転生伯爵令嬢は2度死ぬ。(さすがに3度目は勘弁してほしい)

七瀬 巳雨

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天命

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 ハーレは鏡の前に立ち、真っ赤な紅を指に取る。

 唇にその紅を乗せると、いつもよりも胸元を露わにしたドレスのウエストがより細く見えるかどうか、何度も身をよじらせて確認した。

 
『お母様?お母様、居るの?』
 
 ミネの高い声と共に部屋の扉が開かれる。
 
『ミネ!ノックなさい!』
 ハーレの耳に付けた大きな真珠が扉を振り返ると同時に重そうに揺れる。

 
『…なんだか、お母様、ちょっと』
 ミネはノックの件を謝る前に、いやに飾り立てる母に怪訝な顔をした。
 
『綺麗でしょう?』
 ハーレは鏡に映る自分を見ながら、目元を縁取る黒い線を指で撫でる。


 
『やり過ぎじゃない?ちょっと濃すぎるわ。それに、そのドレスも…お祖母様もヤースミンお祖母様も、怒るんじゃない?』
 
 その言葉に、ハーレは直ぐ様カッとなり、机を叩く。
 
『ミネ!あなたもトロメイの跡取りなのだから、もう少し着飾ることを覚えなさい!そんなんじゃ殿方に見向きもされないわよ!』

 
 フンッとハーレは鼻を鳴らして、香水を自らに振りかける。
 
 そして乱暴にそれを戻すと、ツカツカとミネの方へ向かった。
 
『その野暮ったいドレスも、その髪型も、なんて田舎くさい格好なのかしら。侍女を変えなくてはね』
 そうしてハーレはミネのおでこを指で小突くと、部屋を後にした。

 
 何を考えてるんだろう…

 ミネは眉間に皺を寄せて、フンフン言いながら出ていく母の背を見つめる。
 小突かれた額が少しジン、としてミネはそこを手で摩った。
 
『…何も…無いと良いんだけど…』
 

 気分屋の母が何をしでかすのか、静かになった部屋の中で、ミネはなんともいえない胸騒ぎを覚えた。
 
 
 
 
 デュマンの屋敷に着いたライラ達は、事情を察した使用人に案内され急いで部屋に入る。

 客人用の部屋なのだろうか、清潔な香りがする部屋の大きなベットに、レイモンドはそっとアセナを置いた。

 うんうんと痛みで唸るアセナの様子は、見ているこちらも首が締まったように息苦しい。
 

 
『お湯と清潔な布を沢山下さい。時間が掛かるようならとりあえず消毒…度数の高い酒を。
 長丁場になるかもしれませんから、このご婦人にも何か水分が必要です。
 あと乳香をお願いできますか?焚けば虫除けにもなりますし、鎮静効果もあります。力を抜いていただくことが大切なので』
 レイモンドは家主よりもテキパキと使用人達へ指示を出す。
 デュマンはレイモンドには何も言わずに、用意できた物からすぐ持ってきてくれとだけ言った。
 
 アセナの呼吸が段々と荒くなってきた。
 
 産まれるのに、そう時間はかからないだろう。

 ライラもアセナと同じように汗をかきながら、その手を握って思いつく限りの言葉を掛ける。

 
『産婆はまだか?こういう時、男は実に無力だが…フォーサイス殿のご指示、見事だ』
 デュマンは感心してレイモンドにそう言った。
 

 場の空気に圧され、ライラもうっかり、すっかり、忘れていたのだ。
 この後に起こる事は予想出来たのに。

 
『あっ…!』
 アセナが甲高く声を上げると、お腹の下から水が広がっていく。血の混じったそれを見た時、ライラはハッとしてレイモンドを見た。
 だが、時は既に遅かった。
 
