【完結】トワイライト

古都まとい

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エピローグ(3)

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 飛行機から降りると、じっとりとした暑さがまとわりついた。九月だというのに、日本はちっとも秋らしくなっておらず、残暑が猛威を振るっている。オーストラリアの夏は日差しは強かったが、日本のように湿度が高くないため、まだ過ごしやすかった。
 スーツケースを身体の横に従えて、ゲートを通る。道上はそのまま飛行機を乗り換えて帰省するため、さっさと国内線のほうへ行ってしまった。特別かける言葉もない。どうせまた大会で顔を合わせることになるのだから。
 出迎えの人で混雑するゲート前からすこし離れたところで、旭陽はずっと会いたかった人を見つけた。

「小野さん!」

 旭陽がその名を呼ぶと、碧は開いていた文庫本から顔を上げた。今日はよれよれの部屋着ではなく、きちんとワイシャツとスラックスを着ている。顎の辺りがすこしシュッとして、痩せたように見えた。

「十束くん……君、身体が大きくなっていないか?」
「あ、わかります? 筋トレでちょっと増量したんすよ」
「僕は夏バテと締切地獄で痩せたよ。おまけに留年だ」

 旭陽は今年、大学三年生になっていたが、碧は四年生のままだった。順当に行けば今年の三月には卒業しているはずだったが、原稿を優先した結果、卒論の単位を落としたらしい。今は三作目の執筆と卒論の執筆を同時並行でやっていると、碧は光のない目をしながら呟いた。

「送ってくれた本、読みましたよ。今じゃ十万部超えてベストセラーだって」

 ゴロゴロとスーツケースを引っ張りながら歩き出す。

「僕にできないことなどないと、わかっただろう」

 後ろからついてきた碧が自慢げに言う。旭陽は振り返ると、まじまじとその顔を見た。

「なんだい」
「勝負は、引き分けですよ」

 旭陽は手持ちのリュックから、三月に獲得した金メダルを取り出す。碧はメダルに視線を落とすと「そうか」とそっけなく言った。

「なんすか、その態度。はじめに勝負をふっかけてきたのは小野さんなのに」
「もういいんだ。勝負なんてものは」
「はあ?」
「はじめから、十束くんと接点を持つための方便にしか過ぎなかったのだから」

 君がここまで本気になるとは思わなかった、と碧は肩をすくめて言った。
 真剣になっていたのは、自分だけだったのか?
 旭陽は碧の悟りを開いたような穏やかな顔を眺める。眼鏡の奥の目が微笑んでいることに気づくと、あとはどうでもよくなってしまった。
 二人で肩を並べて歩き出す。途中で碧が荷物をすこし持とうか、と提案してくれたが丁重に断った。どう見ても旭陽のほうが力持ちだし、体力がある。部屋に着いたらまず碧になにか食べさせないと。きっと旭陽がいない間、荒れた食生活を送ってきたのだろう。
 作家として長く活躍してもらうためにも、碧の健康は自分が守らなければならない。


◇ ◇ ◇


「うわ、かなり広いっすね」

 案内されたアパートの一室は、リビングの他にも部屋が三つあった。いわゆる3LDKである。
 旭陽は留学にあたり、元々借りていたアパートの部屋を解約してしまっていた。単純に自分が不在なのに家賃を払うのが負担だったからである。日本に戻ったらまず部屋探しをしなければならないと言った旭陽に対して、碧は軽い調子で言った。一緒に住めばいい、と。

「これも印税のおかげさ」

 碧は旭陽の帰国に合わせて、部屋を引っ越していた。前のアパートは単身者用で、二人で住むことは禁止されていた。そのため大学近くで、かつ家族向けのアパートを探し出し「大学の後輩とシェアハウスをする」という名目で部屋を借りたらしい。
 それにしても、二人で住むには広すぎるような気もする。旭陽はリビングにスーツケースを置くと、一部屋ずつ見て回った。寝室がひとつに、碧が執筆に使っていると思しき書斎のような部屋。それから、なにも置かれていないまっさらな部屋。

「そこが十束くんの部屋だ。実家に送った荷物を、もう一度送ってもらうといい」
「寝室のベッド……」

 旭陽は自分の部屋よりも、寝室が気になって仕方がなかった。碧を見ると、そっぽを向いている。伸びた黒髪から覗く耳が赤いのは暑さのせいか、それとも――。

「気になるのなら、もう一台ベッドを買い足してもいい――」
「いえ、結構です」

 碧のそばをすり抜け、もう一度、寝室を覗きに行く。部屋の中央を陣取るように設置されたクイーンサイズの大きなベッド。それに枕が二つ。碧が旭陽と一緒に眠るためにこれを用意したのだと思うと、嬉しさとわずかばかりの興奮が押し寄せてくるようだった。

「十束くん」

 袖を引かれて、振り返る。見ると碧が、まっすぐな眼差しで旭陽のことを見上げていた。

「僕はこれから、日本を代表する作家になるつもりだ。これからも君の隣で小説を書き続ける。十束くん、君はどうする――」
「俺は」

 旭陽は碧の手を引き寄せた。すこしひんやりとした、でも芯の温かさのある手。これから、いくつも物語を生み出していく手。そこに自分の手を重ねる。
 これまでも、これからも、水をかき、プールの壁に触れ、ゴールを目指してきた手を。

「俺は日本を代表する競泳選手になりますよ。小野さんがベストセラー作家で、俺はオリンピック選手。俺は小野さんのために、小野さんは俺のために――もう二度と、夢を諦めたりしない」

 碧が微笑んだ。エアコンから吹きつける冷風が、やわらかく髪を揺らす。

「ああ、誓おう。僕たちは、二人で夢を叶える。この先ずっと――」






―完―
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