魔女の暇つぶし

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1年生編11月

◆再びシェイクスピア

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 何の手がかりも得られぬまま、言い換えれば平穏な日が続く。あの真っ暗な部屋には、会社員の男が住んでいた、ことになっていた。火元は賃貸に出されていた部屋で、煙草の不始末による火災として処理された。プロの目から見れば不審な点はいくつもあるはずなのに、スムーズに処理がされているのは魔女が関わっている証拠だろう。
 近いところで起こった火事も学生たちの間で話題にはならない。それくらい小さな事件だった。
 いつもは六時間目まである授業も、今日は午前中の四時間目まで。校内は賑やかで、これからそれぞれ好きな手段で市内の文化ホールまで移動をする。
「わたし、シェイクスピアの作品ってロミオとジュリエットくらいしか知らないかも。本で読んだこともないし」
 本日の行事は芸術鑑賞会である。立派な学校行事の一つであり、演劇、演奏、落語を一年ごとに体験するという主旨らしい。今年は観劇になる。
「……侑希ちゃんって悲劇好きじゃないよね?」
「うーん。得意じゃないかな」
「それなら今日は一緒にサボろう」
「ダメだよ。点呼もあるんだし」
「真面目だなぁ」
 演目はシェイクスピアのマクベス。有名な劇団の方々が、わざわざ高校生のために演じてくれる。
「うみちゃんも悲劇苦手なの? 意外だね?」
「意外ってのはどこを見ての感想なのか気になるところだけど、傷つきそうな気がするからまぁいいや。悲劇は苦手じゃないよ。シェイクスピアの作品が受け付けないってだけでね」
「シェイクスピア読んでるなんて大人だね」
 海は人間が生きる時間全てを捧げても読み終わらない量の本を読んでいる。
「持ってるなら貸してよ」
「全部燃やした」
「そんなに苦手なの!? 逆に気になるからネットで探してみようっと」
 集合時間前の昼下がり。ファミレスで平日限定のランチメニューを平らげ、海はドリンクバーの紅茶を「味が薄い」と文句を言いながら飲んでいるところだ。侑希はランチセットの小さなケーキでは物足りなかったようで、追加のチョコレートパフェを食べている。
「侑希ちゃんは細っちいのによく食べるねー」
「わたしって食べても太らないんだ」
 無意識に座っていても対面から確認ができる胸部に視線がいってしまった。
「……うみちゃんにはパフェ分けてあげません」
「いや……そうゆうつもりじゃ……」
 あれから侑希の周りで不審なことは一切起こっていない。また、彼女にはあの日の出来事も残ってはいない。侑希は、スーパーで牛乳と卵を買った後、特に誰とも話すことなく家に帰宅して、気づいたらベッドでうたた寝をしていた、ということになっている。
 記憶操作、記憶の上書き。
 あの日侑希を襲った親子は事故死扱いになった。海が怒りに任せて壊してしまったこともあり、処理が大変だったと涼子は怒っていた。
「うみちゃんだって、そんなに胸大きくないでしょ」
「大きくないけど……別にあればいいってものではないと思うよ」
 如何にフォローをするべきか。何を言っても地雷になりそうだ。
「うみちゃんに悪気がないのは分かってるんだけどね。すぐ思ったことが行動に出るのはよくないよ」
「以後気をつけます」
 侑希はわりと目敏い。あと地雷がわりと分かりづらい。
「そろそろ文化ホール行こっか。ホールの中の方が暖かいと思うし」
 徐に冷え切った海の手を掴む。侑希の手は冷たいチョコレートパフェを食べた後だというのに、ほかほかしている。
「何でそんなにあったかいの?」
「カイロ持ってるから」
 ブレザーのポケットから大きめの白いカイロを取り出す。
「マフラーはまだ巻かないのに、カイロはいいんだ……」
「腰冷やすとよくないから、たまに当ててるの。マフラーは来月になったらデビューするから」
「十一月も十二月もそんなに寒さ変わらないって」
 カイはマフラーを巻き直しながら、無防備な首元に同情する。細くて簡単に折れてしまいそう。
「駅前は風の通りがよくて寒いね。そろそろタイツも用意しておかないとダメかな」
 駅から直結している市の文化ホールは約千人を収容できる施設で、多くのイベントでも利用されるらしい。ホール内は半円形を描くようにえんじ色の椅子が舞台を囲っており、舞台の中心には自己主張の強いパイプオルガンが設置されている。
「外から見るより広いんだね。この前近くに来た時は、ホールがあるなんて分からなったや」
 侑希と買い物に来た時に、ホールの真隣にある複合商業施設内を回っている。
「一年七組はここだって」
 クラス毎に数列ずつエリアが指定されている。サボりがいないかきちんと確認をするためだ。
「三年生全然いないね」
「来る人はギリギリまで勉強してるんじゃないかな。三年生はね、自由参加なんだよ」
「なるほど。受験ってやつか」
 東高等学校は、県内では進学校と名乗っているらしい。侑希曰く、地元の国公立大学には多少いいイメージを抱かれるが、都内の大学に進むとなると学校名も知られていないと言うから東京は恐ろしいところだ。
「うみちゃん、寝ちゃダメだからね」
 席に着くなり、侑希から忠告が飛んでくる。
「何さ。瀬川先生になんか言われてるの?」
「藍ちゃん先生と涼子ちゃんに言われているよ」
「あいつら……」

