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第2章 応用編
31話 情報屋との親密度を上げておきましょう
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「あれだ」
オリヴィアさんが指さした先には、ツタに覆われて味のある風格の店があった。濃い色のレンガで造られていて、純白色の入り口のドアの手前に、店名が書かれた看板が地面に置いてある。
その名も、「喫茶 泥棒猫」。
「……名前……」
「変わっているだろう? マスターの趣味なんだ」
オリヴィアさんは、笑いながら店のドアを開けた。上部についていたドアベルが、高くて心地よい音を立てる。
「やあ、おはよう」
カウンターでコップを布巾で拭いていた、口ひげがよく似合うダンディな男性がすぐに話しかけてきた。彼が、マスターのトリスタンさんか。
髪は黒くて短く、オールバックにしている。頭についた黒い耳が、オリヴィアさんが言ったとおり彼も獣人だと示している。オリヴィアさんと同じネコの獣人だろうか。白いシャツに黒いネクタイをして、その上に臙脂色のベストを着ている。どこかのおしゃれなバーのマスターのようにも見える。
「おはよう、マスター。今日はマリネも一緒なんだ」
「そのようだね」
オリヴィアさんは、挨拶を済ませると僕をマスターの目の前――カウンターのテーブルに置いた。そして、奥の部屋へと消えた。
「初めまして。タコのマリネです」
「初めまして。僕は黒ヒョウの獣人のトリスタン。ここのマスターだよ。よろしく」
「よろしくお願いします」
トリスタンさんは、山ほどあるコップをキュッキュと音をさせながら拭きつつ、自己紹介してくれた。ネコではなく黒ヒョウだったのか。
「君のことはオリヴィアから色々聞いてるよ。魚介類の魔物なんて、珍しいね。おまけに人の言葉まで喋れるなんて」
「そうみたいですね。あんまり同族とは会えてませんし」
「魔物といっても、動物同様に好む環境があるからね。陸上に出ようとするのはそうそういないんじゃないかな。君みたいに足がないと動くのもままならないだろうし」
ですよね。すみませんけど、これは足ではなく腕というか、触手です。
そう訂正しようとしたところで、奥の部屋にいったオリヴィアさんが戻ってきた。見慣れない、驚くべき姿をしていたので、思わず絶句した。
「……なんだ? なにか変か?」
「いえ。とてもよくお似合いで」
怪訝な顔を向けてきたオリヴィアさんに、なんとかフォローする。彼女は納得していない様子だったが、それ以上は追及せず、ホウキ片手に客席の掃除を始めた。
フリルがふんだんにあしらわれた制服で、スカートは太ももが八割方出ているくらい短い。頭のカチューシャが、猫耳をうまく強調しているように見える。これは果たして本当に、喫茶店のウエイトレスの制服で合っているのだろうか。
「彼女の体型によく似合っているだろう?」
「……マスターの仕業ですか」
「仕業という言い方はどうかな」
トリスタンさんは、不敵な笑みを浮かべて布巾をテーブルに置いた。
「ここはね、僕の趣味で作られた店なんだ。だから、マリネくんにも気に入ってもらえると嬉しいね」
「……そうですか」
若干変態臭い趣味をもったイケオジ、トリスタンさん。なんだか複雑な気分だった。
とはいえ、店の中の雰囲気はとても落ち着く感じだった。ダークブラウンで統一された客席に、ところどころに設置してある観葉植物。その中には、幾何学的で奇妙な形をした花をつけた植物の鉢もあって、いい感じのアクセントになっている。客席の奥にある暖炉のおかげで、ちょうどいい暖かさに保たれているのも何気に重要なポイントだ。
「ところで、君はカイルの従魔だと聞いていたけれど……彼はどうしたんだい?」
「カイルさんは、ティムさんと一緒に〈ロディオラ〉へ出かけました。〈ルドルフの武器屋〉のスティーヴさんに護衛を頼まれまして」
「〈ロディオラ〉か……それは、いけなかったね」
「やっぱりご存じなんですか?」
「もちろん。あそこは色んな意味で有名だから」
色んな意味で、という部分を強調させたトリスタンさんは、眉を垂らしてどこか悲しそうな顔をしていた。
「さて、せっかくだし、なにか食べていくかい? それとも飲み物がいいかな?」
「ありがとうございます。どんなのがあるんですか?」
「色々だね。オリヴィア、すまないがメニューをいいかな」
掃除を終わらせて戻ってきたオリヴィアさんが、カウンターの近くに丸いお盆などと一緒に置いてある紙の束に手をのばし、一枚持ってきれくれた。
「なにか頼むのか? やめておけ、ぼったくられるぞ」
「君ね……一応うちで働いてるんだから、おすすめを教えるとかしなさいよ」
「大事なことだからな」
オリヴィアさんが目をきりっとさせて、真面目な表情で言った。
どういうことだろう。ここは、喫茶店とは名ばかりのぼったくりバーなのか? まさか、店名の「泥棒猫」とはそういう意味なのか?
