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手合わせ
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鈴麗の宮を訪問した翌日、木蓮は初めて千李の住まいである承福宮を訪れた。
寧世宮の何倍もの広さの承福宮は、十以上の客室に広大な客間、演劇用の舞台が併設された広場があり、まさに後宮の主に相応しく豪奢な建物である。
出迎えの者に宮殿の外れにある演習場に案内され、待つこと数分、千李が侍女を一人伴いやって来た。
金の飾りボタンだけが唯一の装飾である黒い道衣からはスラリと長い足が伸びているが、七分丈であるためその形がはっきりとわかる。
年頃の女性らしからぬ頑強そうな筋肉に包まれた足は、あちこちに傷が残っていた。
「あら、可愛い道衣ね」
「体術の稽古をつけてもらうって言ったら、義妹が徹夜で縫ってくれたんだ。今日はよろしくお願いいたします」
付け焼き刃で勉強した作法に則り、木蓮はぎこちなく拱手の礼をした。
(えーっと、女性は確か左手を緩く握って右手で包んで、それからちょっとオーバーに振り下ろして……と)
人生で初めて行った作法であるため、少々不恰好ではあるが無事に礼を済ませる。
返礼として千李も同じ動作をしたが、皇后の立場に恥じない気品と風格があった。
「何から教えようか、まだ考えているところなの。だからそうねえ……とりあえず、私を殺すつもりで攻撃してみなさい。私はここから動かないから」
「殺すつもりって」
「仙術を使うも良し、そこにある武器を使うも良し」
千李が指差した方を見て、木蓮は度肝を抜かした。
演習場の壁一面に、あらゆる武器が陳列されているのだ。
長剣、槍、崑、弓、長刀と使用方法がわかるものから、どうやって使うのかわからない特殊な武器まであらゆるものがある。
「仙術を使うよ。武器は無理だ」
「いずれ使い方を教えるわ。さあ、いつでもどうぞ」
両手を広げ不敵に笑う千李に頷くと、木蓮は目を閉じた。
胸と胸の間に意識を集中し、氣を練る。
バサバサと衣服がはためく音をどこか遠くで聞きながら、木蓮は両手に風を集めた。
千李と目が合い、反射的に両手を突き放す。
竜巻並みの暴風が真正面から千李に襲いかかった。
千李の髪を纏めていた櫛が外れ、パキッと嫌な音を立てて風と共に散る。
日に焼けた、やや茶色がかった黒髪が風に舞い、千李はおもむろに目を開けた。
普通の人間なら容易に吹き飛ぶ強風をものともせず、文字通り微動だにしない千李に木蓮は驚きを隠せなかった。
一歩踏み出したかと思えばあっという間に距離を詰め、千李は木蓮の首筋にピタリと小刀を当てた。
「どうやら今あなたが出来る術はあれだけのようね。確かにこれじゃあ、いつ死んでもおかしくないわ」
つい先ほどまで何メートルも先にいたのに、いつ間合いを詰められたのかすらわからず、木蓮のこめかみから冷や汗が流れた。
もし千李が本気で殺す気になれば、抵抗などする間もなく瞬殺される。
それを肌で感じ、数秒遅れで恐怖がわいてくる。
「仙術を扱う人間は体が資本と聞くわ。木蓮、あなたまったく筋肉が無いわね」
刀を懐にしまい、おもむろに千李は木蓮の腕を掴んだ。
体つきのわりには大きな手が木蓮の腕に強く絡みつく。
「私が少し力を入れれば骨が折れるわ。腕だけじゃない。肩、腰、背中、腹、足、すべての筋肉が脆弱。後宮の女達のほうがまだ筋肉があるわ」
全身の筋肉に触り、千李は深刻そうな顔で唸った。
「少しずつ、慎重にやらないとかえって体を壊すわね……。木蓮、しばらくは稽古は無し。静雲藍のところにも行かなくて良いわ。その代わり、違う課題を与えます」
「違う課題?」
「ええ。場所を移動しましょう」
千李の後をついて歩くこと数分後、演習場の外にある小さな厩を見つけ、木蓮は気が遠くなりそうだった。
後宮に軍馬らしき馬がいるのは一般的なことなのか疑問に思うが、ここは千李の宮である。
主の前職を考えれば、住居に馬がいるのはそんなに不思議なことではないのかもしれない。
「大人しく多少のことでは動じない、肝の据わっているこの子を貸してあげる。今日から次に会うまで、毎日朝と晩に馬に乗って寧世宮の周りを一周すること」
「私、乗馬出来ないんですが……」
「大丈夫よ。今日一日でコツを叩きこんであげるわ」
にっこりと微笑む千李にひきつり笑いを返し、体長約二メートルほどはある馬を見る。
