舜国仙女伝

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懺悔

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「皇后と徐貴妃が側福晋として嫁いできた翌年のことだった。皇后が妊娠し、身の回りの世話をさせるために実家から妹を呼んだ。その妹、馬金襄千蘭ばきんじょうせんらんを一目見て、私は恋に落ちた」


一夫多妻制は馴染みが無いが、まだ理解は出来る。

しかし妻の姉妹にもそういう目を向けるのはさすがにわからないと思った木蓮だが、とりあえず話の続きを促した。


「幼い頃、私は三年ほどセルゲイ・スミルノフという外人を家庭教師として雇っていた。彼の母国、アトラソフでは一夫一妻が法で定められていると聞き、子供だった私はそれに強く憧れた」


昔を懐かしむような語り口調になり、英文はだらしなく椅子の背にもたれた。


「いつか愛する女人にょにんを唯一の妻として迎えたい___兄上が壮健だった頃、帝位など縁の無いものと思っていた私はそう願っていた。だが皇族が一夫一妻を実行するのは私が想像するよりはるかに難しかった。また、私が理想とする女人も見つからず、結局成人すると同時に二人の妻を迎えた。この二人を大事にし、いずれどちらかを嫡福晋とする。もう誰も娶らないと、そう決めていたんだが……」

「千李の妹に合って、考えが変わったんだね」


木蓮の相槌に深く頷き、英文は嘆息した。


「自分がすでに妻を娶っていることを恨みもしたし、そう思うこと自体が二人を裏切っているようで心苦しくもあった。特に千李は妊娠していたから、千蘭を娶りたいと言えなかった」

「じゃあ、どうやって結婚したの?」

「千李が私の気持ちに気づき、千蘭を娶ることを赦してくれた。その代わり嫡福晋の立場におき、いついかなる時も決して妹を冷遇するなと言った。私は世界中の誰よりも千蘭を幸せにすると、姉である千李に誓った」


不意に今までの千李を思い出す。

常に凛とし、皇后に相応しい威厳と品格を持つ女性という印象だったが、妹思いの優しい一面もあるようだ。


「千蘭を妻にすると、鈴麗の嫉妬は凄まじいものだった。私は彼女が苦手だったため、結婚した時から会うのは必要最低限に済ませていたが、千蘭への風当たりを弱めるため、なるべく相手をする努力はした。そして、千蘭との結婚の一年後に昔の恩人が二人の娘を遺して亡くなったため、二人を娶り白婚とした」

「白婚って何?」

「夫婦生活は行わない結婚のことだ。戸籍上は妻だが実質は養女であるため、処女のままでいられる。婚姻を解消した暁には、初婚で嫁ぐことが出来る」

「もしかしてそれが、張貴人姉妹?」

「そうだ。まだ会っていなかったか?」


木蓮は小さく頷き、まだ見ぬ張貴人姉妹を想像した。


(鈴麗はど迫力お色気美人、千李はクールビューティー、千蘭そっくりと噂の宇玉連はかわいい系、じゃあ張貴人姉妹はどんな感じなんだろ……)


こうして顔ぶれを思い浮かべると、まるでギャルゲーの攻略キャラクターのようである。

個性豊かな女達を侍らせる英文は、さしずめゲームの主人公といったところか。


「まあ、いずれ会うことになるだろう。あの二人は年齢よりいささか幼いが、とにかく見ていて愉快だ。千蘭も二人を可愛がっていた……」


酒壺を傾けるも中身はすでになく、英文の盃に一滴だけ雫が落ちる。


「おかわりいる?」

「いや、あとは水でいい。けっこう強い酒だったみたいだ」


英文は首筋どころか顔まで真っ赤になっていた。

呂律はしっかりしているが、目が据わり、あらぬ方向を見ている。


「私は愛し方を間違えた。誰にでも優しく振る舞う千蘭はいつか私など捨てるかもしれないと怖くなり、束縛し監視するようになった。千蘭は笑わなくなり、顔を合わせれば喧嘩をするようになってしまった。そしてある日、千蘭への当てつけで私は浮気をした」

「ちょ、ちょっと待って、さっきから怒濤のカミングアウトなんだけど。っていうか当てつけで浮気とか最低すぎない?」

「そう、私は最低な人間だ。実は性根が腐りきっているどうしようもない駄目な男なんだ」


カミングアウトという言葉はスルーし、ごく真面目に英文は己をこき下ろした。

絡み酒になりつつあり、ちょっと面倒くさいな、と引いていた木蓮だが、続く発言に目が飛び出そうになる。


「不注意で行きずりの女を妊娠させてしまった。しかもそいつの策略にはまり、ありもしない千蘭の浮気を信じてひどく責め立て、自殺に追い込んでしまった!腹には子供もいたのに……」


あまりに重々しい告白に、無意識のうちに息を呑んでいた。

英文の絹のように滑らかな頬を、一筋の涙が伝う。

中性的な美貌の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。


「千李との間の娘も、陰謀に巻き込まれて死んだ。私は自分の子供達と妻を、間接的に殺した!!」


急に立ち上がり、英文は声を荒げながら木蓮に詰め寄った。


「私は人殺しだ!なのになぜ私には氣が無いのだ!?木蓮、なぜだ!」

「殺したのは英文じゃない!確かに何も悪くはないとは言えないかもしれないけど……それでもそこまで自分を責める必要だってない!」


英文に対抗するように声を張り上げ、肺から空気という空気を絞り出して木蓮は叫んだ。

英文が抱える罪悪感はあまりに重く、叫ばずにはいられなかった。


「こんな男が……妻一人守れない、こんな情けない男が、どの面を下げて皇帝を名乗るんだ?とんだお笑い草だ!」


ハハハハと乾いた笑い声を響かせ、英文は千鳥足で長椅子に歩み寄り、横たわった。

そして歪んだ笑顔のまま涙を流し、糸が切れた人形のように唐突に眠りに落ちた。

普段は決して見せない英文が抱える闇を目の当たりにし、木蓮の頭は思考を停止していた。

あとどれだけ懺悔をすれば、英文の魂は自由になれるのか。

妃嬪を増やしたくないのも、子作りを避けるのも、すべて聞いてしまった今は納得するしかない。


(……どうすれば、この人を助けられるんだろう?)


莞莞の時とはまた違う、熱い何かが胸に込み上げる。

仙女と呼ばれる立場でありながら、またしても木蓮は無力だった。

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