70 / 86
招かれざる客―鈴麗視点―
しおりを挟む
(信じられない……この子いつまで食べてるの?)
どこまでも幸せそうに光の早さで皿を空っぽにしていく木蓮に、鈴麗はかなり引いていた。
友人らしい友人がいないため、家族か英文としか食事を共にしたことがない彼女にとって、木蓮の食欲は異常だった。
英文の訪問がある今日は、普段よりも多く作っている。
天子に礼を尽くすため、そして黎明宮に勤める使用人達のためだ。
下げ渡される食事を楽しみにしている使用人達に行き渡るよう、鈴麗は今日も成人男性が五人集まっても食べきれないくらいの量をこしらえた。
だが料理はもうほとんど残っていない。
おかわりを要求されて断ったら吝嗇家の烙印を押されるのが一般的であるため、いい加減遠慮しろと内心で毒づきながら、鈴麗は本日最後のおかわりを木蓮に差し出した。
一口食べるごとに、天才、さすが城一番の美食家、世界一と褒め讃える木蓮はいかにも頭が悪そうな顔をしているが、もともと褒められるのに弱い鈴麗はだんだん当初の不快感を忘れていった。
嫌味ではなく心の底からの賞賛に気を良くした鈴麗はとっておきの氷菓子まで出してしまい、使用人達に睨まれてからハッと我に帰るも、既に遅い。
「か、かき氷……!しかも芒果がこんなに乗ってる!!」
まるで神か仏にでも遭ったかのように鈴麗を拝むと、木蓮はやや涙目でかき氷を食べた。
生きてて良かったとまで言い出し、この世の幸福をすべて集めたような顔でかき氷を頬張っている木蓮を見ていると、警戒するのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
(いくらなんでも、こんな猿みたいなのが側室にはならないわよね……。仙女だからって警戒し過ぎたわ)
国が滅亡の危機にある時に天が仙女を遣わすという伝説は、小さい頃から知っている。
しかし後宮に入ってから、国を救った仙女はその後皇后を追い落として正妻の座に収まるか、皇后にはならずとも皇后をも凌ぐ寵愛を受ける寵姫となった歴史を知ってしまった。
仙女という、皇后よりもある意味英文に近い肩書きに強い警戒心を持った鈴麗だが、そんなものは無用の長物とわかっただけ、今日は収穫のあった一日であった。
「ご馳走様でした。いやあ、美味しかったよ。この城で一番ご飯が美味しいのはここだって英文が言ってたんだけど、本当にそうだった!」
食後のお茶まで一滴残らず飲み干し、臨月の妊婦並みに下っ腹を膨らませて木蓮は満足している。
「陛下がそう仰っていたの?」
「うん。今日来れないのも申し訳ないって言ってたよ」
「……そう」
多少は気にしてくれていたのが嬉しくて、鈴麗は顔を綻ばせた。
「すごく直球な物言いになるんだけど、なんで初めて会った時はあんなに刺々しかったの?今はすっごく柔らかく笑ってるのに」
どこまでも不思議そうに、澄んだ目で首を傾げる木蓮に、鈴麗は笑みを消した。
「どこの馬の骨とも知れない女がいきなり陛下の周りをうろつきはじめて、それで心穏やかでいられて?」
「なんだ、嫉妬か。じゃあ心配無いよ。私と英文はそういう関係じゃないし」
「気安く陛下の御名を呼ばないでくださる?」
また名前を呼び捨てにしていることに、腹の底から怒りが沸き上がる。
どうしようもない不快感に声を低くすれば、木蓮は困ったように眉尻を下げた。
「そんなに英文のことが好きなんだね」
「ええ。陛下のお心に私はいないけれど、誰よりも深く愛しているわ」
きっぱりと言い切り、鈴麗は真正面から木蓮を睨んだ。
目力の強い彼女の視線を受け止め、木蓮はおもむろに切り出した。
「英文が好きな匂いって知ってる?」
「匂い?」
