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初夏の宵①
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両手いっぱいに小説を抱え、ホクホク顔で木蓮は寧世宮に帰った。
念願の活字、妄想のおかずをとうとう手に入れたのだ。
今夜からの生活はまさに薔薇色である。
「ただいまー!」
「お帰りなさい、ってどうしたの!?その大量の書物!」
優に二十冊はある小説を文机にそっと下ろし、木蓮は一番上の一冊を抱きしめながら締まりのない笑顔で莞莞に答えた。
「周瑛に貸本屋に連れてってもらったの!!こっちに来てから萌えが不足で死にそうだったけど、これでやっと補充出来る!!」
「も……何が不足しているの?」
困惑する莞莞を見て、木蓮は思い出した。
そう、この世界には萌えという概念は無いのである。
(これは……普及するしかないでしょ!!)
ここはひとつ、自分が萌えの伝道師となり、世の女性達及び男性達に二次元の素晴らしさを広めなければならない。
舜に召喚された理由は別として、サブカルチャー普及も自分の使命だと木蓮は鼻息を荒くした。
「ねえ、莞莞は小説って読む?」
「有名なものを何冊か読んだくらい。安慶は田舎だから貸本屋が無いの。だから、年に何回か商人が来た時に買っていたわ」
「適当に借りてきたんだけど、この中に有名なやつってある?」
どれどれ、と卓上に広がった本の表紙に素早く目を走らせ、莞莞は一番古い本を手に取った。
「これ、すごく有名なお話よ。私も読んだわ」
「どんな内容?」
「舜が異民族に支配されていた前王朝が舞台なの。下級官吏の息子とその幼なじみで豪商の娘と、官吏の息子に恋する芸妓のむず痒い三角関係の物語よ」
「よし、それから読もう」
設定からして面白そうだ。
いつもなら一日で一番の楽しみである田塋の作る食事も、今日ばかりは早く済ませたい。
読みながらつまめるものといえばサンドイッチが思い浮かぶが、これまで食卓にあがったことはない。
(でも揚げパンがあるし、多分パン自体はあるよね。今度作ってもらおう)
「晩ごはんは適当に麺料理一品でいいや。もし仕込みとか終わっちゃってたら、三人の夕食にして。さて、私は楽しい読書の時間とします」
小説を片手に寝台に寝転がりながら、木蓮は莞莞に田塋への伝言を頼んだ。
ワクワクしながら本を開いた木蓮だが、険しい顔をしながら莞莞が本を取り上げる。
遠く離れた日本にいる母そっくりの表情に、木蓮は怯んだ。
「読書がしたいから食事の時間を削るのを今容認したら、お姉様は今後もそうするわ。到底認められません。きちんと食事を摂りなさい」
「は、はい」
有無を言わせない莞莞の迫力に気圧され、木蓮はしょんぼりと肩を落としながら本を文机に戻した。
「まったく、子供じゃあるまいし。本に足が生えて逃げるわけでもないんだから、食後にゆっくり読めば良いでしょう。お姉様、確か今年十九歳になるのでしょう?こんな小娘にお説教されているなんてあまりにも情けないわよ」
「仰る通りです」
莞莞はきっと良いお母さんになるだろうなぁ、と大人しく叱られていたその時、西露が焦りを滲ませた声で扉の外から呼び掛けてきた。
「仙女様、皇帝陛下のお越しにございます!」
「とりあえず客間に通して!それから、ご飯も一緒に食べるかもしれないから、田塋におかずを増やせるか聞いてきてもらえる?」
「すでに客間にお通しいたしました。ただ今厨房に向かいます」
「ありがとう。よろしくね」
莞莞に先立ちながら、何かあったのかと木蓮は気を揉んだ。
早く用件を聞きたくて客間に飛び込んだ木蓮が見たのは、自分の家のごとく寛いでいる英文であった。
お茶を飲みながらどこかから連れてきた猫と戯れている。
「突然すまんな」
「いや、別にいいけど……その猫どうしたの?」
「今朝御花園で拾った」
「あの、何か用があるんじゃないの?」
「別に用などない。ただ泊まりに来ただけだ」
英文と遊ぶのに飽きたのか、猫はフイッと顔をそむけ客間の隅に移動した。
突然訪れた静寂の中、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音だけが響く。
「今なんて言った?」
「泊まりに来た」
「なんで!?」
木蓮が目を剥き叫ぶと同時に、本日二度めの来客を西露が告げた。
しかしその声は途中から掻き消された。
「仙女様、お客様が……」
「礼を欠きますことを御許しください!仙女様、皇帝陛下付き太監の王苒にございます!陛下、そこにいらっしゃるのはわかっておりますよ!」
悪戯がバレそうな子供みたいに、英文は木蓮に首を振った。
どうやら見つかりたくないらしい。
足音を立てないように気をつけながら英文を物陰に連れていき、入口から姿が見えないのを確認してから、木蓮は扉を開けた。
「王苒さん、英文だったらここにはいませんよ。何かあったんですか?」
「ご無礼を御許しください。実は先ほどから陛下のお姿が見えず、探していたのです。今日は徐貴妃娘娘との夜伽の日なので、そろそろ黎明宮に向かわなければなりません」
「そうなんですね。見かけたら私からも言っておきます」
「ありがとう存じます。ここではないのだとしたら御花園か、あるいは張姉妹の屋敷か……食事時にお騒がせいたしました」
小走りで出ていく王苒を見送り、完全に姿が見えなくなってから木蓮は扉を閉めた。
「もう出てきても大丈夫だよ」
ホッとした様子で棚の背後から這い出てきた英文は、一国の君主にしてはあまりにも覇気が無かった。
念願の活字、妄想のおかずをとうとう手に入れたのだ。
今夜からの生活はまさに薔薇色である。
「ただいまー!」
「お帰りなさい、ってどうしたの!?その大量の書物!」
優に二十冊はある小説を文机にそっと下ろし、木蓮は一番上の一冊を抱きしめながら締まりのない笑顔で莞莞に答えた。
「周瑛に貸本屋に連れてってもらったの!!こっちに来てから萌えが不足で死にそうだったけど、これでやっと補充出来る!!」
「も……何が不足しているの?」
困惑する莞莞を見て、木蓮は思い出した。
そう、この世界には萌えという概念は無いのである。
(これは……普及するしかないでしょ!!)
