隣人はタコでした。~魔物の異世界帰還を阻む無自覚スキル持ちの話~

手羽本 紗々実(てばもと ささみ)

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第4章 俺とタコ、手に入れる

30話 大好きなあの人とした

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 約束の日、俺とあかりさんは、あかりさんの自宅の最寄り駅、志野台で待ち合わせをした。


「一瞬たりとも気を抜くな。まずは、待ち合わせだ。絶対に、女より先についているようにするのだぞ」


 と、ロンにいただいたアドバイスどおり、待ち合わせ時間より三十分も早く駅前に行った。

 教えてもらった喫茶店は、ここから徒歩で十分ほどの位置にある。寒いから、道中飲むようになにか温かいお茶でも用意しておくべきか? いやでも、お茶を飲みにいくのだからいらないか。

 と、逡巡している間に、あかりさんがやってきた。時間は、待ち合わせ時間の十分前。


「お待たせしました」

「いえ。俺もついさっき来たばっかですよ」


 ……ああ! これ! これを一回言ってみたかったんだよな! めちゃくちゃベタだけど!

 心の中で泣きそうになるほど一人で盛り上がりつつ、あかりさんの私服姿を見てさらに嬉しくなった。

 長い黒髪は、今日もしばらずに垂らして、後頭部にクリップをつけている。ピンクブラウンのトレンチコートを着て、下は黒で無地のハイネック。ボトムスは、紺色のロングスカートだった。

 普段はピシッとしたパンツスタイルだから、とても新鮮だ。もちろんそちらもとても似合っていて好きだが、スカート姿も素敵だった。地味に見える色も、彼女の落ち着いた雰囲気に合っている。


「おっしゃっていた喫茶店は、ここから近いんですよね?」

「そうなんです。さっそく行きますか」


 不思議そうに周辺を見回すあかりさんを促して、歩きだした。

 教えてもらった喫茶店は、このあたりが開発されるよりずっと前、五十年以上前からやっている店らしい。まさしく昭和レトロな喫茶店だ。


「……あった。あれですね」


 歩いて十分弱。路地を抜けると、モダンでレトロなフォントで書かれた、「珈琲館 エトワール」の看板が見えてきた。

 レンガ造りの壁と赤い色の雨除けシェード、ツタがのびた植物たちが、いかにも昔ながらの純喫茶らしい雰囲気を醸しだしていた。ガラスの窓から見える店内は、淡いオレンジ色の照明でてらされている。


「素敵なお店ですね。うちの近くにこんなところがあったなんて……方向が違うので全然知らなかったです」

「ならよかった。駅から近いから、もしかしたら知ってる店かもって心配してたんですよ」

「そうでしたか。全然問題ありません」


 はにかむあかりさんの先に立って、喫茶店の扉を押して開けた。

 途端に、ふわりと漂ってくるコーヒーのいい香り。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 入った先にあるカウンターの中にいた、白髪率が高めのグレイヘアの男性のあいさつを受け、空いている窓際の席を選んだ。

 店内は、外から見たとおりオレンジ色の照明だけで、若干薄暗いのがかえって落ち着いた空気を演出していた。天井にある黒いシーリングファンが、ゆっくりと音を立てずに回っている。

 客の数は、年の瀬にも関わらずまばらだった。新聞を広げている男性客。声を押さえつつ途切れずに会話をする中年女性の四人グループ。カウンター席でなにかの資料を見ながらコーヒーを飲んでいる青年。運ばれてきたばかりのホットケーキに感動した様子で、嬉々としてスマホで写真撮影をしている若い女性二人組。

