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緋色と灰の物語

7.手折散花 ─Destruction─

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 焦燥の種は育ち芽を息吹かせる。歪な花は咲き誇り今、実を結ばんとしていた。しかしそれは雄蕊が抱いた哀れな幻想。花粉を運ぶ蜜蜂も無く雌蕊は遠く上の空。それはきっと純愛のつもりだった。実らぬ花は豊穣の夢を視る。

「カ、カリーナくん、いや、カ、カリーナ。君、昨日の彼とはどういう関係なんだい?」

 それは一日の仕事が終わり後片付けを終えた頃だった。カリーナは何時もの様にモニカと共にディア達に会いに行こうと考えていた時の事。まさに研究室を後にしようとした彼女をカニスが呼び止めた。カリーナは彼の言葉に眉間に皺を寄せる。

「き、昨日・・・? もしかして・・・見てたんですか?」

 そういって彼女は自らの肩を抱き、非難する様な視線をカニスに浴びせた。カリーナはカニスにプライベートを話した事など一度も無い。それ故に彼の今しがたの言葉はカリーナにとっては少し言い難い不快感があるものだった。

「嗚呼、いや、違う、違うんだ。たまたま目に入ってね、仲が良さそうだったからな! 気に、気になってな!」

 カニスは思わずしまったと言い訳に口を回す。一気に身体が熱くなり嫌な汗が噴き出した気がした。一瞬とはいえ曇りのある表情を見せた彼女に「嫌われるのではないだろうか」という恐怖心が舌を震えさせ、言葉が喉に引っかかる。
 カリーナはどこか腑に落ちない態度で彼の言葉を受け取り少し考えた。正直彼自身から踏み込んだことを聞かれたことが無かった為その質問は意外に感じ、熟考して言葉を選ぶ。
 カリーナはカニスの事をあまり知らなかった。それ故に近付き難く、研究以外何がしたいのか解らないそんな男にも見えている。だが普段の態度からしてそんなに自分にとって悪い人ではない様な、可もなく不可もないといった具合の景色の一部だ。だからカリーナはなるべくいつも通りに言葉で切り返した。

「あ・・・はい。えっと・・・ディアくん達の事ですか?」

「そ、そうだ。あの白い髪の・・・傷だらけの。彼は子供達の間でも浮いているだろ?よく、虐め・・・からかわれているのを見ていてね。良くない噂も聞くし、君も、そういうのとつるんでいると周りから・・・」

 「傷だらけ。浮いている。虐められている。」そんな言葉を並べるカニスに、カリーナはただ腹の底に怒りが積もるのを感じていた。彼は知らない。きっとディアの事を何も知らないからこそ容姿や表面上の関係性だけで彼を判じているのだ。とカリーナの中の声が叫ぶ。

「ディアくんは、そんな子じゃないですよ。少なくとも私にとっては、素敵な人です。大切な友人です。彼と話した事、ありますか?」

 カリーナはカニスに鋭い視線を向けて食い下がる。その圧力にカニスは思わず後退りした。

「な、無いが・・・、」

「素敵ですよ。少なくとも私が出会った男性で一番素敵な人です。だからディアくんのことを悪く言わないでください。」

 カリーナの強い意思の籠った言葉は、カニスにとっては雷撃に等しかった。なんとかして彼から視線を奪い、彼女を手中に収めたかっただけにその反動は計り知れない。ましてや今の言葉で彼女の中での自分の優劣を悟るのには余り在る程だった。彼女の中に自分は居ない。欠片も存在し得ないのだ。そんな当たり前の屈辱が自分の心を打ちのめす。

「君を守れるのは私だけだ。私だけなのだよ・・・カリーナ・・・」

 自然と湧いてきたのは怒りと焦燥と・・・執着心だった。昨夜のシルヴァントゥスの言葉が脳裏を過る。「それは愛などでは無く、過剰なまでの劣情」だと。感情が狂い始める。行き場を無くした言葉が身体の中を這いずり回り、喉から零れ出た。こんなはずじゃない。彼女は自分の事が好きなはずだと、虚妄と幻想が入り混じり、現が霞む。霞んだ瞳は磨り硝子越しの現実を拒絶する。カリーナはその余りにも不気味な様子に思わず後退りした。

「え? 何を・・・? あの、先生、今日おかしいですよ? もういいですよね? 私この後・・・」

 無理矢理にでも話を終わらせ早くモニカの所へ帰ろう。そう口早に切り出した瞬間だった。

「あの男に会うのだろう!?」

 張り裂けんばかりの怒号に、カリーナは思わず言葉を飲み込んだ。それは恐怖だった。得体のしれない不気味な存在と相対したかの様に、狂暴で理解不能な生物と相対した時の様な身を竦ませる恐怖の感情が足を、身体を縛り付ける。