何はともあれ、ひとまずメニュー表を受けとって見てみる。薄茶色の紙に手書きでメニューが書いてあるのだが、どれも知らないものばかりだった。
「『クルンカのパイ』……クリンカとは違うんですか?」
「よく間違われるんだよね。クルンカとクリンカはまったく別の木の実だよ」
トリスタンさんは、カウンターの裏から丸くて薄茶色のものを見せてきた。それは、クルミによく似たものだった。
「これがクルンカの実。殻が硬くて、割るのに難儀するんだ。中の実は栄養価が高くて美味しいんだけどね」
クルンカの実を借りて、持ってみる。テーブルで卵を割るようにして軽く叩いてみたが、コンコンと小気味よい音が鳴るだけだった。確かにちょっとやそっとでは割れそうにない。
「ありがとうございます。あと……この『マドゴランサンド』ってなんですか?」
クルンカの実を返しながら、次に気になったメニューについて聞いた。
「新鮮な野菜を使ったサンドイッチだよ」
「マンドラゴラ、とは違うんですよね?」
「あはは。マンドラゴラを使ったら大変だね。あれは、安易に扱えるものじゃないから。マドゴランっていうのは、ニンジンによく似た野菜――変異種みたいなものかな。ヘルシーで、特に女性に人気のある野菜なんだよ」
「へー……似た名前のやつばっかりですね」
「そうなんだよ。まったく、なんでこんなややこしい名前つけたのかねぇ」
トリスタンさんは、目を閉じてため息をつきながら、頭を横に振った。
激しく同意する。この世界初心者の身としては、覚えるべき事柄が多すぎて頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
そして、トリスタンさんは「とりあえずお茶でも」と言って、ティーカップとポットを出してきた。カップの七割程度まで注いでから、ポットよりかなり小さい別のポットの中身――黒い液体を注いだ。たちまち、紅茶が黒く澱んだ色になる。
「そ……っそれは、なんですか?」
「おや、ケラプス茶は初めてかい?」
「けらぷすちゃ?」
「ケラプスっていう魔物から搾った体液を加工したものを混ぜたお茶だよ」
「……体液……」
言い方。
ケラプスといえば、先日カイルさんが食べていたステーキだ。「体液」とはすなわち「乳」だとすれば、やはりウシに似た魔物だろうか。
ミルクならば、紅茶に混ぜるものとしては納得できる。しかし、色が真逆の黒だ。人間時代の世界のミルクティーを知っているせいか、とても異質に見える。
「どうぞ、遠慮なく」
「い……いただき、ます」
大丈夫。たぶん、大丈夫。あの死ぬほどまずかった、ミランダさん特製の魔力回復薬も飲めたのだから。
自身にそう言い聞かせて、思いきってカップを持ち上げて、目をつぶりながら飲んだ……あれ、美味しい。というか、ミルクティーとほぼ同じ味ではないか?
