そとづら悪魔とビビりな天使〜本音を隠す者たち〜

エツハシフラク

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磯貝 文仁(イソガイ フミヒト)

5:後悔とデートの約束

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 足を踏み出すたび、肩に背負った学生鞄と部活用品の入ったバッグが左右に揺れる。小学生のころ、父親がコレクションしていたマンガを早く読みたくて急いで帰宅していたが、今はそんな浮き足立った気持ちとほど遠い。

『片思い相手に好きな人がいる』

   無情にも現実が俺の心に突き刺さり、傷付いたCDを再生するように何度も脳内でその言葉が繰り返された。
   嘘だ嘘だ嘘だ。信じたくない。信じられない。
   誰が誰を好きになろうと自由だけど、いざ自分に降りかかると身が切り裂かれるほどの痛みだ。

 自宅前の大通りの交差点に差し掛かったころ、横断歩道の信号が青になるまで停止して脚を休ませる。学校から現地点まで約4kmの距離をほぼ休まずに走り続けた。いくら育ち盛りの学生とはいえ、息も絶え絶えになるし膝はガクガクと笑っていた。
 メガネを外し電柱にもたれ呼吸を整える。ふと目線を落とすと、乾いたアスファルトが黒い点を作りポツポツと濡れている。雨が降ってきたのかと疑問に思い天を仰ぐと、カラリと晴れた朱色の空が広がっているだけだった。
 違和感を覚え、右手で目頭を押さえるといつの間にか泣いていたようだ。

「はっ……かっこわる……」

 蚊の鳴くような声が口から溢れた。男なのに情けない。真黒と張り合えることといえば身長と運動神経くらいだ。それ以外は……ルックスも学力も社交性も負けてしまっている。勝ち目なんてあるわけない。
 身体の内側からやり場のない怒りがふつふつと湧いて出てくる。

「クソッ!!」

 気づけば不満を撒き散らす幼児のごとく電柱を殴りつけていた。時間差で右の拳に強烈な痛みがジンジンと襲う。こんなことをしても気休め程度にしかならないのに。

「お兄ちゃん?」

 俺がずっと家の近くで立ち止まっていたからだろう。浮かない表情で藍が声をかけてきた。そして俺の右手を見るや否やハッと息を飲みこちらに駆け寄ってくる。そりゃそうか、中指と薬指付け根の皮が捲れて血まみれなんだから。

「ねぇ! 右手、ケガしてる! どうしたの!?」
「えっと……学校でちょっと嫌なことがあってさ」

 嘘はついていないが小学五年生に『告白する前にフラれた』だなんて言えるわけがない。守るべき妹に泣き顔を見せるだなんて兄貴失格だよな……

「とにかく早く手当てしよ!? おかーさーん! お兄ちゃんが大変なの!」

 俺の腕を引っ張りながら、藍は店にいるであろう母親に呼びかけた。そんな大声出したら近所の住人に笑われてしまうんじゃ……でも今の俺にはその気持ちを言葉にできなかった。
 本当は胸の内を全てぶちまけてしまいたい。けれど相手に伝えてしまったら迷惑だろ? だから本音を隠すしか道はない。

 あぁ、やっぱり俺は越方さんのことが好きなんだ……



……


   フミヒト:『悪い』
               :『中間テスト近いだろ?』
               :『ちょっと行けないわ』
               :『勉強しなきゃ』
 コウタ :『マジか』
               :『了解』
 フミヒト:『ドタキャン本当ゴメン』
 コウタ :『平気だって!』
     :『奏介からも事情聞いたから』
 フミヒト:『お前らとダベるの最高なのに』
     :『部活も楽しいけどさ』
 コウタ :『まぁまぁ』
     :『とにかく心配すんな』
 フミヒト:『サンキュー』
 コウタ :『でも何で勉強始めたんだ?』
     :『俺よりずっと成績良いだろ?』
 フミヒト:『うーん……』
     :『自分の将来のため……とか』
 コウタ :『なんだよ、意味わかんねー』
 フミヒト:『でもそういうことだから』
 コウタ :『ま、良いけどよ』
     :『それじゃ』
 フミヒト:『おう』

