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5章(5)
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どうして、という編集者の声を、しずくは視線で打ち切った。
「何度も言わせないでもらえます? 野々みどりに書いてもらう。この点を譲るつもりはありません」
編集者は、まだなにか言いたげにしずくに視線を寄越した。当のしずくはそっぽを向いて、編集部の壁に貼られたポスターや、忙しなくフロアを行き交う社員たちを眺めている。
「野々先生のどこがいいのです? 彼は夢見先生とちがって、実績もない。一作出しただけで終わった作家でしょう」
「一作出しただけで終わった作家にしたのは、あなたがたのほうじゃなくって?」
編集者が黙り込んだ。しずくが視線を戻すと、顔を伏せる。自覚はあるということだ。
「わたくしの現役中学生……高校生という点に商機を見出して、あなたがたはわたくしにばかり原稿を書かせた。野々先生だって、わたくしと同じ年の受賞者だというのに、あなたがたは彼を蔑ろにした。ちがう?」
「それは……僕たちも、商売ですから。売れる人に書いてほしいとお願いすることは、悪いことでは――」
「野々先生のデビュー作は決して売れなかったわけじゃない」
しずくは静かに言い切った。前の担当編集からも聞いていた話だ。しずくの本を大々的に売るため、同時期に出版する碧のデビュー作はかなり初版の部数を絞った、と。
碧は味方だと思っていた編集部に裏切られたも同然だった。よくやったほうだと思う。しずくの話題性にも負けず、彼のデビュー作はすくなくとも初版部数をすべて売りきったのだから。
すぐに増刷をしなかったのは、編集部の意向だ。増刷がされていれば、碧のデビュー作はもっと売れた。きっと二作目のオファーもすぐに来た。碧からすべての可能性を断ち切ったのは編集部だ。
「今回の連載を野々先生に書かせないのなら……わたくし、次の原稿は別の出版社へ持っていきます」
「そんな……! ちょっと待ってください!」
「待ちません。自分たちがなにをやってきたか、自覚はあるのでしょう?」
しずくはカップに残った紅茶には目もくれず、席を立ち上がった。
碧に対して、負い目がある。そのことを自覚したのは、自身の二作目が出版された時だった。もし自分が碧の立場だったら――しずくのことを恨むだろう。あいつさえいなければ、自分の本はもっと売れたはず。そう思うだろう。
けれど、碧はしずくが想像していたよりもずっと強かった。しずくが着々と新刊を出し続ける間にも、彼は二作目を出そうと担当編集に企画書やプロットを送り続けていた。編集部には、野々みどりの二作目を出す意向など、まるでなかったというのに。それを知らずに、碧はただひたむきに書き続けていた。
しずくはもう、出版業界で欲しいものを手に入れたと言ってもよかった。どんな本を出しても売れるし、サイン会を開けば毎度多くの人が行列を作ってくれる。発売前重版だって経験した。それでもしずくの中には、どこかそれらの功績はすべて碧から奪ったものだという意識が強かった。
「罪滅ぼし、かしら」
しずくが呟くと、キーボードを叩いていた碧が振り返った。出版社からまっすぐ碧を缶詰にしているホテルにやってきたしずくは、なんとか執筆に食らいついている碧の後ろ姿を眺めていた。
つい先日、碧がホテルから脱走した。行き先は自分の住むアパートだったようだ。書けないと音を上げてアパートに逃げ帰ったのかと思ったが、とっ捕まえて話を聞くと、碧はしきりに十束旭陽という青年に会いたいと繰り返した。隣の部屋に住む大学生らしい。
だからしずくはわざわざアパートまで出向いて、十束旭陽なる青年に釘を刺しておいた。本人はなんのことかわかっていないようにポカンとしていたけれど。もしかしたら目の前にいるのがあの作家の夢見しずくだということも知らなかったのかもしれない。
「僕はいつになったら、解放されるんだ……」
「言ったでしょ。連載三回分の原稿が完成したらよ」
碧はもう限界だというように手を止めた。そして大きく伸びをしてから、ベッドの端に腰かけているしずくを見る。
「君は執筆中、迷ったことはないのか? 常に自分の書いているものが世界で一番面白いと自信があるのか?」
「あるわけないじゃない、そんなもの」
しずくは鼻で笑った。自分の小説に自信があるのなら、わざわざこんな格好はしていないし、編集部が現役女子中学生作家で売りたいと言った時も反対しただろう。話題性で固めているのは、自分の作品に自信がないことの現れだ。筆一本で勝負している碧とは、大違いなことくらい自分が一番よく自覚している。
「ねぇ、野々先生」
天井を振り仰ぐ碧に声をかけた。疲労で充血した目を見ても、可哀想だとは思わない。彼ならもっとやれるはず。自分なんかより、面白い話が書けるはず。
「わたくし、あなたには期待しているのよ。デビューした時から、ずっと」
「そりゃ、どうも」
「本当よ。受賞作を読んだ時……あなたに負けたって思ったんだから」
