81 / 106
海を越えて
しおりを挟むヤースミンとの約束通り、帰りは陸路となった。
船で3日掛かった訳だが、あくまで、順調に進んで、3日だ。
陸路だと一体どれ程掛かるのだろうか…ライラは帰れる事に安堵していたが、少し寂しさも感じる。
旅とは、総じてこういう気分になるものだろう。
ただ、帰りの旅を想像すると、出発前からどこか疲労感を覚えた。
だがその疲労感も、とある光景を見たことで途端に回復に向かう。
…思いの外、旅の進みは速いかもしれない…
『あれって…』
ライラが見つめるその先の物に、テレサも視線を移す。
『エルメレの馬です。ラクダより荷は積めませんが、砂漠に適した種なので、ライラ様も乗りやすいかと。馬の方が速いので、アクイラ様のご厚意でご用意していただきました』
手入れの行き届いた毛並みの美しい馬達が、トロメイの正門に待機している。
艶々としたその光が、降り注ぐ陽光を反射していた。
馬に乗れるーっ…!それだけで、ライラの取り越し疲労は大半が吹き飛んだ。
『そういえば、ライラ様は乗馬がお得意とか。お一人で大丈夫ですか?…お体の事もありますので、誰かと一緒に乗られた方が良いかもしれません』
テレサは心配そうな顔でそう言った。
『だいじょうぶです!』
ライラは自信満々にそう返す。
この機を逃せば、次はいつ乗れる事か…
別れの挨拶が一通り済むと、ライラとテレサは馬に乗りやすい格好に着替えた。ゆったりとしたエルメレの服だ。
ライラは深い真っ青な服に、グレーの被り物、テレサは茶色を基調にして生成色の被り物を身につけた。
久しぶりに馬に跨ると、ライラの気分は俄かに高揚する。
アクイラの一行は数名のみが途中までレオ達に同行し、他の者はアクイラ領へ戻るという。
ライラはてっきり砂漠を横断する過酷な旅になるかと思いきや、砂漠と街並みの間辺りを通るらしく、さほど不安にもならなかった。
『砂漠をずっとこのまま突っ切る?そんな訳ありません。トロメイ領を出ればすぐ船に乗ります。時間を無駄に消費して何になるんです』
ライラの疑問に、アクイラは何をバカなと言うように答えた。
『ヤースミン様のお姿が見えなくなった時点で船に乗っても良い位です』
確かに…わざわざ律儀に遠回りする必要は無い。
楽しそうに見えるのは、目新しい物ばかりのレイモンド位で、他の者は淡々と帰路を急いでいた。
暑さが和らぐ時間帯に移動し、休む時は宿を取るかアクイラの一族のテントで寝たりして旅路を進んだ。
3日目の朝陽が見えた頃、もうトロメイの領地も終わりが見えてきましたとテレサが言った。
一行は岩肌が露わになった場所にテントを張り始める。
その向こうには街があるが、既にアクイラの一族は野宿と決めたらしい。
そこには中規模のオアシスがあり、木々も丁度良く生えているので馬にとってはこちらの方が良いのだろう。
『今日か明日には船に乗れるでしょう、ライラ様ご体調は大丈夫ですか?』
テレサは旅の間、申し訳無くなる程甲斐甲斐しくライラの世話を焼いてくれた。
馬に乗るのもかなり体力を必要とする。
久しぶりのせいか、楽しい反面、疲労は確実にライラに溜まっていた。
船旅の時とは違い、体内時計も狂いやすい。けれどもそれを顔に出す事は決してしなかった。
『ありがとうございます。テレサ殿のお陰で変わりはありません』
ライラが笑みを浮かべそう答える。
お荷物になる訳にはいかないのだ。
旅を共にしても、男女は基本的に分かれるのでテレサと過ごす時間は長かった。
なので、特別レオとライラが話し込む事は無い。不意に目が合っても、お互い軽く笑みを浮かべる位だ。
この距離が良いんだ
これが1番良い
ライラとしても、どこか一区切り付いたような感覚を覚えた。本来の、元の自分の位置へ戻ったような、そんな感覚だ。
皆が食事の支度に取り掛かろうとした時、レオが一瞬にして顔を強張らせ、不自然に動きを止めた。