落馬だけは絶対にしたくないと気合いを入れ、木蓮は馬具の装着を終えた馬に恐る恐る跨がった。
寧世宮の何倍もの広さの承福宮は、十以上の客室に広大な客間、演劇用の舞台が併設された広場があり、まさに後宮の主に相応しく豪奢な建物である。
出迎えの者に宮殿の外れにある演習場に案内され、待つこと数分、千李が侍女を一人伴いやって来た。
金の飾りボタンだけが唯一の装飾である黒い道衣からはスラリと長い足が伸びているが、七分丈であるためその形がはっきりとわかる。
年頃の女性らしからぬ頑強そうな筋肉に包まれた足は、あちこちに傷が残っていた。
「あら、可愛い道衣ね」
「体術の稽古をつけてもらうって言ったら、義妹が徹夜で縫ってくれたんだ。今日はよろしくお願いいたします」
付け焼き刃で勉強した作法に則り、木蓮はぎこちなく拱手の礼をした。
(えーっと、女性は確か左手を緩く握って右手で包んで、それからちょっとオーバーに振り下ろして……と)
人生で初めて行った作法であるため、少々不恰好ではあるが無事に礼を済ませる。
返礼として千李も同じ動作をしたが、皇后の立場に恥じない気品と風格があった。
「何から教えようか、まだ考えているところなの。だからそうねえ……とりあえず、私を殺すつもりで攻撃してみなさい。私はここから動かないから」
「殺すつもりって」
「仙術を使うも良し、そこにある武器を使うも良し」
千李が指差した方を見て、木蓮は度肝を抜かした。
演習場の壁一面に、あらゆる武器が陳列されているのだ。
長剣、槍、崑、弓、長刀と使用方法がわかるものから、どうやって使うのかわからない特殊な武器まであらゆるものがある。
「仙術を使うよ。武器は無理だ」
「いずれ使い方を教えるわ。さあ、いつでもどうぞ」
両手を広げ不敵に笑う千李に頷くと、木蓮は目を閉じた。
胸と胸の間に意識を集中し、氣を練る。
バサバサと衣服がはためく音をどこか遠くで聞きながら、木蓮は両手に風を集めた。
千李と目が合い、反射的に両手を突き放す。
竜巻並みの暴風が真正面から千李に襲いかかった。
千李の髪を纏めていた櫛が外れ、パキッと嫌な音を立てて風と共に散る。
日に焼けた、やや茶色がかった黒髪が風に舞い、千李はおもむろに目を開けた。
普通の人間なら容易に吹き飛ぶ強風をものともせず、文字通り微動だにしない千李に木蓮は驚きを隠せなかった。
一歩踏み出したかと思えばあっという間に距離を詰め、千李は木蓮の首筋にピタリと小刀を当てた。
「どうやら今あなたが出来る術はあれだけのようね。確かにこれじゃあ、いつ死んでもおかしくないわ」
つい先ほどまで何メートルも先にいたのに、いつ間合いを詰められたのかすらわからず、木蓮のこめかみから冷や汗が流れた。
もし千李が本気で殺す気になれば、抵抗などする間もなく瞬殺される。
それを肌で感じ、数秒遅れで恐怖がわいてくる。
「仙術を扱う人間は体が資本と聞くわ。木蓮、あなたまったく筋肉が無いわね」
刀を懐にしまい、おもむろに千李は木蓮の腕を掴んだ。
体つきのわりには大きな手が木蓮の腕に強く絡みつく。
「私が少し力を入れれば骨が折れるわ。腕だけじゃない。肩、腰、背中、腹、足、すべての筋肉が脆弱。後宮の女達のほうがまだ筋肉があるわ」
全身の筋肉に触り、千李は深刻そうな顔で唸った。
「少しずつ、慎重にやらないとかえって体を壊すわね……。木蓮、しばらくは稽古は無し。静雲藍のところにも行かなくて良いわ。その代わり、違う課題を与えます」
「違う課題?」
「ええ。場所を移動しましょう」
千李の後をついて歩くこと数分後、演習場の外にある小さな厩を見つけ、木蓮は気が遠くなりそうだった。
後宮に軍馬らしき馬がいるのは一般的なことなのか疑問に思うが、ここは千李の宮である。
主の前職を考えれば、住居に馬がいるのはそんなに不思議なことではないのかもしれない。
「大人しく多少のことでは動じない、肝の据わっているこの子を貸してあげる。今日から次に会うまで、毎日朝と晩に馬に乗って寧世宮の周りを一周すること」
「私、乗馬出来ないんですが……」
「大丈夫よ。今日一日でコツを叩きこんであげるわ」
にっこりと微笑む千李にひきつり笑いを返し、体長約二メートルほどはある馬を見る。
落馬だけは絶対にしたくないと気合いを入れ、木蓮は馬具の装着を終えた馬に恐る恐る跨がった。
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