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妻の座
しおりを挟むザイラは迷わずツカツカと2人の前に歩み出た。
アイヴァンは目を大きく見開いてザイラを見る。額には汗が滲んでいた。
ミア嬢はというと、最初こそ驚いていたが、すぐに覚悟を決めたような鋭い目でザイラを見返す。
そりゃそうだ、覚悟を決めて乗り込んで…いや、用意周到に潜り込んで来たのだから。
耳触りの良い甘い言葉で誑かされたのだろう。
暇な貴族の、一時の享楽のために。
ミア嬢の目的は、妻であるザイラに自分の存在を知らしめる事。
アイヴァンを試し、自分への気持ちを確かめること。
だが、呼ばれてもいない舞踏会で泣いて注目を集めている時点で、既に愛人としてはかなりの減点だ。
身分差のある恋は同情を集めやすいが、妻が出来た時点で愛人となったミア嬢は、影の存在として徹してた方が支持もあったかもしれない。
ザイラはミア嬢の前に進み出た。
近づくと小柄なミア嬢をザイラが見下ろす形になる。
蜂蜜色の髪、青い目
童顔だが、女性らしい体つき
庇護欲を唆る見た目に反して、彼女は闘志を燃やす猛女だ。
遂に自分は、頭がおかしくなったのかも…と一瞬躊躇した。
ザイラは婚約指輪を外すと、ミア嬢の左手を掴んで指輪を嵌めた
やっぱりね
見事にピッタリだ
…本当に、バカみたい
そしてザイラはニッコリと笑みを浮かべると、ミアの耳元で囁いた。
「この指輪はあなたのもの。
だけど妻である私が、あなたに恵んであげるのです。
だから、早くここからお帰り下さい」
妻は私だ
立場を弁えろ
ザイラは冷たく厳しい視線をミア嬢へ送る。
これでミアは引き裂かれた可哀想な恋人じゃない。
構ってほしいと泣いて愛する人を困らせる幼稚な愛人と、愛人に夫を取られた立場の無い妻。
アイヴァンを取り合う妻と愛人になる。
ザイラに一気に視線が集まった。
恥をかくなら自分だけでいい。
アイヴァンでは無く、自分でいい。
ミア嬢は口をポカンと開けたまま、輝く大粒の婚約指輪を見る。
けれど次第に顔を赤くし怒りに震えて恨めしそうにザイラを睨んだ
意味が伝わって良かった。
ミア嬢の浅く短い呼吸音だけが聞こえる。
まるで挑発するような笑みを浮かべてザイラはミア嬢を見下ろす。
手を出すならやり返してやろう
そう思っていた。
妻と愛人の乱闘騒ぎなんて話題性抜群だ。
そもそも誰にも聞こえぬように耳元で言ったのだから、それだけでも寛容だと思って欲しい。
だがそろそろスチュアート夫人が出て来るはずだ
台無しにされる訳にはいかない、と慌てて。
最高級品を身につけられるだけ身に付けた、歩く宮殿のような夫人が…
その時、すぐ後ろでガシャんと陶器が割れる大きな音が響いた。
絢爛な花を入れた大きな花瓶が割れ、破片が四方へ飛び散り、色とりどりの華が散乱している。
。
皆いっせいにそちらを向いた。
ざわざわとした人の声の中で、殿下!とスチュアート夫人の甲高い叫び声が響いた。
お怪我はないですか?!
大声で人混みをかき分けながらそこに辿り着こうとしている
『失礼、目眩がしてしまって…』
上品で綺麗な発音だな
とても聞き取りやすい
エルメレ語を教えてくれたロニーを思い出す
と、不敬にもザイラは不思議と冷静にそんな事を思った。
護衛の姿が見えない。
第二皇子はかろうじてワイングラスを持ち、壁に手をつけ体を支えていた。
周りに居る数人が話し掛けるが、意思の伝達が上手くいってないように見えた。
『大丈夫ですか?』
飛び散った花瓶の破片を避けながら、ザイラがすかさず駆け寄る
『目眩だけですか?吐き気はありますか?』
殿下の顔色を伺おうとザイラがずいっと距離を一段と近づけた時、殿下が持っていたワイングラスが手から落ちる。
いつの間にか殿下のすぐ後ろに、光彩を放つ鷲の目を持った側近が居た。
少量の赤ワインが円を描いて飛び散り、パシャっとワイングラスがザイラの足元で砕ける。
『殿下、退出しましょう』
側近が殿下に退出を促す。
スチュアート夫人もようやくこちらに駆け付けられた。
「スチュアート夫人、1番近くの休憩室はどちらでしょうか?」
ザイラがスチュアート夫人に尋ねると、こちらです、と宝飾品で重そうな体を素早く回転して誘導する。
『侍医の方はご一緒ですか?
こちらの医師だとフォーサイス医師はエルメレ語も堪能です。その方をお呼びしましょうか?』
側近に肩を抱かれた殿下は口元を抑えてこくっ、と頷く。
「スチュアート夫人、フォーサイス医師を……兄を、…呼んでください」
兄、と言おうとした時口がひん曲がるかと思ったが上手く言えた。
『頼む…君も来てくれ…。
こちらの言葉はそんなに流暢じゃないんだ。
ドレスもすまない。』
側近に体を支えられた殿下は顎でザイラのドレスを指す。
ザイラがドレスを見ると、赤ワインのシミが飛び散っていた。
このドレスはもう着る事もないだろう。
このドレスを着るたびに、夫の愛人と一触即発記念、なんて思い出に浸りたくもない。
『ドレスの事はお気になさらず、では参りましょう、無理せずゆっくり移動して下さい』
レオに肩を抱かれ、他にも数人護衛がどこからか湧いて来た。
夫人の案内の元、休憩室へ移動する。
ザイラはもう2人のことはすっかり視界に入っていなかった。
皇族の体調不良を幸運と見做すと不敬で首が飛びそうだが、期せずして話題もこれですり替わっただろう。
下品なゴシップ紙や大衆紙が報じるにしても、アイヴァンの妻と愛人問題と大国の殿下の健康問題、同列に扱うことは政治的にも許されない。
社交界で1、2を争うパーティ好きで人脈も広いスチュアート夫人は、噂が回らないように手を回すはず。
殿下の飲み物に毒や薬が入っていないか疑いでも持たれたら、スチュアート夫人もただでは済まされない。
フォーサイス医師が明け透けに物事を言って余計な首が飛ばない事を祈るばかりだ。
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