 開演を知らせるブザーが鳴り響く。ノイズだらけだったホール内も、照明が徐々に光を失うのに合わせて静けさを取り戻す。
「東高等学校の皆さん、本日はお忙しい中、ご来場ありがとうございます。さすが有名進学校でございますね。特段注意なく舞台に注目してくださる学生さんはなかなかおりません」
 皮肉混じりな挨拶とともに現れたスーツ姿の男は、劇団の団長。東高等学校の卒業生であり、そのため三年に一度公演を開いてくれるのだそうだ。
 スマホをいじるなと前置きをしっかりしてから、再度舞台の照明が落ちる。
 まだ始まらないのかと周りがそわそわとし始めた頃、突然強烈な光が舞台上で弾け、遅れて轟音が鳴り響いた。どこからか女子生徒の小さな叫び声も聞こえた。雷、嵐。その中で黒いローブを身に纏った三人が舞台上に現れる。
 魔女の役をしている人間たちが唱えている呪文というのは、おそらくドイツ語を基にした造語であろう。
――人間のイメージする魔女の典型的な形だな。
 海が念じれば、本当に嵐がくる。ホールの人間を殺すこともできる。それこそ、台本通りに進む演目よりもずっとリアリティのある物語。
――本当平和になったもんだ……。
 暗闇、心地よいBGM。最初から彼女たちの言葉を聞く気はない。
 睡眠を取らなくても死にはしないけれど、眠たい状態が続けば動作に支障が出る。何よりも、なぜか寝てはいけないタイミングこそ快適な睡眠になるのだから仕方ない。
「やっぱり寝てたでしょ」
 休憩時間もマフラーを顔にかけて熟睡していたら、いつの間にか幕は下ろされていた。起きたのは盛大な拍手の気配で、侑希も若干眉間にしわを寄せながら両の手を何度も叩き合わせている。
「あー無事終わった?」
「藍ちゃん先生こっち見てたよ。寝てたのはバレてるよ」
 問題はなく終わったらしい。
「学校の椅子より寝やすかった」
「あとで怒られても知らないからね。わたし、たっくさん突いたんだから」
 どうりで右腕が少し痛いわけだった。
 ホール内の灯りが全て点き、後方にいるクラスから順次解散。今日ばかりは学校に戻ってから部活動というところもないようで、クラスメートも各々「サ●ゼ行こうぜ」「カラオケ寄って帰ろう」と話題にしている。
「うみちゃんはこのまま帰るの?」
「うん、特にやることないし」
「この後画材買いに行くんだけど一緒に来ない?」
「別にいいけど、私がいたところで役に立たないよ」
「だいじょーぶ。荷物持ちっていう役割があるよ」
「ないよ」
 美術部にも部費はあるらしいが、部員曰く最低限のものを買うとなくなるくらいには少ないらしい。
「瀬川先生とか涼子に掛け合えば部費くらい増やしてくれるんじゃないの?」
「まぁ……涼子ちゃんとかなんとかしちゃいそうで怖いけど、やっぱり認められた形で増額してほしいかな。先生のポケットマネーなら歓迎するけどね」
「侑希ちゃんは何を買うつもりなの?」
「学校で支給されていない細い筆と、絵の具」
「絵の具も部費で買えないの!?」
「買えるよ、買える。ただ、気に入ったものがあったら欲しいなって。例えばこれ。赤系統の絵の具と一言で表してもたくさん種類があるんだよ」
「でも色って三原色があれば作れるよね。まぁ三色だけってのは極端だけど、授業用に買わされた絵の具セットの内容じゃ足りないの?」
「うーんと、わたしのこだわりかな。毎度同じ色を作れない、その時の色はその時のみっていうのもアナログの良さだけど……どうしても変えたくない色もあるじゃない?」
「私は絵を描かないから分かんないや」
 侑希は持っていた緋色の絵の具を棚に戻し、寒色が集まっている棚に移る。
「うみちゃん」
「何?」
「ううん、何でもない。ありがと」
「?」
「ねぇ、うみちゃんがわたしに色のイメージつけるなら何色だと思う?」
「侑希ちゃんに……? 青とか緑じゃない気はするけど……」
 それこそ入り口にあった赤系統のどれかであろう。
「ピンクかな……でもそんな可愛い感じより……」
「え、可愛くないってこと?」
「や、そうゆうわけじゃなくて……オレンジかな! うん、ほら、これなんて似合いそうだよ」
 目についたオレンジ色の名称はメイズイエローと書いてあった。
「侑希ちゃんは活発的だから。でも尖っているわけじゃないし、私から見たら明る過ぎるくらいで」
「じゃあ今度なにか買う時に色迷ったらオレンジ色にするね」
――侑希ちゃんの全身がオレンジ色になったらどうしよう。
「うみちゃんはやっぱり青色だよねー。金色の髪も綺麗で目立つけど、初めて見た時も瞳の色が印象的だったんだ」
「日本人は碧眼を好むよね」
「基本、黒髪に黒目だからじゃない。どんなに色素薄くなってもわたしくらいにしか明るくならないし、目なんて青とか緑色にはならないもの」
 結局、筆を二本だけ購入し、絵の具は見送りとなった。
「侑希ちゃんは部活でどんな絵を描いているの?」
「今は藍ちゃん先生に出された課題で、キャラクターの絵かな」
「それ絶対公私混同してるやつじゃん」
「そうかもね。でも、わたしは漫画やアニメに詳しくないから新鮮な気持ちでやってるよ」
「私も侑希ちゃんみたいになんでも楽しめたらいいのにな」
「? 楽しくないの?」
「楽しいよ」
 演劇も積極的に鑑賞しようとしたり、部活に入ってみようとしたり、そんなことすら海にはできていない。実行したとしても、彼女ほどの楽しみを得ることはできない。
「やっぱり今日寒いから、そこのコンビニで肉まん食べて帰ろうよ」
「ほんと侑希ちゃんはよく食べるね」
 侑希が海の手を取る。
――手袋、まだしなくてもいっか。
 冷たい手同士であっても、このままの方がいい気がした。
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