 うるさすぎず、静かすぎず。たしかにここなら、のんびり話をするにはうってつけかもしれない。

 コートを脱いで、あかりさんと向かいあわせに座って、テーブルにあった茶色い革製のメニュー表を開いた。


「コーヒーにしますか? カフェオレも人気らしいですけど」

「甘みをおさえたカフェオレ……いいですね。それと、この特製プリンも気になります」

「あ、いいですね」


 少し悩みつつ、頃合いを見計らってきてくれたマスターに注文をする。カフェオレとホットコーヒー、特製プリンとコーヒーゼリーだ。


「私、純喫茶は初めてです。神凪駅の『スターズ・カフェ』にはよく行きますが」

「そうなんですか。もしかして、甘いもの目当てとか?」

「はい。季節限定のフラッペが出たら、欠かさずチェックします」

「へー。あ、じゃあ、この前出たショートケーキ味も?」

「ええ、もちろん。あれは……私の中ではダントツで一位です」

「へー! そういえば、かなり話題になってますもんね」

「そうなんです。評判どおり、本当にイチゴのショートケーキの味がしてとてもおいしかったです。名瀬さ――歩さん、甘いものは?」

「そんなに食べないんですけど、苦手ではないですよ。めちゃくちゃ疲れたときに食べたら、たしかになんとなく疲れが抜けるような気がしますし」

「同意します。甘いものは癒しですよね」


 それを言うあかりさんを見るほうが、俺にとっては癒しな気がする。まだ下の名前呼びが慣れないところも、初々しくていいな。


「そういえば……前にいただいた、ロンさんのフィナンシェも絶品でした」

「それはよかった。あいつも喜ぶと思いますよ」

「どうしたら、あんなきれいでおいしいものが作れるんでしょうか? 私も自分で作れたらと、お菓子作りは何度か挑戦するのですが……見るも無残なものしかできなくて」


 あかりさんは、眉を寄せて険しい顔をして、俯いた。

 見るも無残なもの。例えば、オーブンで焼きすぎて黒焦げになってしまった、とか?

 簡単に想像できてしまったのが申し訳なくなって、一旦目をそらした。


「……ま、まぁ、アレですよ。お菓子作りは普通の料理より難しいって聞きますし」

「そうですか……?」

「そうです。大丈夫ですよ。こないだの肉じゃがだってまずくなかったですし」


 そこで、あかりさんがぱっと顔を上げた。


「それ、前もうかがいましたけど……本当ですか? 正直な感想をお聞きしたいのですが」

「本当ですよ。ちょっと味が濃いなっていう程度で」


 あかりさんは、きりっとした目で俺を凝視してきた。

 そんな彼女に、「本当ですよ」ともう一度告げる。すると、あかりさんはようやく安堵したようにため息をついたあと、「よかった」と独り言のように小声で呟いた。


「はーい、お待たせしました」


 フリルのついた白い前掛け――エプロンより前掛けのほうがしっくりくる気がする――をつけた、腰が曲がり気味の婦人が、注文した品を運んできた。

 あかりさんが頼んだ特製プリンは、黄色いボディにぽつぽつと茶色い穴が開いていて、頂上に生クリームが盛られ、さらにその上に真っ赤なサクランボが乗っていた。これぞ昔ながらの喫茶店のプリンのような見た目だ。

 俺が頼んだコーヒーゼリーも、非常にシンプルなビジュアルだ。黒くて角形に切られたゼリーがいくつか乗っていて、別添えで生クリームが入った小さなポットがついている。


「素敵ですね。食べるのがもったいないくらい」

「ですね。あ、写真撮ります?」

「……いえ。心の中にとどめておきます。そのほうがまた行きたいって思えるでしょうし」


 あかりさんは、真剣な表情でしばらくプリンを見つめていた。その後、満足したのかスプーンを手に取り、「いただきます」と言って会釈をしてから、黄色い山に突き立てて、口に運んだ。


「…………」


 リアクションは、ほぼ皆無。

 え、まさか、好みの味じゃなかったとか?


