桃は尚も芳しく

花森黒

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ミサゴのなきごえ

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――関関たる雎鳩は 河の洲に在り 窈窕たる淑女は 君子の好逑(仲睦まじく鳴き交わすミサゴが河の中洲にいる。美しく淑やかな人は立派な若者とお似合いだ)(『詩経』国風・周南・関雎)

 美しい声がそよ風に乗って聞こえてくる。河に入って魚を取っていた李小三は、顔を上げる。

――参差たる荇菜は 左右に之を流む 窈窕たる淑女は 寤寐之を求む(不ぞろいにのびるアサザを探し求めて摘み取るように、美しく淑やかな人を寝ても覚めても求め続ける)

 子どもの声のようだ。小三と同じくらいの歳の子かもしれないが、難しい詩を朗読している。小三はきょろきょろと辺りを見回した。
 素晴らしい春の昼下がりだった。春霞が空にぼんやりとかかり、丘一面が若草と、色とりどりの野花に覆われている。河岸には柔らかな柳の葉が揺れ、白い柳絮がふわふわと飛んでいく。
 黒い翼の鳥が、ピイピイと鳴きながら、水面をすべるように河の上流のほうへと飛んでいった。上流にはごつごつした岩が多く、河岸には桃の木々が自生している。桃の花は満開の時を迎え、天空から薄紅色の雲が下りてきたようだ。ちょうどその下に、小さな人影があった。
 小三は捕まえた小魚を掴んだまま、バシャバシャと水を跳ねさせて岸へ上がり、人影のほうへと走っていった。

 息を切らせて岩場をよじ登っていくと、声の主も小三に気づいたようだった。小三より少し年上の男の子だ。彼は詩の朗読をやめ、切れ長の美しい目で小三を見つめた。歳のわりに落ち着いていて、賢そうな印象だった。長い髪がさらさらと風に揺れている。着物は上等な薄青色の絹だった。
「君、ミサゴみたいだね」
「え?」
彼の声は柔らかく、すっと耳の中に入ってきて、小三の肺腑をくすぐった。
「雎鳩。あの鳥のことだよ」
彼は河の中州を指さす。岩の上に、先ほどの鳥の巣があった。精悍な美しい鳥だった。腹の毛は白く、翼は黒いが、顔に黒い線が入っている。
「ミサゴは魚が大好きなんだ。君も魚が好きなの?」
「うん」
小三は少し恥ずかしくなり、何も言えなくなってしまった。同じくらいの歳の子がいるなら遊んでみたいと思ったが、彼は小三とは別世界の存在なのかもしれない。
「君、僕より少し年下でしょ?可愛いね。名前は?」
「李……小三」
そう答えて、小三はまた少し恥ずかしくなった。李家の三番目の息子。庶民にはありふれた名だ。目の前の少年が神仙でないとしたら、かなりの上流階級の子弟だろう。
「あまり名前が気に入っていないんだね。僕があだ名をつけてあげようか」
「あだ名?」
「そう。気に入ったら実名にしてもいいよ」
少年は桃の枝を拾って、枝先を河の水で濡らし、岩の上に文字を書いた。
「求之、友之……もしくは、懐はどうかな?」
「懐?」
「これだよ」
彼はまた枝先を濡らして、岩の上に字を書く。
「ちなみに、僕の名は『思服』。意味は、胸の中に思いを懐き続けること。だから……お近づきのしるしに」
少年――思服は少しはにかむように笑った。年相応のあどけなさを感じる表情が見られて、小三は嬉しくなった。
「懐がいい。」
「よかった!それじゃ、懐、よろしくね」
思服は安心したように、満面の笑みを見せた。その瞬間から、李小三の名は李懐となった。
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