのため彼がどのくらい練習し、どのくらいタイムを縮めてきたのか、まったく情報がない。自身の才能にあぐらをかいて練習をサボるような人間ではない。旭陽が足踏みをしている間に、道上はまた数歩先に行っていることはたしかめる必要もなかった。
二つレーンを挟んだ先に、道上はいた。更衣室でも姿は見かけていたが、お互い存在を認知していないかのように無視して言葉を交わすことはなかった。
合図に従って、スタートの姿勢を取る。全神経を耳に集中させ、観客のざわめきの中からスタートの電子音を拾う。
ピッ、とスタートを知らせる音が鳴って、旭陽はスタート台を蹴った。いつもと同じフォームで入水し、まるで自分の身体が水と一体になったかのような感覚を得る。抵抗を感じながら、腕を回し、ぐんぐん前に進む。今のところ、練習の時と変わらないペースを維持できている。呼吸のために水から顔を上げると、その時だけはくぐもっていた音がクリアに聞こえる。
最後のターンを終えて、旭陽は怠さを訴える腕で水をかいた。隣のレーンの選手が自分よりだいぶ遅れていることはわかる。しかし、道上がどこを泳いでいるかはわからない。もうゴールしたのか?
プールの壁に触れ、旭陽は勢いよく水中から顔を上げた。ゴーグルを外し、天井近くに設けられた電光掲示板を仰ぐ。
一位から順にタイムをたどり、三位に自分の名前を見つけて、ホッとした。一応、入賞は果たせた。一位はもちろん道上。二位は道上と同じ大学に通っているという学生だった。
久しぶりの銅メダルは、自身の練習が足りないことを如実に表していた。四月の段階からきちんと練習していれば、道上には勝てなくとも二位には滑り込めただろう。それが、他の選手に負けるなんて。道上以外に負けるのは、本当に久しぶりの出来事だった。
更衣室で帰り支度をしていると、道上がそばに寄ってきた気配がした。リュックを背負い、自分より低い位置にある頭を見下ろす。
「お前、練習してないだろ」
道上はむっつりと唇を引き結び、嫌悪感すら露わにして、そう言った。
「俺が練習サボったって、お前には関係ないだろ。俺がなにしてもしなくても、お前が一位なのは変わらないんだから」
「……そんな奴だとは思わなかった」
それきり、道上は旭陽のことをぎりっと睨むと更衣室を出ていった。なぜ彼があんなに怒るのか、旭陽にはその理由がわからなかった。
道上は今回も一位になった。それだけで満足じゃないのか。なぜわざわざ旭陽に突っかかってきたのか。
旭陽は重たい足を引きずって、会場を後にした。外に出ると、梅雨時には珍しい綺麗な茜色の夕暮れ空が広がっており、旭陽は夕日の眩しさに目を細めながら改めて決意した。
碧との勝負は、おそらく自分が勝っただろう。これで心置きなく、すべてを諦めることができる。
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