魔女の暇つぶし

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1年生編11月

◆魔女とは残酷で残虐な悪である

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 テストの返却も全てが終わり、二学期制を取り入れている学校では成績表が配られる時期。東高等学校は三学期制のためこの時期にイベントはない。
 温度変化に弱い海はマフラーデビューをした。もちろん真っ裸で南極に放り出されても死ぬことはないが、得意不得意はある。
「うみちゃん、おはよー。もうマフラーデビューしたの?」
 昇降口でローファーを脱いでいると、後ろから遠慮なしにマフラーを引かれた。
「おはよう。苦しいから引っ張んないで、侑希ちゃん」
「今からマフラーしてたら二月とかどうするの?」
 海たちに向けられる視線の量は相変わらずであるが、十一月に入った今も敵意を感じることはない。念の為校内で不審な動きがないかも涼子に調べさせたが変わりない。
「昨日ね、妹がクッキー作ってくれたんだけど、余っちゃったからうみちゃんにもあげるー」
 手のひらサイズの小袋を強制的に渡される。
「心配しないで。わたしちゃんと食べたから! お腹痛くないし吐き気もないよ!」
「そんなに念をおされると逆に不安になるってば」
 教室に入る前にカバンの中にしまった。なるべく潰れないように、上の方に。
「侑希ちゃんは妹と仲良いよね」
「そうかなー? ふつうだと思うよ」
「普通だったら、同級生に妹のクッキー持ってこないと思う」
「そうゆうもの?」
 実際に会ったことはないが、侑希の話を聞く限りては親子関係も姉妹関係も良好に思える。ごく当たり前に愛され、ごく当たり前に愛し、幸せな家庭。本人はお金持ちではないから国立大を目指すと言っていたが、この高校に自転車で通える範囲に住んでいるのであれば少なくとも貧困ではない。
「そうだ、英語でちょっと聞きたいところあるんだ。多分わたし今日当たるんだよね」
 指名されて間違えたところで死ぬわけではないのに、同級生の多くは間違えることを恐れる。
「どこ?」
「ここの日本語訳。わたしいつも長いところ当たるんだよ~」
「運がないんだね」
「でも晴れ女なんだよ?」
「……運動得意ならよかったのにね」

 侑希と一緒に帰るのは約束した通り分岐点の交差点までだ。今日もいつも通りそこで別れ、海は南へ、侑希は東へ帰る。
「またね!」
 侑希はあまり運動が得意でないが、高低差の多い土地を自転車で毎日往復しているうちに自然と体力はついた。入学してしばらくは自転車から降りて押していた坂道も、鍛えられた今なら漕いで上ることができる。
「そうだ、牛乳と卵買って帰らなきゃ」
 クッキーとなり冷蔵庫から消えたものを買ってきてほしいと言われていたことを思い出し、侑希は帰り道にあるスーパーに立ち寄ることにした。
 卵はカゴに入れると最悪な事態になるのでリュックにつめる。牛乳はカゴの中でも大丈夫だろうと思い、一度袋ごと置いたところで制服のスカートを下から引っ張られた。痴漢かと思い、過剰に反応をしてしまったが、
「!? ……なんだ、子どもかぁ」
 幼稚園生になっているかも分からない男の子が、たった一人でそこにいた。
「ボク、どうしたの? ママとはぐれちゃった?」
 スーパーの袋を持ち直し、男の子と視線を合わすためにしゃがみ込む。
「あっち、ままが」
 侑希のブレザーの袖を一度引いて、男の子は一人で走って行く。
「ちょっと!」
 迷子かもしれない、単に人の良さそうな侑希をからかっているだけかもしれない、しかし母親がどこかで倒れて助けを呼んでいるのかもしれない。最悪の可能性を否定できない以上、侑希は男の子を追うしかなかった。牛乳も置いていけないので、重たい荷物を持ったまま走る。いくら体力がついたと言えども、狭い道が多い街中、限界を知らないで走る子どもを追うのはシャトルラン並みにきつい。
「待って!」
 すれ違う人たちは、皆して怪訝そうな顔で侑希を見るものの声はかけてくれない。
 どんどん人気の少ないところまで来て、ついに侑希にも自分の位置が正確には分からなくなった。
「ボク!」
 路地に入ったところで男の子は立ち止まる。侑希は息が切れて喉が枯れそうなのに、目の前の男の子は呼吸していないくらい静かだ。
「はぁはぁ、お母さんは? はぁ、ここに、いるの?」
 足音や気配よりも、目の前の二つの瞳に映った人影で背後に人がいることを知った。
 しかし、侑希が振り向いた時そこにいたのは人間でなかった。焼けるような喉に痛みはない。でも言葉は出ない。すがるような気持ちで男の子の方に向き直るが、そこにも人間はいない。
 手汗で滑って落ちた牛乳は鈍い音を立てて落ち、赤い飛沫を立てる。
「……うみちゃん……?」
 かすれる声は届いているはずなのに、冷たい目をした魔女は返事をしてくれなかった。