『静かにっ…』
突然レオがそう言うと、すぐに地面へ耳をつける。
『…こっちに向かっています。30程。馬で駆けている』
鋭い声でそう言うレオを、皆が一斉に見た。
『キャラバン、では…?』
ライラが咄嗟にそう尋ねる。
『この時間帯に走ってわざわざ馬の体力を消費させはしません。先程微かに銃声が聞こえました。この道は確かに往来も多い、だがキャラバンなら抜け道を使うはず』
その場に、一気に緊張が走る。
『多過ぎる…。街に行くとして…まぁどちらにせよ、命は無いですね。このオアシスに寄らないはずが無い』
アクイラは馬に忍ばせておいたであろう細長い刀剣を鞘から勢いよく引き抜いた。
『…アクイラ様、いけません。先に行って下さい。私が引き受けます。ここで食い止めねば意味が無い』
レオの言葉を聞いて、ライラは体中の血が一気に冷たくなる程の衝撃を受けた。
『…』
アクイラとレオはお互いをじっと見つめると、アクイラはぐっと力を込め、刀剣を鞘に収める。
『…アクイラの中でも、この者たちは精鋭。レオ殿の足は決して引っ張らない。私が選んだ者たちだ』
アクイラ卿は側に控えていた者達に目配せする。
アクイラは、険しい顔で唇を噛みながらそう言った。
武人の家に産まれた以上…本来なら、アクイラ自身が残りたい。
だが、側室の身であるなら、それは叶わない。
この場で命に優先順位を付けるなら、アクイラ=バルドリックはその筆頭となる。
3人ほどのアクイラの者達が一斉に刀剣を抜き、銃を手に持つ者も居た。
『私も残ります』
テレサがさっと出てレオに駆け寄る。
『命令を忘れたか。そなたの守るべきはライラ殿だっ!』
レオの一喝が、辺りに鋭く響き渡った。
『テレサ様。お恥ずかしくも、私は一時の盾にしかなれません。私1人の命では、ライラ様とアクイラ卿をお守りし切れないのです。ですがテレサ様が居て下されば、違います』
あんなに頼もしいレイモンドが背を小さくして、テレサにそう投げかける。
レイモンドは、今この時でさえ、とても冷静だった。
不思議な程に肝が座ってる辺り、やはりフォーサイスなのだ。
ライラは体中に寒気を感じながら、不思議に状況を落ち着いて見ていた。
『…急ぎ、馬の支度をします。レイモンド様、手をお貸しください』
テレサは絞り出すようにそう言うと、レイモンドとすばやく馬の元へ駆け出す。
それとは逆に、ライラはレオの元へ駆け寄った。落ち着いているはずなのに、分かっているのに、体は自然と駆けていた。
『私も、この地に残ります…』
『足手纏いです』
レオは冷たくライラを突き放すと、荷物の中から細長い刀剣を引き抜く。
そのゆったりとした服の下に、一体幾つ心強い武器が仕舞ってあるのか…
ライラは、どうかレオの命を守れる程、あり得ない量のものがその中に仕舞ってあって欲しかった。
『足手纏いに、ならないようにします』
無理に決まってる
何も出来ない
すぐに殺される
そんなの分かってるのに、なぜこんな言葉を口走ってるのだろう
『あなたを死なせれば、私の首が飛びます』
レオはライラと目も合わさない。
ライラの知るレオでは無い程に、冷たく、切り捨てるようにレオはそう言う。
『…っレオ様を死なせたら、私こそ斬首ではありませんかっ』
それこそフィデリオとかフィデリオとかフィデリオとか…
有能な片腕を失った責を負うべきは、トロメイに来た理由である自分にしか無い、とライラは確信している。
キアラだって同じ事だ…
どちらかと言えばキアラ、あの女神からの天誅の方が震えるほど恐ろしい。
むしろ、簡単に死を許してはくれないだろう。
ライラの喉の奥に灼ける様な感覚がし始める。
失うくらいなら…
せめて…
むしろ、一緒に…
ライラは意を決して声にしたいが、上手く声を出せない
『…はっきり言わねば分かりませんか?