「まろやかで美味しいですね……!」
「だろう? それはガラナで作ったやつだけど、一応モニマニ茶のもあるんだ。けど、僕はケラプス茶にするならガラナの方が好きだね」
「そうですね。ケラプスの……体液、が渋みを優しくしているっていうか。よく合ってると思います」
「……君、分かってるね」
「え? いえ、そんな。すみません、偉そうに」
「全然。むしろ嬉しいよ。最近は流行りなのか知らないけど、割と甘くて濃厚な味を好むお客が多くてね。悪くはないんだけど……なんか、こう、ね?」
気持ちはなんとなく分かるので、静かに頷いておいた。
ケラプス茶を飲んで一息つき、再びメニュー表を見る。そこで、おかしな点に気づいた。
「値段が書いてないですね?」
「ああ。飲み物は基本的にどれも三オーロ、食べ物は五オーロだよ」
「統一してるんですか?」
「冒険者のための料金設定でね。加えて、なにか情報を提供してもらっているんだ」
「情報……クエストで行った先の話とかですか?」
「そう。僕はね、自分で言うのもなんだけど、『情報屋のトリスタン』で通ってるんだよ。特にダンジョンについての情報は、いくらあっても困りはしないからね。目新しい情報をもってない場合は、追加料金をいただいてるけど」
そうか。それが、オリヴィアさんが「ぼったくられるぞ」と言っていた所以か。
それにしても、情報屋とは。ただの物知りなおじさんではなかったようだ。色々教えてもらいたかったが、世間話風に済ませるわけにはいかないようだ。
「僕はまだこの世界というか、陸上に出てまだ間もないので……あんまり教えられることはないかもしれないんですが。どうしましょうか」
「じゃあ、せっかくだから海の中の世界について教えてくれないか? 水が苦手な身の上としては、未知の世界だからね」
「ああ。それならお安い御用です」
ネコは水が苦手なのは、獣人も同じらしい。入浴も大変そうだ。
というわけで、長年見てきた海の中の様子を事細かく話した。トリスタンさんに質問されると、口頭で説明したり紙に絵を描いたりして答えた。
「魚といえばニンパーチ……じゃないのか。え、そんなに種類が?」
「ウツボ?……へぇ、ちょっとクエルネスに似ているね。毒はもっているのか?」
「そんな大型なのに小さな魚を食べる? 非効率じゃないのかね?」
「自分で発光? 魔力持ちなのか?」
「百年近くも生きるだって? 魔物でもないのにかい?」
とにかく、質問が多かった。ときどき聞きなれない言葉が出てきたので、こちらも質問したけれど。
曰く、「ニンパーチ」は魚の魔物で、海や川など水のある場所にならどこにでもいるため、一般的によく食卓に上がるのだとか。それから、「クエルネス」は細長い体をもつヘビに似た魔物で、最近まで虫の仲間だと考えられていたそうだ。
「たくさん話してくれて、どうもありがとう。おかげでだいぶ海について知れたよ」
「喜んでいただけたなら嬉しいです……」
「君もなかなかの努力家だね。平穏な生活を捨てて陸上にやってくるなんて」
「いえ。ただ退屈になっただけですから」
「そうか。じゃあ、どうなんだい? 海の中に比べて、ここでの生活は」
「とっても楽しいです。大変なこともありますけど、逆に考えれば刺激的といいますか」
「それはよかったね」
トリスタンさんは、「話のお礼だよ」と言って、ケラプス茶をもう一杯いれてくれた。
「冒険者としては、どうだい? 大変なクエストとかあったんじゃないか?」
「そうですね……色々ありましたけど、戦うのはほとんどカイルさんたちでして。僕は補助が必要なときにするっていう程度なんです」
「今まで行ったダンジョンは?」
「〈アルカネット遺跡〉と〈シルフィウム鉱山〉、それに〈ネトルの森〉です」
「〈ネトルの森〉……そうか、オリヴィアが大量にモニマニを持ってきたときか。まさか、わざわざそのために?」
「いえ。ある人を探してたんですけど、その人がソロで入ったと聞いたので。モニマニはそのついでです」
「……ソロで〈ネトルの森〉に?」
トリスタンさんは、不思議そうに僕の言葉を復唱して、自身の口ひげに触れた。
「それってもしかして――」
出入口のドアベルの音で、トリスタンさんの言葉は途中で遮られた。
やってきた新しい客を見て、固まった。
「よう、マスター。元気か?」
「いらっしゃい、レックス。で……彼のことかい?」
トリスタンさんは、そのお客に定例の挨拶をしてから、僕を見て聞いてきた。目を見開いたまま頷く僕。
「ん? なんだ。いつぞやのちっこいのもいたのか。奇遇だな」
そんな奇遇、本当にアリなんですかね!?