「おいしいです」

「そ、そうですか。よかったですね」


 ぽつりと呟いたあかりさんは、ほとんど無表情でプリンを食べ進めた。じっくりと、自分のペースで味わっている様子だ。

 気に入ってもらえたようなので、俺はひとまず安心して、コーヒーゼリーにクリームをかけて食べた。

 ……おお。しっかりコーヒーの味がする。それでいて、苦味は強すぎない。食後に口の中をすっきりさせたいときに食べてもよさそうだ。美味い。

「名瀬さん」

「はい」


 コーヒーゼリーの味に感心していると、あかりさんに呼ばれて顔を上げた。

 あかりさんは、なぜか目を泳がせて、そわそわしている。

 どうしたのか、と首を傾げて言葉を待っていると、あかりさんはおもむろに手にしていたスプーンでプリンをすくい、それを差し出してきた。


「ど……どうぞ」

「えっ」


 どうぞって?……え? どゆこと?

 一人で混乱して固まっていると、あかりさんがすくったプリンがテーブルに落ちそうになり、とっさにあかりさんの手をとってこちらに引き寄せ、食べた。

 彼女の顔が、ものの見事に真っ赤にそまる。


「……っあ、うまいですね! 硬めで優しい卵の味がします!」

「……ですよね」


 恥ずかしい気持ちを抑えるように、わざとらしく少し声を張って言うと、あかりさんはほほえんで手を下ろして、満足げに頷いていた。

 どうしよう。あかりさんに、「あーん」ってしてもらっちゃったんですけど! 今どきこんなのやってくれる人、いなくないか!? 今は平成初期か!? 場所が場所だけに、なんだかタイムスリップしたような気分なんですけど!?

 そんな高揚する気持ちを抑えつつ、その後は他愛もない話をした。家族構成や友人の話、お気に入りのスイーツ店の話などなど。

 ちなみに、あかりさんは俺と同じで一人っ子らしい。狙いどおり、気になっていた部分はおおかた聞けたので、よかった。

 喫茶店を出て、「送っていきます」と宣言。あかりさんのマンションがある方向へと歩きだした。


「素敵な喫茶店を教えていただき、ありがとうございました」

「喜んでもらえて嬉しいです。また行きたいですね」

「はい。また、二人で行きましょう」


 二人で。ああ、いいな。その響き。当たり前のようにそれを言っていいのが、なんだか今でも信じられない気持ちだ。


「ここです」

「……おお」


 若干浮ついた気持ちで歩いていると、まもなくマンションの前についた。

 うちのボロアパートとは違って、きれいな茶色の壁の、どう見ても築浅なマンションだった。


「送っていただいて、ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ、今日はおかげでとても楽しかったです」

「私もです」


 そんなお別れの言葉をかわしたものの、あかりさんはなかなかマンションへと入ろうとせず、俯いてそわそわしていた。

 ……しっかりしろ、俺! チャンスだぞ!

 自分の心を奮い立たせ、決意を込めて頷き、あかりさんの両方の肩に手を置いた。そして――その額に、そっと触れるようにキスをした。

 なんで口じゃないのか、なんて野暮な質問はしないでほしい。


「……じゃ、また明日」

「は……っは、い」


 あかりさんは、うっとりととろけたような目をして、呆然と、おぼつかない足取りでマンションのエントランスに入っていった。その背が見えなくなったところで、俺は踵を返して走りだした。

 ど! どうだ、ロン! これなら文句ないだろ!

 真っ赤にそまった顔は、冬の寒風に当たってもちっとも冷めなかった。人に見られないように気を配りながら電車に揺られ、アパートに帰った。


「ロン!」


 鍵を開けて中に入ったが、部屋の中は真っ暗だった。

 妙だ。今日はロンも休日だったから、すでにいてもおかしくないのに。今日の報告を楽しみに待っているはずだから、余計に。

 首を傾げつつ、電気をつける。冷えた部屋を暖めようと、エアコンのリモコンに手をのばした。

 そのときだった。


「……っ!?」


 寝室の床から、人の頭のようなものが生えてきた。
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