君のとなり

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4.風邪

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 珍しくあやめが両親と会う日で、朝早くから出掛けて行ってしまった。黒塗りの外車が見えなくなるまで見送りはしたけれど、まだ彼女の機嫌は少し悪く、朝の着替えでも揉めたばかりだった。
 せっかく両親と会うのだから、いつも以上に可愛らしいものをと用意した服は全てゴミ箱に投げ入れられ、「青の服でいい!」と頑なに服を着てくれない。青の服は制服か安物のシャツやジーパンくらいしかないのでさすがに貸すことはできない。最終的に学生だからと制服で納得はしてくれたものの、現地に着くまでに大人しくしていてくれるのか不安だ。
「わたしも現地までお送りしましょうか?」
 いつもならついてこいと言われるのに、今日は一人で最後まで「いらない」としか言われなかった。
 散らかり放題になった部屋を片付けながら、ちゃんとしてくれるだろうかと主のことを考えては溜め息を溢す。
「進路希望調査の話から機嫌悪いなぁ……」
 いつもなら適当に都内の頭のいい大学から順に書いていたはずなのに、いったい何が気にくわなかったのか。
 彼女の部屋はお手伝いさんも入らず、片付けるのは青だけなので今日は思う存分に掃除をする。いつも掃除を始めるとあやめがちょっかいをかけてくるので、満足にできない。
「これ、わたしのシャツ……」
 一枚ないと思っていた寝巻きがベッドの横から発掘される。
「また勝手に……」
 大抵青のものがなくなるとあやめの部屋から出てくる。いつくすねているのかも分からず恐い。
 洗濯物はお手伝いさんに任せ、布団を干し、掃除機をかける。一通り終わって、これからやっとお昼をと思ったタイミングでめったに鳴らない固定電話が鳴った。
「はい、京条でございます」
『青ちゃん? よかった~あやめがいないからって外で羽を伸ばしていたらどうしようかと思ったのよ』
「おばさま、ご無沙汰しております」
 電話の相手はあやめの母親だ。
「どうかされましたか? 忘れ物であればすぐにお持ち致しますが」
『ううん。忘れ物というか捜し物で』
 あっけらかんとしている人なのに、歯切れが悪い。少しだけ間を置いてから困ったように、
『あやめがいなくなっちゃって』
「はい?」
『食事中にね、相手の方とパパにお水ぶっかけて出て行っちゃったのよ』
「えっと……話が見えないのですけど……」
『もしかして聞いてない? 青ちゃん来てないから変だと思ったのよ! 今日ね、あやめのお見合いがあって』
「お見合い!?」
『うちのパパ、ちょっと堅苦しいところあってね。今からいい人をって張り切ってたのよ。自分の時はお見合い断って私と結婚したくせにねぇ』
「おばさま、お嬢様探してきますので場所を教えていただいてもよろしいですか」
『あ、そうね。そうだったわね。住所は東京都――』
 歩いては行ける距離ではなかったので、おそらくあやめは家には帰ってこないだろう。電車は一度一緒に乗ったことはあるが、人の多さに怖がっていたので使わないはず。
 家はお手伝いさんに任せ、交通機関用のICカードと、あやめの連絡先しか登録されていないスマホ、大してお金の入っていない財布だけ持って外に出た。まだ梅雨前線は関東付近を停滞しており、今日も夕方からは雨予報だ。今はまだ青空だが時間はない。
――前も……確かあやちゃんが中学上がる時もこんなだったな。
 あの時は「やだ! 青と同じ学校じゃないとやだ!」と駄々をこねて近くの公園に家出をしていた。そのおかげで今一緒に暮らすことをご両親が許してくれたわけだが、今回のようなことがあると連れ戻されてしまうかもしれない。
 しかし父親のいうことを律儀に守っていた彼女が、水をかけたとなると面白くて電車の中で笑いそうになる。
――最初わたしもかけられた時は放心しちゃったけど、おじさまもびっくりしただろうな。
 となりで笑いながらハンカチを取り出すあやめ母の姿も用意に浮かぶ。
――相手の人、どんな人だったんだろう。
 水をかけたくなるくらい失礼な人だったのなら、青も一杯くらい食らわせてやりたい。
 伝えられた住所の最寄り駅に着いてから、何度もあやめに電話をかけるが頭のいい彼女らしく電源を切っているようだ。
――そうゆうとこ怒ってても冷静なんだよねー。
 彼女が一人でも行きやすそうなところ――人の少ない高級デパートと遊具のない公園をいくつか探し回ったが簡単には見つからない。意地っ張りな彼女のことだから自分から出てくることはないけど、寂しがり屋な彼女のことだから青が見つけられる場所にはいる。
――ムードか。
 あちこち走り回っているうちに雨が降ってきて、あっという間に全身がずぶ濡れになってしまった。今さら傘をさしても変わらなそうなのでこのまま彼女を探す。