オリヴィアさんが指さした先には、ツタに覆われて味のある風格の店があった。濃い色のレンガで造られていて、純白色の入り口のドアの手前に、店名が書かれた看板が地面に置いてある。
その名も、「喫茶 泥棒猫」。
「……名前……」
「変わっているだろう? マスターの趣味なんだ」
オリヴィアさんは、笑いながら店のドアを開けた。上部についていたドアベルが、高くて心地よい音を立てる。
「やあ、おはよう」
カウンターでコップを布巾で拭いていた、口ひげがよく似合うダンディな男性がすぐに話しかけてきた。彼が、マスターのトリスタンさんか。
髪は黒くて短く、オールバックにしている。頭についた黒い耳が、オリヴィアさんが言ったとおり彼も獣人だと示している。オリヴィアさんと同じネコの獣人だろうか。白いシャツに黒いネクタイをして、その上に臙脂色のベストを着ている。どこかのおしゃれなバーのマスターのようにも見える。
「おはよう、マスター。今日はマリネも一緒なんだ」
「そのようだね」
オリヴィアさんは、挨拶を済ませると僕をマスターの目の前――カウンターのテーブルに置いた。そして、奥の部屋へと消えた。
「初めまして。タコのマリネです」
「初めまして。僕は黒ヒョウの獣人のトリスタン。ここのマスターだよ。よろしく」
「よろしくお願いします」
トリスタンさんは、山ほどあるコップをキュッキュと音をさせながら拭きつつ、自己紹介してくれた。ネコではなく黒ヒョウだったのか。
「君のことはオリヴィアから色々聞いてるよ。魚介類の魔物なんて、珍しいね。おまけに人の言葉まで喋れるなんて」
「そうみたいですね。あんまり同族とは会えてませんし」
「魔物といっても、動物同様に好む環境があるからね。陸上に出ようとするのはそうそういないんじゃないかな。君みたいに足がないと動くのもままならないだろうし」
ですよね。すみませんけど、これは足ではなく腕というか、触手です。
そう訂正しようとしたところで、奥の部屋にいったオリヴィアさんが戻ってきた。見慣れない、驚くべき姿をしていたので、思わず絶句した。
「……なんだ? なにか変か?」
「いえ。とてもよくお似合いで」
怪訝な顔を向けてきたオリヴィアさんに、なんとかフォローする。彼女は納得していない様子だったが、それ以上は追及せず、ホウキ片手に客席の掃除を始めた。
フリルがふんだんにあしらわれた制服で、スカートは太ももが八割方出ているくらい短い。頭のカチューシャが、猫耳をうまく強調しているように見える。これは果たして本当に、喫茶店のウエイトレスの制服で合っているのだろうか。
「彼女の体型によく似合っているだろう?」
「……マスターの仕業ですか」
「仕業という言い方はどうかな」
トリスタンさんは、不敵な笑みを浮かべて布巾をテーブルに置いた。
「ここはね、僕の趣味で作られた店なんだ。だから、マリネくんにも気に入ってもらえると嬉しいね」
「……そうですか」
若干変態臭い趣味をもったイケオジ、トリスタンさん。なんだか複雑な気分だった。
とはいえ、店の中の雰囲気はとても落ち着く感じだった。ダークブラウンで統一された客席に、ところどころに設置してある観葉植物。その中には、幾何学的で奇妙な形をした花をつけた植物の鉢もあって、いい感じのアクセントになっている。客席の奥にある暖炉のおかげで、ちょうどいい暖かさに保たれているのも何気に重要なポイントだ。
「ところで、君はカイルの従魔だと聞いていたけれど……彼はどうしたんだい?」
「カイルさんは、ティムさんと一緒に〈ロディオラ〉へ出かけました。〈ルドルフの武器屋〉のスティーヴさんに護衛を頼まれまして」
「〈ロディオラ〉か……それは、いけなかったね」
「やっぱりご存じなんですか?」
「もちろん。あそこは色んな意味で有名だから」
色んな意味で、という部分を強調させたトリスタンさんは、眉を垂らしてどこか悲しそうな顔をしていた。
「さて、せっかくだし、なにか食べていくかい? それとも飲み物がいいかな?」
「ありがとうございます。どんなのがあるんですか?」
「色々だね。オリヴィア、すまないがメニューをいいかな」
掃除を終わらせて戻ってきたオリヴィアさんが、カウンターの近くに丸いお盆などと一緒に置いてある紙の束に手をのばし、一枚持ってきれくれた。
「なにか頼むのか? やめておけ、ぼったくられるぞ」
「君ね……一応うちで働いてるんだから、おすすめを教えるとかしなさいよ」
「大事なことだからな」
オリヴィアさんが目をきりっとさせて、真面目な表情で言った。
どういうことだろう。ここは、喫茶店とは名ばかりのぼったくりバーなのか? まさか、店名の「泥棒猫」とはそういう意味なのか?