「ダメだ。ダメだダメだダメだダメだ! あんな男の何処がいい? あんな汚らしい傷だらけの男のどこが!? 私の方がずっと良いに決まっている! 君を安心させ満足させられるのは私なんだ!」

 激情が程奔る。自分でなくてはならないという自分勝手な熱病で幼い恋心は羽化してしまった。そしてその恋心は愛足りえること無く劣情に変態を遂げる。その否定の言葉と横暴な言葉の羅列は、カリーナが彼を見限るのには充分だった。

「っ! これ以上私の好きな人を悪く言わないでください! 貴方なんかよりずっと彼の方が素敵です!」

 文字通り吐き捨てる。しかしカリーナは自分でもその飛び出した言葉に驚いた。ディアへの侮辱も許し難いものだが、それ以上に自分の中でのディアという存在がどういうものかを、理解してしまい、それ故に胸から顔までが一気に熱くなる。

「なっ・・・!? 好、好き・・・だと!? そんな」

 方や此方は瓦解する一方だった。理想の影は既に形を亡くし、陽光に跡形もなく溶けてしまい、既に喪失という実感だけが胸を締め付ける。割れた摺り硝子が映し出したのは哀れな自分と、もうそこには永遠に成し得ない彼女との理想だった。残るのは己の影のみだというのに、最後に残った情念が燃え上る。

いいや、君が好きになるのは私だよカリーナ! 君が好きになるべきは私なんだ!」

「はぁ? もういい加減にしてください! 貴方なんて、貴方なんて嫌いです! もう話しかけないでください!」

 カリーナは思い付く限り最も解りやすく彼を拒絶した。誰から見てもカニスは常軌を逸脱した言動を振舞っている。しかしカニスは狂気の中に冷静さを見出していた。それは熱に紛れた最後の理性。情動に駆られて燃え上る本能の中のほんの少しの冷たい氷。紛れもない狂気がカニスに語り掛ける。「言うことを聞かないなら聞かせればいい。嫌いだといっても好きにさせればいい。その手立てを持っていないわけじゃ無いだろう?」とカニスはその冷静さに耳を貸す。自分は正気だ。安堵すら覚える程鳴り響く自己肯定と他者否定。「悪いのはカリーナじゃないか。自分の熱に応えないこの女が悪い。」そう耳元で最も冷静な己が囁いている。だから親切心を持って彼は教える事にした。 自分の情念のありったけを。

「聞き分けのない女だな・・・君は。だが良いんだよ、良いんだ。これから〝解って〟さえくれれば」
「え・・・?」

 カリーナはボソボソと喋るカニスに眉を顰め、距離を取ろうと一歩引いた瞬間だった。カニスはカリーナに覆い被さる様に襲い掛かる。一瞬の事にカリーナは訳も分からないまま、その場に勢いよく押し倒された。地面に勢いよく倒れ込み、その衝撃で髪留めがはずれ、修道頭巾が脱ぎ捨てられる。

「ッ! は、離して!」

 カリーナはカニスの髪の毛を引っ張りながら彼を引き剥がそうとする。しかしカニスは「カリーナ、カリーナ!」と彼女の名前を何度も呼びながらその手でカリーナを抑え込み、上に跨った。彼女の身体を欲しがるような手がカリーナの身体を這いずり回る。カリーナは身の毛のよだつのを感じるとその手を振り払おうと必死に抵抗を試みるが、大人と子供ではその筋力の差は、残酷な物だった。

「嫌! 触んないで! 触んなッ!
気持ち悪いっ! 誰か!誰か助けっ・・・んぐッ⁉」

 彼が自分に何をしようとしているかは本能的に理解できてしまう。だからこそ最悪だった。カリーナが苦悶の表情を浮かべながらカニスを睨みつけ必死に抵抗し、助けを求めようと大きな声を張り上げようとするとカニスはカリーナの口を手で無理矢理押さえ付ける。

「駄目じゃないかカリーナ。まるでボクが悪い事をしてるみたいじゃないかッ・・・!
悪いのは君なんだ。君なんだよッ! ボクがこんなに君を思っているのに、君は別の男に現を抜かすなんて在り得ないだろう?」

