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第一章 まだ時給を聞いてない

6.旅は道連れ世は情け

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 衣食住さえなんとかなればいいと思っていたラースは、お金がなくなれば商隊について護衛をし、たまれば森の小屋に帰ってのんびり暮らすという、気ままな生活を続けていた。
 ずっと『目的』がなかった。
 だから、異世界から来たばかりの代理魔王を城まで無事に送り届けるというのは久しぶりにやりがいのある仕事だった。

 本来なら、魔王の魔力に敵う者はこの国にはいない。
 木から荷物を取ろうとしただけであれだけの範囲にあれだけの力をかけたのだ。
 珠美が力を自由に使えるようになれば、ラースの護衛など必要なくなるだろう。

 しかし今は生まれたての赤ん坊のようなもので、真っすぐ歩くのも不安な有様だ。
 誰かが見ていてやらなければならない。
 そう思うのに、珠美は自分の足で立とうと必死だった。
 ラースの申し出に甘えることもせず、しっかりと考え、吟味してから提案を返してきた。

 実際の年齢は十八歳だと言っていたが、それでもラースにしてみたら子供に違いはない。ラースに珠美くらいの子供がいたっておかしくはないのだから。
 そんな珠美が一人で立とうとすればするほど、ラースは守ってやりたいと思った。
 久しぶりに心から、そう思っていた。

 獣人が住むモンテーナ国は強大な力を持つ魔王が統治しているためか、そこに住む人々も比較的穏やかだ。
 大きな争いもない。国同士の戦争も長らくしていない。
 盗賊やチンピラなんかはいたし、小競り合いはそこかしこでもあるものの、他の国に比べれば平和だった。

 珠美は知識としてはいくらかこの世界の事を知ってはいるようだったが、その目で見る景色に戸惑いを隠せない様子だった。
 それなのに、護衛として雇ったラースにさえ寄りかかることはなく、全身に警戒心を張り巡らせていた。

 一体どんな環境で育ったのだろうかと思った。

 この国では基本的には孤児でもきちんと庇護されて育つ。
 干ばつも災害も、魔王がいれば防げ、飢えることがないからだ。
 親がいない子供でも、親戚や孤児院などで預かる余裕があった。
 だから孤児と言えど、珠美のように一人でなんとかしようとするような子供はあまり見なかった。

「荷物、持ってやろうか?」

 ふらふら歩いているからそう声をかければ、珠美は頑なに首を振った。

「ありがとう。でも、自分の荷物は自分で持つ」

 たぶん、ラースを信用していないとかそういうことではなく、それが珠美の主義なのだろう。
 時折不安で縋るような目を向けるから、頼りにしてくれているのはわかっていた。

 そうは理解しても、角は生え立てでバランスがとりにくそうにしているし、荷物も子供の体には重い。
 せめて転ばぬようにと手を繋いでやると、戸惑ったようにラースを見上げた。何か言いたそうにしていたが、結局そっとその手を外した。代わりに、ラースの服の裾をきゅっと掴む。

「ラース、背が高いから。小さい私と手を繋ぐの、疲れるでしょ」

 そんなところに気を回していたのか、と目を見開く。

「ははっ! じゃあ転びそうになったらしっかりつかまれよ」

 子供なんだからそんなことは気にしなくていいのに、とは言わなかった。
 ただ、人に甘えないように、一人で立とうとするその姿が危うく見えて、なお目が離せなくなった。
 珠美が自分から頼ることをしないなら、ラースがしっかり見ていてやるしかない。
 どんなに強がろうとも、珠美がまだこの世界に頼る人もおらず、不慣れであるという事実は変わらないのだから。

「今日はこの先の村で一泊しよう。昼も過ぎてるからな、このまま進めば森の中で夜を迎えることになる」

 いいか? と問うように足元の珠美に目をやれば、こくんと頷く。

 村に入るとラースのように頭に獣の耳があったり、ワニの頭をした獣人たちが農作業を終えて各々の家に帰っていくところだった。
 珠美の世界には獣人はいないという。
 見慣れないその光景に尻込みしたのだろう。ラースの服の裾を掴んだまま背後に身を隠し、その小さな目だけをきょときょとと覗かせている。
 人しかいない国に住んでいた者が獣人を見るときのような、特異なものを見るような色はそこにはなく、ただ、慣れない場所と人々に不安がっているようだった。
 ラースの服の裾を掴む手に、ぎゅっと力が入っている。

 人に懐かない小動物を飼っているような気持ちになって、ラースは苦笑した。
 なんだかこそばゆいような、庇護欲がかきたてられるような。

「宿は、適当に決めていいか?」

 背後の珠美を振り返ると、珠美はまたもやこくんと頷いた。

「うん。お願いする」

 ただ肩肘を張っているのではなく、こうして頼るところは頼れるのが珠美のまた大人なところだ。
 変なプライドで己を追い詰めてしまうところがない。
 だからこそ、一人で生きることに慣れているのだろうと思わせた。

 馴染みの宿に入ると、一階の食堂に人がたくさんいたせいか、珠美はますます不安そうにぎゅっとラースに身を寄せた。
 おお、なんだかかわいいな。

 くつくつと笑いがこみ上げそうになるのを必死で堪える。

「あら、ラース。この間ぶりじゃない」

 宿の女将が気軽に声をかけ、それから背後から目だけを覗かせている珠美に驚いたように目をやった。

「よお。一泊、頼めるか?」

「ラースの子供? いつの間にそんな大きな子供こさえたのよ」

「俺のじゃない。まあ、なんだ、届けに行く途中ってとこだ」

 詳しい事情は語れない。
 魔王だと明かせば騒ぎになる。
 じゃあ前の魔王はどこへ行ったのかと問われるともっと厄介だ。大丈夫なのかと不安に駆られた人々が城に詰めかけることになるのは想像に難くない。

 だから珠美の頭を布で覆い、角を隠して村に入った。
 そして入ってすぐの行商人の店で子供用のフード付きマントを買い、今は目深にフードをかぶっている。

「あらあら、親御さんとはぐれちゃったのかい? そりゃあお嬢ちゃんも大変なことだねえ。まあ、このラースおじさんは悪い人じゃないから安心していいよ。ちょーっと女難の相があるだけでねえ。まあ、お嬢ちゃんが傍にいたって巻き添えくうことはないだろうから、安心おし」

 おどおどとラースの背後に隠れたままの珠美を安心させるようににこりと笑みを向け、女将は部屋の鍵を渡してくれた。

「夜中にトイレに行きたくなってもいいように、トイレに近い部屋にしてあげたからね」

 女将がそう言うと、珠美は明らかにむっとしたように服の裾を握る手に力を込めた。
 ラースは苦笑し、ぽんぽんとその頭を撫でてやった。
 女将が気遣って言ってくれたのはわかっているのだろう。突っかかるようなことはなく、珠美はぺこりと一礼してからラースについて部屋への階段を上がった。

「あらあらまあ本当に、こんなラースを見る日があるとはねえ」

 背後で女将のそんな声が聞こえたが、苦笑してそのまま部屋へと入っていった。
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