ここはひとつ、自分が萌えの伝道師となり、世の女性達及び男性達に二次元の素晴らしさを広めなければならない。
舜に召喚された理由は別として、サブカルチャー普及も自分の使命だと木蓮は鼻息を荒くした。
「ねえ、莞莞は小説って読む?」
「有名なものを何冊か読んだくらい。安慶は田舎だから貸本屋が無いの。だから、年に何回か商人が来た時に買っていたわ」
「適当に借りてきたんだけど、この中に有名なやつってある?」
どれどれ、と卓上に広がった本の表紙に素早く目を走らせ、莞莞は一番古い本を手に取った。
「これ、すごく有名なお話よ。私も読んだわ」
「どんな内容?」
「舜が異民族に支配されていた前王朝が舞台なの。下級官吏の息子とその幼なじみで豪商の娘と、官吏の息子に恋する芸妓のむず痒い三角関係の物語よ」
「よし、それから読もう」
設定からして面白そうだ。
いつもなら一日で一番の楽しみである田塋の作る食事も、今日ばかりは早く済ませたい。
読みながらつまめるものといえばサンドイッチが思い浮かぶが、これまで食卓にあがったことはない。
(でも揚げパンがあるし、多分パン自体はあるよね。今度作ってもらおう)
「晩ごはんは適当に麺料理一品でいいや。もし仕込みとか終わっちゃってたら、三人の夕食にして。さて、私は楽しい読書の時間とします」
小説を片手に寝台に寝転がりながら、木蓮は莞莞に田塋への伝言を頼んだ。
ワクワクしながら本を開いた木蓮だが、険しい顔をしながら莞莞が本を取り上げる。
遠く離れた日本にいる母そっくりの表情に、木蓮は怯んだ。
「読書がしたいから食事の時間を削るのを今容認したら、お姉様は今後もそうするわ。到底認められません。きちんと食事を摂りなさい」
「は、はい」
有無を言わせない莞莞の迫力に気圧され、木蓮はしょんぼりと肩を落としながら本を文机に戻した。
「まったく、子供じゃあるまいし。本に足が生えて逃げるわけでもないんだから、食後にゆっくり読めば良いでしょう。お姉様、確か今年十九歳になるのでしょう?こんな小娘にお説教されているなんてあまりにも情けないわよ」
「仰る通りです」
莞莞はきっと良いお母さんになるだろうなぁ、と大人しく叱られていたその時、西露が焦りを滲ませた声で扉の外から呼び掛けてきた。
「仙女様、皇帝陛下のお越しにございます!」
「とりあえず客間に通して!それから、ご飯も一緒に食べるかもしれないから、田塋におかずを増やせるか聞いてきてもらえる?」
「すでに客間にお通しいたしました。ただ今厨房に向かいます」
「ありがとう。よろしくね」
莞莞に先立ちながら、何かあったのかと木蓮は気を揉んだ。
早く用件を聞きたくて客間に飛び込んだ木蓮が見たのは、自分の家のごとく寛いでいる英文であった。
お茶を飲みながらどこかから連れてきた猫と戯れている。
「突然すまんな」
「いや、別にいいけど……その猫どうしたの?」
「今朝御花園で拾った」
「あの、何か用があるんじゃないの?」
「別に用などない。ただ泊まりに来ただけだ」
英文と遊ぶのに飽きたのか、猫はフイッと顔をそむけ客間の隅に移動した。
突然訪れた静寂の中、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音だけが響く。
「今なんて言った?」
「泊まりに来た」
「なんで!?」
木蓮が目を剥き叫ぶと同時に、本日二度めの来客を西露が告げた。
しかしその声は途中から掻き消された。
「仙女様、お客様が……」
「礼を欠きますことを御許しください!仙女様、皇帝陛下付き太監の王苒にございます!陛下、そこにいらっしゃるのはわかっておりますよ!」
悪戯がバレそうな子供みたいに、英文は木蓮に首を振った。
どうやら見つかりたくないらしい。
足音を立てないように気をつけながら英文を物陰に連れていき、入口から姿が見えないのを確認してから、木蓮は扉を開けた。
「王苒さん、英文だったらここにはいませんよ。何かあったんですか?」
「ご無礼を御許しください。実は先ほどから陛下のお姿が見えず、探していたのです。今日は徐貴妃娘娘との夜伽の日なので、そろそろ黎明宮に向かわなければなりません」
「そうなんですね。見かけたら私からも言っておきます」
「ありがとう存じます。ここではないのだとしたら御花園か、あるいは張姉妹の屋敷か……食事時にお騒がせいたしました」
小走りで出ていく王苒を見送り、完全に姿が見えなくなってから木蓮は扉を閉めた。
「もう出てきても大丈夫だよ」
ホッとした様子で棚の背後から這い出てきた英文は、一国の君主にしてはあまりにも覇気が無かった。
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