何はともあれ、ひとまずメニュー表を受けとって見てみる。薄茶色の紙に手書きでメニューが書いてあるのだが、どれも知らないものばかりだった。
「『クルンカのパイ』……クリンカとは違うんですか?」
「よく間違われるんだよね。クルンカとクリンカはまったく別の木の実だよ」
トリスタンさんは、カウンターの裏から丸くて薄茶色のものを見せてきた。それは、クルミによく似たものだった。
「これがクルンカの実。殻が硬くて、割るのに難儀するんだ。中の実は栄養価が高くて美味しいんだけどね」
クルンカの実を借りて、持ってみる。テーブルで卵を割るようにして軽く叩いてみたが、コンコンと小気味よい音が鳴るだけだった。確かにちょっとやそっとでは割れそうにない。
「ありがとうございます。あと……この『マドゴランサンド』ってなんですか?」
クルンカの実を返しながら、次に気になったメニューについて聞いた。
「新鮮な野菜を使ったサンドイッチだよ」
「マンドラゴラ、とは違うんですよね?」
「あはは。マンドラゴラを使ったら大変だね。あれは、安易に扱えるものじゃないから。マドゴランっていうのは、ニンジンによく似た野菜――変異種みたいなものかな。ヘルシーで、特に女性に人気のある野菜なんだよ」
「へー……似た名前のやつばっかりですね」
「そうなんだよ。まったく、なんでこんなややこしい名前つけたのかねぇ」
トリスタンさんは、目を閉じてため息をつきながら、頭を横に振った。
激しく同意する。この世界初心者の身としては、覚えるべき事柄が多すぎて頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
そして、トリスタンさんは「とりあえずお茶でも」と言って、ティーカップとポットを出してきた。カップの七割程度まで注いでから、ポットよりかなり小さい別のポットの中身――黒い液体を注いだ。たちまち、紅茶が黒く澱んだ色になる。
「そ……っそれは、なんですか?」
「おや、ケラプス茶は初めてかい?」
「けらぷすちゃ?」
「ケラプスっていう魔物から搾った体液を加工したものを混ぜたお茶だよ」
「……体液……」
言い方。
ケラプスといえば、先日カイルさんが食べていたステーキだ。「体液」とはすなわち「乳」だとすれば、やはりウシに似た魔物だろうか。
ミルクならば、紅茶に混ぜるものとしては納得できる。しかし、色が真逆の黒だ。人間時代の世界のミルクティーを知っているせいか、とても異質に見える。
「どうぞ、遠慮なく」
「い……いただき、ます」
大丈夫。たぶん、大丈夫。あの死ぬほどまずかった、ミランダさん特製の魔力回復薬も飲めたのだから。
自身にそう言い聞かせて、思いきってカップを持ち上げて、目をつぶりながら飲んだ……あれ、美味しい。というか、ミルクティーとほぼ同じ味ではないか?