「ここに来る旅の途中で、普段女性に興味の無い英文が珍しく女性を目で追ってたの。美人ではなかったけど、すごく良い匂いの人だった。柑橘類、多分ベルガモットの匂いだったよ」
「ベルガモット……聞いたことがあるわ」
「言葉には出してないけど、相当気に入ってた。その薔薇の香水も似合ってるけど、もし入手出来るならベルガモットで香水を作ってみたら?英文が興味を持つと思う」
鈴麗は睨むのを止めた。
木蓮の丸く特徴の無い顔からは、何も読めない。
「なぜそんなことを教えてくれるの?」
「ご飯が美味しかったから」
「は?何よそれ」
「まあまあ、今日のご飯に見合う情報だとは思うよ?騙されたと思って、ベルガモットの香水作ってみてよ」
下っ腹をプルプルと揺らしながら、木蓮は身軽に椅子から立ち上がった。
「じゃ、そろそろお暇します。ご馳走さまでした!」
鈴麗はもちろん、黎明宮の誰もが見送りには行かなかった。
予期せぬ来客が去り、侍女頭の李鵬がぼやく。
「今日のお昼ご飯が無くなってしまいましたわ」
「何か適当に作ってあげるわ。誰か、厨房に野菜を用意しておいて。それから李鵬、実家に手紙を書いてちょうだい」
「あの者の言うことを信用なさるのですか?」
驚いたように目を丸くする李鵬に、鈴麗は嘆息した。
「陛下はいまだ千蘭様をお慕いしているし、私は皇后ほど信頼されていない。その上、もうすぐ新しい小主が入るわ。その中の誰かが寵愛を受けるかもしれない」
「お嬢様……」
「形だけの妃嬪でいるなんて嫌。ほんの一時で良いから、陛下の気を惹きたいの。その為ならなんだってするわ」
鈴麗の決意が固い様子を見て、李鵬は重々しく頷いた。
手紙の内容を口頭で教え、自室で封がされるのを見届けてから鈴麗は厨房に向かった。
(効き目がなかったら、あの女をひっぱたいてやる)
どこまでも幸せそうに光の早さで皿を空っぽにしていく木蓮に、鈴麗はかなり引いていた。
友人らしい友人がいないため、家族か英文としか食事を共にしたことがない彼女にとって、木蓮の食欲は異常だった。
英文の訪問がある今日は、普段よりも多く作っている。
天子に礼を尽くすため、そして黎明宮に勤める使用人達のためだ。
下げ渡される食事を楽しみにしている使用人達に行き渡るよう、鈴麗は今日も成人男性が五人集まっても食べきれないくらいの量をこしらえた。
だが料理はもうほとんど残っていない。
おかわりを要求されて断ったら吝嗇家の烙印を押されるのが一般的であるため、いい加減遠慮しろと内心で毒づきながら、鈴麗は本日最後のおかわりを木蓮に差し出した。
一口食べるごとに、天才、さすが城一番の美食家、世界一と褒め讃える木蓮はいかにも頭が悪そうな顔をしているが、もともと褒められるのに弱い鈴麗はだんだん当初の不快感を忘れていった。
嫌味ではなく心の底からの賞賛に気を良くした鈴麗はとっておきの氷菓子まで出してしまい、使用人達に睨まれてからハッと我に帰るも、既に遅い。
「か、かき氷……!しかも芒果がこんなに乗ってる!!」
まるで神か仏にでも遭ったかのように鈴麗を拝むと、木蓮はやや涙目でかき氷を食べた。
生きてて良かったとまで言い出し、この世の幸福をすべて集めたような顔でかき氷を頬張っている木蓮を見ていると、警戒するのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
(いくらなんでも、こんな猿みたいなのが側室にはならないわよね……。仙女だからって警戒し過ぎたわ)
国が滅亡の危機にある時に天が仙女を遣わすという伝説は、小さい頃から知っている。
しかし後宮に入ってから、国を救った仙女はその後皇后を追い落として正妻の座に収まるか、皇后にはならずとも皇后をも凌ぐ寵愛を受ける寵姫となった歴史を知ってしまった。