 話の通じない相手だ。カリーナは目の前の人間が人間には見えなかった。同じ言語を話しているのにまるで通じない。恐怖だった。カリーナは恐怖のあまり涙を零しながら震えてしまう。竦み上がった身体に力は入らず、それどころか抜けていく。抵抗しなきゃという意志と恐怖に縛り上げられた身体があべこべになって、自分の感覚が可笑しくなっていくのを感じていた。恐怖は劇毒だ。一瞬で全身に周り侵し、一瞬で全ての気力を奪い去る。指先までの感覚がすべて曖昧になり、どうすればいいか分からなくなってしまう。ただ怖い、怖いだけだった。

「だからカリーナ。ボクの事を知って好きになってよ! そうしたら君も殺されないで済むんだし、良いことだらけじゃないか。そうだ、街で暮らそう。この先の街でゆっくりと愛を育もうじゃないか! アハハハ!」

 カニスは虚妄に憑りつかれ、気が狂ったようにはしゃいで笑う。小さな子供にしか見えないその言動は狂気そのものだった。小さいまま育った大人の振る舞いは未熟で幼稚で常識など介在する余地すらない。
 カニスは胸元から薄い薔薇色の液体が入った小瓶を取り出すとカリーナに見せびらかす様に目の前で小瓶を振るって見せる。そしてそのまま栓を抜き、蓋を床へと投げ捨てた。鼻をつく激臭が嫌悪感を煽る。全身がそれを拒んでいるのを理解できた。全身から嫌な汗が吹き出し、カリーナは意識より早くカニスの下から這い出ようとする。

「これはね、カリーナの為に作った薬なんだ。ボクの体液から作ったポーションでねェ? これと僕の体液を君の中で混ぜ合わせる事によって、君がボクのことを解ってくれる様になる薬なんだよッ!」

 悍ましい。悍ましい言葉の羅列が耳から脳へと這いずり回る。それは蛆に集られる様な嫌悪感だ。カニスはゆっくりとその薬をカリーナへと近付ける。カリーナは必死に首を振り、それを拒む。絶対にあれを飲まされてはいけない。それだけに必死だった。だが、カニスはカリーナの顎を掴むと力一杯に締め上げる。

「あ゛ッ・・・!」

 カニスの手を拒みその薬を払おうとするが、その手は止まらない。カニスはむしろその抵抗すら楽しむような顔で、彼女の心を手折っていく。そしてその劇薬はカリーナの口の中へと流し込まれた。

「ンッ゛!? ぉえ゛ツ・・・!」

 口に入った瞬間に鼻先まで抜けた酷い匂いにカリーナは胃の中の物が逆流した。薬を拒む身体が必死にそれを吐き出そうとする。

「駄目じゃないか! 全部飲まなきゃ!」

 カニスはカリーナの口元を押さえ付け無理矢理、薬を飲み込ませる。吐き出そうとする口を塞ぎ、カリーナは窒息死そうになりながら必死で藻掻く。視界が霞む、涙を零しながらくしゃくしゃな顔で意識が曖昧になっていくのを感じていた。嗚呼、このまま死んでしまおう。彼の玩具になるくらいなら死にたい。そう切に思っていた。しかし劇薬は喉と意志をすり抜けてカリーナの中へと流し込まれる。

「ふふ、偉い、偉い。全部飲めて偉いね。それでこそボクのお嫁さんだ、アハハハ!」

 カニスの声が頭に響くと同時に、全身が焼けるような感覚に襲われた。カリーナは声にならない悲鳴を上げながら頭を掻き毟り、藻掻き苦しんだ。頭の中で勝手にカニスの存在が大きくなっていく。ルクが、ディアが、モニカが、どんどん薄れて行ってしまう感覚は耐え難い程恐ろしく、カリーナを狂気へと落とし込もうとする。カニスの下で足をバタバタと暴れさせ、激しくのた打ち回った後に、カリーナはぐったりと力なく横たわった。唾液を唇の端から零し、穴という穴から体液を零しながら虚ろな世界に意識を溶け始める。嗚呼、薄れていく、薄れていく。好きな人が、だった人に変わってしまう。小さな妹が見えなくなっていく。頭の中が全部壊れてしまう。

「殺し・・・て・・・」

 意識が保った最後の言葉だった。虚脱感が全身を包み込む。死にたい。死にたいという意志だけが心に深く根を張って行く。記憶の中で小さくなって薄れていく、白い髪の少年が指先から逸れてしまう。寂しくなった。悲しくなった。嗚呼、もう終わるんだ。そう思った。