 帰宅後、母親の小言を聞ながら手当てされた。そして慣れない手つきでスマホを操作していると、それを見かねた藍が俺の言葉通り代わりに送信してくれた。小学生で使いこなすその様子に、ありがたさと末恐ろしさが入り混じる。
   村井は村井でいきなりのキャンセルに驚くことなく素直に受け入れてくれた。右手のケガは藍と妹の千尋ちゃん経由で伝わってしまうかもしれないが、言うタイミングを逃したと謝っておけば心配ないだろう。
   包帯でグルグル巻きにされボクサーのような自分の右手を改めて見た。その下にはズル剥けになった痛々しい現実が隠れている。ボール触れねぇじゃねぇか……
   言葉に表しきれない感情を拳にぶつけてしまい今さら後悔が駆け巡る。

   顧問との話し合いどうしよう……



……


   翌日念の為に学校を午前中休み病院で検査することにした。特に異常がなかったことを母親に伝えると『高い金払ってバスケやらせてるのにケガなんてバカじゃないのか』と電話口で怒鳴られた。確かにスポーツ推薦で授業料は免除されるといっても、試合場所までの交通費や用品の購入は自己負担なので本当に申し訳なく思う。

   お昼過ぎに登校すると、案の定右手を見たクラスメイトの同情の嵐。清嶺地が見たらショックで倒れるんじゃないか?   しかし彼女は体調不良により欠席とのことで不謹慎ながらもホッとしてしまった。

   放課後、掃除当番を代わってもらい職員室へと急ぐ。扉の前で立ち止まると、深呼吸を何度か繰り返し気持ちを鎮める。

「失礼します!」

   意を決して扉の取っ手に手を掛け一気にガラリと開く。そして目的の人物の目の前に立った。
   その人は俺の存在に気づくと作業を中断しこちらを見る。

「先生、あの……」
「お、磯貝か。どうした」

   は休憩がてらなのかマグカップを持ち、椅子を回転させ身体向きを変えた。
   鷹下たかした文香あやか。俺たちが所属するバスケ部顧問だ。元々この高校の卒業生で、在学中わずか十七歳という年齢で国体に優勝する輝かしい成績を収めたバケモノ……否、先生だ。
   アスリートらしくショートヘアで身体も引き締まっている。顔もなかなかの美人で先輩たちが度々話題にするほど。ただ……
   俺がなかなか要件を言わないので、彼女はコーヒーをひとくち飲むとマグカップを置いて強めに聞き返した。

「どうした?   私に用があるんだろ?」
「はい……あの、やっちゃいました……」

   観念した俺はボソリとつぶやき、腰に隠していた自らの右手を相手に見せる。その瞬間、彼女は目を見開き不安の感情を露にした。

「お前、何やった?   ケンカか!?」
「えっと……ちょっとイライラしてつい……」

   左手で頭を掻くと、それを彼女の右手で払い落とされた。

「バカか!?   バスケはチームプレイなんだぞ!   『つい』でやらかしたことで使い物にならなくなったらどうするんだよ!」
「本当にすみませんでした!」

   俺は腰を直角に曲げ、誠心誠意謝罪する。彼女の言う通りだ。どうしてそんな簡単なことがわからなかったのだろう。俺の昨日やらかした行動を心底反省した。

「……で?   骨に異常なかったのか?」
「はい。今日病院に行きましたが問題ありませんでした」

   手の状態を心配する彼女に俺は頭を上げ、医者に言われたことを説明する。怒鳴りつけても部員を考える良き顧問なのだ。

「今日は部活できるのか?」
「はい。包帯が巻かれていて普段通りとはいきませんが」

   それを聞いた彼女は安心した顔で椅子から立ち上がり、俺の両肩をガッシリと掴んだ。立って並ぶと、俺とほとんど身長が変わらないので存在感に圧倒される。

「よし、無理すんなよ」
「ありがとうございます」

   彼女は再び椅子に座ると小テストの丸つけを再開した。忙しいのに話しかけて悪かったな……

「それにしても高校生は世話の焼ける。さっき沢村も来て『腹が痛いから休ませてくれ』だと。やっぱり私が女だからナメてるのか?」
「え?」
「いや、こっちのこと。右手、お大事に」