「……あやちゃん」
 いた。晴れていたら海も見えてムードもよい公園に。
 あやめを雨から守るためにあるような小さな屋根の下で、「遅い」とふてくされた彼女がいた。
「ちょ、今くっついたら濡れますよ」
「帰ったらすぐお風呂入るからいい」
「でもこんなんじゃタクシーも乗れないですし」
「どうせ青がそんなんじゃ乗れないじゃない。なんであなたまで濡れているのよ」
「……わたしもあやちゃんに水かけられたいなぁと思って」
「なにそれ。……パパ怒ってた?」
「おばさまとしか話してないのでなんとも。ただ帰って暖かくしたら謝った方がいいと思いますよ」
「……うん」
「何で水なんてぶっかけたんですか?」
「青は、初対面で水をかけてくる女の子と結婚したいと思う?」
「熱湯じゃなければなんとか……」
「意味分かんない」
「でも相手の方だけならともかく、なぜおじさまにまで?」
「一発やったら楽しくなっちゃって」
「もう一発やってしまったと」
「……だって結婚とか知らないし……」
――だから機嫌悪かったのか。
「私は青がいればそれでいいの」
「……お言葉は嬉しいですけど、将来のこと考えたらそれは、」
「じゃあなに? 私がどこの馬の骨か分からないやつと結婚したら青はどうするの?」
「あやちゃんがいいって言うなら、結婚式に割り込んで行って花嫁さんもらっていくやつがやりたい」
「本気なのか冗談なのか分からないのやめて」
「わたしはいつでも本気ですよ」

『そう、あやめったらね、「青以外は嫌なの!」って叫んだのよ。嬉しい?』

 抱きついたままだった彼女をベンチに座らせる。
「本気だから今まで一緒にいたんじゃないですか」
 離すのが惜しくて一瞬躊躇ったずぶ濡れの腕を乱暴に掴まれた。
「泣かないでよ。私がいじめたみたいじゃん」
「何を今さら……」
「ねぇ青。このまま駆け落ちしちゃおうよ」
「うちの両親みたいになったらどうするんですか」
「私は青を捨てたりしないよ」
「……」
 あまりにもムードに合わないくらい腕を強く引かれるので、横に腰を下ろす。
「あやちゃんは貧乏な生活できないでしょ」
「やれば何でもできるし」
「わたしの作ったお菓子、食べられなくなるよ」
「それは嫌」
 何も悪いことしていないのに背中を叩かれる。
「あやちゃん」
「何?」
「痛い……」
「貧弱ね」
「わたしが同じことやったら怒るでしょ」
「海に落とす」
「雨の中探しに来た幼馴染みになんたる仕打ちをするんですか」
「青なら平気よ」
「それこそ意味分かんないですって」
 身体が徐々に冷えてきて震える。
「寒いの? 寒いならハンカチ貸すけど」
「ハンカチじゃどうしようもないからいいです……。その代わり一個お願いがあるんですけど」
「何? 高いわよ」
「あやちゃんがお父さんの会社継いで偉くなって、わたしをもらってよ」
「……」
「ぇ……なに……そのすっとんきょうな顔」
 人生最大の告白のタイミングで、こんな顔をされるとは思わなかった。
「だって青は元からわたしのものでしょ?」
「や、そうなんだけど、そうなんですけどね」
 心の底から青のことを自分の所有物だと思っているらしい。
「周りの人からもちゃんと認められた方がいいと思うんだけど」
「そうね、顕示するのも大事よね」
「けんじ?」
「いいわよ。でもそれまでもちゃんと私のものでいてよ」
「もちろん。契約書書く?」
「いらない。まだあるし」
 小さな鞄をガサガサいじり始める。
「えっ。持ち歩いてるんですか」
「そうよ?」
「あやちゃんって重いよね」
「青だって私があげた眼鏡ずっと使ってるじゃない」
「うーん、重たみが違うと言いますか……」
 眼鏡を触ろうとしてくしゃみが出た。
「寒いなら帰りましょ。私お腹空いたの」
「傘持ってるんですか?」
「青が持ってきてるんじゃないの?」
「持っていたらここまで濡れてないですよ」
「どうやって帰るの」
「どうやって帰りましょうね」
 寒い上にお腹も空いて間違いなく明日には風邪を引きそうだったけど、
――あったかい。
「あやちゃん」
「何か思いついたの」
「ううん」
 こんな雨だから誰もいない。
 平手打ちされる覚悟で何も考えずにこちらを向いた彼女にキスをした。
「風邪うつったらどうすんの」
「看病します」
「あなたも風邪ひいてたら意味ないでしょ」
「大丈夫ですよ。学校休みな分アップルパイでも焼きます」

 後日、熱が三十八度超したのにもかかわらずアップルパイを焼かされるとは思わなかった。
 なによりも三十八度超えの風邪を引き、喉を腫らしているのにもかかわらず熱々のアップルパイを食べた彼女の意地はすごい。
「味分かんない……」
「でしょうね」
「水」
「ここにありますよ」
 ペットボトルからコップに移して口元に寄せる。
「口移しがいい」
「いつまで経っても風邪治らないですよ」
「いいから」
「はいはい」
 顔を赤くした彼女を何度恋しいと思ったことか。
 今だけはもう少しだけ、風邪をひいていてもいいかもしれない。
「早く治してくださいね」
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