「ふひへへ・・・、大丈夫だよカリーナ、殺したりなんかしない、さ。嗚呼、フフ・・・こ、これはキミを救うための処置なんだから、仕方が無い、仕方が無い事なんだ・・・! 決して君をずっと不埒な目で見ていたわけじゃあないんだ・・・でも、仕方ないよなあ?」

 しかしまだ終わらない。地獄は幕を開けたばかりなのだから。カニスの指先は抵抗しなくなったカリーナの身体に触れ、修道服を少しずつ開けさせていく。心が崩れて、身体は抵抗できなくなってしまったというのに、その瞳だけはその嫌な光景を刻み続け、焼き付ける。触らないで欲しかった。触れたくなかった。その全てがどんな時間よりも長く感じられ、永遠に思える程。カリーナを酷く苦しめる。カリーナはただ地面に転がった薔薇の髪飾りに手を伸ばす。「嗚呼、あれは」「なんだっけ?」大切な物だったはずのものが霞んでいく。その伸ばす指先に、カニスの指が重なる。自然と幸福感はそこには無かった。

『嗚呼、どうして、私は・・・』

 花は手折られ踏み躙られる。美しき花は散ってしまった。

「カリーナッ!」

 研究室のドアが勢いよく開かれる。蹴破らんばかりに勢いよく飛び込んだのは、ディアとルクだった。その後ろには姉が何時まで立っても帰らない事に両親の喪失を重ね、泣きじゃくったモニカの姿が続く。その姿は痛々しく視ていられない物があり、二人の焦燥しきった表情が、カリーナが帰らないという事がモニカにとってどういう意味なのかを物語っていた。

「・・・誰もいない・・・? じゃあカリーナはもうここを出たって事?」

 ディアは注意深く観察しながら研究室へと足を踏み入れるも、中は既に誰もいないもぬけの殻となっていた。

「それにしても酷い臭いだ。なんだ? 何かの薬品か?」

 ルクは酷く冷静に辺りを見回す。部屋に残った残り香の元を辿ると、小さな栓を見付け拾い上げる。ルクは鼻先を栓に近付けると、うわっ、と声を漏らしてその栓を遠ざけた。

「・・・! これ、これ・・・!」

 モニカは何かに気付きディアの袖を必死で引っ張る。彼女の指差す先には拉げた白い薔薇が落ちていた。モニカは震える足取りでその薔薇を両手で掬うと喉を震わせて「お姉ちゃんに・・・あげたの・・・」と言葉を零す。その声が必死に泣き叫ぶのを我慢していたのは言うまでもない。

「お姉ちゃん・・・、モニカが、泣いてばっかだから、嫌いになっちゃったのかな・・・?」

 モニカは酷く涙で晴らした瞳でディアを見る。ディアはその言葉に躊躇いなく首を横に振った。

「カリーナはそんな人じゃないよ。モニカの事を誰よりも大事に思ってる人を僕は他に知らない。だからそんな事ないよ。きっと何かあったんだ。」

 ディアはそういって力強くモニカを抱きしめる。モニカはディアの袖に顔を埋めて、泣くのを堪えた。そして落ち着きを取り戻すとゆっくりと顔を上げ、ディアを真っ直ぐ見詰めると、袖を握り占める。なけなしの勇気を振り絞り、声を出した。

「・・・、うん、お姉ちゃんを探したいの。手伝って!」

 その瞳には強い意思が宿っていた。モニカはカリーナを信じて探す事を選んだ。決して自分を見捨てなかった姉を、ずっと守ってくれた姉を。怖くて震え、泣きだしたい気持ちはもう飲み込んだ。ディアとルクが自分には付いてくれる。だからきっと大丈夫だ。そう己を鼓舞して立ち上がる。

「勿論!」
「俺も手伝うよ!」

 「ほら二人は手伝ってくれるでしょ?」と、カリーナが居たら自分にそう語り掛けてくれたかもしれない。モニカはそんな風に考える。だからこそ、このまま放って置いたら姉には二度と会えないかもしれないという漠然とした不安を信じる事にした。今泣いて立ち止まったら駄目だ。そんな風に思ったわけじゃ無い。そんな難しい事を考えられない心でも確かな予感と確信があった。だから直感的にそれを信じ、行動に移す事を選んだ。

