滲んだ空の下、台本の空白に君を書いた。

羽澄ゆえ

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Scene.1 - 桜雨の語り部

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 休日の雨でも辺りはそれなりに人が行き交っており、車も多く通っている。ぱらぱらと雨が傘を打つ音が心地いい。湿気で前髪が乱れているような気もするが、気にせず目的地へ向かう。
 つい数ヶ月前まで通っていた中学校の横道を進めば、次第に人の気配はなくなっていた。ただ中学校に通うだけでは進むことのなかった道、それでも一年以上前から毎週のように通っている道はどこかゆっくりと時間が流れているように感じる。
 九時半を少し過ぎたころ、もうすっかり見慣れたカフェにたどり着いた。

「おはようございます」

 カランカランと軽快な音を響かせ、ドアを開きながら挨拶をすれば、いつもの優しい笑顔が私を迎えてくれる。

「おはよう。いつものところ空いてるからね」

 そう言いながらカウンター席の端へちらりと視線を向けたのはユキさんだ。ユキさんはこのカフェ【まにまにカフェ】の店長で、ほとんど一人で切り盛りしているらしい。母親から受け継いだらしく、時々妹が手伝いに来てくれるのだと聞いたが、私は一度もあったことがない。
 元々穴場な場所にあるカフェということもあり、お客さんは常連客ばかり。オープンしてから三十分しか経っていない今、一人目の客は私だったみたいだ。

「今日は早く来てくれたんだね」

 私がいつもの席に着くと、カウンター越しにユキさんは言う。中学生のころは部活や受験などもあり昼過ぎに来ることが多かった。中学を卒業してからの春休み期間もこんなに早く来れたのは片手で数えられる程度だろう。

「早くここに来たいなって、一週間ずっと楽しみにしてたんです」

 学校に通っている間もふとした時に早くまにまにカフェに行きたいと思っていた。ようやく長かった感一週間が終わり、今日は久しぶりに朝から行くと決めていた。

「そういえば高校始まったんだよね? どうだった?」

 そうだ。今日は高校が始まってから初めて来る日。高校が始まったからこそ、今日はこんなに早くに来たかったのかもしれない。

「正直、まだよくわからないです」
「まあ、そうだよね。まずは慣れるところからだもんね」

 ウンウンと頷いたユキさんは「青春楽しんでね」と柔らかい笑みを浮かべた。その言葉を受け流すように笑うと、ぐぅぅ~と腹の虫が鳴った。その音で忘れていた空腹を思い出す。

「ユキさん、今日おにぎりありますか?」
「もちろんあるよ。具なしと梅と鮭と昆布と……」

 指を折りながら出てくる定番の具材。少し考えてから鮭と高菜のおにぎりを注文する。
 レトロな雰囲気の残るまにまにカフェのメニューは洋風なものばかりだ。しかし、雨の日限定でメニューにおにぎりが追加される。店内の雰囲気とはどこかアンバランスだが、ユキさんの握ってくれるおにぎりは自分で作るよりもずっと美味しい。
 なぜ雨の日だけおにぎりがあるのか聞くと、「雨の日にふらりと帰ってきそうな人がおにぎり好きなんだ」と教えてくれた。きっとユキさんはこのカフェで誰かを待っているのだろう。雨の日に帰ってきてくれそうなその人が好きだというおにぎりを用意して、ずっとここで待っている。

「あっ、そうだ。看板、書き換えてくれる?」

 出来たてのおにぎりを食べ終わり、バッグからタブレットを取り出すと、ユキさんは思い出したと手を叩き言う。

「もちろんです。おすすめ何ですか?」

 今月のおすすめメニューを書いた紙とカラーペンを受け取り入口に向かう。晴れの日は外に出してあるブラックボードの看板は、今日は入ってすぐに見える位置に置かれている。
 月に一度ほどのペースでおすすめメニューが変わるこのカフェでは、この看板にそれを書いている。メニュー名と値段に加えイラストを描き、ポップな看板にすることが私の毎月の習慣になっていた。
 初めてまにまにカフェに来た一年前、落ち着いた雰囲気とユキさんの人柄に惹かれて気がつけば毎週のように通っていた。家族にも、陽葵にだって教えていない私だけの場所だ。最初のころは長くても二時間経たずに帰っていたが、あまりにも居心地がよく次第にもっと長居したくなっていた。
 しかし、ゆっくりしていいと言われてもそこに限度があるのはわかっていた。タブレットで絵本を描きながらドリンクが無くなれば注文し、二時間ほどで帰るのを一か月ほど繰り返したある日、ユキさんが「追加注文なんて気にしないで、もっとゆっくりしていっていいんだよ」と言ってくれた。店が混むこともなく、話し相手がいるのは嬉しいことだと。まにまにカフェは流れに身を任せてゆっくりと心を休ませられる場所でありたいのだと教えてくれた。
 ユキさんのその言葉にきっと嘘はなく、家よりも心の休まるこのカフェにいたい私はその言葉に甘えることとなり、今でも毎週のように長居させてもらっている。とはいえ、追加注文もあまりせずに長居するのは申し訳ない私の気持ちを汲んで、看板を書くことをお願いしてくれた。
 私が惹かれた人柄というのはこういうところで、相手の気持ちを汲み取り包み込む優しさを持つユキさんが私は大好きだ。誰にも話していなかった絵本を書いているということもいつしかユキさんにだけは話せていた。

