11 / 12
第十一話 決別と告白
店の中に、沈黙が落ちた。
「王都に?」エルザは静かに繰り返した。
「ああ。宮廷薬師団はお前を必要としている。王妃殿下の処方もお前にしかできない。それに……俺とのことも、考え直してほしい」
「俺とのこと、というのは」
「婚約の件だ。あの時は俺が間違っていた。リゼットに目がくらんで、お前の価値を見誤った。今なら分かる。お前は俺にとって必要な——」
「レオン様」
エルザが遮った。その声は穏やかだったが、一点の曖昧さもなかった。
「いくつか、はっきり申し上げます」
レオンの顔が強張った。
「まず、宮廷薬師団の件ですが、新薬の処方箋は師匠のグレン先生にお渡ししてあります。先生なら再現できますし、後進の指導もできるでしょう。私が王都に戻る必要はありません」
「しかし——」
「次に、婚約についてですが」
エルザはまっすぐレオンの目を見た。
「あの夜会の日、レオン様は私を『薬草にまみれた地味な女』とおっしゃいましたね」
レオンの顔が歪んだ。
「あの言葉は私を傷つけませんでした。なぜなら、私はその通りの人間で、それを恥じていないからです。薬草にまみれることは私の誇りです」
「エルザ……」
「七年間、私はレオン様の婚約者として努力しました。でもそれは、レオン様を愛していたからではなく、家の義務だったからです。正直に申し上げます。私はレオン様との婚約を重荷に感じていました。解放された時、泣いたのではなく安堵したのです」
レオンが息を呑んだ。
「今のレオン様が復縁を求めるのは、私への感情ではなく、失ったものへの未練です。侯爵家の立場が悪くなり、リゼット様との関係が上手くいかなくなり、それで『前の方が良かった』と思い出しただけのことです」
「そんなことは——」
「レオン様。私は今、この辺境で幸せです」
エルザは微笑んだ。穏やかで、晴れ渡った微笑みだった。
「ここには私を必要としてくれる人たちがいます。私の仕事を尊重してくれる人がいます。私は初めて、自分の意思で自分の人生を生きています。その人生を手放すつもりはありません」
レオンは何かを言おうとしたが、言葉が出なかった。
エルザの瞳に、迷いの影は微塵もなかった。それは、自分の知っている「大人しくて従順な婚約者」ではなかった。自分の足でしっかりと立っている、一人の女性だった。
「……そうか」
レオンの声は掠れていた。
「俺は、お前のことを何も分かっていなかったんだな」
「七年間、そばにいたのに」
その言葉が最も深い「ざまぁ」だったと、レオンだけが気づいていた。
* * *
レオンが去った後、店には静けさが戻った。
エルザは深く息を吐いた。手が少し震えている。毅然とした態度を保っていたが、心臓はずっと早鐘を打っていた。
「大丈夫ですか」
ノエルの声がした。店の隅で控えていた彼が、静かに近づいてきた。
「ええ。少し、緊張しただけ」
「……立派でした。いえ、立派という言い方は失礼かもしれません。ただ、あなたの言葉はとても強くて、美しかった」
エルザは顔を上げた。
ノエルの琥珀色の瞳が、真っ直ぐにエルザを見つめていた。いつもの穏やかさの奥に、真剣な光が宿っている。
「エルザさん」
「はい」
「薬草園で、あなたは『同じ気持ちかもしれない』と言ってくれましたね」
「……はい」
「あの時、私は続きを言えなかった。だから今、ちゃんと伝えます」
ノエルが一歩近づいた。
「私はあなたを——エルザさんを、薬師としてだけでなく、一人の人として大切に思っています。いつの間にか、あなたのことばかり考えるようになっていました。朝、薬屋の煙突から煙が上がっているのを見るだけで安心する自分がいます」
エルザの目が潤んだ。
「薬屋の煙突で安心するなんて、変ですよ」
「変でしょうか」
「変です。でも——」
涙が一筋、頬を伝った。レオンの前では流さなかった涙が、ノエルの前では自然に溢れた。
「私も同じです。ノエルさんの声が聞こえると、一日が明るくなるんです」
ノエルが微笑んだ。日焼けした頬が、かすかに赤くなっている。
「これからも、隣にいてもいいですか」
「ノエルさんがいてくれなかったら、困ります」
二人の間にあった最後の壁が、音もなく崩れた。
夕陽が薬屋の小さな窓から差し込み、二人を柔らかな金色に染めていた。
あなたにおすすめの小説
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
弟が悪役令嬢に怪我をさせられたのに、こっちが罰金を払うだなんて、そんなおかしな話があるの? このまま泣き寝入りなんてしないから……!