「君達、何の騒ぎですか! 先ほどから大きな物音が響いてばかり! 研究室は遊び場ではありませんよ!」

 そんな時に駆けつけてきたのは修道院長のシルヴァントゥスだった。シルヴァントゥスは部屋の有様を見て、凡そを悟り呆気にとられた表情を浮かべる。

「な、なんだというのです? 君たちはここで何を・・・?」

 シルヴァントゥスはディア達に問い詰めようとした時、ルクやディアが口を開くより先に、モニカが前に躍り出る。何時も姉の後ろで小さくなっていた少女はもうそこにはいなかった。

「お姉ちゃんが! カリーナが帰ってこないんです!」

「・・・なんと! カリーナが⁈ カニスは、カニスは何処へ⁈」

「俺たちが来た時にはもうこうなってました。そのカニスって人は見てないよ」

 ルクはぶっきらぼうな態度でシルヴァントゥスに応える。ルクは不満げな視線をシルヴァントゥスに注ぎ込む。その理由は解らないが、ルクは彼のことがあまり好きではないらしい。しかしシルヴァントゥスはそんなルクの態度も気にも留めず、眉間を抑え、深いため息を零した。

「あの男・・・ッ!」

 シルヴァントゥスは明らかに怒りの色を見せていた。それは子供達を然る時とは全く違い、明確な憎悪の様な暗い怒りの色。その様にディアは少し身構えてしまう。しかしそんな一瞬の不和を打ち破ったのはモニカの声だった。

「あの、お姉ちゃんを、探させてください!」

 その言葉にシルヴァントゥスは少し怒りを削がれたのか、何時もの様な穏やかな老人の様な雰囲気を醸し出す。

「えぇ、勿論、貴方は肉親である以上その権利がありますとも。特別に院内の探索を許可します。しかしどうやって?」

 シルヴァントゥスの問いは最もだ。ルクが見つけた異臭のする瓶の栓だけでは探すのはとても難航するだろう。犬ならばいざ知らずルク達は人間だ。それは到底成し得ない。しかしモニカは違う。彼女には卓越した魔法の才があった。モニカはカリーナから落ちた薔薇の髪飾りを握り、祈る様に手を合わせる。

「教えて、お姉ちゃんの場所を」

 そう口にすると、髪飾りは淡く輝いた。その淡く輝いた光は航路を示す羅針盤の様にカリーナの居る方向を指し示す。

「これは・・・! 君は魔法が使えるのか⁉」

 シルヴァントゥスは思わず目を見開いた。カリーナの血統に魔法の才能があるのは知って居たが、モニカが既に魔法を発現させている事に驚いたのだ。そしてこの修道院で魔法を教えたことは一度もない。モニカの年齢で魔法を扱えるということは、彼女は間違いなく「天才」たる証拠だ。シルヴァントゥスはその神から授かったであろう天賦の才に思わず打ち震えた。

「この光の先にきっとお姉ちゃんがいる。長く持たないから早く行こ!」

 モニカはそういってディアの袖を引っ張る。ディアは「うん」と首肯するとモニカに続いて走り出した。ルクは彼等を横目に何処か腑に落ちないようでシルヴァントゥスに視線を注ぐ。彼自身、何故そう思ったのかは結局わからず、迷いを振り切る様にディア達の後を追いかけた。

「まさか、妹の方もこれほどとは・・・、フフ、彼女も御子としての素養は充分以上なようですね」

 彼等が視界から去った後、シルヴァントゥスは満たされた気分だった。

「カニス、君は余計な事をしてくれましたが、お陰で、私はもう一つ、気付きを得ましたよ」

 そういってシルヴァントゥスは踵を返す。彼がやろうとすることなど、考えてみれば想像するに難くない事ばかりだった。シルヴァントゥスは胸元から古書を一冊取り出して開く。その本はこうして始まる。

〝此処に眠るは戒律の理の一欠片。力は聖体に宿り、柩は門となる。鍵はうに失われた。鍵無き門は開く事無く、永劫の沈黙を謳うだろう。汝、この扉を開かんとするや、多くの血が流れる事を心得よ〟

 それは古書に記された言い伝えだ。しかしそれは疾うに知識と成り果てた。現実は伝説となり、悲劇は物語へと変わり、戒めの警句もまるで財宝の隠し場所を記した暗号に成り下がる。この言葉の意味を知る者は正しき意味でもうほとんどいないのだろう。現に聖職者であるはずの彼もこの意味を深く考えず、好奇心のままに儀式の手法ばかりに目を向けていた。全ては長き時間が生んだ摩耗。それらはきたるべき時を以てして、ただ訪れる。

「さぁ、この修道院に収められた力を手中にできるパーツは、揃いましたね。儀式の準備をして、あとは待つとしましょう。訪れの日を。」
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