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指輪
しおりを挟む走れる所まで走ると、ライラ達は馬を商人に売り払う。目立つ事を避けるためには仕方なかった。
代わりに街に居るキャラバンに交渉して、ラクダや荷車に乗せて貰い、何とかトロメイ領を出る事は出来た。
あの追って達の目的は一体なんなのか…
ただの盗賊なのだろうか…
だが、もし、目的が自分達ならば、船に乗る事は既に予想しているだろう、そんな事はライラにも分かる。
街の中を人並みに紛れて進むが、特に当てがあるわけでは無い。
港はすぐそこだ。
だが、追っ手の仲間が張っていれば、多勢に無勢、少数ではどうしようも無い。
『…信頼出来る人物を探さなければなりません』
テレサが辺りを警戒しながらそう呟く。皆一様に、フードをすっぽりと被り、目だけを出して注意深く周りを見ている。
レオは3日待てと言った…
早くこの緊張感に満ちた状態から抜け出したい、早く時間が経って欲しい…それと同時に、レオが現れない事が時間の流れを酷く遅くしているようにライラは感じた。
レオから渡された指輪を、ライラは人差し指に嵌めている。
決して失くさぬように、いつでも、レオを想えるように。
想えば想うほど、ライラの胸は苦しくなる。いくつかの後悔と、レオを失うかもしれないという恐怖が、何度も何度もライラの胸に押し寄せてくるのだ。
パンッ!
突然、乾いた弾ける音が響いた。
まさか、もう見つかったのかっ…!?
ライラの体から血の気が引き、一行に緊張が走る。
『もし、何かありましたら私を置いて行ってください。一度切りとなりますが、命に替えて時間を稼ぎます』
レイモンドはそう言うと、腰の辺りから20センチほどの鞘に入ったナイフを取り出す。
『いいえ、一度切りの盾ならば、使い時は今ではありません』
テレサはその鞘をぐっと掴み、素早くレイモンドの方へ押しやる。
『テレサ様、まだ目的地は遠いんですよ。ここでテレサ様を失えば、それこそ前へ進めません』
レイモンドがそう言って体をテレサから避けると、テレサが鞘を掴んでいるため、意図せずナイフの刀身が抜かれてしまった。
レイモンドは咄嗟に刀身を素手で掴んだ。
テレサを傷つけない為だ。
ほんの一瞬の出来事だった。
レイモンドとテレサの目が見開かれる。
レイモンドが掴んだ刃から、鮮やかな赤い水滴が数滴、地面へ小さな円を描いた。
『『あっ…』』
テレサとレイモンドの声が重なったと同時に、レイモンドは顔を真っ青にして意識を無くす。
まさか…!ここでっ!?
ライラが慌ててレイモンドの腕を取るが、引き上げる事なぞ不可能だ。
それでも衝撃は幾分和らげることが出来ただろうか。
呆気に取られるアクイラ卿に、ライラは手短に事情を話す。その間に、テレサはレイモンドの傷の手当てを素早く行っていた。
『なぜ血を見てはならぬ者が、自ら刃を握るのです…?』
事情を聞くと、アクイラは呆れた声でライラにそう言う。
『…もう捨てて行ってよろしいか?』
アクイラ卿はうんざりした顔で苛立ちを隠さず、そう続けた。
人が集まり始め、医者を呼ぼうか、など声を掛けてくれる人も居るが、これ以上目立つ訳にはいかない。
アクイラ卿は深く長い長い溜め息を吐いた。
『起き上がらせて大丈夫ですね?倒れた手前動かしたく無いが…ここではまずい』
そう言うと、アクイラ卿はレイモンドの腕を取り、肩を組む形でレイモンドを支えて立ち上がらせる。反対側はテレサが支えた。
レイモンドを支えられる人物が居たのは幸運だ。この身分でありながら、手を差し出せる辺り、やはりアクイラ卿は機嫌が悪そうな顔をしてても、それに反して面倒見がすこぶる良い。
そしてまた破裂音がパンッ!パンッ!と連続して響く。
だが、そこには色が付いた煙幕が見え、子供達が爆竹で遊んでいた。
『人騒がせな…』
吐き捨てるようにアクイラはそう呟くと、一歩、また一歩と踏み出す。
だが、その美しい顔にはたちまち汗が滲み、その上酷く険しく歪ませ、その足は不意に止まってしまった。
『アクイラ様?』
ライラが声を掛けても、反応は無い。
『やはりこの者、捨てて行ってよろしいか…』
よく見ると、アクイラの手足は小刻みに震えている。
やはり、この壁のような大男を支えるには、それを凌ぐ怪力が居なくては難しいらしい…
だが、ここで持てないんですね、とか、やはり支えきれませんよね、なぞと次期女帝の側室に言えるはずも無い。
何より、武人としてのアクイラ卿のプライドを傷つけてしまう。
この、ぶっきらぼうだが心優しい母猫の…。
『…でっですがアクイラ様、レイモンドは賢く聡明で薬学に精通しています。荷物にはなりません、必ずお役に立ちます』
今、そのレイモンドは正に大荷物な訳だが。
どうすれば良いのか、ライラの頭の中は回転を加速させるが、出て来るのは煙だけだった。
テレサもライラも、レイモンドを支える事は出来ない。アクイラ卿も、長くは保たない。
アクイラ卿は世話好きな性格なので、捨てると言いつつも、誰よりも見捨てる事は出来ない人だ。
アクイラ卿がその優しさから差し出した手を、上手くこちらが引っ込まさせなければならない…
『おい、なんだ、なんでここだけこんなに混んでやがるっ』
この少ししゃがれたような大きな声…ライラには聞き覚えがあった。
『どこの田舎もんだ、こんなとこでたむろって…いやっ、おめぇ、おいっ!レエじゃねぇか!?』
人並みを掻き分けて、恰幅の良い初老の男性がそう叫んだ。
『一体どうしたっ!?レエ、おめぇ随分青白い顔して…!兄ちゃんと姉ちゃんもいやに汗だくじゃねぇかよ…なんだなんだ、一体何があったんだっ!?』
初老の男性は大きな目をより一層見開いて、キョロキョロとライラ達の顔を順番に見遣る。
ライラはその人物の登場に、俄かに希望が見えた。
テレサが言った信頼できる人物、それこそこの人ではなかろうか。
これで母猫は尊厳を守り、この大荷物…いや、レイモンドは捨て置かれずに済むだろう…
問題はこの男性が、レイモンドを快く手放してくれるのかどうか…
結婚させたがっている娘を呼び寄せる前に、レオが戻るのを祈るしか無い。
一刻も早く…
ライラは不意にあの指輪を見つめる。
上の部分は何か押しつぶされたような形に歪み、下の部分は横一列に小さなオパールが並んでいた。
それは灰色に金色や青、薄い緑が煌めく、レオの瞳に似ている。
あの瞳が、恋しい…
ライラは指輪を嵌めた手を、自らの頬に沿わせる。
頬に添えられたレオの手の温もりを、何度も思い出すように。
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