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乗馬服
しおりを挟むフェルゲイン侯爵の別邸に着いた初日の夜、ザイラはそれはそれは大きなベットに慄いた。
夫婦なのだから、同じ部屋で共に寝ることはなんらおかしなことでは無い。
ツインルームはありますか?などと不躾な問い合わせをすることも勿論しなかった。
腹を括り、もしも…を考えて夜はどうするか不安になったが…
予想通りアイヴァンはザイラが寝る頃には現れず、ザイラも何も気にせず眠りについた。落ちた、と言う方が正しいかもしれない。
夢さえ見る体力は既に無かった。
ただでさえ移動時間が多く、北の氏族達やフェルゲイン侯爵家の面々に会うのは緊張していたし、到着してからも一切気が抜けなかった。
1人の寝室なんてむしろ最高の待遇に思えた。
ただ、アイヴァンもいつも通りにザイラの知らぬどこかで寝ることはこの屋敷では許されなかった様で、立派なソファには朝だらし無く膝掛けが投げ掛けてあった。
なので狩りの後のザイラは何の準備も心配もせず、1人のまったりとした時間を堪能出来る事を楽しみにしていた。
心の底から…
なぜ、今アイヴァンはたっぷりと羽毛の入ったシングルソファーに腰掛けて本を読んでいる?
しかも、あれはエルメレの翻訳本だ。
何か心境の変化があったのだろうか。
ザイラは湯浴みを終えて、それこそ適当に用意された服を着て適当に香油を塗って適当に浴室を出た所だった。
誰もいないのをいいことに、素っ裸で出ようとしなかった自分を心から褒めてやりたい。
「あ…」
驚いて声が漏れてしまった。
アイヴァンがザイラに視線を向けるので、急いで目を逸らす。
湯上がりのせいか、体が火照る。
「…何か飲むか?飲みたいものがあるなら持って来させよう。」
アイヴァンは本をパタンと閉じると、徐に立ち上がり呼び出しベルの紐を引いた。
喉はカラカラに乾いているが、正直今は何を飲んでも味はしないだろう。
お呼びですか、とメイドが来たが、ザイラは言葉に詰まる。
「とっとりあえず…冷たい何かを……」
とザイラが言ってメイドは困惑したが、
アイヴァンは少し考えてウィスキーと
蜂蜜水を持って来させた。
普段ならまた甘いものか、と倦厭するが、この時ばかりはすぐに飲み干してしまった。乾いた体によく染み込む。
アイヴァンは変わらずシングルソファーに腰掛けて、氷を入れたウィスキーをカラカラと鳴らし、熱心に読書を続けている。
そんな、あからさまに見せつけられると聞かざるを得ない。
「何の本を読んでいるのですか?」
アイヴァンはふっと微笑んで、本の表題を見せた。
エルメレ童話集
あんな難しい顔をして子供の本を読んでいたのか、とザイラも表情を緩めた。
「この翻訳本は現地語の下に翻訳が書かれてるので、入り口に丁度いいかと思って」
エルメレの言葉に興味を持ったと?
スチュアート夫人の件もあったが、外交が安定し国同士の国交が更に盛んになれば知っていてて損は確かに無いだろう。
「童話集とはいえ、大人には突拍子も無い話もありませんか?恋した相手に会えなくなり狂ってしまった男の話とか…」
自分で言っていて途中で気付いた。
完璧に失言だと。
だがそういう話があるのだ。黒髪の乙女、海の精霊だか人魚だかに恋した人間の青年は黒髪の乙女と恋仲になるが、乙女はある日突然姿を消してしまい男は狂ってしまう
そんなオチも無い話が。
オチも曖昧なのが昔の伝承そのものといった感じだが、ザイラにとってはあまりにも突拍子無く記憶によく残っていた。
「む…むっ昔話や伝承というのは本当に興味深いですね」
「そうだな…」
素っ気なくアイヴァンは応える。
「…今日はもう疲れたので横になります。」
やってられない。
もう今日は本当に疲れたのだ。
乗馬だ乗馬だとはしゃいだが、久しぶりだったせいか筋肉や関節が少々痛む。
ドゥガルも実に煽り上手だ。
まさか競い合うようにして乗るなんて思わなかったので、余計に体力を使った。
アイヴァンはまた本に目を落とす。
ザイラはベッドの隅へ体を潜り込ませた。
目を閉じて、ただ落ちていくのを待つ。
「王都へ帰ったら、馬を買おう」
夢だろうか?今馬を買おうとアイヴァンが言った気がした。いや、そんなまさか。
「何か仰いましたか?」
一応もう一度起き上がって、確認する。
アイヴァンはザイラをじっと見つめた。
「今日の乗りこなしは見事だった。氏族達も驚いていたが、私もここまでだと思わなかったんだ。」
「…ありがとうございます」
単純なザイラの頬や耳は熱を持ち始める。
褒められれば素直に嬉しいものだ。
「ただ、乗馬服を着る時は誰もいない時にした方がいい。なので馬を買うから、乗馬クラブを貸し切りにして思い切り乗り回せば良い。」
…古式ゆかしき紳士には、婦人の足の形が見えるのも堪えられないのだろうか。
とはいえここは、何も言わず素直に感謝を伝えるべきだろう。
貴族の淑女らしく。
「…ありがとうございます。とても嬉しいです」
ザイラは淑やかさを意識してにっこりと笑みを浮かべ、御礼を述べた。
アイヴァンは一瞬目を見開いたが、すぐにまた本に視線を戻した。
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