 バッターンッ!と大きな音を立てレイモンドは床へ倒れている。
 
 キャー!という使用人の悲鳴と共に、デュマンは慌ててレイモンドへ駆け寄った。

 
『なんだっ…!?どうした!?おい!…おいっ!医者だ!医者も呼べ!』
 慌てふためくデュマンの叫び声が、部屋中に響く。
 
 ライラもそちらへ駆け寄りたいのは山々だが、アセナはライラの手をへし折りそうな程握りしめているのでそれは叶わない。

 
『っデュマン様!レイモンド、様は頭は打ってませんか?』
 大きな壁が倒れたので、屋敷中にその振動が響いたのだろう。なんだなんだと人が集まってきた。
 
『息は…している!たんこぶは出来ているが、大丈夫そうだ…』
 デュマンは血相を変えてレイモンドの頭や体に異常が無いかくまなく調べた。

 
『レイモンド様は…血を見ると…倒れてしまうのです…』
 
 
『はっ?どういう…え?』
 デュマンは目の前に広がる怒涛の展開に髪を振り乱し、口を開けてポカンとしている。

レイモンドは子爵家の令息で運動神経も良く、恵まれた体躯を持ち、その心根も優しい…
 騎士になるべき男に違いない。
 
 だが、血を見るとその壁のような頼もしい肉体は条件反射ですぐさま卒倒してしまう。
 
 惜しいことだ。
 その致命的な体質さえ無ければ、今頃は騎士として王国でその名を馳せていたかもしれないというのに…
 
 マタイ総合病院でも、薬の取り扱いをする場以外へは滅多に出歩かないと聞く。
 血を受け付けない男が最も血に近い場所で働かざる得ないなんて、なんという皮肉…いや苦行だろうか。
 気の毒なことこの上無い。

 
『どうか気がつくまでそのままに…すぐ気付かれると思います。レイモンド様の体格では運び出せないと思いますので…。でもそこに居ると、ちょっと…』
 レイモンドが倒れている場所は本来医師や産婆がアセナの顔色や脈を見れる好位置だ。
 
 つまり産婆が来ると、非常に困る。
 言いたくは無いが、非常に、邪魔になる。



 
 気まずそうなライラの顔を見て、デュマンは何かを察した。
 うんざりとした表情を浮かべたが、すぐに仕方ないと言いたげなため息を吐き、レイモンドを出来るだけ邪魔にならない場所へ引っ張って行く。
 
 


 
 なんて一日だ…
 
 デュマンは顔に汗を滲ませ、ある程度の所までレイモンドを引っ張ると、壁に背を預けてその横へ座り込んだ。
 
 廊下から、こちらです!という声が響く。
 デュマンが横のドアへ目をやると、産婆らしい初老の女性が入ってきた。

 
『なんだい、この大男は…?』
 部屋に入って早々、何が一体どうなってると産婆も困惑するが、すぐにデュマンを見て恭しく頭を下げた。

 デュマンはげっそりとした顔で手を上げてそちらへ…と産婆をアセナの元へ促す。

 そして近くに居た使用人に目配せすると、フォーサイス殿のために濡らした冷たい布を…と頼んだ。
 
 

 アセナの悲鳴のような唸り声が段々と激しくなってきた。
 
 とてもじゃないが見ていられない、とデュマンはギュッと目を瞑り、俯く。
 
 女の強さとは実に奥深い…
 自分が同じ思いをするのなら死んだ方が良いとさえ思うだろう。
 身を裂き、想像を絶する痛みに耐えて、新しい命を産み落とす…
 
 その太古から続く、女にしか出来ない役目にはただただ恐れ入るとしか言いようが無い。
 
 

 そういえば…父は自分が産まれた時も、エルデムの出産にも立ち会ったと聞いた事があった。

 エルデムが産まれた時、父は涙を堪えて笑みを浮かべ、デュマンの手に小さく柔らかなエルデムを抱かせてくれた。
 
 壊さないように、抱くことが怖いとさえ思った事を、デュマンは鮮明に覚えている。
 
 
 エルデムを初めて見た時、デュマンには自然と湧いてきたものがあった。
 
 守らねば、と誰に言われた訳でも無いのに強く思ったものだ。
  
 小さく壊れそうなその命は、だが確かに逞しく、何より愛しかった。
 
 
 
 
『ギッ、ぐっ…あああああ!』
『叫ばないで!もう出るよ!』

 
 アセナの悲鳴と、産婆の声にデュマンは咄嗟に耳を塞ぎたくなる。
 
 勘弁してくれ、とデュマンは耳を塞ごうと両手を耳に添えた。
 

『さぁ…っ!もう出るよ!…産まれるよっ!』
 
 その産婆の声に、それでもデュマンは顔を上げた。なぜだか分からない。
 怖いもの見たさ、いや違う。
 生命が生まれ落ちる神秘的な瞬間、それはおそらくこの世で1番強い光を放つ一瞬だからだ。
 
 


 だが、何やら様子がおかしい…
 アセナは真っ赤な顔で産婆の様子を伺っている。
 どうやら赤子は産まれたらしいが、産婆は赤子を抱いて顔色を曇らせている。
 産婆がライラに何か言うと、ライラは急いで清潔な布を使用人から受け取った
 
 
 こういった時、赤子はすぐ泣き声を上げるものなんだろう?
 