私は、海を超えて来たのですよ』
レオの声が、ライラの頭の上へ降ってくる。
先程よりも棘は無い。
『あなたを守って死ねるのなら、本望なのです。色仕掛けは得意ですが、口説くのに命を賭ける程愚かではありません。
男の意地です、どうか行って下さい』
ライラが見上げると、レオは困った様に眉を顰めているが、口元は少し笑みを浮かべている。
何よりも、その言い方は、酷く優しかった。
ライラの目が、ぼやけてきてしまう。
ハッキリと、レオの姿を捉えたいにも関わらず、視線はぼやけて仕方ない。
『ライラ様っ!っ急いで!』
レイモンドの声がした。
『どうか、どうか無事に戻って来てください、約束ですよっ』
ライラが言葉を発すると共に、頬に水滴が流れ落ちる。
レオは素早く小指につけた金の指輪を外すと、ライラに差し出した。
『戻るまで持っていて下さい。1番近い港で落ち合いましょう。3日経っても戻らない場合、これを持って宮殿へ帰って下さい』
ライラは大きく息を呑む。
『…っまさか、死ぬおつもりですか?』
ライラの見開いた目を見ると、レオの美しい虹彩を放つ目が少し細くなる。
『…お願いを1つ、聞いて下さいますか?私が戻るまで…私だけの事を考え、私のために祈って下さい』
レオはライラの頬に、大きく温かな手を添えた。
ライラもそこへ手を重ね、何度も何度も首を上下に揺らし、頷く。
『っ早く!』
誰とも分からない声がして、体が引っ張られた。引き剥がされるように。
素早く馬に乗らされ、走り出す。
全ての瞬間が、酷く遅く感じる。
振り向きざま、ライラのぼやけた視界に映ったのは、確かに頼もしいレオの背中だった。だが、どうしてもその背が倒れる想像をしてしまう。
見えも聞こえもしない、近くに感じる事もない神に、ライラは縋るしか出来なかった。
だがライラは知っている。
いくら祈っても、その願いが必ずしも届かないことも
神は与えるのでは無く、奪っていくことも
4
あなたにおすすめの小説
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】転生したらラスボスの毒継母でした!
白雨 音
恋愛
妹シャルリーヌに裕福な辺境伯から結婚の打診があったと知り、アマンディーヌはシャルリーヌと入れ替わろうと画策する。
辺境伯からは「息子の為の白い結婚、いずれ解消する」と宣言されるが、アマンディーヌにとっても都合が良かった。「辺境伯の財で派手に遊び暮らせるなんて最高!」義理の息子など放置して遊び歩く気満々だったが、義理の息子に会った瞬間、卒倒した。
夢の中、前世で読んだ小説を思い出し、義理の息子は将来世界を破滅させようとするラスボスで、自分はその一因を作った毒継母だと知った。破滅もだが、何より自分の死の回避の為に、義理の息子を真っ当な人間に育てようと誓ったアマンディーヌの奮闘☆
異世界転生、家族愛、恋愛☆ 短めの長編(全二十一話です)
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、いいね、ありがとうございます☆
転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜
具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、
前世の記憶を取り戻す。
前世は日本の女子学生。
家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、
息苦しい毎日を過ごしていた。
ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。
転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。
女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。
だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、
横暴さを誇るのが「普通」だった。
けれどベアトリーチェは違う。
前世で身につけた「空気を読む力」と、
本を愛する静かな心を持っていた。
そんな彼女には二人の婚約者がいる。
――父違いの、血を分けた兄たち。
彼らは溺愛どころではなく、
「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。
ベアトリーチェは戸惑いながらも、
この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。
※表紙はAI画像です
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さくら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!
ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。
※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる