上 下
47 / 61
第四章 魔王、旅に出る

11.望まない場所

しおりを挟む
「昼食の時に、って言ってませんでした?」

「言ったね」

「ラースも一緒でいいって言ってませんでした?」

「後から来るなら同じことだろう」

 向かいでテーブルに肘をつき、にこにこと笑みを浮かべているクエリーに、珠美は言葉は通じているのだろうかと不安になった。
 高山を挟んではいるものの同じ大陸であるモンテーナとサンジェストは同じ言語だった。
 だがいくら会話をしても、伝わっている気がしないのは何故だろう。

 連れて来られたのはクエリーの私室だった。
 ここが昼食の会場とは思えない。

「これがサンジェスト流のおもてなしなのですか」

「模擬試合なんて見せられて待ってなきゃいけないタマミを退屈させてはいけないからね。私と話をしていた方が有意義だろう?」

「何が退屈で何が有意義かなど、私が決めます」

「ははは! それならこの時間を有意義だと思ってもらえるように、精一杯に楽しいお話をするとしようか」

「戻っていいですか? ラースが心配してると思うので」

「まだ何も話してないけど?」

「ご招待いただいた昼食の時間になりましたら改めてラースと共にお伺いしますので」

 頑なに態度を変えない珠美に、クエリーは困ったように笑みを浮かべた。

「ラースはただの護衛。私は第二王子だよ」

「だからです。ラースは私を守ってくれる人です。クエリー殿下は昨日初めて国交を結んだ国の国王の、第二王子です」

 国交を結んだのはクエリー個人とではない。
 国と国との約束であり、それを決めたのも国王だ。
 そもそも一方的に連れて来られるのは対等ではない。

「タマミは十八歳という年齢よりもしっかりしているよね。見た目は柔らかそうでいかにも流されそうなのに。でもそのギャップがまたいい」

 社交辞令だとしても、ありがとうございます、とは決して答えたくなかった。

「ねえ、タマミ。魔王の任期は一年で終わりなんだろう? そうしたらこの国に来ないかい。私の側室として迎え入れたいと思っているんだ」

 唐突な申し入れに、珠美は一瞬言葉を失った。

「随分と性急ですね」

「うん。だって早く帰りたいんだろう? 今だって、ずっと抜け出す機会を探ってるじゃないか。言いたいことはさっさと伝えておかないとね?」

「お断りします」

「理由を聞いても?」

 あなたに魅力を感じないからです、と言うのは不敬にあたるだろうか。

「私は代理魔王の任期を終えたら、元の世界へと帰らねばならないからです」

「じゃあ僕が帰りたくないと言わせるよ」

 殺し文句だが、まったく珠美には響いてこない。
 まるで言葉だけが上滑りしているようだ。
 きっと、物珍しい存在であるタマミを自分の側室というコレクションの一部に加えたいだけなのだろう。
 すぐに飽きるだろうし、そこに愛があるわけでもないことは見ていてもわかる。
 ただの一時的な興味だ。

「例え私が元の世界に帰らない選択をしたとしても、私が留まりたい場所はここではありません」

 サンジェストではない。
 クエリーの傍ではない。

 もし帰れなくなっても。
 もし、帰りたくなくなったとしても。
 その時に珠美が選ぶだろう場所は、一つしか胸に浮かばない。

「そうかい。それでは力づくでも君の足を止めるしかないかな。ガナンオイルの件、父上に僕から奏上してもいいんだよ? やはりモンテーナとの交易はやめましょうと」

「私情で国益を損ねる脅しをかけるなど見下げ果てました。それで頷くような国王なら、そんな国とは付き合わなくてかまいません。凋落していくとわかっている国に巻き込まれたくはありませんから」

 そう答えれば、クエリーは「ははは!」と声を上げて笑った。

「辛辣だねえ。いいね、中身にも興味が沸いたよ。是非ともタマミが欲しい。退屈しなさそうだ」

 そう言って立ち上がると、クエリーは珠美の傍に膝をつき、見上げた。

「もう一度お願いするよ。私の妻になってくれないか」

「お断りします」

 わかりきった答えを述べれば、クエリーは仕方なさそうにため息を吐いた。
 そうして立ち上がる。

「そうか。残念だなあ。それなら」

 唐突に腕を引かれ、珠美は強引に立ち上がらされた。そのままひょいっと横抱きにされたかと思うと、クエリーはすたすたと歩き出した。部屋の奥に置かれた、ベッドへと向かって。

「ちょ、何を?!」

「ラースにはあんなに素直に身を委ねてたじゃないか。私もやってみたいなと思っていたんだよね。こんなエスコートは王子である私の方が似合うだろう?」

「放して!」

「いいよ」

 そう言ってクエリーは珠美をベッドに下ろした。
 すぐさま逃げ出そうとした珠美の肩を掴み、押し戻される。

「大丈夫。きっと私を知れば、タマミもずっとここに居たくなるよ」

 その言葉にぞっとした。
 相手の意思を無視して自分を押し付けられて喜ぶと思っているのが恐ろしい。
 きっと今までの女性たちは抗えなかったのだろう。相手が王子だから。
 だが珠美は魔王だ。

「帰ります」

 強く言い切り、クエリーの体を押しのけようとした。
 しかしびくともしない。
 細身でラースなんかより全然力もなさそうなのに、それでも女の珠美の力では腕一つ剥がすことができなかった。

「相手の意思を無視するようなこんなやり方、私は受け入れられません。これがカッコいいとでも思っているのなら、王子でイケメンなら誰でも喜ぶと思っているならお門違いですよ。強行するのなら、たとえこの後あなたがどんなにいい人だとわかったとしても、私があなたを一生許すことはありません」

「そんなことを言ってられるのは今の内だけだよ。みんな結局私のものになった」

「傷つけられたと思いたくないからですよ。それは女性が自分の心を守るための自己防衛です。あなたの魅力ではない」

 力強く言い放てば、クエリーは初めてぴくりとこめかみを動かした。

「そう……。私も今のタマミの言葉には傷ついたなあ」

 怒らせた。
 そう悟ったとき、珠美は咄嗟に蹴り上げようと足に力を込めた。
 しかし即座にクエリーの両足に挟まれ、完全に身動きが取れなくなる。

「どうあっても、私の魅力をわかってもらうしかないようだ。とてもこのままでは帰せなくなったよ」

 クエリーの顔が近づく。
 珠美はきっときつく睨み上げ、唇を噛みしめた。

 怒りが沸いた。
 どうしようもないほどに、腹の底からふつふつと沸き立つものがある。
 頭のどこかで、このままではまずいと感じていた。

 珠美が、ではない。
 クエリーが、だ。

 珠美の中の大きすぎる魔力がうねるのを感じた。
 溢れ出しそうなそれを必死に抑え込む。

 ――だめだ。思いのままに魔力を放ったら、どうなるかわからない。

 制御しなければ。
 しかし肌を覆う嫌悪感が珠美から冷静さを奪う。

 ――ラース! 助けて!

 その時だった。
 バタバタといくつかの足音が聞こえたと思った瞬間、――ッバアン、と激しく扉が押し開けられた。
 なだれ込んできたのはラースと、それを止めようとする侍従たちだった。

「珠美!!」

「ラース!」

 クエリーが怯んだ一瞬の隙に、珠美はクエリーの腹に一発拳を叩き込み、うずくまったところを身をかわして逃げ出した。
 互いに走り寄り、珠美はラースに飛びつくと、ぎゅっと力強く抱きしめられた。

「遅くなってすまなかった」

 珠美の双眸から涙が零れた。
 ラースの体が温かかった。
しおりを挟む

処理中です...