 さぁ、泣き声を上げてくれ
 その泣き声を待っていたんだ
 
 頼む、まさか…そんな事が起きてたまるか
 
 神よ、ソーテールよ
 救世主でもなんでもいい!どうか…どうか…!
 
 
 産婆が布に赤子を包み、その体のあちこちを擦る…
 すると、くぐもった泣き声がすぐに元気な泣き声となり、屋敷中に響き渡る。

 止まっていた自らの息を大きく吐き、デュマンは壁へ頭をもたれた。

 
 懲り懲りだ…もうこんな事…
 本当に勘弁して欲しい
 命が幾つあっても足りない…

 
 汗ばんだ顔も拭かず、デュマンは乱れた髪を後ろに掻き上げる。

 
 隣には頭に濡れた布を載せた大男が居て、目の前には喜びに満ちた女達と光輝く赤子…
 
 トロメイにまた、新しい命は産み落とされた。

 
『…デュマン様』
 アセナが掠れた声で、デュマンを呼ぶ。
 その腕にはお包みに包まれた小さな小さな赤子が抱かれていた。

『恐れながら…抱いてやってくださいませんか?』
 ライラと産婆もデュマンを見る。

『いや、最初にその子を抱く男は父で無くては。ケラムにどやされてしまう』
 
 先ほどあれだけの体験をしたアセナは、既に母らしく何とも無かったかのように、ただただ幸せそうな笑みを浮かべていた。

 
 産まれたばかりの赤子を見れば、皆自然と顔が緩む。

 それはデュマンも同様に。
 
 
『そう仰らず、どうか』
 
 そこまで言われれば断れない、とデュマンは未だ横になる巨体の男を差し置いて腰を上げた。
 
 手を酒で清めて、アセナから真っ白な包みに包まれた赤子を受け取る。
 
『軽いな…。可愛い顔をしている…』
 デュマンの目尻が自然と垂れた。

 目を瞑り、赤い顔をした小さな命に、やはり説明しようの無い湧き上がるものがある。

 
『トロメイに産まれた男の子です。
 …この子も、ジャニス様やデュマン様の背を見て育つのでしょう…。トロメイの男達が皆、そうするように…お二人は、男達の憧れ…手本とする方達ですから…』
 アセナは上気させた顔で、相変わらず愛おしそうに赤子を眺めている。

 
『買い被り過ぎだ…』
 デュマンがふっと笑みを溢した。
 赤子を抱きながら、少し体を揺らしてあやす真似をしてみる。
 
 
 気の毒に、男として産まれ落ちてしまったか…
 
 なんでこんな所に…
 肩身の狭い思いをするぞ
 女には逆らえないし
 どうしようもない当主達に、お前も苛立つだろう
 皆お節介だから、頼まずともお前の世話を焼くだろう、それが段々と鬱陶しくもなるが仕方ない

 
 だが…確かに…
 ここには美しい景色が沢山ある
 
 国中のあらゆる物が集まる場所だ

 
 目に見る物、手に取る物…興味があるならその一つ一つをその小さな手にこれから渡してやろう

 
 デュマンは赤子の手に自らの指を握らせる。
 ギュッと、力強く、赤子はその指を握り返した。
 

 
『…ここはサングタリー族、トロメイが治める地。よく産まれて来てくれた…』

 デュマンはライラと目が合う。
 
 ライラの疲れ倒した顔は口元に安堵の笑みを浮かべている。




 
『名前を付けてやってはいただけませんか?ケラムはジャニス様かデュマン様に名付けて頂こうと申しておりました…』
 
『それは光栄だが…本当にいいのか?』
 
『デュマン様の海のように頼もしいそのご加護を、その子にも是非…』
 
 デュマンは少し目を逸らし、考え込む。

『それでは…』
 
 
 
 
 
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