「よし、できました!」

 丸く柔らかい文字でメニューを書き、見せてもらった写真をゆるく可愛らしい印象に描きあげる。完成した看板をパシャリとスマホで撮り、【まにまに】と名前のつけているアルバムに保存する。

「わあ、ありがとう! 今月も可愛いね。やっぱり芽依ちゃんがいてくれて良かったよ!」

 完成を見たユキさんは看板の位置を少し直しながら褒めてくれる。毎回ユキさんは大袈裟なほどの言葉をくれる。他の人に言われたのならば嘘だと感じてしまう面倒くさい私も、ユキさんの言葉は照れくさくもそのまま受け入れられる。ここにいていいのだと、ユキさんの言葉に安心してしまう。

 常連客ばかりのまにまにカフェは、休日でもピークタイムと言うほどお客さんが多く来店する時間は存在しない。それに加えて今日は雨ということもあり、昼を過ぎても穏やかな時間が流れていた。

「ユキさんって、高校生のころ部活とかやってましたか?」

 新しく注文したアイスココアを受け取りタブレットの電源を落とす。店内には私たちの他には常連のおばあさんだけで、窓際のテーブル席でコーヒー片手に読書をしている。タブレットで書いていた絵本はページで言うと見開き一ページ分進んだ。休憩も挟みながら三時ほど作業していたが、すっかり集中力は切れてしまった。コンテストに応募するわけでもないこの作品に締切など存在しない。今日はここまでにしようと思い、ユキさんに話しかける。

「部活? 私はしてなかったかな」

 カウンター内の椅子に座りながらユキさんは答える。お客さんに呼ばれなければユキさんはこうして椅子に座るか何か作業をしていることが多い。

「そうなんですか……」
「芽依ちゃんは部活迷ってるの? この前は高校では入るつもりないって言ってたよね」

 一か月前、春休みに来たときに話したことを覚えていたのだろう。中学では陽葵と一緒に入ったソフトテニス部。元々興味もなく好きにもなれなかった部活を三年間辞めることができなかった。同じことは繰り返さないと心に決め、高校では部活には入らないと、一か月前の私は本気でそう決めていた。

「中学のときみたいに、流されて入るのは嫌で。でも……」
「でも?」

 言葉を詰まらせる私をユキさんは暖かい目で待ってくれる。絶対に部活に入らないと宣言していた私がいきなり迷っているなんて変ではないか。いや、きっとそんなこと誰も気にすることのない些細なことだ。ただ、言葉にすれば自分自身の気持ちを誤魔化せなくなってしまいそうで躊躇ってしまう。
 自分の気持ちになんて気づかない方が楽だ。陽葵と比べて劣等感を抱いてしまうこと、憎く思ってしまうこと。そんな感情を持つ醜い自分を隠すのに、冷めた性格は都合がいい。だから、いつからか無関心でクールな自分を作り上げることにした。
 中学でだってそうだ。そう振る舞えば、みんなは私のことをそういうキャラクターなんだと受け入れてくれた。そうしてそれなりに受け入れてもらえて、それなりの人間関係が築けていた。高校でもそうやって生きていくつもりだった。そこに強い自我は必要ないと思っていた。

「……実は演劇部がちょっと気になってるんです。でも私なんかが入って、やっていける訳ないって思ってて」
「どうして? いいじゃん、入ってから考えてみたって」
「でも」
「芽依ちゃんは変に考えすぎなのよ。今回は誰かに言われたからじゃないんでしょ? ならやってみようよ。やりたいことやらなきゃ、あっという間におばさんになっちゃうよ」

 真っ直ぐした目でこちらを見つめ「私みたいにね」と笑う。ユキさんはまだ二十代後半だし、見た目はそれよりももっと若く見える。そんなユキさんは「高校生なんて一瞬なんだから」と言う。

「もう少し、考えてみます」
「そうだね。いくらでも悩んでいいけど、自分の気持ち聞いてあげなよ」

 グラスに水滴が流れるアイスココアを一口飲む。口の中に広がる甘さは疲れた脳を和らげてくれる気がした。


 週明け、月曜日の放課後。
 テニス部で体験入部を始めた陽葵と教室で別れ、ゆっくりとグラウンド横の坂道を進んでいく。
 一週間前に足を進めたときよりも鼓動がうるさい。グラウンドから聞こえるかけ声が遠ざかっていき、目的地が見えてくる。

「すみません」

 稽古部屋には誰もおらず、『演劇部へようこそ』と書かれた部屋のドアをノックする。中からは楽しそうな話し声が聞こえてくるが、ノックが聞こえていないのか返事はない。
 ドアを開けていいのか戸惑い、もう一度ノックしようと腕を上げたそのとき――

「もしかして、体験入部?」

 ドアに手がぶつかる直前、背後から話しかけられる。振り返ると、一週間前、私をここまで連れてきた高瀬先輩が立っていた。

「――っ! はい、体験入部したくて」
「君、えっと……芽依だよね! 来てくれて嬉しいよ」

 ドアを開けた彼の後ろで立ち尽くしていると、部室内に入るように促される。

「新入生。体験入部だって!」
「浅川芽依です。体験入部、よろしくお願いします」

 室内にいた全員の視線がこちらへ向き、自己紹介をして頭を下げる。

「ようこそ~!!」

 緊張を誤魔化しながら頭を上げれば、目を細めて笑い歓迎してくれる人しかいなかった。体験入部に来たのは私で二人目らしく、みんなが口を揃えて嬉しいと言う。
 窓から射し込む陽の光は眩しくて、それがなぜか嬉しくて、私はこの光景を目に焼きつけるように見つめた。
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