 彼女の表情は何と例えればいいのか。絶望。恐怖。他にもありそうだが、海には分からない。
「ごめんね」
 海が手を伸ばした時にした表情は、怯えだった。
「君はお使いをして帰った。それだけだ」
 手が触れる寸前で侑希の意識が落ちる。血溜まりでなるべく汚れないようにと、肉塊から少し離れたところに寝かせた。
「シルヴィア」
 呼び出しから数瞬遅れて涼子が落ちてきて、着地寸前に重力を無視して止まった。
「急に呼び出さないでくれます? 生徒会の会議中だったんですけど」
「うるさい。そんなん後で調整しろ」
「横暴なこと。で、街中で何しでかしてるんですの」
「人避けはした」
「そういう問題ではありませんわ。二人とも魔力の気配は残ってますけど、どう見ても一般人でしょう」
「人間だろうが侑希ちゃんを危険に晒したんだ」
 涼子はため息をつく。
「操られていたか記憶操作あたりでしょうか」
「そうだろうな。こいつらからは敵意は感じなかった」
「それで、私を呼んだ理由は何ですの?」
「侑希を家まで送るのと卵の買い替え、牛乳も綺麗にしておいて。あとゴミ処理」
「どれもあなたがやればいいじゃないですの。特に侑希。あの子はあなたが送りたいんじゃありませんの?」
「私は先にアイツぶっ殺してくる」
 侑希が感じていた視線は様々な人からのものだった。その中のほとんどは害のないものだったようだが、紛れていたのがこれだ。主となる魔女が侑希の周りの人間を使って監視していたのだろう。結局のところ、親玉を潰さなければ同じことは起こるわけだ。
「アイツってどこの誰か分かってますの?」
「さっき全部視た」
「全部って……」
 汚れを消し去りながら、涼子が引いた顔をする。
「世界中じゃねぇよ。通常魔力が届く範囲で視ただけだから」
「ことごとくあなたにケンカ売った昔の自分が恐ろしいですわ」
「あの時のシルヴィアは若かったな」
 見た目も含めて、涼子は今と昔ではずいぶんと変わっている。取り繕っているのか、心を入れ替えたのかは分からない。
「……侑希ちゃんの記憶は改竄してある。用が済んだらまた呼ぶかもしれないから、早めに片づけておいて」
「どこに行くかくらい教え、」
 涼子の言葉には耳を貸さずに、会話の途中で海の姿が消える。高位魔法――先程涼子が呼び出されたものと同じ類の転移魔法。詠唱も魔法陣も道具も使わず、物量・距離を問わずに三次元を移動することができる。
「他人の家に土足で入るなんて礼儀のなってない人ですね。せめてノックくらいするものではありませんか?」
 海が転移した先は電灯の点いていない、パソコンとモニターの光しかない暗い空間。座標から割り出すと、ここら辺では一番物価の高いエリアのタワーマンションの一室。暗いのはカーテンを全て閉め切っているからだ。
「私が住んでいたところは靴を脱ぐ習慣がないんだよ。あと他人ってお前魔女だろ」
「えぇ、でも他魔女ってゴロが悪いでしょう。それに大魔女様は今人間としてお過ごしなさっているとお聞きしていますよ」
 高そうなパソコンチェアがくるりと百八十度回転する。
 そこにいたのは、黒いドレスに溶け込むように、髪も瞳も口紅、ネイルも真っ黒な魔女。
「お前誰の差し金で動いてんだ?」
「なんのことですか?」
「私はお前と関わった覚えはないんだよ。それとも私が関わった国の魔女か?」
 一歩近づこうとして海の身体が固まる。
「魔法陣か……」
「左様です。あなたのような魔女に無策で臨むわけないでしょう」
 下位の魔女であっても、魔法陣や詠唱を利用することによって上位の魔法を利用することができる。現状、海を足止めしている魔法は、
「拘束魔法、毒、精神異常、封魔か」
「ご名答。……まだ言葉を交わせるとは恐ろしいですわね」
「私は苛立っているんだ。早く親の名前を吐け」
 青い瞳が憎悪に満ちる。
「哀れだな」
 縛られているはずの海の身体が動いた。これにも黒い魔女は驚いたようで、とっさに辺りを見回した。
「どうして不思議な顔をする? 私のことを知った上でケンカ売ってきたんだろ」
 わざと魔力を手の平に集めて黒い魔女の顔面を掴む。
「随分と魔力が少ないんだな。少し分けてやろうか」
 少しずつ黒い魔女の肌が剥がれていく。
「何で封魔がまったく効いて……」
「効くわけないだろ。私に効く魔法は、私の魔法だけだ。そろそろ親の名前思い出したか?」
 本当に下位の魔女らしい。少し魔力を多く込めただけで、血を吹き出しながら祈るように、 
「ジャンヌ・ダルク! 白髪の女です!」
と叫ぶ。しかし、それは悪行であった。海の指先に力が入る。わざとではない。
「っ! 私のことを知っていてその名前を出すのか?」
「本当! 本当なんです! 白くて長い髪をした、青い目の魔女がジャンヌ・ダルクと名乗ったんです!」