「まろやかで美味しいですね……!」
「だろう? それはガラナで作ったやつだけど、一応モニマニ茶のもあるんだ。けど、僕はケラプス茶にするならガラナの方が好きだね」
「そうですね。ケラプスの……体液、が渋みを優しくしているっていうか。よく合ってると思います」
「……君、分かってるね」
「え? いえ、そんな。すみません、偉そうに」
「全然。むしろ嬉しいよ。最近は流行りなのか知らないけど、割と甘くて濃厚な味を好むお客が多くてね。悪くはないんだけど……なんか、こう、ね?」
気持ちはなんとなく分かるので、静かに頷いておいた。
ケラプス茶を飲んで一息つき、再びメニュー表を見る。そこで、おかしな点に気づいた。
「値段が書いてないですね?」
「ああ。飲み物は基本的にどれも三オーロ、食べ物は五オーロだよ」
「統一してるんですか?」
「冒険者のための料金設定でね。加えて、なにか情報を提供してもらっているんだ」
「情報……クエストで行った先の話とかですか?」
「そう。僕はね、自分で言うのもなんだけど、『情報屋のトリスタン』で通ってるんだよ。特にダンジョンについての情報は、いくらあっても困りはしないからね。目新しい情報をもってない場合は、追加料金をいただいてるけど」
そうか。それが、オリヴィアさんが「ぼったくられるぞ」と言っていた所以か。
それにしても、情報屋とは。ただの物知りなおじさんではなかったようだ。色々教えてもらいたかったが、世間話風に済ませるわけにはいかないようだ。
「僕はまだこの世界というか、陸上に出てまだ間もないので……あんまり教えられることはないかもしれないんですが。どうしましょうか」
「じゃあ、せっかくだから海の中の世界について教えてくれないか? 水が苦手な身の上としては、未知の世界だからね」
「ああ。それならお安い御用です」
ネコは水が苦手なのは、獣人も同じらしい。入浴も大変そうだ。
というわけで、長年見てきた海の中の様子を事細かく話した。トリスタンさんに質問されると、口頭で説明したり紙に絵を描いたりして答えた。
「魚といえばニンパーチ……じゃないのか。え、そんなに種類が?」
「ウツボ?……へぇ、ちょっとクエルネスに似ているね。毒はもっているのか?」
「そんな大型なのに小さな魚を食べる? 非効率じゃないのかね?」
「自分で発光? 魔力持ちなのか?」
「百年近くも生きるだって? 魔物でもないのにかい?」
とにかく、質問が多かった。ときどき聞きなれない言葉が出てきたので、こちらも質問したけれど。
曰く、「ニンパーチ」は魚の魔物で、海や川など水のある場所にならどこにでもいるため、一般的によく食卓に上がるのだとか。それから、「クエルネス」は細長い体をもつヘビに似た魔物で、最近まで虫の仲間だと考えられていたそうだ。
「たくさん話してくれて、どうもありがとう。おかげでだいぶ海について知れたよ」
「喜んでいただけたなら嬉しいです……」
「君もなかなかの努力家だね。平穏な生活を捨てて陸上にやってくるなんて」
「いえ。ただ退屈になっただけですから」
「そうか。じゃあ、どうなんだい? 海の中に比べて、ここでの生活は」
「とっても楽しいです。大変なこともありますけど、逆に考えれば刺激的といいますか」
「それはよかったね」
トリスタンさんは、「話のお礼だよ」と言って、ケラプス茶をもう一杯いれてくれた。
「冒険者としては、どうだい? 大変なクエストとかあったんじゃないか?」
「そうですね……色々ありましたけど、戦うのはほとんどカイルさんたちでして。僕は補助が必要なときにするっていう程度なんです」
「今まで行ったダンジョンは?」
「〈アルカネット遺跡〉と〈シルフィウム鉱山〉、それに〈ネトルの森〉です」
「〈ネトルの森〉……そうか、オリヴィアが大量にモニマニを持ってきたときか。まさか、わざわざそのために?」
「いえ。ある人を探してたんですけど、その人がソロで入ったと聞いたので。モニマニはそのついでです」
「……ソロで〈ネトルの森〉に?」
トリスタンさんは、不思議そうに僕の言葉を復唱して、自身の口ひげに触れた。
「それってもしかして――」
出入口のドアベルの音で、トリスタンさんの言葉は途中で遮られた。
やってきた新しい客を見て、固まった。
「よう、マスター。元気か?」
「いらっしゃい、レックス。で……彼のことかい?」
トリスタンさんは、そのお客に定例の挨拶をしてから、僕を見て聞いてきた。目を見開いたまま頷く僕。
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