仙女という、皇后よりもある意味英文に近い肩書きに強い警戒心を持った鈴麗だが、そんなものは無用の長物とわかっただけ、今日は収穫のあった一日であった。
「ご馳走様でした。いやあ、美味しかったよ。この城で一番ご飯が美味しいのはここだって英文が言ってたんだけど、本当にそうだった!」
食後のお茶まで一滴残らず飲み干し、臨月の妊婦並みに下っ腹を膨らませて木蓮は満足している。
「陛下がそう仰っていたの?」
「うん。今日来れないのも申し訳ないって言ってたよ」
「……そう」
多少は気にしてくれていたのが嬉しくて、鈴麗は顔を綻ばせた。
「すごく直球な物言いになるんだけど、なんで初めて会った時はあんなに刺々しかったの?今はすっごく柔らかく笑ってるのに」
どこまでも不思議そうに、澄んだ目で首を傾げる木蓮に、鈴麗は笑みを消した。
「どこの馬の骨とも知れない女がいきなり陛下の周りをうろつきはじめて、それで心穏やかでいられて?」
「なんだ、嫉妬か。じゃあ心配無いよ。私と英文はそういう関係じゃないし」
「気安く陛下の御名を呼ばないでくださる?」
また名前を呼び捨てにしていることに、腹の底から怒りが沸き上がる。
どうしようもない不快感に声を低くすれば、木蓮は困ったように眉尻を下げた。
「そんなに英文のことが好きなんだね」
「ええ。陛下のお心に私はいないけれど、誰よりも深く愛しているわ」
きっぱりと言い切り、鈴麗は真正面から木蓮を睨んだ。
目力の強い彼女の視線を受け止め、木蓮はおもむろに切り出した。
「英文が好きな匂いって知ってる?」
「匂い?」
「ここに来る旅の途中で、普段女性に興味の無い英文が珍しく女性を目で追ってたの。美人ではなかったけど、すごく良い匂いの人だった。柑橘類、多分ベルガモットの匂いだったよ」
「ベルガモット……聞いたことがあるわ」
「言葉には出してないけど、相当気に入ってた。その薔薇の香水も似合ってるけど、もし入手出来るならベルガモットで香水を作ってみたら?英文が興味を持つと思う」
鈴麗は睨むのを止めた。
木蓮の丸く特徴の無い顔からは、何も読めない。
「なぜそんなことを教えてくれるの?」
「ご飯が美味しかったから」
「は?何よそれ」
「まあまあ、今日のご飯に見合う情報だとは思うよ?騙されたと思って、ベルガモットの香水作ってみてよ」
下っ腹をプルプルと揺らしながら、木蓮は身軽に椅子から立ち上がった。
「じゃ、そろそろお暇します。ご馳走さまでした!」
鈴麗はもちろん、黎明宮の誰もが見送りには行かなかった。
予期せぬ来客が去り、侍女頭の李鵬がぼやく。
「今日のお昼ご飯が無くなってしまいましたわ」
「何か適当に作ってあげるわ。誰か、厨房に野菜を用意しておいて。それから李鵬、実家に手紙を書いてちょうだい」
「あの者の言うことを信用なさるのですか?」
驚いたように目を丸くする李鵬に、鈴麗は嘆息した。
「陛下はいまだ千蘭様をお慕いしているし、私は皇后ほど信頼されていない。その上、もうすぐ新しい小主が入るわ。その中の誰かが寵愛を受けるかもしれない」
「お嬢様……」
「形だけの妃嬪でいるなんて嫌。ほんの一時で良いから、陛下の気を惹きたいの。その為ならなんだってするわ」
鈴麗の決意が固い様子を見て、李鵬は重々しく頷いた。
手紙の内容を口頭で教え、自室で封がされるのを見届けてから鈴麗は厨房に向かった。
(効き目がなかったら、あの女をひっぱたいてやる)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
16
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる