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ブローチ
しおりを挟む″先日、おめでたいお話を耳にしました。(皮肉ではありません、そこはどうか勘違いなさらないで下さい)
喜ばしい事に、ミア様はフェルゲインの跡取りを宿して下さったのです。
もし、男の子であればアイヴァン様のご嫡男に出来ます。
ミア様が良いのであれば、私とアイヴァン様の養子にしてはいかがでしょうか。
その方が私生児になってしまうよりも、子にとって良いと思うのです。
勿論母から子を取り上げる様な…残酷な真似は出来ません。子には父も必要です。
赤子には、大人の事情など関係ありません。
ミア様が不安に思われるようなら、公式な文書で取り決めをしましょう
。子は大切に慈しまれて育つべきです。
このお屋敷で養育されるなら私は喜んで出て行きます。もし別の家で3人で暮らされるならそれも良いでしょう。
ミア様には、妻の座以外は概ね満足される、妻に近い状態に出来ると思います。
そして、どうしてもご結婚されたいという事なら、少し時間を空けてから侯爵様のご判断を仰ぎましょう。
私に何か出来ることがあれば、必ずお力になります″
朝方までかかった手紙を送って10日。
返事という返事は未だに無い。
ただ、送って4日後に届いたのは、深い海のように美しい青いビロード張りの箱に入れられたブローチと、そこに一言添えられたカードだけ。
″すまない″
その一言と、ブルーサファイヤとダイヤで彩られた片手に載るほどのブローチだ。
これが返事と捉えるには曖昧過ぎて、どんな返事が来るか少々身構えていたが、拍子抜けした、というのが本音だ。
「いつも謝ってますね。あなたは…」
思わず、独り言が溢れた。
舞踏会の後もそういえばそうだった。
何に対してかは、教えてくれない。
だが今回の場合は感謝かもしれない。
舞踏会の時も、そういう意味であったのかもしれない。
それすら、ザイラには判断はつかない。
あれだけ近くで過ごしていても…
距離が近づいたと思っても、またアイヴァンは遠のいていく。波のように、その繰り返しだ。
結局収穫祭も始まり遂に2日目の夜になる。
収穫祭の初日から、家に居る使用人達には交代で休みを出した。
家族で過ごす日なのだから、少しでも長く家族と過ごして欲しい。
ザイラは家にあるお菓子類は全て各々分けて持って帰って貰い、少ないがお祭りで美味しいものでも食べて欲しいと心付けも渡した。
勿論、ベロニカにも。
病室で今頃お祝いしてるだろう。あの後ジャスパーは熱も下がり、意識も戻って容態も安定したと聞いた。
子供なら、収穫祭など外に出て走り回りたいだろうに、ベットの上で過ごしているのは気の毒だ。
だが、家族と無事に収穫祭を迎えられたのだ。これ以上の事は無いだろう。
寝室の窓際からは、街がよく見える。
本当に賑やかで華やかで、皆の笑い声や酔っぱらいの歌う声、踊り出したくなる音楽がずっと続いている。
ローリー領ではもっとしっとりと皆でお祝いしたものだ。
コナー叔父さんとナディア叔母さんも今頃祝ってるのかな…
素朴で質素だが、暖かな蝋燭の火のような時間。
目を閉じると、その思い出に浸り、温かなものが胸に広がる。
小さなテーブルに置いたワインをグラスに注ぐ。
お酒は強くは無いが、収穫祭が始まってからずっとこの調子だ。
ちびちびと、取り止め無くワインを飲んで喉を潤す。
お祝いなのだ。3日間位良いだろう。
窓際ギリギリにシングルソファーを動かして、もっと通りや街の様子を見れるようにした。窓も少し開けて、街の喧騒に耳を傾ける。
カップル、家族連れや子供に老人、皆陽気に食べて飲み歌い踊って実に楽しそうだ。
そして自分は…
「実に、実に惨め…」
しんと静まり返った屋敷の中、誰も返さぬ独り言に思わず笑ってしまう。
グラスに残っていたワインを一気に飲み干す。
酔いが一気に回る。なんとも目が回るが気持ちも幾分良い。
ザイラはあれから夢に出て来ない。
それでもあの部屋や男の影が時折出てきて魘されるが、以前程では無かった。
ザイラが夢から出てきてくれたら、一緒にお酒でも呑めるのに…
泣いてる顔ばかりでは無く、出来るならいろんな話をしてみたい…
そんな叶うはずも無い事を考えたりしながらボトルからグラスへワインを注いだ。
1人で、惨め。
それでも、良いのだ。
期待はしない、そう決めていた。
準備は出来ていた。
だから大丈夫。
慣れている。
人は1人では幸せになれないが、
1人でも生きてこれるものだ。
お腹は空くし、眠くもなる。ただ毎日を繰り返し、振り返ったら時なぞあっという間に過ぎ去っている。
夏帆がそうだったように、誰にも預けず望まず、それでも生きていける。
それに、また一年後自分がどうなっているかは分からない。
一年前のザイラがそうだったように。
それこそその頃にはここを追い出されて、書類上の実子も生まれているかもしれない。
違う場所で違う生活をしている自分を想像すると不安にもなるが、案外楽しくやってるかもしれない、そんな希望も持てる。
だが、いくら望んでもローリー領には帰れない。
それは分かっていた。
ローリー伯爵も、フェルゲイン侯爵もそれは許さないだろう。お互いの体面が保てないからだ。
この政略結婚も、一体いつまでが潮時なのか…
跡取りが居て…まぁまだ増えるかもしれないが…お飾りの妻が用済みとなればドゥガルが言うような未来も俄か現実味を帯びてくる。3年、5年…10年…
フェルゲイン侯爵お得意の謀殺なんて、それだけは避けたい所だ。
いっそ世界一周の旅行にでも行こうか。 裕福で家にずっと居るのは性に合わない婦人達はそうして各国の別荘を回る人も居ると聞く。
フェルゲイン侯爵もそこまでは把握しきれないだろう。
そして、アイヴァン達も気兼ねなく家族で過ごせる…。
逃げる…ドゥガルが言ったように。
「はぁ…」
ザイラは何度目かも分からないため息を吐いた。
胸がまだズキズキと痛む時がある。
早く消えて欲しいこの痛みにはきっと時間しか効かないのも知っている。
どこかに逃げたい、今も本当はそう思っている。
どこでも良い。どこか遠くへ。
この痛みを紛らわすことが出来るならどこだって良い。
ドンっ!
その時、外から大きな音がしたかと思うと、空に大輪の花火が上がった。
思わず わぁ、と声を出す。
この世界に来てから初めて見る花火だ。
なんて、綺麗なんだろう…
思わずソファから立ち上がり、窓を開け放った。
リズム良く体に響く大きな破裂音がいやに心地よい。
ここからはとてもよく見える、とザイラは特別席にでも居る気分だった。
ただただ、その美しさに無心になって見惚れる。
この場所から見ると花火もはっきりと綺麗に見えるが、近くで見たらその姿形は全て分からないだろう。
あれから幾度も、それこそ数えきれない程アイヴァンの ″すまない″の意味を推し量ってきた。
美しいこのブローチは、謝罪なのか感謝なのか、いくら考えてもその答えはちっとも見えてこない。
その言葉の本当の意味が分かるのは、案外もっと遠くに居る時なのかもしれない。
それこそもう2度と、アイヴァンに会うこともない程、遠いどこかにいたら…
そこから見れば案外分かったりするのかもしれない。
もしくはあの美しい花火のように、思い出が美化されて、あんな日もあったとブローチを見ながら振り返れるのだろうか。
花火は上がり、夜に吸い込まれて散っていく。
終わらないで欲しい
早く終わって欲しい
打ち上がっては消える花火を前に、ザイラはただぼんやりと立ち尽くしていた。
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