冬吹せいら
恋愛
キリア・モルバレスが、令嬢のセレノー・ブレッザに、顔面をナイフで切り付けられ、傷を負った。
しかし、セレノーは謝るどころか、自分も怪我をしたので、モルバレス家に罰金を科すと言い始める。
話を聞いた、キリアの姉のスズカは、この件を、親友のネイトルに相談した。
スズカとネイトルは、お互いの身分を知らず、会話する仲だったが、この件を聞いたネイトルが、ついに自分の身分を明かすことに。
そこから、話しは急展開を迎える……。
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
王都を追放された私は、実は幸運の女神だったみたいです。
冬吹せいら
恋愛
ライロット・メンゼムは、令嬢に難癖をつけられ、王都を追放されることになった。
しかし、ライロットは、自分でも気が付いていなかったが、幸運の女神だった。
追放された先の島に、幸運をもたらし始める。
一方、ライロットを追放した王都には、何やら不穏な空気が漂い始めていた。
なんでも私のせいにする姉に婚約者を奪われました。分かり合えることはなさそうなので、姉妹の関係を終わらせようと思います。
冬吹せいら
恋愛
侯爵家令嬢のミゼス・ワグナーは、何かあるとすぐに妹のリズのせいにして八つ当たりをした。
ある日ミゼスは、リズの態度に腹を立て、婚約者を奪おうとする。
リズはこれまで黙って耐えていた分、全てやり返すことにした……。
『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました
皇 翼
恋愛
「リーシャ、君も俺にかまってばかりいないで、自分の趣味でも見つけて自立したらどうだ?正直、こうやって話しかけられるのはその――やめて欲しいんだ……周りの目もあるし、君なら分かるだろう?」
頭を急に鈍器で殴られたような感覚に陥る一言だった。
彼がチラリと見るのは周囲。2学年上の彼の教室の前であったというのが間違いだったのかもしれない。
この一言で彼女の人生は一変した――。
******
※タイトル少し変えました。
・暫く書いていなかったらかなり文体が変わってしまったので、書き直ししています。
・トラブル回避のため、完結まで感想欄は開きません。
実家に帰ったら平民の子供に家を乗っ取られていた!両親も言いなりで欲しい物を何でも買い与える。
佐藤 美奈
恋愛
リディア・ウィナードは上品で気高い公爵令嬢。現在16歳で学園で寮生活している。
そんな中、学園が夏休みに入り、久しぶりに生まれ育った故郷に帰ることに。リディアは尊敬する大好きな両親に会うのを楽しみにしていた。
しかし実家に帰ると家の様子がおかしい……?いつものように使用人達の出迎えがない。家に入ると正面に飾ってあったはずの大切な家族の肖像画がなくなっている。
不安な顔でリビングに入って行くと、知らない少女が高級なお菓子を行儀悪くガツガツ食べていた。
「私が好んで食べているスイーツをあんなに下品に……」
リディアの大好物でよく召し上がっているケーキにシュークリームにチョコレート。
幼く見えるので、おそらく年齢はリディアよりも少し年下だろう。驚いて思わず目を丸くしているとメイドに名前を呼ばれる。
平民に好き放題に家を引っかき回されて、遂にはリディアが変わり果てた姿で花と散る。