 元々大して持ち合わせていなかった理性が、プツンと頭の中で切れる。
「最期に教えてやる。ジャンヌの髪は綺麗な赤茶色なんだよ」
「……なん……身体が硬く……石!?」
 黒い魔女の足先からみるみるみるみるうちに石に変化していく。
 海は汚物を扱うように魔女を投げ捨て、血がたくさんついた手を水魔法で洗い流した。
「特別にもう一つ教えてやる。メデューサの話の元は、私が気に入らない人間を石にしてたことなんだ。……もう聞こえてないか」
 投げ捨てた時の反動で胸から下は砕けてしまっている。
 その様子を見て、鞄の中身を思い出した。
「あぁ……クッキー砕けちゃってる……」
 八つ当たりをするように頭部だった塊を踏み潰した。
「ちょっと! カイってば!」
 頃合いを見て現れた涼子が、クッキーを貪る海の頭を叩く。
「相手死んでますけど、情報ちゃんと引き出しました!?」
「ごっめん、名前も知らん。なんか黒かった。全体的に」
「見た目は変化させている可能性がありますからね」
「シルヴィア、ちゃんと侑希ちゃんを送り届けてきた?」
「もちろんですわ。……そこのパソコンを念のため調べてみますから、カイは部屋の中に何かめぼしいものがないか探してください」
「電気つけていいかな?」
「あなた視えるでしょう。そのまま探しなさいな」
 涼子は石クズを払い、重厚な革で纏われた椅子に腰を下ろす。インターネット検索を主とするにはいささかスペックの高いパソコン。周辺機器にも一定のこだわりが見受けられる。
「魔力感知でも恐れたのでしょうか……」
 海対策をするのであれば、連絡手段は人間世界に準じたものの方がリスクは少ない。しかし、涼子にはカイに対抗してくる個体及び集合に対してある程度の対策は用意してある。魔力で影響を与える前に、まずはクラッキングをする。
 一方、人間の文明機器に疎い海は真っ暗な部屋の中を端から順に回っていた。先程無理矢理消滅させた魔法陣には、まだ少し魔力が残留している。そこから元を辿ろうとしたが、全て塵と化した黒い魔女にしか行き着かない。
 部屋自体は少し高級な1DK。キッチンは水道以外使用された形跡はない。トイレや風呂も外見上問題はないが臭う。風呂からだ。
「……何人か殺してるな」
 魔法陣から漂ってきた臭いと同じ。下位の魔女にしては強力な魔法であったのは、魔法陣自体も生力で強化されていたからだろう。
「あーもう臭い臭い。やだ、早く帰ろう。シルヴィア」
「もう少しお待ちくださいな。こちらは手を使って探しているのですから」
「魔法じゃダメなの?」
「これがダメでしたら魔法を使いますわ」
 カタカタと軽快な動きでキーボードが叩かれる。パソコン画面にはたくさんのアルファベットが並んでいるが、どこかの国のコミュニケーションツールではないようなので海には分からない。
「外部操作でデータが消去されてますわね」
「復元できんの?」
「……難しそうですわね。クラッキングで消去した上で、更に魔法でなかったことにしているみたいですわ」
「……結局この黒かったやつは捨て駒だったんだな。そんなにも自分の正体隠したいかね?」
「あなたに直接歯向かっても殺されると分かっているからでしょう」
「どっかの誰かさんと違ってね」
「うるさいですわ。……しかし、侑希を狙った意図が不鮮明ですわね」
「単に私を誘き寄せたかったのか」
「もしくは侑希自体に用があったんですかね」
「侑希ちゃんは魔女にまったく関与してなかったんだろ?」
「やはり狙いはあなたでしょうね」
――名乗った名前に意味があるなら、昔から私に対して恨みを持っているやつか? 心当たりが多過ぎて分からない。
「……侑希ちゃんの周囲を警戒する」
「あら。てっきり手を引くものかと思いましたわ」
「何言ってるのさ。私は魔女、彼女は人間。相手が食いつくのを待つのが得策だろ」
「あなたが決めたことならこれからもサポートはしますわ。ただし、中途半端になって後悔をすることはないように」
「……。帰ろう。あまり長くいてもいいことはない」
「そうですわね」
 手がかりを完全に失ったカイと涼子は、転移魔法を利用して真っ暗な部屋を後にする。
 それから少しして、三つ隣の部屋から火が上がり、あっという間にフロア全体を飲み込んだ。
 全てをあざ笑うように、灼熱の中、モニターが切り替わり、

『The person……』
『The witch who can rescue you besides me isn’t possible.』

『I will definitely ■■■■ you.』

 全てが焼け落ちた。
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