碧はもうなにも言わなかった。細い指で目頭を揉んで、またパソコンの画面にかじりつくのを、しずくは黙って見ていた。
「何度も言わせないでもらえます? 野々みどりに書いてもらう。この点を譲るつもりはありません」
編集者は、まだなにか言いたげにしずくに視線を寄越した。当のしずくはそっぽを向いて、編集部の壁に貼られたポスターや、忙しなくフロアを行き交う社員たちを眺めている。
「野々先生のどこがいいのです? 彼は夢見先生とちがって、実績もない。一作出しただけで終わった作家でしょう」
「一作出しただけで終わった作家にしたのは、あなたがたのほうじゃなくって?」
編集者が黙り込んだ。しずくが視線を戻すと、顔を伏せる。自覚はあるということだ。
「わたくしの現役中学生……高校生という点に商機を見出して、あなたがたはわたくしにばかり原稿を書かせた。野々先生だって、わたくしと同じ年の受賞者だというのに、あなたがたは彼を蔑ろにした。ちがう?」
「それは……僕たちも、商売ですから。売れる人に書いてほしいとお願いすることは、悪いことでは――」
「野々先生のデビュー作は決して売れなかったわけじゃない」
しずくは静かに言い切った。前の担当編集からも聞いていた話だ。しずくの本を大々的に売るため、同時期に出版する碧のデビュー作はかなり初版の部数を絞った、と。
碧は味方だと思っていた編集部に裏切られたも同然だった。よくやったほうだと思う。しずくの話題性にも負けず、彼のデビュー作はすくなくとも初版部数をすべて売りきったのだから。
すぐに増刷をしなかったのは、編集部の意向だ。増刷がされていれば、碧のデビュー作はもっと売れた。きっと二作目のオファーもすぐに来た。碧からすべての可能性を断ち切ったのは編集部だ。
「今回の連載を野々先生に書かせないのなら……わたくし、次の原稿は別の出版社へ持っていきます」
「そんな……! ちょっと待ってください!」
「待ちません。自分たちがなにをやってきたか、自覚はあるのでしょう?」
しずくはカップに残った紅茶には目もくれず、席を立ち上がった。
碧に対して、負い目がある。そのことを自覚したのは、自身の二作目が出版された時だった。もし自分が碧の立場だったら――しずくのことを恨むだろう。あいつさえいなければ、自分の本はもっと売れたはず。そう思うだろう。
けれど、碧はしずくが想像していたよりもずっと強かった。しずくが着々と新刊を出し続ける間にも、彼は二作目を出そうと担当編集に企画書やプロットを送り続けていた。編集部には、野々みどりの二作目を出す意向など、まるでなかったというのに。それを知らずに、碧はただひたむきに書き続けていた。
しずくはもう、出版業界で欲しいものを手に入れたと言ってもよかった。どんな本を出しても売れるし、サイン会を開けば毎度多くの人が行列を作ってくれる。発売前重版だって経験した。それでもしずくの中には、どこかそれらの功績はすべて碧から奪ったものだという意識が強かった。
「罪滅ぼし、かしら」
しずくが呟くと、キーボードを叩いていた碧が振り返った。出版社からまっすぐ碧を缶詰にしているホテルにやってきたしずくは、なんとか執筆に食らいついている碧の後ろ姿を眺めていた。
つい先日、碧がホテルから脱走した。行き先は自分の住むアパートだったようだ。書けないと音を上げてアパートに逃げ帰ったのかと思ったが、とっ捕まえて話を聞くと、碧はしきりに十束旭陽という青年に会いたいと繰り返した。隣の部屋に住む大学生らしい。
だからしずくはわざわざアパートまで出向いて、十束旭陽なる青年に釘を刺しておいた。本人はなんのことかわかっていないようにポカンとしていたけれど。もしかしたら目の前にいるのがあの作家の夢見しずくだということも知らなかったのかもしれない。
「僕はいつになったら、解放されるんだ……」
「言ったでしょ。連載三回分の原稿が完成したらよ」
碧はもう限界だというように手を止めた。そして大きく伸びをしてから、ベッドの端に腰かけているしずくを見る。
「君は執筆中、迷ったことはないのか? 常に自分の書いているものが世界で一番面白いと自信があるのか?」
「あるわけないじゃない、そんなもの」
しずくは鼻で笑った。自分の小説に自信があるのなら、わざわざこんな格好はしていないし、編集部が現役女子中学生作家で売りたいと言った時も反対しただろう。話題性で固めているのは、自分の作品に自信がないことの現れだ。筆一本で勝負している碧とは、大違いなことくらい自分が一番よく自覚している。
「ねぇ、野々先生」
天井を振り仰ぐ碧に声をかけた。疲労で充血した目を見ても、可哀想だとは思わない。彼ならもっとやれるはず。自分なんかより、面白い話が書けるはず。
「わたくし、あなたには期待しているのよ。デビューした時から、ずっと」
「そりゃ、どうも」
「本当よ。受賞作を読んだ時……あなたに負けたって思ったんだから」
碧はもうなにも言わなかった。細い指で目頭を揉んで、またパソコンの画面にかじりつくのを、しずくは黙って見ていた。
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