   奏介が休むとの発言に、思わず聞き返したがはぐらかされてしまった。昼休みに少し会ったときは学食でラーメン食っていたような……ま、牛乳か何か当たったんだろう。そう自分を納得させ、彼女に一礼すると職員室を後にした。



……


   二週間後。俺は絶望の縁にいた。三組の教室の外壁に、先日行われた中間テストの結果が貼りだされたのだ。
   それを見て喜ぶ者悲しむ者……辺りは十人十色喜怒哀楽が溢れかえる。

「よっ! お前はどうだ? ちなみに俺は全教科セーフ。苦労したぜ」
「良く言うぜ。セーフはセーフでもまた赤点ギリギリだろうが」

   結果表を前に、村井が俺の肩を組みながらガハガハと笑う。なんでいつもこいつは前向きというか楽観的なんだろう。

「おっ! 文仁は十六位か! すげーじゃん!」
「全くだっつーの……」
「は? 前の実力テスト二十五位だったんだろ? もっと喜べよ」

   人の気も知らないで……それだと意味がないんだよ。自分の順位から目線を上げる。

   一位 真黒まくろあかし   五百点
   二位 越方えつかたしおん   四百九十四点

   同じ紙面にいるはずなのに遠い……やっぱり俺と越方さんだと頭の作りが違うのか?
   俺は村井の相手にする気になれず、すごすごと項垂れたまま自分の教室へと向かうのだった。

   昼休み。授業なんてもちろん身に入るわけもなく、いくら教師や隣りの席のやつに注意されても、机に突っ伏して頭を上げられなかった。そんな中現れたのはいつものあいつ。

「ちょっとー。お昼机に置けないんだけど」
「食欲ないから自分の教室で食べてよ」
「なんで今日はそんなにいじけてるわけ? テストの結果がなんだっていうの?」

   図星をつかれ反射的に清嶺地を睨む。彼女は少し怯んだものの、鞄を肩にかけたまま腕を組んだ。

「休み時間のたびに話しかけようとしたけど、文仁くんってばずっとヘコんでるんだもん。それで人に聞いたらテストって……くだらないわ」
「う、うるせーよ! 努力した結果が報われなかったんだから落ち込むのも当たり前だろ!」

   俺は顔を上げ声を大にして清嶺地に怒鳴り散らす。八つ当たりと逆ギレなんてとことん俺は子どもだ。その場にいたクラスメイトにはちゃんと謝らないと……
   くだらないことなんてわかってる。だけどあともう少しで届きそうだったのに……自分の努力不足と越方さんとの実力の差に悔やむばかりだ。
   彼女は呆れ顔でため息をひとつ洩らすと、俺の頭をサラリとなでた。

「よーしよし。頑張ったねー」
「突然何?」
「褒めてほしかったんでしょ?」

   俺は椅子に座っているので、立ったままの清嶺地から見ればなでやすい位置だったのだろう。照れくさいが心地良い。他人の目が気になり、彼女の右手を掴んでそっと外す。

「もういいって」
「人に良くしてもらったときなんて言うんだっけ?」
「はいはい。ありがとうな」

   彼女は満足そうな顔を俺に向けながら、スマホを取り出して二、三度動作をすると、再びスカートのポケットにねじ込んだ。

「ねぇ、髪の根元っていつ染めるの?」
「特に決めてないけど……」

   村井の家で染めてから二ヶ月が経ち、俗に言う『プリン状態』になってきた。清嶺地は俺と同じ時期に染めたはずなのに、根元はずっと金のままだ。これが金持ちと一般庶民の違いか……

「次の土曜って用事ある?」
「特にないけど……さっきから何?」

   質問の連続に嫌気がさし反抗的な態度をとる。すると彼女は何度も見せる余裕の表情をしながら、教室を出ていこうとするので慌てて席を立った。その音を聞いたであろうタイミングで、金髪の小悪魔は振り向いて顔だけを俺に見せた。

「染めるお金出してあげるからさ、その日デートしよ?」
「え?」
「十時に学校の門に集合ってことで。 じゃ、ご飯教室で食べるからまたね」

   一方的に約束を押し付けられ、俺は無意識に伸ばした右手で虚しく空気を掴むことしかできなかった。
   電柱を殴ったときにできた傷はもうとっくに完治しているというのに、ズキズキとその場所と胸を痛めつけて俺を苦しめるんだ。
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